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ブックマーク / sumus.exblog.jp (23)

  • 賽の一振りは断じて…… | daily-sumus

    『ステファヌ・マラルメ 賽の一振りは断じて偶然を廃することはないだろう 原稿と校正刷 フランソワーズ・モレルによる出版と考察』(柏倉康夫訳、行路社、二〇〇九年三月二五日)が届いた。これは驚きの一冊。内容は雑誌『コスモポリス』に発表された「賽の一振り」と「序文」、その自筆原稿、そしてヴォラール版(出版されなかった)のための自筆原稿と校正刷(いずれもすべてカラーの写真版)、その活字化とモレル女史による解説、柏倉氏の「あとがき」。 とにかくマラルメの自筆原稿は凄いの一言。いや凄いではなくて美しいというべきか。それも整った美しさというのではなく名手のデッサンに見るような繊細な混沌をはらんだ逸品だ。 自筆原稿の6〜7

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    schrift 2020/08/15
  • 竹久夢二《デザイン》モダンガールの宝箱 | daily-sumus

    石川桂子『竹久夢二《デザイン》モダンガールの宝箱』(講談社、二〇一二年四月五日、デザイン=中川あゆみ)を頂戴した。『大正ロマン手帖 ノスタルジック&モダンの世界』と同じように図版でたたみかけてくる、まさに宝箱。夢二好きの泣き所をしっかりと押さえている。デザイナーとしての夢二をクローズアップした編集がいい。雑誌の仕事(知らない雑誌がいっぱい)、書籍装幀(知らない夢二装幀が何冊も!)、カット・イラスト(丁寧に拾い集められている)、絵葉書(もちろん生田誠さんの助力あり)、楽譜から商業デザインの数々。期待に応えながら期待を裏切る、新しい夢二の側面を見つけられるだろう。好著。 やはり個人的に注目したのは喫茶店資料。千疋屋の機関紙『fruits』のためのデザイン。上は一九二九年一一月号。書の表紙になっているのは『三越』の表紙画(大正十四年)だが、これもフルーツパーラーのようだ。アール・デコの様式を

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    schrift 2018/11/18
  • 衣裏宝珠鈔 | daily-sumus

    昨夜のトークライブ会場に行き着くまでに求めた、日政『衣裏宝珠鈔』(村上勘兵衛、一八八三年)。著者は日蓮宗の僧・漢詩人で、京都の深草瑞光寺を開山した。俗名は石井元政、姉は彦根藩主井伊直孝の側室・春光院……とこれは今調べたのだが、言うまでもなく内容に興味があったわけではない。 明治十六年刊の活版刷の書物、そこが重要なのだ。村上勘兵衛とは今も残る平楽寺書店である。慶長年間創業の版元で、明治十二年に同書店最初(?)の活版刷の書物『西京人物誌』を出版しているが、取り急ぎ、ざっと見たかぎりにおいて、その後、明治十五年十二月発行『小学珠算異乗同除・同乗異除』までは活版のはないようだ。それが十六年になると六月に二冊、九月に三冊刊行している。それ以外のは木版あるいは銅版である。 日おける近代的な活版印刷は、知っての通り、木昌造によって長崎で実現された。明治二年のことである。その後、木の弟子たちは三

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    schrift 2011/02/08
  • パノラマ「セダンの戦い」 | daily-sumus

    『浅草十二階』では「パノラマ」についてもかなり詳しく検討されているが、『書影でたどる関西の出版100』にも橋爪節也さんが大阪初のパノラマ館について書いてくださった。 《日最初のパノラマ館は、明治二十三年の第三回内国勧業博に登場し、半月後に浅草公園奥山に「日パノラマ館」が建設された。さっそく大阪にも翌明治二十四年、難波の阪堺線駅前にパノラマ館が開館する。現在の高島屋の道路を隔てた東側。出し物は、普仏戦争でプロイセン王国がフランス軍に完勝し、ナポレオン三世を捕縛した明治三年の「セダンの戦い」である。》 《翌明治二十四年、このパノラマ案内の一枚物が発売された。その編集兼発行者の園田一郎は、冊子の種子島時中と同じ鹿児島県士族で難波新地六番丁七番地に寄留。印刷者は東区南久宝寺町二丁目四十五番邸の水口龍之介。観客席から四周を眺めるように円形にイラストが描かれ、「パノラマ観覧順序」のガイドや、戦闘の

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    schrift 2010/09/22
     パノラマ館。
  • 大阪時事新報 | daily-sumus

    大阪時事新報』3804号(大阪時事新報社、一九一五年八月一三日)。京都滋賀版の朝刊四頁(一枚二つ折)。九十五年前の今日の日付だったので取り上げてみた。トップには欧州戦乱の報告が並び、なかにイギリスが空襲されたという記事がある。 《独飛行隊英国襲撃[ロイテル特電倫敦十日発] 英国海軍省の発表に曰く敵の飛行隊昨夜八時三十分より十一時三十分迄英国東海岸に来襲せるが発火性爆弾に依りて起これる若干の火災は時を移さず消し止められ謂ふに足らざる損害を惹起したるのみ然れども男子一名婦人八名子供四名は惨死し男子四名婦人六名子供二名負傷せり一隻のツエツペリン式飛行船は陸上よりの砲火に因り損傷を蒙れり云々》 ロイター通信に相当払っていたということは以前に少し書いた。京都滋賀版はさすがにローカル。京都市の不用土地払い下げ問題、京都府庁舎の修繕、大津市長候補に反対、二人殺し未捕縛、犬の買上など。 《京都府に於ける

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    schrift 2010/08/13
     「『大阪時事新報』3804号(大阪時事新報社、一九一五年八月一三日)」。
  • COULEURS | daily-sumus

    昨日の文房堂のカタログで思い出して引っ張り出してみた。フランスの絵具会社ブルジョワ・エネが一九一一年三月に発行した『価格表6 TARIF No.6』工業デザイン用の絵具と画材のカタログ。これは古屋ではなく京都のアンティーク・ショップで見つけたもの。少々お高かったが、珍しいと思って買った。 ブルジョワ・エネ(BOURGEOIS AINE)という会社は一八六七(慶応三)年にパリで創業した。「危険のない絵具」を売りとして学校関係に販路を拡げたという。一九六五年に老舗のルフランと合併してルフラン・ブルジョワとなった。 小生が学生時代にはフランスの絵具ではルフラン・ブルジョワが高級品として売られていた。イギリスのウィンザー・アンド・ニュートンと双璧だった。絵具には発色(色の美しさ)と堅牢性(長く変色・剥落しない)が求められるが、堅牢性はともかく色合いはやはり日のメーカー(小生は当時主にマツダを使

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    schrift 2010/06/29
     「〔...〕アレクサンドル・ルフラン(Alexandre LEFRANC)で、一八四一年にアメリカ人の画家(John GOFFE RAND)が絵具を鉛のチューブに入れることを考案したのを一八五九年には取り入れてチューブ絵具の製造を開始した」。
  • 緋色の研究 | daily-sumus

    もう少し緋色・赤色についてメモのようなことを書き留めておく。 赤に対応する単語はいくつかあり、それぞれのルーツがある。まずレッド(red)はサンスクリット語の「血(rudhira)」から。スカーレットはペルシャ語「赤い布」から。ヴァーミリオンはサンスクリット語の「虫(krmis)」から。虫というのは赤い染料の原料になる貝殻虫のこと。これはラテン語 vermis とアラビア語 girmizi(クリムソン crimson)の二つの枝に分かれる。他にコシヌス(coccinus)も虫である。それからミニウム(minium)は辰砂(硫化水銀からなる鉱物)から。ミニアチュールは赤い顔料を使った絵という意味(赤ですな)。以上はおおよそ柳宗玄「色彩象徴の系譜」より。 『ヨハネ黙示録』では「赤い馬」が血と戦いの象徴、「赤い龍」が悪魔(レクター博士シリーズの「レッド・ドラゴン」!)、「緋色の獣」が悪魔的な町

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    schrift 2010/05/21
  • 流行色カード | daily-sumus

    野亨・山崎勝弘監修『流行色カード』(甲鳥書林、一九五一年五月二〇日)を某氏より頂戴した。発行人は中市梅、発行所は東京都文京区湯島一ノ一および京都市左京区下鴨松ノ木町一となっており戦中の甲鳥書林とは少し違っている。山崎勝弘のまえがきにこのカードは甲鳥書林中市弘が提案したとある。中市は戦時の要職にあったためか、この時期には発行人に名前を出していない。 いわゆる色見帖だが、京都では染織関係にその需要があったらしい。経年による変化があるとしても、全体に渋い色合いに仕上がっているように思われる。 甲鳥書林では『流行色カード』発行の翌月に上村六郎・小河その『学用色名辞典』(一九五一年六月三〇日)も刊行している。こちらは日の色の名前についてその由来などを述べたもの。小生、この手のでは『色の手帖』(小学館、一九八六年)を使っていて、それは「色見と文献例とでつづる色名ガイド」という副題通りの内容で

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    schrift 2010/05/21
  • 銅活字版論語 | daily-sumus

    MAKINO氏が台北で購入された『銅活字版論語』(廣陵書社、二〇〇三年)を拝見した。 《台北で屋街というと、重慶南路ですが、そこの世界書局で買いました。大陸・揚州市の廣陵書社の2003年刊、定価320人民元を輸入したものです。1人民元=5台湾元(=15日元)のレートで売っていました。「序言」によると、明代に流行して廃れた銅活字刊の印刷工芸を復元したものとのことです。台湾ではさいきん線装は作らなくなったようで、大陸から輸入したものしか店頭に見られなくなりました。それも多くはコンピュータ排印で、情緒のないことですが、銅活字はちょっと珍しいと思ったので、ご紹介する次第です。》 というメールを頂戴していろいろうかがっていると、手っ取り早く善行堂で見せていただけることになり、ちょっと出掛けてきた。 巻末に製作にあたったスタッフの名前が記されている。刻字から鋳造、印刷まで、まるまる復刻という

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    schrift 2010/05/09
  • 山内義雄/ランボー | daily-sumus

    『帖面』53(帖面舎、一九七四年四月、表紙・カット=麻生三郎)。山内義雄特集。金子光晴、内藤濯、山崎剛太郎、野村二郎、窪田般弥、木村太郎、保昌正夫らの寄稿。写真はクローデルと山内。クローデルの句集『百扇帖』。 保昌正夫編略年譜より抄録。 一八九四年 三月二二日東京市牛込区市谷谷田町二丁目二十四番地に誕生。 一九一一年 曉星中学校を卒業 一九一五年 東京外国語学校仏語科を卒業。京都帝国大学法学部に入学、経済学部に転学(二一年退学)。 一九二一年 東京帝国大学文学部仏文科選科に入学(二三年退学)。 東京外国語学校講師に嘱任(〜二四年)。 一九二三年 アテネ・フランセ教授に嘱任(〜四六)。 一九二七年 早稲田大学付属第一早稲田高等学院講師に嘱任(〜四〇年)。 早稲田大学付属第二早稲田高等学院講師に嘱任(三一年教授、〜四九年)。 一九三一年 早稲田大学文学部助教授に嘱任。一九四〇年教授。 一九四一

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    schrift 2010/05/05
  • 近代大阪の出版 | daily-sumus

    吉川登編『近代大阪の出版』(創元社、二〇一〇年二月一〇日、装幀=上野かおる)。よくまとまった江戸から明治にかけての大阪出版の通史があり、また青木嵩山堂、金尾文淵堂、立川文庫、プラトン社、創元社の各社についての論述あり、大正期大阪の「出版文化展」や『大阪パック』の輝文館を中心にした漫画出版に関する論考も収められ、大阪出版の実力と限界がよく分かる一冊となっている。 目次などは創元社のサイトにて http://www.sogensha.co.jp/book/2010/01/post-175.html これは青木嵩山堂の広告。大阪心斎橋筋博労町と東京日橋通一丁目はどちらも出版書肆としてはこれ以上ない立地である。建物の違いが大阪と東京の違いを物語るように見える。この大店が大正十年頃に突然、営業をやめた。その理由はどうやら初代会長青木恒三郎が出版業を見限ったからのようである。いさぎよい最後なのだろう

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    schrift 2010/02/24
  • 杉浦康平のデザイン | daily-sumus

    臼田捷治『杉浦康平のデザイン』(平凡社新書、二〇一〇年二月一五日、装幀=菊地信義)。杉浦康平……エディトリアル・デザイン界の巨人といっていいだろう。そのシュミセンのように深くも高い杉浦康平をコンパクトにまとめてみせてくれた臼田氏の力業、いや編集力にまず脱帽する。新書の内容としてはおそらくこれ以上は望めないほどの出来栄えと思う。今後何度も参照する一冊になりそうだ。巻末の主要参考文献も周到である。 巻頭カラー口絵を見てビックリ。「第8回東京国際版画ビエンナーレ」のポスター。これは今も郷里の書斎にかかげてある。銀紙(フォイル?)に刷られていて、それまでまったく見たこともないような表現力に当時は打ちのめされたし、今も圧巻のままだ。代表作だったか。 また文のいちばん最後に杉浦康平の全作品と蒐集資料が武蔵野美術大学資料図書館に納まることが決まったと書かれている。柳瀬正夢もそうだが、他にもいろいろ入っ

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    schrift 2010/02/22
     臼田捷治氏。
  • HANDBOOK OF THE JAPANESE LANGUAGE | daily-sumus

    『KELLY & WALSH'S HANDBOOK OF THE JAPANESE LANGUAGE』(ケレー、ウオルシ商会、一九一六年一一月一五日三版)。著作兼発行者は小林米珂。住所は横浜市中村町一五四九番地。発行所の「ケレー、ウオルシ商会」の住所は横浜市山下町七八番地。 小林米珂はデ・ベッカーという外国人で鎌倉に貸家を九軒持っていたという。高浜虚子や菅虎雄がそれらを借りていたこともある。横浜歴史年表には《1892(明治25)年10月16日, 帰化米人小林米珂が市役所へ出頭し納税手続(帰化人納税)》とも。 奥付にはこう書かれている。 明治二十九年二月十日印刷 同四十一年二月十五日発行 同四十一年九月二十日再版 大正五年十一月十五日三版 これは悩ましい記載である。AbeBooks で調べると、同じタイトルで一九〇二と一九〇四年の版がヒットした。内容も同じようだが上記のどれにも当てはまらない

    HANDBOOK OF THE JAPANESE LANGUAGE | daily-sumus
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    schrift 2010/02/19
     製紙。ケリー・アンド・ウォルシュ商会。「発行所の「ケレー、ウオルシ商会」の住所は横浜市山下町七八番地」。
  • 草森紳一の右手 | daily-sumus

    『彷書月刊』10月号は特集・草森紳一の右手。特集はすべて草森の原稿と校正紙、メモ類など。この写真は一九七七年頃、撮影者不明。巻頭には「枡目の呪縛ーー原稿用紙の中の書の世界」が再録されている(初出は一九八九年)。そこにちょっと気になる記述があった。 《原稿用紙の枡目の出現は、おそらく印刷術と大きくかかわっている。萩の勤皇僧月性の発明ともきくが、彼は自らの塾「清狂草堂」で出版もやった位だから、活字が拾いやすいようにという配慮から、枡目のある原稿用紙を作るに至ったのだろう。「縦二十字」の決定には、書き手の視覚や呼吸、腕の長さまでも、それなりに計算されているはずである。》 たしかに月性が編纂した『今世名家文鈔』(河内屋忠七等)は二十字詰めの版面になっている(国会図書館の近代デジタルライブラリーでネット閲覧可)。しかしそれは木活字版ではなく整版のように見える。整版なら一枚板から掘り出すので活字ではな

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    schrift 2009/09/26
     草森紳一。原稿用紙(松本八郎氏)のこと。
  • カットデザイン | daily-sumus

    氏原忠夫『カットデザイン』(ダヴィッド社、一九六六年四版)。町家古はんのきで。欧米的なグラフィックと民芸調が合わさったような作風のカット集。 余白余分/氏原忠夫作品集 https://www.rikuyosha.co.jp/products/detail3978/ 第9回(1992年)書皮大賞「明正堂」(東京都) http://homepage2.nifty.com/bcover/taisyo/92taisyo.html

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    schrift 2009/09/03
     「氏原忠夫『カットデザイン』(ダヴィッド社、一九六六年四版)。町家古本はんのきで。欧米的なグラフィックと民芸調が合わさったような作風のカット集」。
  • daily-sumus : 澤辺由記子 活版レシピ「わたしの馬棚」

    林蘊蓄斎の書物な日々しばらくぶりでカロさんへ。エレベーターが新しくなっていた。安心して乗れる、が、面白味はない。澤辺由記子さんの展示を拝見して、活版の話などうかがう。凸版の印刷博物館に勤めておられたそうだ。今は独立して自宅に活版印刷機を据えるかたわら、印刷博物館と内外文字印刷へは自由に出入りして仕事されているとのこと。内外文字印刷の『金属活字活版印刷ものがたり』(二〇〇七年)は大部の活字見帳で、なかなか力のこもった文字が並んでおり、やはりデジタルとはひと味違うと感じさせられる。

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    schrift 2009/07/12
  • 草森紳一の書庫 | daily-sumus

    『太陽』(平凡社、一九八一年一〇月一日)「書斎の愉しみ」特集に草森の書庫が紹介されている。北海道帯広の実家敷地に建てられたもの。記事は次のように結ばれている。 《だが結局のすべてを収納できなかった草森さんは、相変らず、都内の喫茶店を書斎代りにし、ウェイトレスの白眼に耐えている。》

    草森紳一の書庫 | daily-sumus
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    schrift 2009/05/31
     『太陽』(平凡社、一九八一年一〇月一日)「書斎の愉しみ」特集について。
  • 掌中和漢年代記集成 | daily-sumus

    『掌中和漢年代記集成』(文江堂、文化三年=1806)。江戸時代のポケット事典。大日略図、大清略図、歴代皇帝天皇リスト、年号と干支、武将の略伝、暦日略解、男女相性、婦人の妊娠中の胎児の図解、忌日数、五行図式、月の満ち欠け、日蝕月蝕、天動説の図解、江戸年中行事などなど、こまごまと書き込まれている。江戸の人々の生活、知っておかなければならないことが詰まっているといった感じ。 そのなかで上の写真は「諸商人通用賦帳集」の頁、数字のふちょう集である。「書物」の欄があったので目にとまった。今では古屋もほとんど使っていないだろうが、昔のには意味不明の符牒が記されていることがある。 書物(志よもつ) 一二三四五六七八九十 ヲコソトノホモヨロオ このほか家々数多し 古屋の符牒については猪狩春雄『返品のない月曜日』(筑摩書房、一九八五年)に上記とほぼ同じものが示されていた。「お」と「を」が入れ違っている

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    schrift 2009/05/25
     文江堂、文化3年(1806)。江戸時代の古本屋の符牒。
  • 優良工業図書目録 | daily-sumus

    『優良工業図書目録』(工政会出版部、一九三三年十月)。何ヶ月か前に尚学堂書店の表で見つけて、落書きがあるので買わなかった。しかし先週見るとまだ残っていたので、今度は落書きがあるから買う事にしたというわけ。 工政会は大正七年に組織された、工学会、機械学会、建築学会、工業化学会、造船協会、鉄鋼協会、電気学会、土木学会など十四団体の技術者たちを中核的な指導者とする運動団体だったそうだ。「工芸・美術・趣味」の部門に青山二郎、浅川巧、柳宗悦、石丸重治らの名前が並んでいた。青山二郎は初期の主な著作四冊を工政会出版部から出していたのである。 落書きの一部を紹介する。すべて赤いクレヨンで十数箇所にわたって書かれている。 ウサギが旗を持っているので思い出したが、先日ふと耳にした童謡の「兎と亀」(作詞=石原和三郎)の二番が気になって仕方がない。今、原詞が見つからないので、ネットで拾ったものを引用するとこうなっ

    優良工業図書目録 | daily-sumus
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    schrift 2009/05/14
     「『優良工業図書目録』(工政会出版部、一九三三年十月)。何ヶ月か前に尚学堂書店の表で見つけて、落書きがあるので買わなかった。しかし先週見るとまだ残っていたので、今度は落書きがあるから買う事にしたとい
  • 佳人之奇遇 | daily-sumus

    東海散士『佳人之奇遇』(柴四朗、明治十八〜三十、八篇十六巻)の端三冊。いずれも200円だったか。何年か前に二冊見つけ、久しぶりに一冊手に入れた。昔はよく端が出たそうだ。明治二十年代頃のベスセラーのひとつ。柴四朗については下記ページが詳しいが、白虎隊の生き残り、東京で勉学に励み米欧を視察し、谷干城農商務大臣の下で秘書官、大阪毎日新聞の主筆などを経て衆議院議員となった。かたわら『佳人之奇遇』の執筆をつづけたそうだ。 http://www.plib.net.pref.aomori.jp/top/museum/meihin_62.html 毎卷、二または三葉の石版口絵が挟まれていて、それが目当てである。石版を担当している小柴英は初期石版技術者の一人、明治十七年に秋葉原の近くの東松下町で開業した。長男の小柴英侍はその後の石版印刷技術に大きな影響を与えたそうだ(森登「東海散士『佳人之奇遇』」『日

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    schrift 2009/04/25
     石版印刷。「東海散士『佳人之奇遇』(柴四朗、明治十八〜三十、八篇十六巻)の端本三冊。」「毎卷、二または三葉の石版口絵が挟まれていて、それが目当てである」。