2022年1月31日のブックマーク (3件)

  • 「南部藩め!」と石を投げられ…十和田湖の南、果てしなき銀世界の地で“神様”を殺した話 | 文春オンライン

    気温、マイナス4度。あらゆる樹木や建物が雪に覆われ、民家の板壁に貼られた秋田魁新報のブリキの看板が半分まで隠れている。道路にも慢性的な積雪があり、タイヤの轍(わだち)の部分すらアスファルトの色が見えない。来る前にワー●マンで買った2900円の防寒パンツと1900円のスノーブーツ、980円のインナーウェアが大活躍だ。ワーク●ンはすごい。 雪だるまと化した胸像 顕彰館の前の道の右側は、地域の漢学者である泉沢家の屋敷があった場所だ。1821年、相馬大作(下斗米秀之進)という武士が、盛岡藩(南部藩)の恥をそそぐため隣藩の津軽寧親の暗殺を企てて潜伏した地としても知られ、道路を挟んだ並木の下に記念碑がある。 そこを進んで左に曲がる。体感では傾斜15度ほどの坂があり、いざ登ってみると思ったより長かった。真っ白になった坂の景色は、おそらく“あの人”の時代とそう変わらないだろう。両脇は杉林で、道は狭く大人2

    「南部藩め!」と石を投げられ…十和田湖の南、果てしなき銀世界の地で“神様”を殺した話 | 文春オンライン
    saavedra
    saavedra 2022/01/31
    湖南はハタハタやしょっつるを送っても喜ばなかったらしい。秋田では地元の偉人扱いだが、当人に秋田県人のアイデンティティがあったかどうかは……
  • 遊廓は「人権無視の悲哀の場」か、それとも「日本文化の聖域」か?(田中 優子)

    「遊廓は二度とこの世に出現すべきではなく、造ることができない場所であり制度である」――。江戸時代、家族が生き残るために差し出された遊女たちは、どのような世界を生きていたのか。そして、令和の現在になって「遊廓の歴史」を見つめ直す意味とは何か。田中優子『遊廓と日人』より「はじめに」を公開いたします。 ジェンダーから見た遊廓の問題 このは「遊廓」についてのです。日の遊廓は一五八五年から一九五八年まで三七三年間にわたって続きました。それほど長い歴史を持ってはいるのですが、ここでは一種の街である「廓」を形成し、日文化に深く関与した江戸時代(一六〇三〜一八六七)を中心にします。また、全国に二五ヵ所以上あった公認遊廓の中でも、江戸の吉原遊廓を事例として、皆さんに遊廓を案内します。 さて、論を始める前に読者の皆さんにお伝えしたい大事なことがあります。それは、「遊廓は二度とこの世に出現すべきで

    遊廓は「人権無視の悲哀の場」か、それとも「日本文化の聖域」か?(田中 優子)
    saavedra
    saavedra 2022/01/31
  • 頼朝軍の最初のターゲット! 山木兼隆と堤信遠って何者??(呉座 勇一)

    『頼朝と義時』(講談社現代新書)の著者で日中世史が専門の歴史学者の呉座勇一氏が、NHK大河ドラマ『鎌倉殿の13人』の放送内容をレビューする企画。第4回目となる今回は、山木邸討ち入りに向けて戦支度を進める様子を描いた昨日放送の第4話「矢のゆくえ」について、さまざまな史料や最新の学説を参照しつつ、専門家の視点から見たみどころを解説してもらいました。 第1回:いよいよ放送開始!『鎌倉殿の13人』第1話を歴史学者はどう観たか 第2回:仲が悪いけど実は〇〇〇!?伊東祐親と工藤祐経の複雑すぎる関係 第3回:源平合戦の幕開け! なぜ以仁王と源頼政は挙兵するに至ったのか? 『鎌倉殿の13人』の第4話では、山木邸討ち入りの準備が描写された。作の主人公である北条義時は相変わらず周囲に振り回されているものの、要所要所での説得は頼もしい。八重の貢献はフィクションだが、源頼朝たちが何らかの方法で山木兼隆の在宅

    頼朝軍の最初のターゲット! 山木兼隆と堤信遠って何者??(呉座 勇一)
    saavedra
    saavedra 2022/01/31