Webライターの木下です。 第6回は重症児者施設の歴史の続きです。 障害児本人とともに親の幸せにも目をむける 重症児施設の先駆者である3人の中でも、「島田療育園」の小林提樹は、行政に対して、積極的に働きかけて、制度の改革に大きな力を果たしました。とくに、1964年(昭和39)に発足した「全国重症心身障害児を守る会」の設立に深くかかわり、親の支えとなるとともに、親の力を借りながら、社会に広く現状を訴えていきました。 小林が家族への思いに目が開かれたのは、戦前のことでした。慶應義塾大学小児科助手となり、心身障害児の診療相談に当たっていた頃、1934年(昭和9)、東北から診療を求めてやってきた5人家族と出会います。 子ども3人はいずれも症例の異なる障害児でした。そして、診断を終え、後日故郷に戻ったその家族から「治らない障害であるとわかったら、心中する覚悟であった」という手紙を受け取ります。小林は
Webライターの木下です。 第3回からは戦後の施設の歴史についてです。 敗戦の翌年の1946年、日本は、天皇を主権者とする「大日本帝国憲法」から国民を主権者とする「日本国憲法」へと国の根本を改めました。戦前においては、国家の役に立つ臣民を育成することが国家の役割でしたが、戦後においてはすべての国民が文化的な生活を送り、幸せを追求できるように、社会福祉、社会保障および公衆衛生の向上・増進に努めるのが国家の役割に変わります。 戦前においては、労働力としても兵力としても期待されていなかった知的障害者は、一部の障害の軽い者だけが教育を受けることができただけで、ほとんどの者は社会参加の道は閉ざされ、片隅に追いやられていました。しかし、戦後においては、福祉の対象として意識され、法律的・制度的な福祉措置が講じられていくようになります。 最初に手を差し伸べられたのは、戦前同様に子どもたちでした。 戦争孤児
404 NOT FOUND 指定されたページかファイルが見つかりません。 指定されたページかファイルは削除されたか、アドレスが変更された可能性があります。 MANTANWEBトップページへ戻る
■舞鶴の社福法人・みずなぎ学園 障害者への理解を深めてもらおうと、社会福祉法人みずなぎ学園(舞鶴市鹿原)が絵本「ぬーたんがとぶ日」を制作した。府の鳥・オオミズナギドリの「ぬーたん」を主人公に飛び立つのが苦手でも、助けがあれば飛べることを表現した。同園の鈴木令子園長は「『ぬーたん』と(登場人物の)少年から支え合うことの大切さを感じてほしい」などと話している。 同学園では、知的障害者ら約250人が通所施設や入所施設を利用。「ぬーたん」は利用者の30代の女性が描いた鳥のキャラクター。利用者が刺繍(ししゅう)などをつくる度に「これ縫(ぬ)うたんや」などと話していることにちなみ、キャラクターを「ぬーたん」と命名した。 オオミズナギドリは舞鶴市沖の国の天然記念物・冠島に生息。地面から飛び立つことができず、斜面を走ったり、高い場所から飛び降りたりしないと飛ぶことができないとされる。 絵本では、ハンディキ
食品トレー、弁当・総菜容器を製造するエフピコ【7947】は、平成29年1月1日を効力発生日として、完全子会社で特例子会社(障がい者の雇用の促進等に関する法律第44条)のダックス四国が、同じく完全子会社で特例子会社のダックス(以下「ダックス(千葉)」)、ダックス佐賀、茨城ピジョンリサイクル(以下「茨城ピジョン」)と合併し、存続会社の商号を「エフピコダックス」に変更すると発表した。ダックス四国を存続会社とする吸収合併となり、ダックス(千葉)、ダックス佐賀、茨城ピジョンは解散する。 エフピコグループは、昭和61年のダックス(千葉)の設立とともに、障がいのある人の雇用を本格的に開始。平成7年ダックス四国、平成18年ダックス佐賀、平成21年茨城ピジョンと特例子会社4社を設立し、更に平成19年には就労継続支援A型事業所認定を受けたエフピコ愛パックを設立して、平成28年3月末時点での障がいのある従業員数
ダウン症のある子どもとその親たち約500人が、「本当の姿を知ってもらいたい」と初めて公道をパレードすることになりました。 龍円愛梨さん:「パレードという形で、皆さん見て下さい。見ていいものなんですよ。私たち可哀想じゃないんですよ。幸せなんですよ。ということを伝えたかったんです」 パレードは13日に東京・渋谷で開催されます。ダウン症への理解を求めるイベントはこれまでにもありましたが、公道をパレードするのは今回が初めてです。主催する母親らは「ダウン症のある子は可哀想だと思われているが、笑顔が素敵で人を明るくするような子どもたちだということをパレードを通じて見てもらいたい」と話しました。4年後のパラリンピックに向けて、ダウン症に限らず障害のある人を持つ家庭への法的な支援についても、国や自治体などに求めていきたいとしています。会見では、ダウン症の娘を持つ空間デザイナーの女性がデザインしたダウン症啓
Webライター木下です。後編も滝乃川学園・常務理事の米川覚さんの発言を中心にご紹介します。 「ここは入所型の施設ですが、最初からそれを目的としてきたのではなくて、目の前のニーズに対応する中で、そのように変わってきただけなのです。知的な障害があっても、地域で暮らすことを本人が望んで、その条件が整うなら、それがいいに決まっています。いま成人部の入所施設には80人が暮らしていますが、うちが運営するグループホームには130人が暮らしています。施設の人数と地域で暮らす人数が逆転しているのです。そして、直営のグループホームで暮らす人の半分は重度の人たちです。地域で暮らせると判断したら、むしろ私たちは地域移行を奨励するようにしています」 知的障害者の親は、本人が家族のもとや施設で暮らすことには理解を示しますが、自立して暮らすことには不安を抱く人が多いと言われています。米川さんたちがグループホームでの生活
優生思想や氏名非公表テーマ 知的障害者でつくる当事者団体「ピープルファースト」が21、22日、横浜市中区海岸通1の大さん橋ホールなどで全国大会を開き、相模原市の障害者施設殺傷事件で亡くなった19人を追悼する。事件を受け、話し合うテーマを優生思想や、被害者の氏名が公表されない問題などに変更した。実行委員会は「事件にみんな怒っている。集まって意見を言い合い、励まし合いたい」としている。【福永方人、蒔田備憲】 ピープルファーストは、米国で開かれた知的障害者の会議で少女が「私たちは障害者である前に人間だ」と発言したことをきっかけに生まれた。世界各地に組織があり、ピープルファーストジャパンは奈良県に事務局を置く。全国大会は22回目で、神奈川での開催は初めて。全国から約1000人が参加する。
「障害者福祉の父」として知られる故・糸賀一雄氏が、知的障害者らが入所する公的福祉施設「近江学園」(滋賀県湖南市)を創設してから、今年で70年。「この子らを世の光に」という糸賀氏の理念には、「どの子供たちも生まれながらに輝く素材を持っている」との意味が込められている。相模原市の障害者施設「津久井やまゆり園」で入居者19人が刺殺された事件から26日で1カ月。同学園の職員らは改めてこの言葉の重みをかみしめている。 「そーっと、そーっと」「手を切らないよう気をつけて」。今月上旬、同学園木工科の授業。職員らのアドバイスに従って生徒たちは真剣な表情でのこぎりを動かす。作業が一段落すると笑みがこぼれた。 同学園には約70人の生徒が入所している。中学校を卒業すると、木工科や窯業科などに所属し、就業に向けて技能を磨いている。木工科では木工製品、窯業科では粘土を使って茶碗(ちゃわん)や造形作品を作る。 同学園
東北地方の重度障害者施設に勤める40代の男性の腕にはいくつも傷がある。右前腕部が多く、取材した日は赤い傷が五カ所ほど。暴れる利用者が爪を立てたり、たたいたりした痕だ。かみつかれて血が出たこともある。 「反応すればさらに興奮するから、平然と対応するように教わった。押さえつけるわけにはいかず、他の利用者にけがをさせてもいけない。職員がけがをしてでも盾になるしかない」 約50人の利用者が暮らす入所施設で働く。担当するのは約20人いる最重度の人たち。利用者が暴れるのは毎日のことだ。 福祉を志して、今の施設に勤め始めて1年近く。理想を持ってはいるが、24時間を超える宿直が明けるとぐったりする。疲労でケアが乱雑になる日もある。 「保護者の疲れきった表情、施設で働いている職員の生気の欠けた瞳」 津久井やまゆり園で起きた事件で逮捕された植松聖(さとし)容疑者(26)は、衆院議長に宛てた手紙にそう書いた。そ
厚生労働省によると、神奈川県の指定管理施設である「津久井やまゆり園」のような障害者向けの施設入所支援サービスを提供する事業者は、昨年3月時点で全国に約2600ある。利用者は13万2千人余り。 事業者は障害者総合支援法に基づき、重い知的障害があって常に介護が必要な人らを長期間受け入れ、入浴や排泄(はいせつ)、食事の介助といった福祉サービスを提供する。津久井やまゆり園では、普段は自宅で暮らす障害者を短期間受け入れるサービスも実施していた。 厚労省が2014年に実施した調査によると、障害者の身の回りの介助をする施設職員(生活支援員)の年収は常勤で約330万円、非常勤では約190万円だった。 事件を受けて、厚労省幹部は「再発防止策を検討したい」と話している。
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く