道元をある程度知る人なら、懐奘を知っているし、懐奘が道元より年上であることも知っているはずだ。が、「随聞記」などを見ているとそのあたりをつい失念しがちだし、そしてそのことを想起するごとに不思議なインパクトを精神にもたらす。なにより、「随聞記」とは、もしかして、この世に現れることのない書籍であったかもしれないということに、歴史というものの怖さを思う。 ⇒「 正法眼蔵随聞記: 本: 水野 弥穂子」 懐奘の年齢でもう一つ大きなことは彼が道元禅師とは異なり、長命であったことだ。82歳まで生きていた。親鸞のような怪物もいるが、この時代82歳とはそれだけで大衆にしても弟子にしても仏の功徳のようなものだろうし、たぶん、懐奘は道元禅師に命を分けてもらったのだと確信していただろう。懐奘にとって道元とは本当にそのままに仏陀であっただろう。 私が、あれだけ傾倒した親鸞より、結局は、道元により心を寄せるようになっ