江戸末期の旗本がさまざまな資料や情報を記録した『視聴草』に描かれた、レザノフの船と部下 画像提供/国立公文書館デジタルアーカイブ (町田 明広:歴史学者) ◉鎖国はどのように変化して幕末に至ったのか① 初期鎖国令の実態 寛永16年(1639)7月、3代将軍・徳川家光によって、「寛永鎖国令」が発布され、これ以降はポルトガル船の渡航を厳禁した。そして、万が一再来航した場合には、船は破壊し乗組員は処刑することを命じた。 承応3年(1654)5月、4代将軍・徳川家綱によって、「承応鎖国令」が発令され、「寛永鎖国令」が修正された。南蛮船を追い返すことを要求しているものの、攻撃されない場合は、こちらからも攻撃しないこと、追跡は不要であることを命じた。 いずれも、外国船を追い払うことには違いないが、「寛永鎖国令」は無二念打払いを、「承応鎖国令」は襲来打払いを命じていた。 今回は、「寛永鎖国令」の発令以降