前提となる知識とか教養がないと良さが分からない美術品ってなんなの? そんなものに価値なんてなくない? 誰が見ても素晴らしいと思えるものに価値があるんじゃないの? そこら辺が納得いかないので俺は美術館とかあんまり行かないし、どうでもよくなる みんなもそうだよな? 美術の歴史なんてそんな詳しくないよな? だから美術品の価値なんてよく分からんよな? 専門家が良いって言ってるから良いと同調してるだけだよな? そう言っておくれよ、後生だから
![素人には良さが分からない美術品っておかしくないか?](https://cdn-ak-scissors.b.st-hatena.com/image/square/b1638cdb5807a4788e4ba3c1109a984166e095fc/height=288;version=1;width=512/https%3A%2F%2Fanond.hatelabo.jp%2Fimages%2Fog-image-1500.gif)
デパートのイベントスペースに美術商が来ててさ、どんなもんだか興味が沸いたんで覗いてみたんだけど、展示してある絵画とか結構なお値段するんですよ。 誰が欲しがるの、これ? と思いつつも、こういうのを家の玄関に飾っておくとオシャレかなと思ったんで、家に帰ってから粗末な知識量全ブッコミで画像検索で物色してたんです、いわゆる名画を。 パブリックドメインだったらカラーコピーしようと思って。 だけどやっぱね、普段から芸術とかあんま興味ないから、これだ!って思うの、無い。 肖像画は家に飾るの絶対やだ。呪われそうだからやだ。 宗教画もやだ。祟られそうだからやだ。 キュビズムとかそれ以降の前衛芸術もやだ。描いた奴、頭おかしい。というか、そもそも年代的にまだパプリックドメインになってないんじゃないか? となると、あとは静物画か風景画ということになる。 ゴッホはひまわりが有名だけど、バラの方が断然美しい。ただ、決
自由律俳句とかピカソのキュビズムだとかを冗談混じりに何が良いんだか分からん!笑って言う事はあっても、マジトーンで言ったら鼻白まれるとと思う。実際よく分かっていなくても、無知無学の開き直りだと思われる事を避けて言わない人が多い。恐らく。 無知が事実であったとして、「解像度」が低いんだね、可哀想……とかウエメセで言われたら腹が立つと思う。そんな仮想敵に対する反論として、そもそも知識を積んだ所で「本当の良さ」なるものを理解した事になるのかという疑問がある。 形而下において宿される美なるものが存在するかどうか、みたいな話は言葉遊びか脳科学の問題になるだろうし、神様にしか分からないので置いておく。 例に挙げたものであれば、既存の様式から逸脱して新しい価値を提供した、という部分による評価が大きい。多分。しかし、新しい様式を提示した「から良い」というのは、「けど普通」にも「けどダメ」にも転じる恣意的な結
これにどう答えるかでその人に教養があるか分かるんだよな ここでの絵画は例えばピカソやゴッホのようなものを想定して現代アートの類いではないものとする
いろいろ違和感(作者とされる人の他の作品との画風の違い)があって調べてみたら、ブグロー(ブーグロー)の絵らしい https://www.bouguereau.org/Lullaby.htmlhttps://artvee.com/dl/berceuse-le-coucher/ どうもクリスティーズで5年前に競売にかけられて$1,452,500で落札されている。 https://www.christies.com/lot/lot-6104712/?intObjectID=6104712来歴にワルシャワの美術館(ヨハネ・パウロII世美術館)なんてないんよなぁ・・・。 ブグローの作品なのはほぼ間違えないと思うが、なんで間違えた作者がつけられてwikipediaで利用されているのか。 山口県立美術館の2012年の展示で、「ジョン・ウィリアム・ヘインズ」って書いてあるみたいだな。ヨハネ・パウロII世美
くどいけれども、ドラえもんとCFNM幼いころ、何かのイベントでフェイスペインティングをやる機会があったのだけれども、当時の僕は顔に何かが付着するのが不快に思われて、断った記憶がある。 それ以来、身体に何かを塗ったことはない。皮膚科の薬くらいか。女性の場合、ファウンデーションを使うので、フェイスペインティングは男性よりも抵抗が少ないと思われるのだがどうだろう? それはともかく、同様の理屈でボディペインティングはやったことがない。とはいえ、ドラえもんの学習漫画で、水着を忘れたのび太が絵の具を塗ってごまかそうとするが、前だけを塗って尻を塗り忘れて恥をかく場面があり、それが自分の野外露出・CFNM願望とマッチしていたのを思い出す。気づいたしずちゃんが顔を覆って赤面しているのも高ポイント。 実際に水着やショートパンツを描いて野外を全裸で徘徊する女性の動画は、各種動画サイトで閲覧可能だ。 身体に色彩を
いま、横浜でやっているバンクシー展がアツい。 バンクシーは名前くらいは知ってると思うが、街中に意図のある落書きを残していく匿名のアーティストで、モスクワ・マドリード・リスボン・香港などで100万人以上を動員した展覧会『BANKSY展 GENIUS OR VANDAL?(バンクシー展 天才か反逆者か)』の日本版がいま横浜のアソビルで開催されている。 もちろん、これはバンクシー本人の許可などなく「勝手に」開催されているものだ。この展覧会は、バンクシーが匿名の活動( 言ってしまえば犯罪的な活動もしている )をしていることをいいことに、勝手に開催されているもので、日本はまだリストインしていないがモスクワやラスベガスなどで行われた「BANKSY展 GENIUS OR VANDAL?」は、バンクシー公式サイトで「FAKE」と指摘されている。 最近バンクシーの展示会が相次いで開催されていることを知ってお
Web上の巨大な写真サークルに所属しているので、SNSの友達にやたらとアマチュア以上プロ未満みたいな写真家や画家がいる。 彼らがSNSにアップしてくる写真や作品を見ると確かに上手いとかセンス良いとか思うんだけど、でもこれで食べていけるのかと心配になる。 たぶんギャラリーをやっているような玄人筋には受けるんだろうけど、商業ベースには乗らないんじゃないかなと思う。 仮に自分が彼らの生活を救うために何か作品を買ってやれといわれても、せいぜいポストカードとか数千円レベルの写真集ぐらいしか買う気がしない。…というか、もっと名の売れた大御所写真家の写真集とか、いにしえの名作を集めた絵画展の図録とかでも出せる金額はそのぐらいだ。日本人のアートに対する感覚って普通その程度じゃないのかな。 プロカメラマンとしてそれなりに儲かっていそうな人は、金になる仕事とやりたい仕事を明確に切り分けているように見える。食べ
今回の表現の不自由展をめぐる一連の騒動について、多くの芸術家や芸術愛好家から呆れ声が聞こえる。 だが彼らは本質を見逃している。 なぜ人々は展に税金が使われることに批判的なのか。 なぜ人々は表現の自由という尊厳をわざわざ捨て去って(いるように見える)まで芸術家の側に立たないのか。 それはこれが階級問題だからだ。 この貧しい国では多くの人々が明日の見えない生活に怯えている。そのような時代にあっては裕福な階級に生まれ育ち長じては芸術に打ち込むような人間に更に金を与えるのは野蛮に映る。この国では貧乏人はこの類の芸術をしない。つまり政府の芸術支援により、富める者はより富み、貧しい者はより貧しくなる。それを感じ取る人々は、(たとえ表現の自由が自分たちにも利するものであるとしても)いけすかない芸術家たちを支持することはない。 佐野研二郎のパクリ騒動があれほどまでに炎上したのは何故だったか。あれがパクリだ
広島上空に飛行機雲で「ピカ」と書いたチンポムという芸術家集団がいるという。 当然、「ピカ」を見た不特定多数の人々の何割かが傷付く。 チンポムには崇高な理念があったかもしれない。しかし傷付いた側にとってはどうでもいい話だ。 「不快感を我慢して時間をとってまで崇高な理念とやらを調べて理解しなければならず、そうしなければ批判する資格はない」などという道理はない。 ならば文脈共有して人を傷付ける表現を芸術に昇華する責任はチンポムにあるはずだ。 だがどうやったら広島上空の「ピカ」の文字を見て傷付いた不特定多数の人々全員にもう一度語りかけて理念を伝える事ができるというのか? 要するに注目が集まれば人が傷付き傷付いたままでいても構わないという炎上商法なのだ。 では表現の不自由展はどうだろうか? ご存知の通り開催前に配信された動画で津田芸術監督は友人とイタズラを画策する子供のような態度で炎上するサプライズ
あと表現の自由を履き違えてるアホ 出典:https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www3.nhk.or.jp/news/html/20190802/k10012018791000.html edo04 表現の自由戦士の皆さま!出番ですよ! sin4xe1 さあ検閲が始まりました takeishi 安倍首相をヒールのかかとで踏み潰す展示は芸術の名の下に認められるかどうか nekochiyo 正直不愉快な展示だけど、国が圧力をかけるのは違うと思う ustam 本当にクソだなこいつら。安倍無教養内閣。 h1roto これは芸術としても陳腐だし表現の不自由というコンセプトにも逆行してて(左派コンテンツだけ並べるとか…)酷い。でも封じられるべきじゃないし政府には「別に知らんから勝手にやれ」くらい言う器が欲しいところ deep_one 珍しく正しい意味での「表現の自由(政府からの
別にそこまで絵画に対する知識とか教養深いわけじゃないけど美術鑑賞好きでよく美術館に行く その日もよく美術館に行く友人ととある美術展に行っていた。 結構日本人に人気ある画家だったからか美術展はとても混んでいた。 その日は建物の外まで並んでいた。 で、中にやっと入れていつもどおり 友人と「この絵のここの質感の描き方がいいね」とか「構図がいいね」とか まあ一般人の絵を見て思ったなんてことない感想を話してたんだ。そしたら、前に立ってたオバサンが急に振り返って 「美術館でしゃべっちゃいけません!!」 って言ってきたんだ。 私たちはそれ以降口をつぐんだが、しかし 本当に美術館ではしゃべっちゃいけないのか? うーん、もしかしたら美術館は図書館・映画館と同じくくりの公共施設で、 ひとりひとりが絵に集中するためにしゃべっちゃいけない、と考える人もいるかもしれない。 もちろん、美術館でも大騒ぎはいけないと思う
どんな展覧会や美術展に行っても、大体図録って最後のお土産コーナーにある。 何故なのか。 今まで買ったことなかったけど、たまたま友達の代理で買って ペラっと見たら、かなり詳細な解説がギッシリ書いてあった。 その解説を読んで、本物を見たいと思っても もう既に自宅。 会場の課金音声ガイドは 歩くスピードと解説音声の長さと一つの絵の滞留時間が実際噛み合ってない。 しかも、気になる作品が解説されているかどうかは、進んでみないとわからない。 その上、一言聞き逃した場合、その作品の先頭までもう一度始めから聞かないといけない。 実にクソ仕様。 描かれた作品の解説を得たい需要はあるのに なぜ、音声ガイドは良くて、図録は売らないのだろう。
実を言うと、一般人は印象派以前の藝術も理解できないんだけど、あれらはまだ大衆的な要素を内在してるから、そっちだけを受け取ることはできる。 それまで大衆的な要素+芸術的な要素だった美術絵画(彫刻)が、現代アートへと移行する時に大衆的な要素を切り捨てたのね。より純粋な藝術に進化するために。 だから、それまで大衆部分だけを受け取って喜んでた一般人は急にわからなくなりヒステリーを起こした。 だけど、藝術理解者は印象派以前にも藝術部分しか見てないから一般人が何を騒いでるのかわからない。 一般の人って、工芸品の凄いやつが現代アートになるとか勘違いしがちだけど(オタク=アート論もその変奏)、全く質の違うもの。 工芸品って、部屋をひすたらゴミひとつなく綺麗に掃除するようなもの。クリエイティブじゃない。 日本のエリート(東大京大文系理系とか)って教養がない極東の田舎者だから、クリエイティブを理解できない。す
全体的な風潮 私の地元には教育を除いて美術系の学校がない。 周囲3県にもないので海を渡る必要がある。 にも関わらず国際芸術祭だの音楽祭だのを定期的に開催している。 県内で学生を育てるつもりはないが、いかにもな芸術は歓迎しているのだ。 理解があるのかないのか、よく分からない。 芸術理解についてロシアを例に上げるが、 4~10歳で入学できる芸術学校がわんさかあり、教育費も中流家庭でも払える程度だという。 それ故に競争は激しいが、全力で競いあえるので羨ましい限りである。 そこまでは全く望まないが、 芸術での成功というのは、小さいうちからの教育と才能が大きく占めるので、 早い段階で支援されるのならされたい。 日本の教育というのは、平らに均して押さえつけるのが今でも一般的。 もう戦後どれだけ経ったのか、ちょっと考えれば均す必要が一切ないと気付くはずだ。 義務教育が確保されているのだから、そろそろ自由
エロゲに限らず、活躍の場所を求めて降りてきたクリエイターと、背伸びしたい年頃が出会ったときに波が生まれるんだよ。 なので何事にもタイミングってのがある。運といってもいい。 古くは映画でもロマンポルノってのがあった。普通の映画は撮らせてもらえなかった監督がそういう場で活躍した。 文庫だってそうだ。普通のハードカバーを出せない作家が雑誌連載から文庫というパターンもあった。 アニメもそう。映画をやらせてもらえない人がアニメなら…でヒットメーカーになった例は多い。 エロゲはアニメや映画、メジャーシーンをやれる資金がない人が活躍する場になったことがある。 ニコニコ動画だって、インディーズでも出せなかった人が活躍する場所として活気が溢れた。 ソシャゲもそうだった。 どれでもそうだが、成熟したシーンにあとから乗り込むというのは、ハードルがすごく上がってる。 今はとにかくそのサイクルが早い。あっという間に
「ピカソの絵ってどこが凄いの?」 「ピカソって写実的な絵だって描けたんだよ!」 みたいなやりとりを何度か見たんだけど、そもそも写実的かどうかは、凄いか凄くないかはまた別の問題だし、凄いか凄くないかではなく上手いか下手かという意味で言えば、写実的は上手さの要素ではあるけれど、イコールではない。 第一、その人が写実的に絵を描けるかどうかと、目の前の絵が写実的かどうかはまったく別問題だ。 ピカソはさておき、芸術は進化しているのだろうか? ラスコーの洞窟壁画、クロマニヨン人が残したとされる絵は、あれを凄いといわずしてなんと言えばいい? 写真でしか見たことがないけれど、心震わせるチカラがあるのはそれだけでも十分わかる。 見ていると心踊る、根源的なところを揺さぶる。 美大生は、芸術家は、あれを超える絵を描けるの? そういうと、なにをもって超えるというのっていう話に戻っちゃうけど。
芸大を出てからも、コツコツと個人で制作活動をして、イベントに出展したり、自費で個展を開いたりしてる人の目的は何? これが絵とかを描いてて賞を狙ってるとかならまだわかるんだけど、変な立体物だったり、ゴミを加工したような作品だったり、 誰が評価するのかもわからないようなものを作って展示している。 しかも、3年くらい同じものを展示してる。新作無い。 売ってるわけでもないし、どうしたいの? 友達が欲しいの?
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