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2023年5月24日のブックマーク (4件)

  • おかずになる!「ツナときゅうりのおかずサラダ」|食事処さくら@料理家/魔法のコツレシピ著者

    今日のレシピは、ツナときゅうりのおかずサラダです! すりごまを混ぜることで、ゴマがタレの水分を纏い、絡みやすくなります。 最後に三つ葉を加えてサッと混ぜると、風味も一層引き立ちますよ。 べちゃっとせずに最後まで美味しくべられますよ! それでは、レシピをどうぞ! きゅうり 2 (塩 砂糖 1つまみずつ) 三つ葉 1P ツナ缶 1缶 ■タレ■ 醤油 大さじ2分の1 酢 大さじ1.5 鶏ガラスープの素 小さじ2分の1 砂糖 小さじ1 すりごま 大さじ2.5 ------レシピ------ 1. きゅうりの下処理! きゅうりのヘタを切り落としたら横半分にカットし、さらに縦半分にカットして4等分にする。 この状態で斜めに薄切りにする。 カットできたら、塩と砂糖を入れて全体がツヤっとするまで揉み、10分ほど置く。 2. 三つ葉の下処理! 三つ葉の根っこの部分を切り落とし、3cm程の幅でカットする。

    おかずになる!「ツナときゅうりのおかずサラダ」|食事処さくら@料理家/魔法のコツレシピ著者
  • Superflyが誇りと言い切る「田舎者であること」

    今年の2月25日に志帆さんは30代ラストイヤーを迎えた。「でも気持ちは40代に突入しているかもしれない」と話すなど、新たなステップを踏み出すにあたり、目指すべき方向性は明確だ。 「繰り返しになるんですけど、田舎者でありたいという(笑)。その足場を大切にしていきたいという思いが強いですね。現在も都内にいながら、田舎の静かな場所に引っ越しをしたんです。田舎の空気感と都会の空気感を両方感じられるハイブリッドな環境を作り出しながら、そこで自分自身が成長して、大切なことを再発見できればと思います」 今回のアルバム制作は、田舎で新しく作った自分だけのスタジオで行われた。以前とは違うリラックスした環境で、高い集中力を発揮して作業に取り組むことができた。 「特別な環境下で、歌詞作りや慣れないエッセイの執筆、そしてボイストレーニングにも励みました。そういった生活の中で、成長を実感する瞬間もありましたね。歌に

    Superflyが誇りと言い切る「田舎者であること」
  • 坂本龍一 追悼連載vol.7:その音楽家人生と「ピアノ」という楽器について。『1996』を通じて考える | CINRA

    初めて坂龍一という音楽家を意識したのは1992年のバルセロナオリンピックだったから、私は散開以前のYellow Magic Orchestra(YMO)をリアルタイムではほとんど知らない。ピアノを習っていたものの、ハノンやツェルニーといった練習曲にうんざりしていた15歳の私にとって、坂は「外の世界」へと窓を開いてくれる存在だった。 坂龍一(さかもと りゅういち) / Photo by zakkubalan ©2022 Kab Inc. 1952年東京生まれ。1978年に『千のナイフ』でソロデビュー。同年、Yellow Magic Orchestra(YMO)を結成。散開後も多方面で活躍。2014年7月、中咽頭がんの罹患を発表したが、2015年、山田洋次監督作品『母と暮せば』とアレハンドロ・G・イニャリトゥ監督作品『レヴェナント:蘇えりし者』の音楽制作で復帰を果した。2017年春には8

    坂本龍一 追悼連載vol.7:その音楽家人生と「ピアノ」という楽器について。『1996』を通じて考える | CINRA
  • 坂本龍一が残した言葉 1952-2023:朝日新聞デジタル

    1988年に米アカデミー作曲賞を受賞した坂は、 拠点をニューヨークに移していた。 2001年9月11日、大きな音がして窓から外を見ると、 黒い煙が立ち上っていた。 「物の恐怖との遭遇でした」 この経験は、その後の平和運動の大きな起点となった。 米国のアフガニスタンへの侵攻が始まった3カ月後には、 仲間とともに、9・11論考集「非戦」を出版。 その後、イラク戦争が始まると平和を願う言葉は より切迫感を増した。

    坂本龍一が残した言葉 1952-2023:朝日新聞デジタル