ブックマーク / takekuma.cocolog-nifty.com (20)

  • たけくまメモ : マンガ家の描写盗用問題についての私見

    例の少女マンガ家による「スラムダンク」の構図盗用問題について、「竹熊の意見が聞きたい」という声があちこちから寄せられるようになりました。著作権問題についてはかねてから関心のあるところであり、この際「報道から知りうる範囲」を材料にして、自分の意見を述べてみたいと思います。 http://www.itmedia.co.jp/news/articles/0510/18/news099.html http://www.mainichi-msn.co.jp/today/news/20051019k0000m040140000c.html http://www.kodansha.co.jp/info.html(←講談社お詫び文/現在削除) http://www.kodansha.co.jp/betsufure/(←編集部&著者お詫び文) http://cabin.jp/k55yuki/(←ネット上で設

  • 『バクマン。』のネーム原作について: たけくまメモ

    おとといの『バクマン。』の感想で、ひとつ書き忘れたことがあります。それは、主人公のサイコーが、相棒で原作志望のシュージンに向かって 「シュージンの書いたネームが面白いんだったら俺が絵にする」 と、マンガ家の立場から原作者に「ネーム」を求めるセリフが出てくることです。俺は、ここに時代の流れを強く実感しました。 今でこそ、「少年ジャンプ」を始め、多くのマンガ誌の新人賞に「ネーム原作部門」が設けられていて、ある意味では定着しつつある感もあるのですけれど、俺のようなロートルの業界人からすると、じつに隔世の感があります。 俺が「マンガ原作」を一番やっていた90年代中頃くらいまでは、「原作者がネームまでやる」例は滅多になく、仮にそういう志向を持った原作者がいたとしても、マンガ家や編集者に向かって「ネームをやらせてくれ」と言い出すのは、非常に気が引けるというか、一種のタブーというべきことでした。 なぜそ

  • 『バクマン。』読みました: たけくまメモ

    昨日『バクマン。』(大場つぐみ・小畑健)の1巻が出ていたので書店にて購入。実は俺、『バクマン。』読むのはこれが初めてです。 もちろん連載前から話題になっていたことは知っていましたし、コメント欄でも俺の感想を聞きたい旨の書き込みが多数寄せられていたので、当然気になってはいました。ただ俺、昔から気になる作品は単行が出るのを待ってから読む習性がありましてね。『デスノート』も単行で読んだ口ですし。俺は高校時代から単行派なんですよ。中学の頃までは、『デビルマン』とか『漂流教室』とか、雑誌連載を熱中して読んでいましたけど。 俺が過去10年のマンガの最高傑作だと考える『デスノート』コンビの新作で、「マンガ家志望者二人組が主人公のマンガ」であり、加えてタイトルが『バクマン。』ですから、『サルまん』を想起する人が多いのは仕方がないことで、ここはひとつ俺の反応が知りたい、という人がいるのも当然でしょう。

  • 身辺雑記は苦手である: たけくまメモ

    マンガ雑誌ネタの続きを書こうと思っているのですが、今度も長文になりそうで、なかなか書けずに滞ってます。今週は他の〆切りもあり、長い更新ができないかもしれないので、近況報告でお茶を濁そうかと。 と、書いて思ったんですけど、そもそも普通はブログって近況報告とか身辺雑記とか、今日は何をべたとか飼いがどうしたとか書くことがほとんどですよね。俺みたいに必ずテーマやネタを考えないと書けないとか、長文を書かねばならないみたいな強迫観念にとらわれているブロガーというのはあまりいないかもしれません。 いや、いるかも知れないけれども、そういう人って「燃え尽き症候群」になったりするじゃないですか。ブログにばかり時間がとられて、そのうち業の時間や生活時間を圧迫するようになって「燃え尽きて」しまう。しだいに更新が面倒になって、しまいにはそれが重荷となってブログから離れてしまう人が多いみたいです。 ブログについ

  • マンガ雑誌に「元をとる」という発想はない: たけくまメモ

    現在コメント掲示板の「たけくま同人誌計画」のスレッドで、同人誌と商業誌の関係をめぐる議論が続いています。俺も参加しているのですが、ISBNコードを付けたコミケでは扱えない(商業誌と見なされるため)という話題から、商業雑誌が売れていない現状の話、雑誌の未来についての話題にシフトしてきています。 http://www2.atchs.jp/test/read.cgi/takekumamemo/136/122-134 ↑たけくま同人誌計画・コメント掲示板での議論(抜粋) これについては近いうちに自説を書きたいと思っていましたので、ちょうどいい機会です。これは同人誌ネタだけにとどまらない、マンガ雑誌全般の議論になる話題だと思いますので、スレッドを分ける意味でも新エントリを立てたいと思います。 俺がかねてから主張しているように、マンガ雑誌は売れていません(正確には、売れても儲からない価格設定になっ

  • こいつら全員アホウか?: たけくまメモ

    こないだお昼のニュース見ながら父親とメシ喰っていたんですが、いきなり父が 「こいつら全員アホウか?」 と言い出したんですよ。何かと思うじゃないですか。 テレビでは、ニューヨークの証券取引所の様子が流れていました。添付したyoutube映像とは違いますけど、こういう感じの、大暴落後の取引所の映像が日のニュースでもやっていたのです。 「銅鑼が鳴って、株取引が始まるだろう」 「あれは銅鑼じゃなくてオープニング・ベルというやつだよ。これがどうかしたの」 「あいつら、なんで笑いながら拍手してるんだ?」 「なぜと言っても……。オープニング・ベルのときは、笑顔で拍手するもんだよ?」 「だってなんとかローンが焦げ付いて、株が大暴落しとるんだろ? 笑ってる場合じゃないだろう!」 「別にこの人達、楽しくて笑っているんじゃないと思うよ。ただ長年の慣習ってやつだよ」 「慣習か」 「そうだよ。国会が解散するときだ

  • 続・オタクはいつから差別されていたのか?: たけくまメモ

    昨日、ミクシイのメッセージでDさんという方から、「アニメマニアについて扱った、古いテレビ番組をネットで見つけました。これについて伺いたいことがあります」と、ニコニコ動画のURLを送ってきました。そのURLが以下のものです。 http://www.nicovideo.jp/watch/sm1541995 ↑ニコニコ動画「元祖腐女子・高画質版」 これは1983年3月12日(おそらく)の「ズームイン朝」からのもので、前半が劇場アニメ『クラッシャージョウ』初日に前日から徹夜した若者たちにマイクを向けたもの、後半が前年開店したばかりの大阪SFマニア・ショップ「ゼネラルプロダクツ」に訪問取材しているものです。 店内には1981年制作の「DAICONⅢ」のキャラクターグッズが映っています。これを制作した団体が今のGAINAXの前身であるDAICON FILM。これとゼネプロの代表はどちらも岡田斗司夫氏

  • 【お願い】電話は10回鳴らしてください: たけくまメモ

    今回は個人的なつぶやきを書きます。当にたいしたことではないのですが、個人的にどうにも気になりますので、私の友人知己・仕事関係の方にお願いがあるのです。 それは、今後、竹熊に電話をかける人は、できましたら呼び出し音を最低でも7回、できれば10回鳴らしてから切っていただきたいということです。なぜ、このようなことを書くのかと申しますと、うちに電話がかかってくるときは、どうしたわけか俺が寝ていたり、顔を洗っていたり、トイレや風呂に入っているときが多く、「あ、電話だ」と気がついて出ようとしても、もたもたしてしまって受話器を手にした瞬間に切れてしまうことが多いからです。これが、とても悔しいのです。 自宅の固定電話は父親専用になっており、名刺に載せている俺個人の電話は携帯に一化しているんですが、普段は振動のマナーモードにしていることが多く、かかってきても気がつくのに時間がかかることがたびたびです。さ

  • オリンピックは全部CGにしろ: たけくまメモ

    中国政府が国家の威信をかけて実行している北京五輪ですが、威信をかけ過ぎたか、早くもさまざまなヤラセ演出が暴露されております。 http://gigazine.net/index.php?/news/comments/20080812_firework_footprints_faked/ ↑北京オリンピック開会式の花火による「巨人の足跡」は当にCGだったのかどうかを検証してみた(gigazin) http://gigazine.net/index.php?/news/comments/20080812_olympic_bsod/ ↑北京オリンピックの開会式にブルースクリーンが登場していた http://www.cnn.co.jp/world/CNN200808130007.html ↑歌は口パク、花火はCG合成 北京五輪開会式の「偽装」判明 もうテレビでさんざん報道されているので皆さんもご

  • スカイ・クロラ見てきた: たけくまメモ

    先日『スカイ・クロラ』見てきましたが、その前の日に会った人が、押井ファンを自認していたにも関わらず口を極めて「つまらない」と連呼していましたので、どれだけアレなのかガクブル気分で見てきましたが、事前に原作も読まず一切の情報を入れず、期待値を下げて行ったのが功を奏したのか、わりと面白く見られました。 つうか、画面もカラーなのにモノクロみたいにわざと彩度を落とした色遣いで、コントラストがハッキリしない薄ぼんやりと霞がかかったような映像が続きますので、前半は確かに退屈な感じがしました。戦闘シーンはさすがに迫力がありましたが、基的には会話劇で、ところどころに地味ながらよくわからないセリフやシーンがある。こんな調子でこのまま終わるのかなあと思っていたら、後半になって、前半のわからない所が実は伏線だったりすることがわかってくる。それで最後にネタバレの長ゼリフがあって伏線が綺麗に回収されて終わるので、

  • 宮崎駿のアヴァンギャルドな悪夢: たけくまメモ

    昨日の土曜日、宮崎アニメの新作『崖の上のポニョ』を見てきました。一応、ネタバレにならない範囲で感想を書きますと、見たことがない種類のアニメーション映画でした。アニメーションとしても映画としても、似た作品を俺は思い当たらないし、過去のどの宮崎アニメとも似ていません。 もちろんキャラクターとか、ディティールの演出やセリフはいかにも「宮崎駿」なんですよ。確かに宮崎アニメに違いないが、見ている最中の「違和感」は、これまで感じたことがないほどのものです。まるで、はっと気がついたら父親が人間モドキに変わっていたような感じ。 『魔女の宅急便』を試写で見たときに、それまでの宮崎アニメと雰囲気が違うので少しとまどったことがありますが、二度目に見たときには大好きになりました。『ポニョ』も複数回見れば、印象が変わるのでしょうか。たぶん、そうなのでしょうが、今度ばかりは「理解した」と思えるまでに時間がかかるかもし

  • いつからマンガ家の住所は秘密になったのか?: たけくまメモ

    ←「少年マガジン」1972年3月12日号表紙 ええと、このエントリを読んでいる皆さんは、マンガ家の連絡先がどの出版社でもトップシークレットになっていることはご存じですよね。特に近年はプライバシーの保護に社会全体が厳しいですから、作家の連絡先が秘密になることは当然ではないかとお考えの人は多いと思います。でも、かつてはどのマンガ雑誌にも堂々と作家の連絡先が掲載されていたといったら、若い人は驚くでしょうか。 ←同じ号の65P「あしたのジョー」の欄外には、堂々とちば先生の住所が! 左の図版をご覧ください。たまたま俺の部屋にあった「少年マガジン」1972年の12号(3月12日号)を見ると、誌面に堂々とちばてつや先生の連絡先が載っています。ちば先生だけではありません。梶原一騎先生も、赤塚不二夫先生も、作家の連絡先は全部誌面に載っているのです。 72年といえば俺は小学校6年生でしたが、少なくともこの頃ま

  • たけくまメモ : マンガ界崩壊を止めるためには(1)

    マンガ家・雷句誠氏が6日に小学館を提訴してから3日が経過しました。その間、この問題はネット中を駆け回り、今さら何かを書こうにもすっかり出遅れた感じになってしまいました。もちろん俺も何か書こうとは思っていたのですが、この件に関しては、現時点では雷句氏側の見解(訴状と陳述書)しか公になっていないので、なんとも言えなかったというのが正直なところです。 http://88552772.at.webry.info/200806/article_2.html ↑雷句誠の今日このごろ。「(株)小学館を提訴」 新聞報道を読んでも、雷句誠氏が小学館に原稿を紛失されて損害賠償を提訴したという事実関係以外は、まだ何も書かれていません。小学館としては「訴状が届いていないのでコメントできない」の一点張りで、問題が公になったのは金曜日でしたから、訴状が届かないのは仕方がないです。それで、明けて月曜夕方になるまで様子を

  • ●「ぼくら語り」の夜明け・後編: たけくまメモ

    ←「まんがコミュニケーション」1971年6月創刊2号 「まんコミ」71年6月号に掲載された、斉藤次郎編集長の手によると思われる「コミュニケーション405」には、こういう文章もあります。 《まんがをまんがで語る “まんがブームの終り”の寸劇が街で評判をとっている。一時の頂点、「少年マガジン」誌百五十万部突破は、すでによきムカシバナシとして出版界の酒宴の酒の肴になりきろうとしている。(中略) おびただしい数の読者がまんが雑誌から、無言に別離した。その別離の距離が狂おしいまんが雑誌のたそがれに向かって告知している。その距離のなかに、表現欲求の延長上にまんがを表現メディアとする層が定着した、まんがを表現の武器として、しかも、まんがの内側から、まんがでまんがを語り、絵ときするものと「まんコミ」は、グルになり、その鼓動を伝え合う。そのとき“まんがブームの終り”がある》 これも晦渋な文章ですね。少し説明

    saionman
    saionman 2008/02/20
  • ●「ぼくら語り」の夜明け・前編: たけくまメモ

    ←まんがコミュニケーション1971年6月創刊第二号 来なら今回は『「まんがエリート」と「おたく」の間に』の続きで、1975年の第一回コミックマーケットの開催と同じ年に、パロディサブカル誌「ビックリハウス」が創刊されて、70年代サブカル状況が整備されてきた話を書こうと思っていました。ところが昨日棚を整理していたら、大昔に入手していた「まんがコミュニケーション」(略称「まんコミ」)71年6月号というミニコミがひょっこり出てきました。今となってはかなり珍しいシロモノです。71年に実質休刊した「COM」と、75年に始まったコミケとをつなぐミッシング・リンクのような雑誌なんですよ。読み返したら、団塊直下=プレおたく世代の気分がそのまま真空パックされたような内容でしたので、予定を変更して紹介したいと思います。 「まんコミ」については、2005年に発行された『コミックマーケット30'sファイル』(有

    saionman
    saionman 2008/02/20
  • 70年代は変な時代だった - たけくまメモ

    えと、以下書いた文章はおとといアップした「まんがエリートとおたくの間に(2)」のために書いた文章から、筋から逸脱して長くなるのでカットした部分です。でも読み返したら、これはこれで発表する価値はあるかも、と思い直しました。筋の「おたく」話からは離れているんですが、俺が中学から高校時代を過ごした70年代って、こういう時代だったよなあというあくまで俺の印象であります。補遺エントリとしてお読みください。 ◆ 昔ライターの山崎浩一さんと話したとき、山崎さん(俺より6歳上。世代的にはサブカル=プレおたく世代に入る)が「73年くらいまでは60年代なんだよ」という話を俺にしたことがあるんですね。これはつまり、70年代に入ってからもけっこう長い間60年代的な意識をみんなで引きずっていて、それがだいたい73年で終わったということです。俺は子供だったけど、山崎さんはもう高校から大学くらいだから「政治からサブ

    saionman
    saionman 2008/02/16
  • 「まんがエリート」と「おたく」の間に(2): たけくまメモ

    ←「COM」 1968年2月号表紙。 前回は、1967年1月(発売は66年12月)に「COM」が創刊され、「ガロ」とともに「いくつになってもマンガを卒業しない」当時のハイティーン(現在の50~60代)を主要読者として開拓したと書きました。なかんずく「COM」は、新人発掘に力を注いただけではなく、マニアへの連帯をよびかけて読者組織を作り、これが75年からのコミックマーケットへと発展していったことはほぼ間違いないところです。今あるマンガ状況、マニア状況は、「COM」を抜きにしては語ることができないといえます。 前回も書きましたが、「COM」は創刊号から68年いっぱいくらいまで「まんがエリートのためのまんが専門誌」というキャッチフレーズを表紙に掲げていました。60年代は日中が「政治の季節」であって「若者の反抗の季節」であり、左翼大学生がキャンパスの中心にいて、バリケードを作ったりデモ行進をやっ

    saionman
    saionman 2008/02/15
  • 「まんがエリート」と「おたく」の間に(1): たけくまメモ

    もう少し「オタクの起源」の話題を続けます。 実は俺の棚には虫プロ商事発行の「COM」がほぼ全冊揃っているんです。時々取り出してパラパラと眺めているんですが、創刊号(1967年1月号)の表紙を改めて眺めて、そこに大きく載っているキャッチフレーズを見て感慨深いものを感じました。 ←「COM」1967年1月創刊号・虫プロ商事発行 左がその実物ですが、タイトル下に大きく水色の文字で「まんがエリートのためのまんが専門誌」と印刷されているわけです。 歴史的に見ると、まず1964年に青林堂から「ガロ」が創刊され、看板連載の『カムイ伝』が左翼大学生を中心に人気を博します。この頃、手塚治虫の虫プロはすでにテレビアニメ『鉄腕アトム』を制作放映しておりましたが、同時に視聴者向け会員誌「鉄腕アトムクラブ」を発行していました。 ←「鉄腕アトムクラブ」1966年7月号・虫プロ商事発行 これはディズニープロが戦前から

    saionman
    saionman 2008/02/03
    「マンガが本物、アニメはニセモノ」
  • オタク第一世代の証言から: たけくまメモ

    昨日のエントリは反響がありました。ありがとうございました。コメント掲示板にもさまざまなご意見や証言が多数寄せられていますが、俺のmixi日記にもオタク第一世代の同業者から貴重な意見が寄せられました。そのうちアニメ評論家のロト(氷川竜介)さんと某大手出版編集者のボタQさんの証言を、人の了承が出ましたので転載したいと思います。 ●氷川竜介(ロト)さんの証言(アニメ評論家) 《 70年代中盤~末、80年代初頭の話を聞かれていると思うので、自分なりの体験を。 基的にオタクの源流になったのは1974年の「宇宙戦艦ヤマト」TV放送、1977年の劇場公開です。74年時にはヤマトの視聴率が悪いと知った年明け以後、高校で友だちとつるんで「みんなでヤマトを見よう!」的な紙を貼ったりしました。まあ、奇異な目で見られていたと思いますが、校風が幸いしてそれでいじめられるということはなかったと思います。 つまりそ

    saionman
    saionman 2008/01/28
  • オタクはいつから差別されていたのか?: たけくまメモ

    以前から疑問に思っていたのですが、最近それが再び話題になり、みなさんに聞きたいこともあってエントリしてみます。 それは「オタク当に差別されていたのか?」「差別されていたなら、それはいつ頃からか?」という疑問であります。 こないだの月曜日にやったロフトのイベントで、会場の参加者から壇上の我々に向かって質問がありました。どういう発言だったかディティールを忘れましたが、オタク差別に関する内容でした。どなたか補足してくだされば幸甚です。 それを受けて東浩紀君が 「確かにオタクは差別されていた。それは認めよう。でもオタク差別といっても、女性差別や人種差別のような差別とは違う。よくオタク遺伝子というものがあって、世界のどこへ行ってもオタクはすぐにわかるという議論があるけど、当にそんな遺伝子なんてあるのか」 というような発言をしたんですよ(※記憶で書いてます。間違いがあれば訂正します)。 「オタク

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    saionman 2008/01/27
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