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ブックマーク / blog.tatsuru.com (35)

  • 草食系男子の憂鬱 - 内田樹の研究室

    大学の三年生ゼミは「草系男子」について。 先般、四年生のゼミでも同じ主題が取り上げられたので、彼女たちからするとかなり喫緊の課題のようである。 発表後とりあえず全員に聞き取り調査をして、「あなたが知っている草系の実像」についてご報告をうかがう。 いや、聞いてびっくり。 ゼミ生のほとんどの彼氏が「草系」なのである。 特徴は すぐ泣く。 拗ねる。 「どうせぼくなんか・・・」といじける。 かわいこぶる(齧歯類系の「かわいさ」を演じるのが上手) メールに顔文字をたくさん使う。 優柔不断で、「何べる?」「どこ行く?」といった質問に即答できない。 化粧品にうるさい。 肌を美白に保つことに熱心。 ヘア命(ヘアセットができてない姿を見られると、スッピンの女性のように身もだえするらしい) 家族と親密。 などなど。 こういう男子が20代に大量に存在しているらしい。 ううむ、そういうことになっているとは

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    sankaseki 2009/06/24
    草食系男子の憂鬱 (内田樹の研究室)
  • 私の仕事 - 内田樹の研究室

    17日の午前10時にプレスリリースを行った。 2009年度入試の英語問題に出題ミスおよび採点ミスがあったのである。 6月3日に学外の入試問題出版社から疑問が提示され、それを承けて、出題委員への問い合わせ、ミスの確認、再採点、成績一覧の書き換え、合否判定、追加合格者の決定、文科省への報告、追加合格の通知、プレスリリース・・・とこの2週間ほど入試部長として連日その作業に忙殺されていたのである。 ブログ更新がままならなかったのも当然(そのあいまに別のイベントも進行していたし)。 とりあえず、昨日までに追加合格の通知とプレスリリースが終わった。 さいわい、追加合格によってこの時点での進路変更という志願者は少数にとどまりそうである。 それでも、実際には合格していた試験に「不合格」という通知を受け取った受験生の精神的なショックについては遡ってこれを償うことができない。 深く謝罪するとともに、受験生の逸

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    sankaseki 2009/06/18
    私の仕事 (内田樹の研究室)
  • お掃除するシシュフォス - 内田樹の研究室

    久しぶりの、ほんとうに久しぶりのオフである。 カレンダーを見ると、真っ白である。 どこに出かける用事もない。締め切りもない。 ふう。 カレンダーが「真っ白」というのは4月5日以来。 二ヶ月ぶりである。 ユダヤ教だって、キリスト教だって、イスラム教だって、安息日は一週間に一日で、その日はお祈りする以外は、できるだけ家にじっとしていて仕事はしちゃいけないはずである。 人間が人間的に生きるためには、それくらいの休息は必要だということである。 ほんとに。 久しぶりの休みで、うれしくて、朝から原稿を書いている(意味ねーじゃん)。 一昨日三砂先生とひさしぶりにお会いして、いろんな話をしたのだが、そのことを日記に書いていなかったので、「入試部長のひとりごと」の方に書く。 三砂先生はちょうど『1Q84』を読み終えたところだったので、二人で「すごいよね」と盛り上がる。 三砂先生は「ムラカミハルキ先生」とずっ

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    sankaseki 2009/06/07
    お掃除するシシュフォス (内田樹の研究室)
  • 「父」からの離脱の方位 - 内田樹の研究室

    『1Q84』は記録的な売れ行きらしい。 今の段階で、発売一週間で96万部。 ミリオンを超えることは確実で、『ノルウェイの森』の450万部という記録を塗り替えるかもしれない。 おそらくメディアはこれから、このの文学作品としての意味より、なぜこれがこれほどの社会的な「事件」を引き起こしたのかの方に多くの紙数を割くようになるだろう。 メディアが『1Q84』を「事件」として扱い、膨大な非文学的言説が行き交うようになる前の短い空白の間に、この作品についてまだ誰の感想も聞いていないイノセントな状態で、自分ひとりの感想を書き付けておきたい。 ムラカミ・ワールドは「コスモロジカルに邪悪なもの」の侵入を「センチネル」(歩哨)の役を任じる主人公たちがチームを組んでい止めるという神話的な話型を持っている。 『羊をめぐる冒険』、『ダンス・ダンス・ダンス』、『世界の終わりとハードボイルドワンダーランド』、『アフ

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    sankaseki 2009/06/07
    「父」からの離脱の方位 (内田樹の研究室)
  • あらかじめ言葉を奪われた子供たちの鎖国論 - 内田樹の研究室

    鏡を見ると、目の下にくろぐろと隈ができている。 ずいぶん休んでいない。 フルの休日があったのは、4月は1日だけ、5月は憲法記念日と、休校の週の月の2日だけだった。 あとはずっと用事に追い回されている。 今週は月曜が大阪能楽会館で朝から申し合わせ。それから部長会、授業、杖の稽古。火曜日が授業二つ(この日がいちばん楽だった)。水曜が朝からホテルオークラで打ち合わせ、昼から大学で会議、家に戻って原稿書き。木曜は朝三宅先生のところで治療、それから下川先生のところでお稽古。立廻りの足の運びのリズムが悪いときびしく叱られる。とほほ。シャワーを浴びて、着替えてから中之島の140Bへ。鷲田先生と平川くんと江さんとラジオの仕事(のはず)。 約束より1時間前の4時についたら、もうみんな来ている。 みんなは「ナントカ大学」とかいう行政と代理店のからんだ文化プロジェクトの打ち合わせをしている。 私は行政と代理店

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    sankaseki 2009/05/30
    あらかじめ言葉を奪われた子供たちの鎖国論 (内田樹の研究室)
  • ゾンビの教訓 - 内田樹の研究室

    新型インフルエンザについて三紙からコメントを求められる。 私なんかにインフルエンザについて訊いてどうするのかと思うのだが、感染地域の真ん中に住んでいる人間の「市民目線」の感想を聞きたいと思ったのかも知れない(木によって魚を求むるの類だが)。 疫学についても医学についても何も知らない人間に訊く以上、それはインフルエンザそのものについてではなく、インフルエンザ禍の「人間的意味」についてのコメントなのであろうと判断して、それについて述べる。 メディアの一昨日あたりからの論調は「それほど毒性の強いインフルエンザでもないらしいのだから、あまり騒ぎ立てずに、柔軟に対応するほうがいい」というものである。 休校やイベントの中止が続くと市民生活に影響が出るから、「自粛するのを自粛せよ」というものである。 大阪府知事は「都市機能に影響が出る」と言った。 だが、感染地区がパニックに陥っているとか、都市機能が麻痺

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    sankaseki 2009/05/21
    ゾンビの教訓 (内田樹の研究室)
  • まず隗より始めよ - 内田樹の研究室

    授業の合間に取材が二つ。 ひとつは三菱系のシンクタンクから「10 年後の日はどうなるか」というテーマで。もうひとつは資料請求者に配布するリーフレットの「神戸女学院大学って、こんな大学です」というパブリシティ。 両方で同じような話をする。 同じ人間が続けて話をしているのだから、内容が似てくるのは当たり前であるが、それにしてもそれは「10 年後の日が神戸女学院大学のような社会になる(といいな)」というふうに私は考えているということを意味している。 何を荒誕なことを、と笑う人がいるかもしれないが、これは私にとってはごく自然な考え方である。 今自分がいる場所そのものが「来るべき社会の先駆的形態でなければならない」というのはマルクスボーイであったときに私に刷り込まれた信念である。 革命をめざす政治党派はその組織自体がやがて実現されるべき未来社会の先駆的形態でなければならない。 もし、その政治党派

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    sankaseki 2009/05/13
    まず隗より始めよ (内田樹の研究室)
  • Googleとの和解 - 内田樹の研究室

    Googleアメリカ作家組合のフェアユースと著作権をめぐる裁判が和解した結果、ベルヌ条約に参加している日の著作権者たちも年5月5日までの期限付きで、コピーライトにかかわる選択をしなければならないことになった。 和解条件によると、2009年1月5日以前に出版された書籍については、 (1)著作権者はGoogleに対して、著作物の利用を許諾するかしないか、許諾する場合、どの程度かを決める権利をもつ (2)Googleの電子的書籍データベースの利用から生じる売り上げ、書籍へのオンラインアクセス、広告収入その他の商業的利用から生じる売り上げの63%を(経費控除後)著作権者は受け取る その代償としてGoogleは著作物の表示使用の権利を確保し、データベースへのアクセス権を(個人には有料で、公共図書館教育機関には無料で)頒布することができる。 ただし、プレビューとして書籍の最大20%は無償で閲

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    sankaseki 2009/03/23
    Googleとの和解 (内田樹の研究室)
  • 小学生にはむずかしい文章 - 内田樹の研究室

    ある教科書会社から小学校の教科書のために何か書いて欲しいと頼まれた。 めんどくさいから厭だと最初は断った。 「中学生にもわかるように書く」ということは『先生はえらい』でやってみたので、できそうな気もするが、「小学生にもわかるように書く」というのはちょっと私には無理そうに思えたからである。 私は一度書いた原稿に「ここがわかりにくいので書き換えてくれ」とか「この字は読みなれていないので、ひらがなにしてくれ」とか言われるのが嫌いである。 だから、「そのままの原稿では出せません」と言われると、「あ、そうですか」とそのままオサラバすることにしている。 私の文章を読んで「意味がわかりません」という人間と「私の文章」を介して話し合いをすることは、論理的に考えて、純粋な消耗だからである。 今回は、「私の書くものは小学生向きじゃないですよ」といったのに、でもぜひにと頼まれたので、なるべくむずかしい漢字や子ど

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    sankaseki 2009/02/23
    小学生にはむずかしい文章 (内田樹の研究室)
  • 壁と卵 - 内田樹の研究室

    村上春樹のエルサレム賞の受賞スピーチが公開されている。 非常にクリスプで、ユーモラスで、そして反骨の気合の入ったよいスピーチである。 「それでも私は最終的に熟慮の末、ここに来ることを決意しました。気持ちが固まった理由の一つは、あまりに多くの人が止めたほうがいいと私に忠告したからです。他の多くの小説家たちと同じように、私もまたやりなさいといわれたことのちょうど反対のことがしたくなるのです。私は遠く距離を保っていることよりも、ここに来ることを選びました。自分の眼で見ることを選びました。」 そして、たいへん印象的な「壁と卵」の比喩に続く。 Between a high solid wall and a small egg that breaks against it, I will always stand on the side of the egg. Yes, no matter how r

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    sankaseki 2009/02/19
    壁と卵 (内田樹の研究室)
  • 被害者の呪い - 内田樹の研究室

    毎日新聞に三ヶ月に一度「水脈」というコラムを書いている。 いささか旧聞に属するが、そこに聖火リレーのことを書いた。 昨日の夕刊に出たので、もうブログに採録してもよろしいであろう。 こんな話。 オリンピックの聖火リレーをめぐる騒動を眺めていて、いささか気になってきた。何か「厭な感じ」がしたからである。何が厭なのか、それについて少し考えたいと思う。 熱い鉄板に手が触れたときに、私たちは跳びすさる。「手が今熱いものに触れており、このまま放置すると火傷するので、すみやか接点から手を離すことが必要である」というふうに合理的な推論してから行動するわけではない。たいていの場合、私たちはわが身に何が起きたのかを行動の後に知る。 聖火リレーにまつわる「厭な感じ」はそれに似ている。 だから、この論件については、誰の言い分が正しく、誰の言い分が誤っているというような「合理的」なことは申し上げられない。それは「

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    sankaseki 2009/02/14
    被害者の呪い (内田樹の研究室)
  • 大学はどうなるのか - 内田樹の研究室

    バリ島から帰ってきてそのまま会議。 ほんとうは午前中にも会議があり、それにも出席しなければならなかったのであるが、その頃はまだ家にたどりついていなかったのでご無礼。 30分ほど前に教務部長のデスクにつくや、教務課長が「ちょっとご相談が・・・」とおいでになっていろいろ相談ごと。 むむむ、それは困ったことですな。 ま、ナントカしましょう。 その後学長を囲んでややコンフィデンシャルな会議。 むむむ、それは困ったことですな。 ま、ナントカなるでしょう。 その後合否判定教授会。 一般入試の志願者数は全学平均で前年比98%(総合文化学科は前年比103%)。 「100年に一度」の経済危機で、志願者が志望校の絞り込みに入っている今年は、私学はどこも軒並み志願者数を下げて、苦戦している。 新学部新学科は「ご祝儀」で、初年度には必ず志願者が殺到するのだが、それもうまくゆかない大学が多い。 受験生たちも「こうや

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    sankaseki 2009/02/07
    大学はどうなるのか (内田樹の研究室)
  • 大統領就任演説を読んで - 内田樹の研究室

    20日、バラク・オバマが第44代アメリカ大統領に就任した。 その就任演説を読む。 そのまま英語の教科書に使えそうな立派な演説である。 アメリカという国が「もともとある」共同体ではなく、国民ひとりひとりが自分の持ち分の汗と血を流して創り上げたものだという考えが全体に伏流している。 その建国にかかわった人々への言葉が印象的である。 For us, they packed up their few worldly possessions and traveled across oceans in search of a new life. 私たちのために、彼らはわずかばかりの身の回りのものを鞄につめて大洋を渡り、新しい生活を求めてきました。 For us, they toiled in sweatshops and settled the West; endured the lash of th

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    sankaseki 2009/01/22
    大統領就任演説を読んで (内田樹の研究室)
  • 入試「改革」のご提言について - 内田樹の研究室

    センター入試の日に新聞の社説に入試改革の提言が載せられている。 毎日新聞の社説子はこう書いている。 「少子化や規制緩和の大学増設なので大学の学生獲得競争が次第に強まり、科目を減らしたり独自学力試験をしないなど、試験を安易にする傾向が現れた。 時間をかけ多角的に審査するはずのAO(アドミッション・オフィス)入試や従来の推薦入試も形骸化が指摘される。4割以上が学力検査をくぐらず入学するまでになっている。 一方で大学生の深刻な学力低下が報告される。6割の大学が高校レベルの補習をするなど基礎学力の補完をしている。そうしないととても専門教育ができないという。基的な教養の欠落も指摘されている。」 ご指摘の通りである。 そのことに私たち大学人も深く苦しんでいる。たぶん、日でいちばんそのことに苦しんでいるのは、「基礎的な学力」のない学生たちと現場で向き合っている私たちである。 そのわれわれに向かって論

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    sankaseki 2009/01/21
    入試「改革」のご提言について (内田樹の研究室)
  • 厭味なインタビュイー - 内田樹の研究室

    取材が続く。 火曜日が講談社の Grazia、水曜がリクルートの受験雑誌、木曜が朝日新聞。 取材のお題はそれぞれ「30代女性の生き方」「親は受験生をどう育てるべきか」「モンスター・ペアレンツ」 まことにさまざまである。 どのメディアに対しても基的には同じことをお答えする。 「そういうことはあまり問題にしないほうがいいですよ」である。 これらの問いはいずれも「人間の生き方」「育児戦略」「公民としてのあり方」については「あるべきかたち」が存在し、「あるべきかたち」ではないことがさまざまな不幸を生み出しているという論理形式を前提している。 このような信憑を刷り込まれることで一部の人間は向上心を掻き立てられるが、ほとんどの人(「向上心はなくはないが、行動が伴わない」タイプの人たち)はあまり幸福にはならない。 そういう人たちの前に「成功事例」をニンジンのようにぶら下げてもあまり「いいこと」はない。

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    sankaseki 2009/01/19
    厭味なインタビュイー (内田樹の研究室)
  • 読者と書籍購入者 - 内田樹の研究室

    私は論争ということをしない。 自分に対する批判には一切反論しないことにしているから、論争にならないのである。 どうして反論しないかというと、私に対する批判はつねに「正しい」か「間違っている」かいずれかだからである。 批判が「正しい」ならむろん私には反論できないし、すべきでもない。 私が無知であるとか、態度が悪いとか、非人情であるとかいうご批判はすべて事実であるので、私に反論の余地はない。粛々とご叱正の前に頭を垂れるばかりである。 また、批判が「間違っている」なら、この場合はさらに反論を要さない。 私のような「わかりやすい」論を立てている人間の書き物への批判が誤っている場合、それはその人の知性がかなり不調だということの証左である。そのような不具合な知性を相手にして人の道、ことの理を説いて聴かせるのは純粋な消耗である。 というわけで私はどなたからどのような批判を寄せられても反論しないことを党是

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    sankaseki 2009/01/08
    読者と書籍購入者 (内田樹の研究室)
  • 「内向き」で何か問題でも? - 内田樹の研究室

    先日、苅谷剛彦さんと対談したときに、日のように「国内に同国語の十分なリテラシーをもつ読者が1億以上」というような市場をもつ国は世界にほとんど存在しない、ということを指摘していただいて、「ほんとにそうだよな」と思ったことがある。 「国内に同国語の十分なリテラシーをもつ読者が一億以上」いるということは、言い換えると、「日語を解する読者だけを想定して著作や出版をやっていても、飯がえる」ということである。 日人が「内向き」なのは、要するに「内向きでも飯がえる」からである。 「外向き」じゃないと飯がえないというのは国内市場が小さすぎるか、制度設計が「外向き」になっているか、どちらかである。 どうしてそんなことを考えたかというと、テレビ政治討論番組で「フィンランドに学ぶ」という特集をしているのを横目で見ていたからである。 フィンランドはノキアという携帯電話のシェア世界一のブランドを有して

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    sankaseki 2009/01/05
    「内向き」で何か問題でも? (内田樹の研究室)
  • 日本の外国文学研究が滅びるとき - 内田樹の研究室

    水村美苗さんの話題作『日語が亡びるとき-英語の世紀の中で』を鹿児島への機内で読了。 まことに肺腑を抉られるような慨世の書である。 『街場の教育論』で論じた日教育についての考えと通じるところもあり、また今書いている『日辺境論』の骨格である、日はユーラシア大陸の辺境という地政学的に特権的な状況ゆえに「政治的・文化的鎖国」を享受しえた(これは慶賀すべきことである)という考え方にも深いところでは通じているように思う。 とりわけ、「あらまあ」と感動したのは、「アメリカの植民地になった日」についての考察である。 明治維新のときに欧米帝国主義国家がクリミア戦争や南北戦争や普仏戦争で疲弊していなければ日は欧米の植民地になっていただろうということを言うひとは少なくないが、「植民地になって150年後の日」についてまで SF 的想像をめぐらせた人は水村さんをもって嚆矢とするのではないか。 「たと

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    sankaseki 2008/12/18
    日本の外国文学研究が滅びるとき (内田樹の研究室)
  • 100年に一度の危機らしいけど - 内田樹の研究室

    今年の漢字(というイベントはいつから始まったのかしら)は「変」だそうである。 「変」が「あなた、変よ!」という意味の「変」なら、私も同感である。 ただ、「変」が「変化」ということを意味しているとしたら、私はそれにはあまり同感できない。 世間のみなさまは(邦の総理大臣も)「100年に一度の危機」というような言葉を軽々にお使いになるが、ほんとうに「100年の一度」というような地殻変動的社会構造の崩落現象が起きているとご当人が思っているなら、もう少し「これまでとは違う」対応をされているはずであるし、言葉づかいもずいぶん違ってよいはずである。 でも、私の目には「まったくいつもと同じ」ようにしか見えない。 ボーナスが減りそうだから買い控えをする。売り上げが減ったので非正規労働者を馘首する。貸し剥がしをする。ばらまき財政出動をする。 どれも見慣れた風景である。数年前にも見た覚えがある。 この風景のど

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    sankaseki 2008/12/17
    100年に一度の危機らしいけど (内田樹の研究室)
  • 知識についての知識について - 内田樹の研究室

    毎日新聞の次は『新潮45』。 総合雑誌の廃刊休刊相次ぐ中で苦戦中の『新潮45』も12月号からリニューアルするそうである。 野木正英さんが編集部に参加する。 野木さんは旧友故・竹信悦夫と高橋源一郎さんと灘の同期である。 このトライアングルがどんな過激で愉快な中学高校時代を過ごしていたのかについては源ちゃんと私の対談(『ワインコイン悦楽堂』)に詳しい。 そういうご縁があるので、竹信への供養もかねて、リニューアル『新潮45』に一臂の力を仮すことにしたのである。 野木さん、編集長の宮さん、三重さん、そしていつもの足立さんが御影においでになる。 インタビューのお題は「呪いのコミュニケーション」。 話頭は転々で何を話したのかよく覚えていないのだけれど、その中で「知識がある」ということが今ほど無意味になった時代はないということを話した。 20年ほど前の学会では、学会発表のあとの質疑応答で「重箱の隅をつ

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    sankaseki 2008/09/25
    知識についての知識について (内田樹の研究室)