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2015年11月20日のブックマーク (14件)

  • 幕末から明治時代にかけての日本の光景が鮮明に蘇る!日下部金兵衛が手掛けた「着色写真」 (2015年11月19日) - エキサイトニュース

    日下部金兵衛という人物がいた。幕末から昭和まで、激動の時代を生き抜いた写真家で、1863年(文久3年)頃から、横浜のフェリーチェ・ベアトのスタジオで写真の着色技師として働き始め、1912年まで当時の写真家たちのネガを引き継ぎ、手作業で着色作業を行っていた。 金兵衛が仕上げた着色写真は外国人の土産用として大変人気があったそうだが、それらの写真は現在、ニューヨーク公立図書館デジタルコレクションに102枚(うち1枚は写真アルバムの表紙)が公開されており、無料でダウンロードすることができる。 その一部をのぞいてみよう。 山口県岩国市錦帯橋 [画像を見る] 京都 祇園 [画像を見る] 大阪の劇場 [画像を見る] 神戸 摩耶山 [画像を見る] 北海道、アイヌ [画像を見る] 中山道、追分 [画像を見る] 群馬県渋川市伊香保温泉 [画像を見る] 半田川 [画像を見る] 日光、中禅寺湖 [画像を見る] 東

    幕末から明治時代にかけての日本の光景が鮮明に蘇る!日下部金兵衛が手掛けた「着色写真」 (2015年11月19日) - エキサイトニュース
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    schrift 2015/11/20
  • 雑誌「デザイン」は美術出版社。「グラフィックデザイン」は講談社△  | 夏目書房ブログ 古書古本美術品 販売 買取 神保町 ボヘミアンズ・ギルド

    どうもこんにちは。 ただ今次号古書目録の編集中です。「ボヘミアン通信」39号ご期待ください。 さて、ボヘミアンズ・ギルドに60、70年代の雑誌がたくさん入荷しました。 とくに「デザイン」(美術出版社)、「グラフィックデザイン」(講談社)はかなりまとまっての入荷です。 せっかくなのでいくつかおすすめ号を。 ▶「デザイン」 ●デザイン 1967年5月号 No.96 特集:横尾忠則の人と作品 灘唯人表紙デザイン 田中一光/原弘/木村勝他 1967年/美術出版社 ●デザイン 1967年5月号 No.100 特集:宇野亜喜良の人と作品/真鍋博の眼・モントリオール万国博 神田昭夫表紙デザイン 木村恒久/山名文夫/草森紳一他 1967年/美術出版社 ●デザイン 1968年11月号 No.115 特集:高梨豊の人と作品 福田繁雄表紙デザイン 永井一正/柳宗理/草森紳一/宇野亜喜良他 1968年/美術出版

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    schrift 2015/11/20
  • http://galeriecont.cin.nihon-u.ac.jp/dat/2014-1-12_sudo_BAUHAUS.pdf

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    schrift 2015/11/20
  • 写真週報 - Wikipedia

    361号と362号、364号と365号、369号と370号、および、374号と375号が合併号であるため、全体で371冊が刊行されたことになる。 通常は毎週1号が刊行されているが、年末年始など1週間があく場合もある(45号と46号、96号と97号、148号と149号、252号と253号、299号と300号、302号と303号、314号と315号、352号と353号、360号と361/362合併号、363号と364/365合併号、364/365合併号と366号、368号と369/370合併号、それぞれの間)。なお、371号以降は旬刊になった。 通常は、水曜日の日付(昭和13年2月16日~)が発行日として表紙に記載されているが、145号(紀元二千六百年祝典臨時号)のみは「昭和15年11月30日」で、土曜日となっている。(144号は「昭和15年11月27日」、146号は「昭和15年12月4日」で

    写真週報 - Wikipedia
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    schrift 2015/11/20
    “写真週報”
  • Creating a book series "bible" using Scrivener, Scapple, and Aeon Timeline

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  • 戦略経営研究所 ポータルサイト

    コンタクト 資料や技術に興味がある方はまずはご連絡ください。 メールでのお問い合わせを受け付けております。

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    schrift 2015/11/20
  • 戦略経営研究所 ポータルサイト

    凸版印刷45年を振り返って(1/8)PDF 河野通 まえがき 私は1953年京都大学工学部工業化学科古川淳二教授の講座を卒業して凸版印刷会社の当時の大阪支社に入社した。学制が変わり旧制と新制の二つの学年が同時に卒業した。朝鮮動乱が休戦になり、特需景気が去り、不景気のどん底の時期だった。大学では旧制の卒業生は就職の面倒をみるが新制までは手が回らない。自分で就職口を探せと言われたことも、今では昔日の思いがする。 同時に入社したのは、岩田 裕、磯島一嘉、山矢 良、若園和昭、真多 博、木佐一哲郎、小寺 勝、油谷省三、北野利春、松村清助、大前 某、藤田 某の13名で、技術は6名、他は文系であった。京都大学4名、大阪大学2名、神戸経済大1名他と多彩な顔ぶれであった。2名が往職中に亡くなり、2名が途中退社している。ちなみに東京では藤田弘道、別所敬衷、木下伸二、川瀬一雄、小倉秀文などの諸氏が同期である。

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  • 戦略経営研究所 ポータルサイト

    稿は同志社大学経済学部オープン講座「科学と技術」プレゼンテーション資料に口頭で話したことなどを含め若干加筆訂正したものである。なお、使用の画像は特に記載のもの以外は凸版印刷・印刷博物館提供による。しかし、著作権の問題については引用している画像、図について、インターネット上で公開する使用許可を得てはいないが、使用目的に鑑み、お許し願いたい。 プロローグ 特集「世界の100大発明・出来事」 1997年秋:英ライフ誌表紙 同ライフ誌での 1位は1455年のグーテンベルグによる活版印刷の発明 2位は1492年のコロンブスのアメリカ大陸到達 3位は1517年のルターの宗教改革 印刷文化論 グーテンベルクの銀河系 日の印刷文化 Being Digital 印刷について3つに分けて話したい。 まずメディアの担い手である印刷が果たした文化的役割、それをヨーロッパ社会においてグーテンベルク以降のいわゆる

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    schrift 2015/11/20
  • 戦略経営研究所 ポータルサイト

    平野富二(中央) 一八五三年のペリー来航から二十年後の一八七三年(明治六年)平野富二1が築地に長崎新塾出張活版製造所を下谷から移転拡張し、開業した。このときから日の活版印刷は事業としてスタートした。 それをさかのぼる二十年あまりの間、金属製鋳造活字による活版印刷技術を開発するために多くの人々が競い合い、ある人は成果を生み出しながら消え去っていった。ここではこの時代背景と先人の努力をたどり、その成否についても考えてみたい。

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    大阪の明治・大正・昭和初期のカラー印刷(1/8) 市田幸四郎とその時代(1885~1927年) 元凸版印刷株式会社専務取締役 河野通 稿は2007 年7 月、印刷学会西武支部セミナーでのプレゼンテーション資料を加筆訂正したものである。加筆訂正に際しては戦略経営研究所・前田勲男氏に協力をお願いした。使用した画像などは特に記載のもの以外は凸版印刷・凸版印刷印刷博物館提供による。また画像などをインターネット上で公開することについて許可は得ていなが、使用目的に鑑み、お許し願いたい。(2009年11月) はじめに 先に「印刷 文化と文明とのかかわり」(1)において、メディアの担い手としての印刷が果たした文化的役割について、まずヨーロッパ社会においてグーテンベルグ以降のいわゆる「グーテンベルグの銀河系」と呼ばれる人類文明に果たした成果と影響を辿り、次に東洋では、それがどのように展開し何をもたらしたの

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  • アルフォンス・ミュシャ 作品の紹介・画像

    ウィーンやミュンヘンで舞台装置の仕事などをしていた。 パリに出てからは、挿絵の仕事などをしていた。 1895年、大女優のサラ・ベルナールの正月公演『ジスモンダ』のポスターが元旦に貼り出された。そのポスターは一大センセーションを巻き起こし、ミュシャはこれを機に、シェレ、ロートレック、グラッセなどと並ぶアール・ヌーヴォーの代表者となった。 19世紀末のフランスは、普仏戦争やパリ・コミューンを経て、産業革命が進行し、都市は消費文化が栄えた。デパートのボン・マルシェがオープンし、シャ・ノワールやムーラン・ルージュなどの娯楽場が相次いでオープンした。女性たちはファッションに興味を持ち、サイクリングやスポーツ、レジャーが普及した。鉄道の発達は国内外の旅行を容易にしていった。 ベル・エポック(よき時代)と呼ばれる時代を迎えていた。 この時代は1900年のパリ万国博覧会を頂点として、1910年の第一次世界

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  • 小林美香のエッセイ「写真のバックストーリー」第1回ヘルベルト・バイヤー : ギャラリー  ときの忘れもの

    小林美香のエッセイ「写真のバックストーリー」第1回 ヘルベルト・バイヤー Herbert BAYER"Untitled" Herbert BAYER "Untitled" 1930年代(1970年代プリント) Gelatin Silver Print on baryta paper 37.7×29.0cm Ed.40(18/40) 裏面にサインあり 宙づりにされたマネキンの腕。しなやかに折り曲げられた腕と指先は、光のコントラストによって背景の壁面からくっきりと浮かび上がり、腕の中に抱え込まれた暗闇の中には、生身の体が潜んでいるかのような艶めかしい雰囲気が漂っています。 ヘルベルト・バイヤー(Herbert Bayer, 1900−1985)は、この作品を制作した1930年代には写真や絵画、グラフィック・デザインなど幅広い分野で活躍していました。この写真を撮った経緯には、ファッション雑誌のデ

    小林美香のエッセイ「写真のバックストーリー」第1回ヘルベルト・バイヤー : ギャラリー  ときの忘れもの
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    schrift 2015/11/20
  • コーラ白書

    コーク味のオレオか、オレオ味のコークか。シンガポールのFairPriceでOreo Coca-Colaを入手したのでべてみた。

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  • 広告代理店と交通広告の歴史 - ムサシノ広告社

    広告代理店は、商業・メディアの発展とともに存在し、繁栄してきたという長い歴史を持っています。 東京に広告代理店が誕生したきっかけは、広告主の新聞広告を代理で購入したことが始まりとされており、その後、ラジオ・テレビ・雑誌・新聞などのマス広告の誕生により広告代理店も大きく発展してきました。 また、東京などの大都市圏を中心とした交通機関の発達が、電車広告・駅広告・バス広告などの「交通広告」を誕生させ、人口の集中と商業の発達が、屋外看板・街頭ビジョンなど、「屋外広告」の価値を高めることになります。 今では「交通広告」「屋外広告」両方をあわせると雑誌広告やラジオ広告の広告費を上回るほどの市場規模に拡大しています。 当社広告ポータルサイトも是非ご参照ください! 広告代理店の歴史 世界的に見ると、広告代理店の歴史は、1800年頃のイギリスで始まったと言われています。 広告主から手数料をもらい、新聞広告の

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    schrift 2015/11/20