そういや、『SPACE BATTLESHIP ヤマト』では、ヤマトが出発するにあたって地球防衛軍司令長官が「日本国民のみなさん」で始まる声明を発表するんだよね。スピルバーグの『宇宙戦争』では主人公たちの周辺に「大阪ではトライポッドを倒したらしい」という情報が流れてくる。ツッコミどころに事欠かない『インディペンデンス・デイ』ですら「人類」対宇宙人の戦いであることが明示されていた。フィクションですら「日本国民のみなさん」となってしまうこの社会のマジョリティの内向き具合は救いがたいね。
私が子どもだった頃は関西のテレビやラジオで放送される落語が上方落語中心になってゆく時期だったこともあり、立川談志の落語はほとんど聞いたことがない。しかしメディアを通じて時折伝わってくる談志のイメージというのはどうしても好きになれなかった。以前にとりあげたこともある、再審で無罪になった免田栄さんについて「やってねえわけねえんだ」と放言した件などが好例だろう。熊さん八つぁん(上方落語なら喜六清八)ってのはこういう場合、なにをおいてもまず「それにしても奉行所ってのはひでえところだ」と言うもんじゃないの? と思ったものだ。しかしその後彼が著書で「落語は業の肯定である」と主張しているということを聞いて、「なるほど」と腑に落ちた。「業」という概念をどう理解するかについての詳しい議論はひとまず棚上げして“人間の弱さや愚かさ”などと理解しておくことにすると、なるほど落語にはそう評しうる側面は確かにあるだろ
地下猫氏の というツイートをきっかけとしたやり取りがまとめられています。 http://togetter.com/li/217093 ご覧いただければ明白なように完全な堂々巡りになっちゃってますので、こちらで私見をまとめておきます。 歴史修正主義という問題の一つの側面を科学コミュニケーションのそれとして理解することは可能であるし、啓発的でもありうると思いますが、もしそのように理解するのであれば歴史修正主義は「欠如モデル」の限界を示す好例である、と考えるべきです。 もちろん、南京事件なり従軍「慰安婦」問題についての「知識の欠如」は存在しています。そしてそうした「知識の欠如」が歴史修正主義者にとって都合のよい環境をつくりあげていることも確かでしょう。しかし歴史修正主義が問題である所以は、どれほど「知識」を注入したところで大多数の歴史修正主義者は見解を改めたりしない、というところにこそあります。
すでにご存知の方も多いでしょうが。 これに続いて新潮および文春の取材チームメンバーの名前(真贋は知りませんが)をツイートして情報提供を呼びかけているのですが、その呼びかけ方が実にゲスい。曰く「男なんて女関係で必ず失敗があるはず」「風俗や飲み屋にでも行って失敗もあるでしょう」「まあ風俗や飲み屋にでも行ってそりゃ何かしらはやらかしてるでしょ」、と。それを「権力チェック」と称しているわけです。ジャーナリストの職業倫理に抵触した事例についての情報提供を呼びかけるならともかく、自ら望んで泥試合をやりたいようです。 ちなみに、彼が自分の子どもを引き合いに出して新潮、文春を批難した時には、門真市の幼稚園がイモ畑として使用していた土地を府が強制執行した際の騒動について、橋下支持者が「プロ市民が子どもをだしにして同情を買おうとしている」と言っていたことを思い出しましたよ。
すでにご存知の方も多いと思いますが、この数日、アメリカのメディアはジョージア州で死刑を執行される予定であった―そしてついに執行されたある死刑囚の話題を大きくとりあげていました。いくつかの記事に目を通したにすぎない私としてはこれを軽々に「冤罪である」と主張するわけにはいきませんが、証人となった目撃者の多くが後に証言を覆したことだけを考えても冤罪の可能性を真剣に考える必要性があったことは否定できないでしょう。死刑囚は「アフリカ系アメリカ人である」「警官殺しの嫌疑をかけられた」「ジョージア州に住んでいた」という三重の不利益をこうむっていた、という指摘もあります*1。 本来であれば、「死刑制度は正義の実現に貢献する」と考える人びとこそが、だれよりも冤罪の可能性について敏感であるべきです。真犯人の代わりに無実の人間を死刑にしたとすれば、死刑支持派は1人の人間を不当に殺害することにコミットし、将来真犯
今日、9月6日に Naked Loft で「経済評論家 上念司 プロデュース 『正論』Night!〜前、仙台市長梅原克彦さんと勝手に復興会議〜」というイベントがあるんだそうで。後援は『正論』とチャンネル桜、出演は上念司、梅原克彦(前仙台市長)の両氏にゲストとして倉山満(憲政史研究家、国士舘大学講師)氏とのこと。この倉山満という人の名前には心当たりがなかったのでググってみたら……まあ「野田内閣は極左内閣!」という主張を見ればあとは推して知るべしでしょう。「外国人参政権推進派」ってところがポイント高いらしいです。「デフレ脱却議連の主要メンバーには、外国人参政権に反対し、靖国神社にも参拝している代表的な議員がたくさんいます」とアピールしていた上念氏とはさぞはなしがあうことでしょう。「今の民主党から、左翼の影響を受けている人間がいなくなればいいのに」とおっしゃっていた参議院議員(民主)、金子洋一先
今朝 NHK BSプレミアムで放映されていた「海から魚が消える日」を観た。 「漁業技術のハイテク化による乱獲で、この半世紀で世界の海から大型魚の90%が姿を消し、このままだと2048年には商業漁業が成り立たなくなる」とする専門家の予測がある。カナダのニューファンドランド島沖合でのタラ漁全面禁止や、地中海でのクロマグロ密漁の実態などを取り上げながら、節度を欠いた乱獲に警鐘を鳴らすとともに、悲劇的なシナリオを避けるために、いま実行可能な方策を探る スーパーなどの鮮魚売り場を歩いているだけでも水産資源の危機的状況は明らかだ。一昔前なら店頭では見かけなかったような小さなサイズのサバやスルメイカが陳列されている。アサリもシジミも子どもの頃の記憶より一回りどころか二回りくらい小さくなっている。乾燥ワカメのうち廉価なものは韓国産から中国産に変わっていることに最近気がついた……等々。 この番組では日本が表
以前にはてブでも言及したことのある件。 NNNドキュメント11' 6月5日深夜 「畳の上の警告 続発する柔道事故と中学必修化」 110人と275人。09年度までの27年間に部活動や授業の柔道でそれぞれ死亡した生徒、障害が残った生徒の数である(中・高校生)。中学校の部活動での死亡率は陸上・バスケット・サッカー・野球・バレーボール・剣道がいずれも10万人あたり0.5人に満たないのに対し柔道では2人を越えている。どちらも上記番組で紹介されていたデータ。 「2009年度までの27年間に中学・高校で計110人の生徒が柔道の部活動で死亡している」そんな衝撃的なデータが、大学の准教授によってもたらされた。柔道人口が日本の3倍というフランスでも、子供が死亡に至った報告はないという。国家資格を有する指導者が、医療の知識も持って指導にあたっているのだ。文部科学省は来年度から中学校で柔道、剣道、相撲の武道とダン
今日の朝日新聞(大阪本社)朝刊に「原子力と日本人」と題して中曽根康弘へのインタビューが掲載されている。「取材を終えて」には「だからといって過去の政策決定者たちが原発事故の責任を逃れてはなるまい」と書いているものの、紙面化されたものを読む限りではおよそ責任追及に迫力がない。むしろ「そこは先見性だ。エネルギーと科学技術がないと、日本は農業しかない四等国家になる。そう人にも言い、自分でも危機感をもっていた」と自慢話をさせる始末。 なお、「エネルギーと科学技術」が豊かな生活をもたらしたことは確かだが、「農業しかない」ことを指して「四等国家」と表現するあたりに、原発推進者たちのマッチョなメンタリティがよく現れていると言えるだろう。
「今回食った(受けた)分の放射線量は手帳に載らないから。安心していいから」。 えっ、「手帳にちゃんと載るから。安心していいから」の誤記じゃないの? という常識が通用しないのが原発というやつで。 毎日jp 2011年4月21日 「東日本大震災:福島第1原発事故 被ばく線量、管理手帳未記載「ババ引くのは作業員」」(魚拓) 「今回食った(受けた)分の放射線量は手帳に載らないから。安心していいから」。3月末に福島第1原発の復旧に従事した2次下請け会社の男性(30)は、作業開始直前、1次下請け会社の社員にそう告げられた。 勿論、「2次下請け会社の男性」というところがポイントであるわけです。別の、「三次下請けで原発の補修に当たる建設会社社員の男性」はこう語っています。 その上で「手帳の管理は下請けによって違う。将来の仕事を受注するため(社員の線量を低くしようと)下請け会社が手帳に今回の数値を載せないこ
「震災は天罰」発言の飛び出した記者会見に先立ち、3月14日の午前中に行われた石原慎太郎・東京都知事の記者会見からの書き起こし、抜粋です。 全文ではなく抜粋なのは、いちいち語尾が聞き取りにくくて二人掛かりでやっても大仕事だったからです。自然な成り行きとしてプロブレマティックな部分だけをとりあげていますが、省略した部分ではいちおう常識的なコメントをしていることも公平のため付言しておきます。聞き取りにくい箇所については、文脈から推測できた部分は補正して、よくわからんところは私に聞こえたままに文字起こししました。いずれこちらに動画がアップされるはずですので、ご確認ください。なお、東京都による「表現その他に若干の変更があることがあります」という断り書き付きの文字起こしはこちら。「石原知事「JR東日本の体質、私は許さない」」という見出しで報じた産経の記事はこちらです。読みあわせていただければいっそう味
先日のエントリで、大災害に余計な意味付けをするのは止めてほしいと書いたばかりですが、早速やらかした奴が現れました。それももっとも稚拙なかたちで。 @asahi_kantei 朝日新聞官邸クラブ 副長官番A)節電の要請に訪れた蓮舫・節電啓発担当相と会談した石原都知事。会談後に「震災への日本国民の対応をどう評価するか」と質問したところ、石原さんは「日本人のアイデンティティーは我欲。この津波をうまく利用して我欲を1回洗い落とす必要がある。やっぱり天罰だと思う」と述べました (http://twitter.com/#!/asahi_kantei/status/47220894023692288) @ho4not 星野貴彦 共同「(震災について)『これはやはり(我欲が張った)天罰だと思う』といっていたが、不謹慎では?」。石原都知事「被災者には耳障りかも知れないが、と言葉を添えている。正確に聞き取って
前原元外相に続いて菅首相にも波及した在日韓国人からの献金問題ですが、ある意味では朝鮮学校を高校無償化の対象から排除した民主党政権の自業自得と言えるのではないでしょうか。あのとき、朝鮮学校に無償化を適用するかどうかはこの社会がマイノリティ(しかも過去における自国の植民地支配という歴史と密接に関連して形成されたマイノリティ)に対してどういう姿勢を示すかの問題である、という基本的な原則を明らかにし、かつそこにおいて排外主義とはきちんと対決するという方針を示していたら、今回のケースでも特別永住資格をもつ外国人が「献金」というかたちですら政治参加することを拒否しているこの社会のあり方を問題にすることができたはずです。 もちろん、その場合には、臆面もなく排外主義的に振る舞う党派やメディアからの攻撃はいっそう激しくなったでしょう。しかし無償化からの朝鮮学校の排除がはらむ排外主義をスルーしているこの社会の
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