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ブックマーク / www.e-asianmarket.com (6)

  • 南Y島(ラマ島)で海鮮料理|アジアグルメ図鑑(香港)

    香港は海鮮料理が安くて美味しいとよく言われます。その通りです。そして、海鮮料理店が集まるエリアとして、鯉魚門や西貢がよく知られています。でも、私が香港に在住していた頃から、香港で海鮮料理べる時に行っていたのは、南Y島(ラマ島)でした。 南Y島(ラマ島)は、香港島の中環(セントラル)のピアからフェリーに乗って30分。南Y島(ラマ島)は離島ですから往復に時間がかかると思っている方が多いかもしれませんが、それほど遠くはないのです。しかも、ラマ島を1時間半くらいハイキングして、美しい景色を見ながら少し汗をかいた後にべる海鮮料理の美味しさと言ったら、この上ありません。 香港は日から近いので、日人の香港旅行の期間は2泊3日とか3泊4日とかの短いことが多いようです。だからといって、南Y島(ラマ島)での「ハイキング&海鮮料理」はスケジュール的に無理なのかというと、決してそうではありません。 香港

    南Y島(ラマ島)で海鮮料理|アジアグルメ図鑑(香港)
  • 上海の魯迅故居と内山書店|アジア写真帳

    虹口(ホンキュー)とは、黄浦江沿いにある上海大厦(旧ブロードウェイマンション)のあたりから北四川路沿いに北に上って魯迅公園(旧虹口公園)の辺りまでの一帯を指していて、日中戦争のころ、一時は10万人を超える日人が住んでいたエリアです。当時、人口約7,200万人の日人のうち外地に住んでいた人は約600万人いたということですが、旧満州だけでなく上海にも相当数の日人が住んでいたわけです。 そんな虹口(ホンキュー)の街の歩き方については、見どころを①魯迅公園②魯迅故居と内山書店③多倫路文化名人街④日人街だった頃の歴史的な建物の4つに分かれます。このページでは、魯迅故居と内山書店についてお話しします。 魯迅公園は、かつては虹口公園と言われていましたが、中華人民共和国成立後、魯迅公園と改名されています。 魯迅は上海の近く紹興市の生まれで、魯迅の生家も紹興市で公開されています。魯迅は日では文学者

  • 虹口(ホンキュー)を歩く|アジア写真帳

  • 諸葛八卦村とは-諸葛孔明の子孫が住む村

    諸葛八卦村は浙江省蘭渓市の中心部から、西に17km離れた所に所在しています。現在、諸葛八卦村には約4,000人の住民がいますが、その80%が諸葛姓だと言われています。諸葛孔明の子孫が住む村としては、中国最大の村です。 諸葛八卦村というと、諸葛孔明の子孫が隠れ住む村だと思われたり、謎の多い村として知られたりいることから、大変な山奥にありそうな印象を与えますが、成田などからの直行便がある杭州からなら、日帰りで十分行ける距離です。また、上海からでも中国新幹線和諧号に乗れば何とか日帰りすることも可能です。が、ゆったりと諸葛八卦村を見学するなら、杭州か蘭渓市のあたりで1泊することをおすすめします。 さて、諸葛八卦村は村全体が九宮八卦の陣のように配置されていることや、200を超える明・清時代の建物が完璧な形で残されていることなどから、1996年11月に国務院の全国重点文物保護単位に指定されるとともに、

  • 諸葛八卦村への行き方

    蘭渓市は杭州から高速道路で結ばれています。上の地図で見るとおり、杭州から蘭渓へ行く高速道路は、まず紹興方面にすすみ、義烏市、金華市を通って行きますので、直線距離よりは遠回りになります。 杭州から蘭渓へ行くバスは、杭州南バスターミナル(長途汽車南站)から、1時間に1くらいずつあって、約2時間半で蘭渓バスターミナルに着きます。料金は、2009年5月現在、70元です。日で手に入るガイドブックの中には、紹興から行くのが速いということを書いているものがあって、私もそれを信じて紹興から蘭渓までバスで行こうとしたのですが、紹興発蘭渓行きのバスは1日2しかなく、しかも一般道を走るため、3時間半もかかります。 上の写真は杭州から蘭渓へ行くバスが出発する杭州南バスターミナル(長途汽車南站)です。 杭州から諸葛八卦村へ日帰り旅行をしてみましょう。 杭州南バスターミナルを朝8時に出発する高速バスに乗ってみま

  • アジア写真帳(紹興)-紹興観光のポイント

    紹興市は浙江省省都の杭州市と寧波市の間に位置し、人口約430万人の大都市です。紹興へは、杭州から10分おきかそれより頻繁に出ている直通バスで約1時間、上海からでも十分に日帰り圏内にある街です。紹興というと、日人はすぐに紹興酒を思い出すのですが、紹興には、紹興酒だけではなく、沢山の見所があります。 というのも、紹興という街は、かつては会稽(かいけい)という名で歴史のあちこちに登場している街だからです。会稽は、「史記」の「臥薪嘗胆」のくだりでも出てきますし、映画「レッドクリフ」にも出てくる三国時代の孫権も、一時、会稽太守だったことがあります。蛇足ですが、赤壁の戦いを前に、諸葛孔明が周愉・魯粛を説得し、孫権に開戦を迫った舞台は、残念ながら会稽(紹興)ではなく、呉(蘇州)です。 また、紹興は魯迅生誕の地として有名で、魯迅の生家や通った塾などが、当時のままに保存されています。さらに、「書聖」といわ

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