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ブックマーク / reki.hatenablog.com (111)

  • インド軍事史の英雄十人 - 歴ログ -世界史専門ブログ-

    華々しく派手な活躍をしたインド軍のレジェンド 「お国柄」を知る方法は様々ですが、「英雄」と言われている人を調べてみることは一つ面白い手段だと思っています。 例えば戦争の英雄を調べると、集団としての民族の感情や、歴史的な課題、コンプレックスが見えてきます。 今回はインド軍事史の英雄をみることで、インドという国のお国柄を探っていこうと思います。 1. ソムナート・シャルマ(1923~1947) わずか50人でパキスタン軍500人の攻勢を防ぎ戦死 ソムナート・シャルマ少佐は、第一次印パ戦争(1947年10月〜1948年12月)にて、開戦直後の1947年11月のカシミール作戦での勇敢な行動が評価され、死後にインド軍の最高勲章であるパラム・ヴィール・チャクラ勲章を授与されました。 1947年11月3日、シャルマ少佐の中隊50名は、カシミール谷のバドガムへの戦闘パトロールを命じられ、夜明けに目的地に到

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  • ルクセンブルクの歴史ー翻弄される小国から国際協調の大国へ - 歴ログ -世界史専門ブログ-

    西ヨーロッパの小国の激動の歴史 ルクセンブルクはドイツ、ベルギー、フランスと国境を接する内陸国で、面積は2,586平方キロメートルと神奈川県よりやや大きい程度。 政体としては立憲君主制に基づく議会制民主主義で、大公により統治される世界で唯一の「大公国」です。 小国のためあまり馴染みはありませんが、いわゆる「ベネルクス三国」の一翼として欧州連合(EU)の中核であり、欧州投資銀行や欧州会計監査院といった国際機関が拠点を構える国です。 こんな小さな国がなぜ起り、国を維持でき、そして国際政治の中心的な存在となりえているのでしょうか。 1. ルクセンブルク伯の設定 ルクセンブルク家の祖アルデンヌ伯ジークフリート 現在のルクセンブルクが一つの地域として成立したのは、963年にアルデンヌ伯ジークフリートがトリーアの聖マクシミアン修道院と契約を交わし、現在のルクセンブルク市旧市街付近にあたるリシュリンブル

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  • パッタイの歴史 - 人工的に作られたタイの国民料理 - 歴ログ -世界史専門ブログ-

    Photo by Terence Ong 「タイの国民料理」という使命を持った人工的国民 タイ料理の定番であるパッタイ。 歴史は古くなく、誕生したのは1940年ごろのことです。パッタイは時の権力者により、明確な政治的意図をもって作られ広められた料理です。パッタイ(Pad Thai=タイ炒め)という名前が象徴するように、その成り立ちや拡がりの過程は非常に近代的かつ人工的であります。 1. パッタイとはどんな料理か スーパーマーケットでもガパオライスやトムヤムクン、グリーンカレーといったレトルト品が並び、タイ料理は市民権を得て、いまや日人の日常の一部となっています。 パッタイもスーパーのお惣菜に並ぶほどですが、特にこだわりがないお店だと、「タイ風の味付けをした焼き麺料理」は全部パッタイと呼んでしまう傾向があるようです。ですが、タイの焼き麺料理はパッタイだけではなく、色々種類があります。

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  • カナダ軍事史の英雄十人 - 歴ログ -世界史専門ブログ-

    あまり知られていないカナダの英雄兵 国にはそれぞれ独自の歴史があり、独自の文脈があります。 その中で、その国では高く評価されてるけど他国にはあまり知られていない英雄という人物が必ずいます。 ローカルな英雄兵をピックアップするシリーズを書いていこうと思います。 第一回はカナダ篇です。 1. レオ・メジャー(1921-2008) Photo by Jmajor 二度の戦争で二度の特別功労勲章を得た男 レオ・メジャーはフランス系カナダ人の軍人。 1940年に19歳でカナダ軍に志願し、1941年に西部戦線に合流。1944年6月のノルマンディー上陸作戦に従軍しました。ノルマンディーでの戦闘で彼は4人のドイツ兵を殺害しますが、手榴弾の爆発で片目を喪失。しかし、偵察隊と狙撃隊として従軍を続けました。 1945年4月13日、オランダ東部ズウォレの奪還戦で夜中にたった1人、町を占領するドイツ軍を戦闘を繰り広

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  • 「反捕鯨」の国際世論はどのように形成されたか - 歴ログ -世界史専門ブログ-

    「可哀想」「環境破壊」だけではない、反捕鯨世論構成の歴史 捕鯨問題は日が欧米諸国と感情的に対立するテーマの一つです。 欧米側は、鯨は絶滅寸前であり捕獲は自然破壊であるし、そもそも鯨は知性のある生き物であるため捕獲するのは非人道的であると主張します。 一方で日側は、シロナガスクジラなど希少な鯨以外は増加しており、捕鯨は自然破壊にはまったくあたらないし、捕鯨文化は日の伝統であるため止めることは文化の破壊であると抵抗します。 様々な思惑が交錯する捕鯨問題はなぜこじれたのか、その歴史を整理したいと思います。 1. 資源としての鯨 昔から世界中の漁民の間で鯨漁は盛んでした。 伝統的に鯨を捕獲してべることで知られるのは日人、北米先住民、アイスランドやノルウェーなどノルディックの人々ですが、他にも捕鯨文化は広く存在します。 インドネシアのスラウェシ島東部・レンバタ島南海岸のラマレラ村には、伝統

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  • マヨネーズの歴史 - 歴ログ -世界史専門ブログ-

    Photo by jules フランスの伝統的なソースから世界中で愛される調味料へ 料理をしなくて冷蔵庫が空っぽでも、マヨネーズは常備しているという人は多いのではないでしょうか。 肉・魚・野菜・炭水化物、何にでも合う基の調味料の一つですが、もともとはフランス生まれ。格的なフランス料理に用いられる伝統的なソースの一つでした。 マヨネーズの起源から世界への普及までまとめていきます。 1. マヨネーズの起源とは マヨネーズの起源にはいくつか説がありますが、定説というものは存在しません。 もっとも有名なものが、七年戦争中の1756年6月28日、フランスのリシュリュー公爵が現在のスペイン・メノルカ島にある港町マヨンを陥落させた時のエピソードです。 勝利の祝宴の準備をする際、公爵のシェフはソースを作ろうとしたもののクリームが手に入らず、代用としてオリーブオイルを使いました。果たしてそれが意外に旨く

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  • 「黒い聖母」と中南米の民衆カトリシズム - 歴ログ -世界史専門ブログ-

    土着の宗教とカトリックが混ざった独自の信仰が生まれた中南米 「民衆宗教」とは、一般の人々に広まって信じられている宗教で、社会の支配層が定めた教義や儀礼ではなく、なんとなく広まっている、組織化されていない教義や儀礼を信仰する宗教のことを言います。 南米では、支配者のスペイン人によってカトリックがもたらされましたが、アメリカ原住民の土着の宗教と、アフリカから奴隷として連れてこられた黒人の部族宗教が根強く、これらのローカルな宗教が土台にありその上にカトリック信仰がかぶさるという独自の信仰体系が生まれました。この南米の民衆宗教を「民衆カトリシズム」と呼びます。 1. 南米の民衆カトリシズムとは 1492年のコロンブスの新大陸到達以降、スペインとポルトガルによって征服が進み、同時にカトリック信仰の南米への伝導活動も進んでいきます。伝導の仕方はさまざまで、初期の修道士や司教のような教育・経済・芸術的な

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  • テディベアの歴史 - 歴ログ -世界史専門ブログ-

    畏敬の対象から愛玩動物へ 熊は古代ヨーロッパでは畏敬の対象でした。戦士は熊の皮を被って戦いにいきパワーを得ようとしたし、家には骨や首などを飾って魔除けとしました。 中世以降は熊は庶民ではサーカスの動物として人気者になり、王侯貴族の間では狩猟の対象として人気となりました。ですが長い間、熊をぬいぐるみやおもちゃなどにする習慣はなく、19世紀以降のことです。 1.  セオドア・ルーズベルトの小熊撃ち 「テディベア」という名前は、アメリカ第26代大統領セオドア・ルーズベルトにちなんだニックネームであることはよく知られています。 1902年の秋、狩猟愛好者であったルーズベルトは、ミシシッピ州の森で熊狩りを行いました。しかし首尾が悪く獲物が得られませんでした。 気を利かせた側近たちは、子熊を放して大統領が撃てるように手はずを整えました。ところがルーズベルトは「そのような無防備な動物を殺すのはスポーツマ

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  • 感染症の薬を開発し多くの命を救った医学者列伝 - 歴ログ -世界史専門ブログ-

    人類の脅威に立ち向かってきた偉大な医学者たち 2021年現在も新型コロナウイルスは全人類の脅威であり、世界中の医療従事者がこの強力なウイルスと日夜を問わず戦っています。心から感謝申し上げなくてはなりません。 また、世界中の製薬会社や医学者たちが、新型コロナウイルスに有効なワクチンや製薬の開発、科学療法や物質の発見を急いでいます。感染症・伝染病に対するワクチンとしてはこれまでにないスピードで開発・治験・接種が進んでいます。ゲノム解析が完了してから1年も経っておらず、驚くべきことです。 このような医療技術の発展も、これまでの先達の医学者たちの研究があってのことです。今回は歴史上の偉大な、感染症の特効薬を発明した医学者たちをピックアップしてみます。 1. エドワード・ジェンナー(イギリス)1749-1823 史上初のワクチンである天然痘ワクチンの発明 エドワード・ジェンナーはイギリスの医師。天然

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  • レソト王国の歴史-レソト建国から英領バストランドの成立- - 歴ログ -世界史専門ブログ-

    アフリカ南部の小山岳国家の歴史 レソト王国という国をご存じでしょうか。 世界地図が好きな人はたぶん知っていると思います。南アフリカの中に埋没するようにある内陸国です。 なぜこのような小国が存在できているのか、その歴史を追っていきたいと思います。 1. 「アフリカの天井」「アフリカのスイス」 題に入る前に基的なレソト王国の知識のキャッチアップです。 レソト王国は南アフリカ共和国の領土内に取り囲まれた内陸国。国王を戴く立憲君主制の国です。 国民の大半はバンツー系のソト人で、人口は210万人。 面積は約3万平方キロメートルと、四国の約1.6倍程度の大きさ。国土の大半はドラケンスバーグ山脈の険しい山岳地帯で、最高峰は3,482メートル。これはアフリカ南部の最高峰です。それ故、レソトは「アフリカの天井」や「アフリカのスイス」などと呼ばれています。 産業は乏しく、主産業は繊維産業、農業、建設業です

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  • 電子レンジの歴史 ‐軍事用レーダーからキッチン家電へ- - 歴ログ -世界史専門ブログ-

    「20世紀のキッチン革命」電子レンジの歴史 電子レンジが家にない人はそういないと思います。 料理はしない人も買ってきたお惣菜やお弁当を温めることはあるはずで、シンクやコンロよりも電子レンジを使う機会のほうが多い、という人もいるのではないかと思います。 電子レンジが発明されたのは1945年のことです。第二次世界大戦期のレーダー技術開発の副産物として生まれた電子レンジは、20世紀のキッチンに革命を起こした偉大な発明となりました。 1. 高周波電界で材を温めるアイデア 火を使わないのに、電子レンジの中に置いておくだけでべ物がホカホカにあったまるのは、とても不思議な現象に思えます。 原理を簡単に説明すると、マグネトロンという真空管の一種から発せられるマイクロ波が材中の極性を持つ水分子にエネルギーを与えて振動させて熱を発することにより、材を温めるというものです。水分を含むものであればなんでも

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  • 2020年に読んでおもしろかった本10冊 - 歴ログ -世界史専門ブログ-

    歴史に残る2020年」に読んだものたち 2020年もそろそろお終いです。 今年は新型コロナの影響で 在宅時間が増えて、読書時間が増えた人も多かったのではないでしょうか。そんな私は図書館にしばらく行けなくて、ネット書店でのお取り寄せ頻度が去年比で2倍以上になりました。 図書館にあるやや古いではなく、比較的新しく出たを読む機会が増えたわけです。せっかくですので、2020年に読んだで面白かったものを10冊紹介してみます。 1. 『タイのかたち』 赤木攻 めこん  2019/10/25 ¥2,750 このは今年の1月に書評を書きました。 タイトルの通りタイ王国の歴史に関するなのですが、一般的な通史ではありません。 いかにタイという国が多民族な国家で、異なる地域の集合体であるかが強調され、それゆえ近代以降に歴史文化を「創り上げる」必要があったかが説明されています。 普通に通史を読むだけ

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  • 中世ポルトガルの歴史 -ヨーロッパの辺境から海洋帝国へ- - 歴ログ -世界史専門ブログ-

    Photo by Abelson どうやって辺境国ポルトガルは海洋帝国になったのか ポルトガルは1143年に、カスティーリャ=レオン王国から独立してできた国です。 もともとはレオン王国の前身であるアストゥリアス王国のアルフォンソ3世が9世紀半ごろからアル・アンダルスの内乱の隙を狙ってガリシア人の農民を入植させ、ポルトゥカーレ伯領を設立したことに始まります。 ポルトガルは長年ヨーロッパの辺境、言葉を選ばずに言うと超ド田舎国だったわけですが、15世紀から大航海時代の先駆者として時代を先駆けていく存在になっていきます。 今回は大航海時代以前、どのようにポルトガルという国が作られていったかをまとめていきます。 1. ポルトゥカーレ伯領からポルトガル王国へ Image by  Basilio ポルトゥカーレ伯領の拡大 711年、アラブ帝国の将軍ターリクによって西ゴート王国が崩壊しました。 ペラーヨを

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  • 【2020年12月版】世界史関連の新刊45冊 - 歴ログ -世界史専門ブログ-

    2020年9月〜2020年12月の世界史関連の新刊の紹介 いろんなことがありすぎた2020年も終わりに近づいています。 新型コロナはさまざまな影響を社会にもたらしましたが、人々がステイホームした影響で書籍の売り上げが好調らしいです。怪我の功名というか、せっかく得た読書の時間を今後も皆が維持していってほしいものです。 さて今年最後の新刊紹介参ります。 1.『古代メソポタミア全史ーーシュメル、バビロニアからサーサーン朝ペルシアまで』 小林登志子 著 中公新書 2020/10/21 人類初の文明は5500年前のメソポタミアに生まれた。灌漑農業、都市、文字など、現代でも必須な文明の要素は全てこのときにシュメル人が発明した。その後、「目には目を」で名高いハンムラビ王、初の世界帝国を築いた新アッシリアのアッシュル・バニパル王、「バビロン捕囚」で悪名高いネブカドネザル二世など数々の王たちが現れ、様々な民

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  • 「幸せの国」ブータン王国の歴史 - 歴ログ -世界史専門ブログ-

    ヒマラヤの山岳小国の歴史 ブータンという国名の由来は二つあります。 一つ目はサンスクリット語の「ボータンガ(チベットの手足)」から来ているという説。もう一つが同じくサンスクリット語で「ボーターンタ(チベットの辺境)」から来ているというもの。いずれにせよ、ブータンはチベットの外縁として成長した国です。 ちなみにブータンの共通語ゾンカ語では国名を「ドゥク・ユー」と言います。これは「ドゥク派の国」という意味で、チベット仏教のドゥク派のことで、ブータンという国の成り立ちを端的に表した国名です。 1. ドゥク派のブータン定着 仏教のブータン到来 ブータンの歴史は国名の通りチベット仏教と密接な関係があります。 ブータンに仏教が伝わったのは7世紀、チベットを統一し仏教を導入したソンツェン・ガンポの時代であると言われています。当時のブータンは小さい地域ごとに首長が統治しており、中央政府は存在しませんでした

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  • 中東の伝統料理「フムス」をめぐる歴史と戦争 - 歴ログ -世界史専門ブログ-

    Photo by Paul Goyette 愛ゆえに人は苦しまねばならぬ、愛ゆえに人は悲しまねばならぬ フムスという料理をご存じでしょうか。 トルコ料理やシリア料理などでメゼ(前菜)として出される料理の一種で、ひよこ豆のペーストにタヒニ(ごまペースト)、にんにく、オリーブオイル、レモン汁を加えたもの。 中東圏を中心に、バルカン半島や東地中海沿岸地域でよくべられています。 中東ではあまりに愛されすぎて、民族主義と結びつき、「フムスは我々のものだ」としてアラブ人とユダヤ人の間で抗争が繰り広げられています。 1. フムスとはなにか フムスは、ホムス、フンムス、ホンムスなどと言われることがあります。 どの呼び方でも基の作り方は同じで、 ひよこ豆のペーストにタヒニ(ごまペースト)、にんにく、オリーブオイル、レモン汁を加えてペースト状にしたものです。 レシピは非常にシンプルですが、豆の煮る時間、ペ

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  • 強制収容所・人種差別と闘った日系アメリカ人 - 歴ログ -世界史専門ブログ-

    様々な形で「収容所」を克服しようとした日系アメリカ人たち 第二次世界大戦中、日系アメリカ人がアメリカ政府の政策により強制収容所に収容されたことは非常によく知られています。 日系人に対する不当な扱いは後に問題視され、1989年に大統領ジョージ・H・W・ブッシュは、存命中の元収容者に対して謝罪と賠償金の支払いを行うことを表明しました。 戦後40年以上たってようやくアメリカ政府が過ちを認めたその背景には、収容所を生き延びた日系アメリカ人の人々の協力で粘り強い働きかけ、そして社会的な成功があってのことでした。 今回は非常に高名な日系アメリカ人で、日系や社会的弱者の地位向上、差別の撤廃を目指す運動など、それぞれの形で「祖国アメリカ」と向き合った人物をピックアップします。 1. ゴードン・ヒラバヤシ(1918-2012) Photo by "Image courtesy of the Koremats

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  • ノルマン人の南イタリア征服 -ノルマン朝シチリア王国の成立- - 歴ログ -世界史専門ブログ-

    南イタリアの支配者となったヴァイキングの末裔たち 西ローマ帝国崩壊後、現在の西ヨーロッパと北アフリカはゲルマン系民族によって大部分が占領されました。 イタリア半島ではオドアケルの王国を廃した東ゴート王国が建国されましたが、東ローマ帝国によって倒され再び皇帝の下に再統一されました。しかし6世紀半ばにロンゴバルド族が北から侵入してロンゴバルド王国を築きますが、彼らはイタリア半島を統一できず、北イタリアとスポレート公国、ベネヴェント公国を支配しました。一方で東ローマ帝国はシチリアやカラブリアをはじめ、断片的な領土を支配しました。 その後、ロンゴバルドと東ローマ帝国の領土からは都市国家や公国が分裂していきます。このような複数の勢力が対立する政治的状況が、北方のノルマン人が南イタリアに地盤を築く機会を提供することになります。ノルマンディからやってきたロベール・ギスカールや弟のロジェール一世、息子のロ

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  • キーボードの歴史 - なぜQWERTY配列が定着したのか - 歴ログ -世界史専門ブログ-

    なぜキーボードはQWERTY配列が一般的になったのか 我々が使うパソコンのキーボードの配列は、よほどこだわってない限りQWERTY(クワーティ)配列になっていると思います。 別に何かルールで決まっているわけではなく、単に世界中に広く普及しているだけで、色々な配列が世には存在し、こだわりを持つ人も多くいます。ですが、会社や学校で支給されるパソコンはQWERTY配列なので、いくらこだわりがあっても逃げられない感があります。 QWERTY配列が生まれたきっかけは、タイプライターの性能がよくなく、頻出するキーが近い位置にあると機械が故障するため、わざと頻出キーを遠くに配置しているという説が根強くありますが、この説は現在は疑問が呈されています。 1.  QWERTY配列=タイプライターの故障を防ぐため説 QWERTY配列は文章を打つ際の配列としては効率が悪く、一般的にタイピングの速度が遅くなると言わ

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  • フランコ独裁体制下のスペインの歴史 - 歴ログ -世界史専門ブログ-

    硬直したカトリック保守体制の正体 スペインは1975年まで軍人フランシス・フランコの長期独裁体制下にありました。 当時のスペインはカトリック信仰に基づいた保守的・家父長的な規範が推奨され、国が隅々まで国民を監視し行動や発言、表現に介入してくる極めて息苦しい国でした。スペインは現在は世界でもっともフェミニズム運動が盛んな国の一つなので隔世の感があります。 フランコ独裁体制のスペイン歴史と社会についてまとめていきます。 1. フランコ将軍の反共和国反乱 右派と左派の対立 1930年に成立したスペイン第二共和政では、基的人権の保障と農地改革の実施が公約に掲げられました。特に農地改革は待ったなしと言われ、農民の悲願でした。 政府は労働者・農民保護のための様々な政策を打ちますが、一部の労働者・農民は政府の対応は生ぬるいとさらに急進的な方策を求め反乱を起こしたため国内の治安が悪化します。 治安の悪

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