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ブックマーク / 1000ya.isis.ne.jp (17)

  • 0586 夜 | 松岡正剛の千夜千冊

    毛皮を着たヴィーナス レオポルド・フォン・ザッヘル=マゾッホ 河出文庫 1976 Leopold von Sacher-Masoch Venus im Pelz 1870 [訳]種村季弘 20年ほど前のことだろうか、沼正三から「うーん、松岡さんはMですね」と言われた。「えーっ、そうですか」と意外に思ったが、「はい、正真正銘のMです。あなたはそれに気がついていないだけです」とさらに念を押すように言われてしまった。 日のマゾヒズム文学を代表する大作『家畜人ヤプー』を書き、みずからマゾヒストを生きている沼正三人からこう言われたのだから、さあ、これは一大事だった。 沼さんがマゾヒストであることは当である。 実際にも、ぼくがバーに連れていったある女優を前にして、沼さんは時をみてさっと跪き、そのハイヒールの甲に接吻したもので、それを目撃したぼくとしては、沼正三がたんなる想像力だけでマゾヒズムの世

    0586 夜 | 松岡正剛の千夜千冊
  • 0932 夜 | 松岡正剛の千夜千冊

    ぼくが捻くれたのはこの一冊のせいだった。ぼくが存在学を考えるようになったのもこの一冊のせいだった。ひょっとして文章を遊びすぎるのも、深刻を余裕をもって遊べるようになったのも、困難なパーティをしたくなるのも、この一冊のせいだったろうか。 なぜそんなふうになったか、次の短すぎるほど決定的な一文を見れば、見当がつくだろう。「薔薇、屈辱、自同律――つづめて云えば、俺はこれだけ」。 現代思潮社の『不合理ゆえに吾信ず』は、正方形の黒函入りで、函にもクロス製の表紙にも「Credo,quia absidum.」としか刻印されていなかった。 ぼくはこのストイシズムに酔わされた。なにしろ当方は19歳か20歳の青春紅蓮の真っ只中なのだ。そこへ、このストイックな一冊。しかもぽつんと、「薔薇、屈辱、自同律――つづめて云えば、俺はこれだけ」なんて言われたら、おかしくなる。 もうひとつの決定的な短文は、「大宇宙を婚姻せ

    0932 夜 | 松岡正剛の千夜千冊
  • 0724 夜 | 松岡正剛の千夜千冊

    こういう人が隠れていることは、『遊』をつくっているころに各地で遊撃展や遊会を開いているころから、察しておりました。世の動静を見極め、自身の内なる目をもって納得のいくことだけを考えたり、行為に及ぼしたり、書いたりしている人たちだ。 こういう人を「スジガネの人」という。 スジガネの人は、職業や経歴からは何も割り出せない。だいたい職業なんぞで人を見るのはほとんど何の役にも立たない推測というもので、スジガネの人は一杯呑み屋をやっていたり、ガス会社に勤めていたり、スイカや白菜を栽培していたり、自動車修理をやっていらっしゃる。 スジガネの人には、左翼も右翼もニュートラルも環境派もいる。甘党も辛党もいる。主題はいろいろ、発言内容も多種多彩。 ところがこういう人は何かが根底で似ているもので、どんな政治的で思想的なラベルを貼っても説明にならないスジガネをもっている。のっけから余談だが、ときにこういう人と出会

    0724 夜 | 松岡正剛の千夜千冊
  • 0360 夜 | 松岡正剛の千夜千冊

    存在の耐えられない軽さ ミラン・クンデラ 集英社 1993 Milan Kundera Nesnesiteln Lehkost Byti 1984 [訳]千野栄一 ミラン・クンデラは、ぼくがこの10年間で最も"尊敬"することになった作家である。もっとも、この10年間というのはぼくの勝手な読間時期であって、クンデラ自身は1960年代にはすでに活躍していた。 その理由はいろいろあるのだが、最初に『冗談』を読んだときは何かがピンときていたものの、惹かれる理由がいまひとつはっきりしなかった。たとえばボルヘスやカルヴィーノを読んだときの"急激な尊敬"とはまったく違っていた。 念のために言うと、チェコの作家であること、共産党に入党し除名をされたこと、その後「プラハの春」で指導的な役割をしたことなどは、この作家の作品行為に対する"尊敬"には関係しない。プラハの芸術大学の映画科を卒業し、その後は同大学の世

    0360 夜 | 松岡正剛の千夜千冊
  • 松岡正剛の千夜千冊

    先週、小耳に挟んだのだが、リカルド・コッキとユリア・ザゴルイチェンコが引退するらしい。いや、もう引退したのかもしれない。ショウダンス界のスターコンビだ。とびきりのダンスを見せてきた。何度、堪能させてくれたことか。とくにロシア出身のユリアのタンゴやルンバやキレッキレッの創作ダンスが逸品だった。溜息が出た。 ぼくはダンスの業界に詳しくないが、あることが気になって5年に一度という程度だけれど、できるだけトップクラスのダンスを見るようにしてきた。あることというのは、父が「日もダンスとケーキがうまくなったな」と言ったことである。昭和37年(1963)くらいのことだと憶う。何かの拍子にポツンとそう言ったのだ。 それまで中川三郎の社交ダンス、中野ブラザーズのタップダンス、あるいは日劇ダンシングチームのダンサーなどが代表していたところへ、おそらくは《ウェストサイド・ストーリー》の影響だろうと思うのだが、

    松岡正剛の千夜千冊
  • 1583夜 『ユーミンの罪/オリーブの罠』 酒井順子 − 松岡正剛の千夜千冊

    たまにはひとり どこかへ行きたかった たまには少し 心配させたかった 次の夜から欠ける満月より 14番目の月がいちばん好き。 そう歌った「ユーミンの罪」とは何だったのか。 友達と会ったらパーソンズおしゃれ 大親友だってライバル おめかしはエスプリきかせたジーンズおしゃれ。 そう謳った「オリーブの罠」とは何だったのか。 ぼくには、いささか遠い流行だった。 酒井順子が懐かしそうに解読してくれた。 酒井順子を褒めたくて書二冊を選んだ。千夜千冊で二冊を掲げて案内するのは初めてだが、そうしたくなる。 二冊は呼応しているが、もともとは『ユーミンの罪』が書かれ、一年後に『オリーブの罠』が上梓された。『ユーミンの罪』のとき、ふーん、やったな、酒井も担当編集者もうまいなと思ったが、これに続く『オリーブの罠』がまるで焼肉の網焼きの目のようにクロス模様となって交差したのには、腕ひしぎ十字固めにかけられたようで

    1583夜 『ユーミンの罪/オリーブの罠』 酒井順子 − 松岡正剛の千夜千冊
  • 0847 夜 | 松岡正剛の千夜千冊

    車谷は『赤目四十八瀧心中未遂』(文藝春秋)で直木賞をとったあと、「文學界」で白洲正子(893夜)と“おめでとう対談”をしている。白洲が「私、十何年も前に見っけたんだからね」と例の気っ風のよい口調で話しだすと、車谷が「白洲先生からいただいたその手紙をここに持ってまいりました」と、短篇「吃りの父が歌った軍歌」(書に所収)に寄せた白洲の手紙を紹介しようとする。車谷が料理場の下働きをやめてセゾンに勤めていたころの作品である。 この対談には白洲のおかげで車谷長吉の「らしさ」がよく引き出されている。たとえば、車谷が「20年間、文章を書いてきてファンレターなるものをいただいたのは一度だけです。それが白洲先生からだから、びっくり仰天です」と言うと、白洲はそれを制して「冗談じゃないわよ。なにしろあなたの文章じゃ、誰も手紙なんか出せないわよ」と言う。そして車谷の文章を「こわい」と一言で批評する。これは絶賛に

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  • 0426 夜 | 松岡正剛の千夜千冊

    フランダースの犬 ウィーダ 新潮文庫 1954 Oui'da A Dog Of Flanders 1872 [訳]村岡花子 小さなころ、『家なき子』や『小公子』や『フランダースの犬』や『人魚姫』を読んで蟬のように哭いた。それでもまた読んでいるとなおしゃくりあげてくる。そんなところを母や妹に見られまいとして布団にもぐりこみ、隠れて読んだ。人には見せてはいけないことだと感じた。 なぜ、あんなに泣きたくなったのか。「かわいそう」であるからだ。かわいそうな主人公に自分の身を託して、その行く末を一緒にはらはら案じたいからだ。この子供ながらの一途な感情は、その後に大人になっても忘れられないトラウマだかスティグマになってしまうのだけれど、あらためてふと思うと、いったいこの手の「かわいそうな物語」はどうしてまたこんなに世の中に多いのか、それをまた少年少女に向けて作家や脚家たちが次々に書くようになったのは

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  • 0880 夜 | 松岡正剛の千夜千冊

    エブドメロス ジョルジョ・デ・キリコ 思潮社 1970・1994 Giorgio de Chirico Hebdomeros 1929 [訳]笹孝 父親の目をした不滅の女神。 そんな父性的な女神の巨大なマネキン彫像が人っ子一人いない黄昏の都市の広場に立っていて、そこに遠くから蒸気機関車のバゥッ、バゥッというラッセル音のような驀進音が聞こえている。ジョルジョ・デ・キリコがひたすら描いたメタフィジック・アートは、そういう孤絶の彼方からの音信を思わせる。 メタフィジック・アート(形而上絵画)はキリコがほぼ単独に確立した絵画様式で、実際には見ることができない形而上的な現象や光景を独得にあらわした。1910年ごろに登場した。人影のない広場、左右にずれた遠近法、抽象化された体と顔をもつ彫像、長くて黒い影、画面を通過する蒸気機関車などが特徴になっている。たちまちアポリネール、ブルトン、ピカソ、タンギー

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  • 0980夜 『グレン・グールド著作集』 グレン・グールド − 松岡正剛の千夜千冊

    グレン・グールド著作集 グレン・グールド みすず書房 1990 Glenn Gould Glenn Gould Reader 1984 [訳]野水瑞穂 空虚を配分する。決して高まらないで、意識を存分に低迷させて分散させる。どんなスコアにも、もうひとつのスコアがありうると確信する。こんなことがグレン・グールドにできていたなんて、いまでも信じられないときがある。 さきほど久々にブラームスの『インテルメッツォ』を聴いた。ここは西麻布の外れた一郭の、木立の中の部屋。すっかり暮れなずんだ都心の空気の中を、朝からの五月雨が降りしきっていて、庭の木々の葉脈に沿って次から次へと流れ落ちている。グールドの「躊」「躇」と「序」「破」「急」をまん然と追いながら窓外のほうに耳をむけてみると、そこでは雨垂れの不確かなリズムがうっすら混じっている。 えっ、宮城道雄だっけ? 「さみだれのあまだればかり浮御堂」。ああ、こ

    0980夜 『グレン・グールド著作集』 グレン・グールド − 松岡正剛の千夜千冊
  • 0372 夜 | 松岡正剛の千夜千冊

    アウトサイダー コリン・ウィルソン 紀伊國屋書店 1975 Colin Wilson The Outsider 1956 [訳]福田恆存・中村保男 コリン・ウィルソンは売れに売れた『オカルト』を選ぼうかなとおもったが、処女作の書にした。そのほうがウィルソンが『オカルト』や『殺人の哲学』や『ミステリーズ』を書いた理由もよく見える。 ともかく中学校しか出ていないウィルソンが書をひっさげて登場したときは、世界中がびっくりした。こんな書きっぷりをした男はいなかった。26歳のときの出版だ。 ウィルソンがここでしてみせたことは、自我の監房からの脱獄を手伝うことである。脱獄といって悪いなら破獄。 その手際は猛烈だった。ウィルソンは最初に誰もがH・G・ウェルズの「盲人の国」にいるはずだということを告知して、まずはアンリ・バルビュスの『地獄』の神経症患者の破獄を試み、ついではサルトルの『嘔吐』でマロニエ

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  • 1040 夜 | 松岡正剛の千夜千冊

    今日のあまたの現代小説、なかでも村上春樹や吉ばななや江国香織に代表され、それがくりかえし踏襲され、換骨奪胎され、稀釈もされている小説群の最初の母型は、倉橋由美子の『聖少女』にあったのではないかと、ぼくはひそかに思っている。 しかし今夜は、そのことについては書かない。その程度のことなら、『聖少女』を読んでみればすぐわかるはずのことである。そのかわり、ぼく自身がずっと倉橋由美子を偏愛してきた理由をいくつかに絞って書いておく。 大学2年か3年のときだったから、もう40年ほども前のことになるが、『聖少女』を読んだときの衝撃といったら、なかった。どぎまぎし、たじろぎ、そして慌てた。 いろいろな衝撃だったけれど、その感想を大別すれば二つになる。ひとつには、こういう小説がありえたのかと思った。こういう小説というのは、男女の関係を奔放な文体と告白で克明に綴っていることそのものが、実は文面上もフィクション

    1040 夜 | 松岡正剛の千夜千冊
  • 0621 夜 | 松岡正剛の千夜千冊

    草森紳一が「あるとき小説がすごく古臭いものだと思った」と書いていた。草森は写真家やイラストレーターに会っているうちに、そう思うようになったらしい。 それがぼくには少女マンガでおこったようだった。なかでも萩尾望都には驚いた。これはどこにも類縁がない。もし類縁があるとすれば、プラトンかエドガー・アラン・ポーかレイ・ブラッドベリである。しかし、ぼくはそういうものがまさか少女マンガになるとはまったく思っていなかったし、ましてそのマンガを読み耽ることになるなんて、考えもしなかった。 たしかに手塚治虫やつげ義春やかわぐちかいじや諸星大二郎に感服して、一夜が明けるということはよくあった。それがいつのまにか、渋谷区松濤の通称「ブロックハウス」の階段を上がったところの広い踊り場に堆(うずたか)く少女コミックが次々に積まれるようになって、それをこっそりぼくが読むようになろうとは。 ここでは『ポーの一族』だけを

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  • 0161 夜 | 松岡正剛の千夜千冊

    ロリータ ウラジミール・ナボコフ 河出書房新社 1959 Vladimir Nabokov Lolita 1955 [訳]大久保康雄 ナボコフは蝶の採集家である。その成果の一部はハーバード大学の比較動物博物館やコーネル大学のコレクションに加わっている。ぼくがコーネルを訪れたとき、若い女房を新しく迎えたばかりのカール・セーガンがそのことを教えてくれた。 ナボコフの蝶を採集する趣味が薨じて“ロリータ趣味”になっていった、などとは言わない。ナボコフはこうしたフロイトを持ち出すような言い回しの連中が大嫌いなのである。「ロリータ・コンプレックス」という“概念”をつくりだした連中を、ナボコフほど軽蔑している人物はいないのだ。 ナボコフが『ロリータ』の構想を得たのは、パリで肋間神経痛の発作で臥せっているときに読んだ1939年の暮か40年の初めの新聞記事だった。 その記事はパリ植物園のサルに関するもので、

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  • 1208 夜 | 松岡正剛の千夜千冊

    ぼくが「遊」を創刊したのは 1971年7月1日だった。 その7月30日に、 もう一冊の画期的な雑誌が誕生した。「薔薇族」だ。 男のための同性愛雑誌。 一世を風靡した。さまざまなタブーも破った。 ここには、雑誌編集のヒントもどっさり詰まっていた。 目を背けないで、読まれたい。 いや、あまり期待されても、妙だけれど。 松岡正剛はゲイであるという噂や、いや少なくともバイセクシャルだろう、いやいや正真正銘の精神的なホモだといった“仮説”はあとを断たない。沼正三はわざわざ「松岡正剛は正当のMである」と手紙に書いてきた。 さあ、どうなんでしょうね。ぼくなんぞがゲイやバイセクシャルや正当Mなのでは、かれら当事者にまったく申し訳がありません。稲垣足穂がそうであったように、ぼくはゲイやホモセクシャルやMやらの熱狂的な同伴者、ないしはオントロジックな支援者にすぎない。これで、いいかな? もっとも、ぼくはたいへ

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  • 松岡正剛の千夜千冊

    先週、小耳に挟んだのだが、リカルド・コッキとユリア・ザゴルイチェンコが引退するらしい。いや、もう引退したのかもしれない。ショウダンス界のスターコンビだ。とびきりのダンスを見せてきた。何度、堪能させてくれたことか。とくにロシア出身のユリアのタンゴやルンバやキレッキレッの創作ダンスが逸品だった。溜息が出た。 ぼくはダンスの業界に詳しくないが、あることが気になって5年に一度という程度だけれど、できるだけトップクラスのダンスを見るようにしてきた。あることというのは、父が「日もダンスとケーキがうまくなったな」と言ったことである。昭和37年(1963)くらいのことだと憶う。何かの拍子にポツンとそう言ったのだ。 それまで中川三郎の社交ダンス、中野ブラザーズのタップダンス、あるいは日劇ダンシングチームのダンサーなどが代表していたところへ、おそらくは《ウェストサイド・ストーリー》の影響だろうと思うのだが、

    松岡正剛の千夜千冊
  • 1316 夜 | 松岡正剛の千夜千冊

    そろそろ夏休みも終わりに近い。 ぼくには一日も、夏休みはなかったけれど、 それならせめて大島弓子のシルクムーンな境界で、 絶対少女たちの想像力とつかのま添い寝して、 すでに過ぎ去る毎日を、毛糸弦にこめ ピップパップギーな夏休みにしてみたい。 それならバイバイマイマイ、 夜は瞬膜の此方にこそあって、ぶーん、 そこでは草かいかい、お月様は、ふん。 そのころ、渋谷松濤のブロックハウスには男女7人と6~8匹と、そして少女マンガがドーキョしていた。1970年代のおわり近くまでのことだ。 十数の細竹生い茂る陽の当たりにくい庭があり、ぼくと同居人たちとともに満月の夜のたびに屋上でジャパン・ルナソサエティをモヨーシていた。楠田枝里子や鎌田東二(65夜)や山尾悠子や南伸坊や佐藤薫がよく遊びにきていた。ここでぼくは、初めて萩尾望都(621夜)から山岸涼子までのセンレーをうけた。でもまだ、『ゴルゴ13』や

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