タグ

2008年12月4日のブックマーク (10件)

  • YouTube - JAXASELENE さんのチャンネル

    宇宙航空研究開発機構(JAXA)の「かぐや(SELENE)」 プロジェクトの映像配信を行うチャンネルです。

  • 概念を分析するとはどういうことか - retrosectionblog

    概念を分析するとはどういうことか 分析と概念というと切っても切り離せない仲であって、よく論理学の教科書なんかでも最初に登場する。たとえば、カントの分析判断の例がだされ、次にライプニッツの結合法がだされる。カントの有名な分析判断の一つに、「金は黄色である」というのがある。これの場合、「金」という主語の内包として、「黄色」という色属性が含まれているから、「金」という主語から「黄色」という述語が分析的に出てくるとされる。このような例を出されると、それって恣意的なんじゃないの?という疑問を持つ人も少なくないだろう。かく言う僕もこの点で疑問を覚えた。歴史的に考えれば、カントがこのようなことを言っていたときには、いまだ「化学」なるものは現代のような形では存在しておらず、物質が基的に分子構造とそれが実現する電子軌道のもつ性質からなるなどとは、誰も考えていなかった。しかし、このような現代的常識を中学生

    sakstyle
    sakstyle 2008/12/04
    既存の概念が曖昧にしている、すなわち非十全に表している内容を、新しい概念を設定することによってより豊かなものとして分析することである。その際、結果的には、新しい概念を創り出すことになる。
  • テキスト読解型と理論構築型:哲学の二つの在り方は和解しうるか - retrosectionblog

    たまったうっぷんは吐き出さないとうまく次に進めない。哲学とは何なのか。それはテキストの正確な読解なのか。それとも理論構築なのか。あるいはその両方なのか。しかし、この二つは往々にして対立する。テキストの正確な読解に基づく言説の体系の真理は、それが意味して...

    sakstyle
    sakstyle 2008/12/04
    共有可能な理論は作れるか/ライプニッツがデカルトを読んだようにテキストを読むことの真理性/哲学者同士の家族的類似性
  • 科学認識論の歴史を書きたい - retrosectionblog

    科学認識論といっても、そういった言い方をするのは、大方フランス系で、それ以外では科学哲学という言い方が一般的なのだろう。だけど、科学哲学と科学認識論の性質の違いを考えてしまうと、やはりそれらを同じ枠で語るのは気が引ける。 それはおいておいて。 科学認識論(ここでは科学哲学・科学論・科学社会学を含む広い意味で用いる)の歴史というものを書いた人は、実はまだいないのではないだろうか?もちろん、哲学史の文脈で、科学哲学史を書いている人はいるが、僕が問題にしているのは、18世紀以降の科学哲学の動向であり、その動向と現在の科学論全盛期との連続性と分断を明らかにすることなので、とりあえず、アリストテレスの自然学とか、スコラ神学とか、ルネサンス期の話は置いておこう。 実際、科学史研究においても、科学史研究の歴史のようなものは書かれていないように思う。同様に哲学史の歴史というのにも興味があるが、これら

  • シリーズ:エピステモロジー入門:第二回 - retrosectionblog

    シリーズ:エピステモロジー入門 第二回:エピステモロジーと哲学 「狭義のエピステモロジー」の概念規定 前回の予告ではエピステモロジーの歴史について簡単に紹介しようかと思ったのですが、それは次回ということにして、今回はエピステモロジーとそのほかの哲学との関係について説明していこうと思います。 そのために、前回の続きとして、エピステモロジーの規定をもう少し狭く行う必要があります。来であればそれをエピステモロジーの歴史を通じてやるつもりだったのですが、それは次回に先延ばしをして、今回は『エピステモロジーの現在』の序文の中で金森先生が採用している「広義のエピステモロジー」と「狭義のエピステモロジー」の二つの区別をもってその代わりとしましょう。 「広義のエピステモロジー」とは、第一回のときに述べたように、「科学史的な哲学」あるいは「科学哲学的な科学史」という標語の下に家族的類似性をなすよ

    sakstyle
    sakstyle 2008/12/04
    「狭義のエピステモロジー」の概念規定/エピステモロジーは何ではないか、そして何であるか。(エピステモロジーにおける実在論)
  • シリーズ:エピステモロジー入門 第一回 - retrosectionblog

    シリーズ:エピステモロジー入門 第一回:はじまりの三つの疑問 エピステモロジーとは何か? 数年前から「エピステモロジー入門」なるものを書こうと考えていましたが、そろそろころ合いかと思ったので、ためしに書き始めてみようと思います。なんでころ合いかというと、単純に今日このが発売になったからです。 このの「序論」で金森先生が、エピステモロジーの概略をまとめてくれています。そこでは、ある意味で最も重要なエピステモロジーの特徴が述べられます。 「西洋の正統的思想の枢軸を形成する合理主義は、この知性と理性と呼ばれる特殊な審級の成り立ちや特徴、可能性や限界についての考察をその主要な任務にとしてきた。……合理主義を一般的に扱うのではなく、ある特徴の下に少なくとも緩やかには包接可能な一種の合理主義、あるいは一種の主知主義に目を向けてみる。それは《エピステモロジー》である。エピステモロジーは全世

    sakstyle
    sakstyle 2008/12/04
    エピステモロジーは方法か?/エピステモロジーに固有の知識はあるか?
  • 『数学ガール』と『オイラーの贈り物』 - ニート☆ポップ教NEO

    マンガ版『数学ガール』が素晴らしかった。 数学ガール 上 (MFコミックス フラッパーシリーズ) 作者: 結城浩,日坂水柯出版社/メーカー: KADOKAWA(メディアファクトリー)発売日: 2008/11/22メディア: コミック購入: 28人 クリック: 350回この商品を含むブログ (189件) を見る 数学に興味がある人はもちろん、興味がない人も楽しめる作りになっている。高校生、大学生のみならず、小中学生から大人まで楽しめる一冊。 驚いたのは数学質をこんなに簡潔にマンガで表現してるところ。読んでて感動した。教科書にしていいレベル。 読んでて思い出したのはこの。 オイラーの贈物 作者: 吉田武出版社/メーカー: 海鳴社発売日: 1993/06メディア: 単行購入: 2人 クリック: 92回この商品を含むブログ (28件) を見る 数学にハマってた高校生の僕がどんな参考書よりも

    『数学ガール』と『オイラーの贈り物』 - ニート☆ポップ教NEO
  •  「心を生みだす遺伝子」 - shorebird 進化心理学中心の書評など

    心を生みだす遺伝子 作者: ゲアリーマーカス,Gary Marcus,大隅典子出版社/メーカー: 岩波書店発売日: 2005/03/24メディア: 単行購入: 5人 クリック: 50回この商品を含むブログ (11件) を見る 書はスティーブン・ピンカーの弟子に当たる言語獲得とコンピュータモデリングを研究する認知科学者ゲアリー・マーカスによる心と遺伝子に関するである.原書の出版は2004年,書は2005年に出されている.(というわけでちょっと前のだ.) 書も大きなカテゴリーとしては「氏か育ちか」論争に関わるであり,その切り口としてはマット・リドレーの「やわらかな遺伝子」と同じであり,遺伝子が具体的にどう発現していくかを詳しく語ることにより,世の中の「遺伝子か環境か」という二者択一的な問題のとらえ方にかかる誤解を解こうとするものである.興味深い論点としては,脳の発達にかかる柔軟性

     「心を生みだす遺伝子」 - shorebird 進化心理学中心の書評など
  • 排除し駆逐すべきです:ただし人ではなく発言を - left over junk

    東氏の件の補足です. “はてな匿名ダイアリー”のエントリ「まあ、東浩紀も一応予防線は張っていて」は,tikani_nemuru_Mさんの「『無限に開かれた討議』というのは、根拠とか証拠とかデータを参照せずに、ひたすら思いこみだけでしゃべることも認めなくてはならにゃーようですにゃ」という指摘を取り上げ,これに対してありうる反論を示しておられます: それでは「ひたすら思い込みでしゃべる」人間を公共圏から駆逐していいのか、それが「公共圏」なのか?という反論も可能でしょう。 「ひたすら思い込みで」なされている発言は,まともに取り上げられないとか批判されるといった対応をされることでしょう.言い換えれば,妥当な議論の仲間入りはさせてもらえない,ということです. これが不当であるという話になりますと,そもそも議論や批判といった営みの目的が失われることになります.妥当な議論とそうでないものを吟味し区別する

    排除し駆逐すべきです:ただし人ではなく発言を - left over junk
    sakstyle
    sakstyle 2008/12/04
    また,その最低限の機会は公教育が提供することになっているわけです./そのような社会はまがりなりにも私たちのまわりで実現しています.もちろん理想的ではないでしょうが,かなり良い線をいってるんじゃないでしょうか.
  • CAMP:TALK:1203 「アートと公共性」  あるいはChim↑Pomについて- No Hedge!

    を聞きに行ってきた。「アートと公共性」というタイトルだったのだが、僕はアート方面はからきしなので、「公共性」の方にアクセントを置いたつもりで話を聞いてきました。 ……というのも半分当、半分冗談で、この場にいた大半の人がそうであったように、例の「ピカッ」事件の当事者である「Chim↑Pom」のリーダーが卯城氏が来るということで、半分は野次馬根性でした。 あと以下の文章で僕が使う「アート」というのは、このトークイベントのコンテクストからするとおそらく(言ってる人がおそらくというのも変だが、知識がないので)現代アートのことを指しているのだと思ってください。 純朴な「対話」への意志 http://ca-mp.blogspot.com/2008/11/talk-1203.html 共同体と“開かれた”アート 〜アートと公共性の関係〜 第一夜:アートは、何とどうやって関わっていくのか <ゲスト>

    CAMP:TALK:1203 「アートと公共性」  あるいはChim↑Pomについて- No Hedge!
    sakstyle
    sakstyle 2008/12/04