はたらくみんなのための働き方改革。 もっと楽しくなるはずなのに、 楽しめないのはなぜだろう。 もっと歓迎したいのに、 盛り上がらないのはなぜだろう。 風が変わりはじめた今だから 少し考えてみませんか?
サイボウズ株式会社は、グループウェアを開発する会社です。国内でもトップレベルのシェアを誇り、主力製品の一つである「サイボウズOffice」は50,000社を超える企業が導入しているツールとなっています。 サイボウズの歴史 サイボウズを作った青野氏のバックグラウンド1971年、愛媛県今治市生まれ。愛媛県立今治西高等学校を経て大阪大学工学部卒業後、松下電工へ入社し、BA・セキュリティシステム事業部営業企画部に在籍。同社での勤務経験を経て、1997年にサイボウズを愛媛県松山市に設立し、取締役副社長に就任。設立時、は営業やマーケティング担当としてWebグループウエア市場を切り開くことに尽力した。その後、「サイボウズ デヂエ(旧DBメーカー)」「サイボウズ ガルーン」など、新商品のプロダクトマネージャーとしてビジネスを立ち上げ、事業企画室担当、海外事業担当を務め、2005年より代表取締役社長。 19
先日、サイボウズにおける離職率と売上高のグラフを公開したところ、予想以上の反響をいただいたので、もう少しちゃんと説明します。 「働きやすい会社にしないと先がないよ」と脅すつもりはないし、「働きやすくしたら売上が増えるよ」なんて無責任なことを言うつもりもないです。あるソフトウェア企業が働き方を変革したらこうなった、という一事例としてお読みいただければ幸いです。 離職率と売上高の状況変化を時系列で説明します。 1997年~2001年 創業期サイボウズは創業後、比較的早く成長し、起業して丸3年経った2000年8月に東証マザーズに上場しました。事業の急成長に採用が追い付かず、松山→大阪→東京と本社を移転しました。移転に伴って退職する人がいたものの、大家族のような団結感があった時期です。人手が足りないので、深夜残業や休日出勤も当たり前。長時間労働者の集まりでした。 2002年~2006年 混乱期創業
青野慶久氏がサイボウズの社長に就任した2005年の直後、同社社員の離職率は28%に急上昇した。危機感を覚えた青野氏が人事制度の見直しを図った結果、離職率は毎年下がり続け、10年には5%に低下、この3年間は5%弱で推移している。 なにが、サイボウズの離職率を下げる原動力になったのだろうか。去る6月25日、PwCあらた監査法人が都内で開いたセミナーで、青野氏は実情を明かした。 青野氏は、自らを「ITベンチャーを立ち上げたぐらいなので、ワーカホリックの類いの人間です。職場で死ねたら本望という感じで、夜も布団の中でパソコンの画面を見ながらまぶたが落ちる瞬間が、私にとってはエクスタシー」と自嘲気味に語る。 1997年の創業以降、同社の年間離職率は15~20%で推移してきた。この水準は、ITベンチャーでは決して珍しくない。 「ITベンチャーの平均離職率は20%ぐらいなので、『こんなもんだろう』と、さほ
サイボウズは無償のWebグループウェアを2010年前半に提供すると発表した。社外の取引先や友人、家族などとスケジュールを共有できる「セカンドグループウェア」を売りに、無償公開で利用者を幅広く集めたい考えだ。 サイボウズは11月26日、社外の人や家族、友人とスケジュールやアドレス帳を共有できるグループウェアの新たなWebサービスを2010年前半に提供すると発表した。グループウェア上で特定のグループを作成し、情報を共有できる仕組みで、20人までのグループの作成は無料でできる。グループウェアのWebサービスを無償で提供することで、自社製品の潜在ユーザーの獲得を図る考えだ。 発表したWebサービスの名称は「サイボウズLive」。スケジュールや掲示板、ファイル共有といったグループウェアの機能をグループ単位で使えるのが特徴だ。利用者がプロジェクトや案件ごとに作成した任意のグループに利用者を招待すると、
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