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2007年12月21日のブックマーク (3件)

  • 切込隊長BLOG(ブログ): MIAUは何故、失敗したのか

    ダウンロード違法化という形でほぼ決着したようで… http://miau.jp/ http://www.itmedia.co.jp/news/articles/0712/20/news110.html http://www.itmedia.co.jp/news/articles/0710/05/news066.html 文化庁の資料が公開され、平たく読むには「ダウンロード違法化に反対するネットユーザーの声には充分配慮しつつ」ダウンロード違法化は実施するという、規定路線からはほぼ1ミリも変わらない内容で進んだ。 次回があるかどうかは別として、3つぐらい致命的な失敗を犯していたという風にも見えるので、何となく書いてみる。 総論 勝利条件のハードルが高すぎ、状況に対する認識なさすぎ そもそも論で言うなら、MIAUが活動を通じて目指す勝利条件ってこれ読んで明確に分かるかい。 http://miau

    切込隊長BLOG(ブログ): MIAUは何故、失敗したのか
    sakstyle
    sakstyle 2007/12/21
    これはネットユーザーが本質的に嫌う市民団体的活動の側面を持つわけで
  • オーバーラップする物語 - 仮想算術の世界

    前回ロレンス・ダレルを「アメリカ人作家」と記したが、これはまったくの錯覚で、ダレルはイギリス人作家である(すでに訂正しておいた)。ダレル自身はもっぱらアメリカで評価され、かつイギリスにずっと入国・定住できない状態が続いていたので、これはあながち根拠のない錯覚でもないのだが、初歩的なミスには違いない。 ところで、ダレル論としては、前回引用した柄谷行人の修士論文がいま読んでも十分新鮮である。僕としては、この論文を一種の英米文学論として読み替えてみたい誘惑に駆られている。たとえば、いま「日文学へのアメリカ文学の影響」というと、技巧的な都市文学の流行として受け止められることが多い。ちょうどオースターやエリクソンらがそうであるように、都市、あるいは場合によってはネーションに宿る記憶を虚構的に再現しながら、歴史に埋もれたマイノリティを掘り起こすというタイプの英語圏の小説が、90年代以降の日の文壇

    sakstyle
    sakstyle 2007/12/21
    「「物語―体験記」の認識論的伝統」(90年代アメリカ)/「物語」から「物語装置」へ(カーヴァー、春樹)/もはや、現実と虚構の区別は問題ではない。むしろここで現れるのは《虚構の階層化》だと考えたほうがよい
  • 「ナショナリズムの由来」/大澤真幸 - 空中キャンプ

    大澤真幸の新刊は、なんだかものすごく「入魂の一冊」感が漂う、彼にとってきわめて大きな仕事となった。大きな仕事とは比喩ではない。なにしろ、このは2kgくらいあるのだ。家まで持って帰るとき、腕が痛くなりました。価格も五千円とワイルド。よくこんなを出したなーと感心してしまう。書店でこまめに人文系のコーナーをうろうろする人であればすでに、このが平積みされているインパクトに、「おっ、すごい新刊あるなあ」と驚いているはずである。タイトルは、ハンナ・アーレントの「全体主義の起源」シリーズを連想させ、今まで大澤が提示してきたアイデアの集大成になっている(はず。だってまだ読了していないから)。こんなすごいの感想をきっちりとまとめて書き上げるなんて、とてもわたしにはできないから、ひとまず「今までの読書人生でいちばん大きくて重いを買った記念」として、この文章を書いています。 大澤はよくスラヴォイ・ジジ

    「ナショナリズムの由来」/大澤真幸 - 空中キャンプ
    sakstyle
    sakstyle 2007/12/21
    「今までの読書人生でいちばん大きくて重い本を買った記念」/186cmあるわたしの手ですら小さく見えてしまう。/空中キャンプの中の人も大きい