ミニノートを経て、薄型がモバイルの主役に 1990年前後のノートパソコンのCMでは、ビジネスパーソンがさっそうと持ち歩く様子がアピールされた。しかし、3kg弱の重さがあり、電車で通勤することが多い日本人には、持ち運びが難しかった。 そこで、重さを1kg台前半に抑えた携帯ノート(サブノート)の開発が日本メーカーを中心に始まった。1980年代の「ハンドヘルドコンピューター」とは異なり、液晶を折り畳むノートパソコンの形状を踏襲した製品である。ただ、いち早く登場した「HANDY98」や「FMR-CARD」は、フロッピーディスクドライブが外付けであるなど、パソコンのフル機能を利用できなかった(図1、図2)。
「毎日持ち歩けるコンピューター」として、この30年にさまざまな製品が提案されてきた。ここで、現在主流のスマートフォンやタブレットに連なる系譜を見ていこう。 1980年代に、モバイルの主役だったのは、関数電卓から進化した「ポケットコンピューター」(ポケコン)と電子手帳だった。ポケコンはプログラミングに、電子手帳は個人情報の管理に使われていた。 しかし、電子手帳には通信機能やデータのバックアップ機能がほとんどなく、他の機器と連携させることが難しかった。ポケコンはプログラミング以外の用途に広がらなかった。 そのため、1990年代に入ると、パソコンとのデータ連携を強く意識したPDA(携帯情報端末)が多数登場する。外出先ではキーボードの利用が難しいため、シャープの「ザウルス」シリーズのように手書き文字入力機能を備えた製品が多かった。1995年ごろからインターネットが普及し始めると、電子メールなどのや
「いま、並列処理の壁というコンピュータサイエンス史上最大の課題に直面しています。しかしこれはチャンスでもあります。新しい時代を切り開いていきましょう」。IBM名誉フェローのFran Allen氏は、昨日3月10日に行われた日本の情報処理学会創立50周年記念全国大会の招待講演の演壇からこんなメッセージを聴衆に投げかけました。 Fran Allen氏は、コンパイラやプログラミング言語が専門で、女性で初めてチューリング賞を受賞した人。今回の招待講演のためにわざわざ来日したと紹介されました。 講演のタイトルは「The Challenge of the Multicores」。ここからは、Allen氏の講演の内容を紹介しましょう。 (この講演は英語で行われたものです。内容にはできるだけ正確を期したつもりですが、理解不足のところや聞き取れなかったところもありました。もし誤解や不正確なところがありました
Welcome to Startups Weekly — Haje‘s weekly recap of everything you can’t miss from the world of startups. Sign up here to get it in your inbox every Friday. Well,…
僕もtwitterを始めてからもうすぐ2年になる。情報系の大学に入ってから関わりのある人のtwitter-erが増えたのでどんどんのめり込んで行った。まあろくすっぽ大学生活をエンジョイもせずにtwitter充していたわけで、友人からの遊びの誘いを断ってまでtwitterをやってるような廃人なわけだ。そんな廃人になってくると、そろそろtwitter上にも旧知の仲というか、移り変わるタイムラインでも昔からの顔なじみみたいな人が結構でてくる。昔よく見たのに最近見ないなと思っていたらアカウントが消えていたり、wassrで偶然見つけたり、まあそんなことがあったりする。 僕のtwitter古馴染みの中に@donsukeと@ha_maがいる。@donsukeは今でこそ猫のアイコンだが、最初はマントを着ている熊のぬいぐるみのアイコンで、「〜なのだ」という語尾をつけるなどの子供っぽいところがあって、なかなか
写真1●マウスコンピューターが販売するWindows Home Server搭載機。左から11万9700円の「MDV-MS110S」,5万9850円の「LM-MS 110L」 マイクロソフトは2008年8月20日,家庭用サーバーOS「Windows Home Server日本語版」を8月30日に発売すると発表した。ファイル共有機能のほか,クライアントPCのバックアップ機能などを備える。同OSを搭載したサーバーは,エプソンダイレクトやマウスコンピューターなどが販売し,最安値で5万円台の製品もある。自作ユーザー向けにDSP版(パーツと組み合わせて販売するライセンス)も販売する。 Windows Home Serverは,Windows Server 2003をベースにした家庭用サーバーOSで,最大10台のクライアントからファイル共有機能を利用したり,最大10台のクライアントPCのディスク・イメ
左から、内田洋行 代表取締役社長の柏原孝氏。インテル 代表取締役共同社長の吉田和正氏。内田洋行、取締役専務執行役員の大久保昇氏 インテル株式会社と株式会社内田洋行は8月7日、小中学校の授業におけるICT普及に向け、PCを使った学習効果の実証実験を行うと発表した。千葉県柏市の小学校2校で、児童1人につき1台のタブレットPCを配布。主に国語と算数の反復学習に使い、学力向上に対する有効性を検証する。なお「1人1台のPC利用検証は、一般的な公立学校では初めて」(内田洋行、取締役専務執行役員 教育システム事業部長の大久保昇氏)という。 昨今、日本国内においては、児童の学力低下が問題視されている。OECDのPISA(Programme for International Student Assessment)調査によると2000年以降、日本人学生の学力は下降傾向にあり、2000年に1位だった数学的リテ
昨日のNHKの7時ニュースをSlingbox経由で見て知ったのだが、「がん」の自動診断システムが開発されたそうだ。そのニュースに関係者らしい女性(追記:横浜市立大学付属病院の医学部の助教授らしい助教だそうだ)が表れて言うセリフがこれ。 コンピューターはうそつかないので(がんを)見逃さないで済む ってことは、今まで「がん」が見逃されて来たのは医者が嘘をつくからだったのだのか! ◇ ◇ ◇ コンピューターに関しては今までも色々と誤解を招くような発言をたくさん見て来たが、これはその中でも極めつけ。 コンピューターは嘘をつかないけど、完璧ではなく、さまざまな理由で間違いは犯す。どんなに立派な自動診断システムであろうと、がんを見逃すこともあれば、がんでないものをがんと誤診してしまうこともある。この手の自動診断システムのメリットは、医者の勉強不足や個々の医者のスキルの違いによる判断のばらつきなどをある
2.2.3Different time / same place - continuous task (ongoing task )
SIMロックの解除は犯罪か 池田先生のところで、携帯とSIMロックの話が出ていたので、便乗つーか尻馬して、本日は日本の携帯業界とPC-9801シリーズの話。 時々、日本の携帯市場はガラパゴス進化を遂げた場所だという主張をネットで目にする。 確かに、それはあるかもしれない。 ただ、これは、そんなに珍しいという例でもなく、1970年代から80年代まで日本のPC業界もそうだった。 日本でパソコンがブームになったのは、1980年代だったのだけれど、日本でパソコンが実用に耐えるほどになるには、日本語処理ができないといけなかった。 ところが、当時は、ソフトウェアだけで日本語処理ができなかった。なので、日本のPC市場では、漢字ROMといったハードウェアによって日本語処理を行なうようになった。 こういった仕組みが必要だったので、当時の日本のPC業界は、かなり特殊な進化を遂げることになった。特に、この日本語
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く