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源氏物語の現存する最古の写本で、鎌倉時代の歌人・藤原定家による「定家本」のうち「若紫」1帖(じょう)が、東京都内の旧大名家の子孫宅で見つかった。冷泉家時雨亭文庫(京都市上京区)が8日発表した。定家が校訂したとみられる書き込みや、鎌倉期に作られた紙の特徴などから、同文庫が定家本と鑑定した。 既に確認されている定家本4帖は、いずれも国の重要文化財に指定されている。「若紫」は、光源氏が後に妻となる紫の上との出会いを描く重要な帖だけに、今後の古典文学研究に大きな一石を投じる可能性がある。 源氏物語(全54帖)の定家本は、紫式部による創作から約200年後の13世紀初めに書き写された。昭和初期に国文学者・池田亀鑑(きかん)が調べ、「花散里(はなちるさと)」「柏木」「行幸(みゆき)」「早蕨(さわらび)」の4帖が確認されていた。 今回鑑定した元文化庁主任文化財調査官の藤本孝一氏によると、冊子の大きさは縦2
平安宮内裏にあった後宮建物の登華殿(写真手前)と弘徽殿(奥)の遺構。平安文学の舞台だったことで知られる(京都市上京区)=市埋蔵文化財研究所提供 平安宮内裏にあった後宮建物の登華殿(写真手前)と弘徽殿(奥)の遺構。平安文学の舞台だったことで知られる(京都市上京区)=市埋蔵文化財研究所提供 平安文学を代表する「源氏物語」「枕草子」の舞台になった内裏の後宮建物跡が、京都市埋蔵文化財研究所が上京区で行った発掘調査で見つかっていたことが8日、京都新聞社の取材で分かった。建物跡や溝跡は中宮らが暮らした登華殿(とうかでん)と弘徽殿(こきでん)に関わるとみられ、平安時代の内裏殿舎遺構が見つかるのは初めて。 登華殿は平安中期、一条天皇の中宮定子が暮らした。関白の父・藤原道隆らとの語らいが、枕草子にはつづられている。また、弘徽殿は源氏物語において光源氏が朧月夜に出会う場になっている。両殿とも内裏北西部にあった
その時に流行っているモノを作中に取り入れるとすぐに意味不明になってしまうという話の元祖「源氏物語・第二帖・帚木より」 ついでに漫画によくある、物語に関係なく作者が独り言をつぶやくってのも紫式部は1000年前にやっている。 pic.twitter.com/4LRjosjnz2— 杉村喜光:知泉(源氏物語の漫画、執筆中 (@tisensugimura) October 18, 2022 古くなりかけた流行語を登場人物に言わせて別の登場人物に「古い古い」とツッコませ、更に単行本化の時に「本当に古くなった」と作者独白を書き足した漫画家師も居らっしやいますね。 元ツイートで触れられている人でもない、本ツイートをリツイートしている人でもない、また別のひらがな漫画家で。— detcha (@detcha4) 2022年10月18日 司馬遼太郎が多用して、小説らしくなくなり、司馬本人が「小説の作り方なんて
鎌倉初期を代表する歌人、藤原定家(1162~1241年)が手がけた源氏物語の注釈書「定家筆源氏物語奥入(おくいり)」の一部が見つかった。注釈書は国宝に指定されているが、少なくとも10ページ以上が欠損しており、今回見つかったのはそのうちの1ページ。池田和臣・中央大名誉教授が東京都内の古美術商から掛け軸に貼られた状態で購入し、定家筆源氏物語奥入の一部と確認した。 定家筆源氏物語奥入は、定家が家中の女性たちに源氏物語全54帖(じょう)を写させ、その際に各巻末に記した注釈部分だけを後に切り出して1冊にまとめたもの。今回発見されたページは縦16・7センチ、横14・9センチで、池田名誉教授が2年前、古美術商から「定家筆かもしれない」と聞いて掛け軸ごと購入した。調査すると、現存する奥入原本の近接ページにも、このページと同じ形の虫食い痕があったことや、書体も定家独特のものであることなどが分かり、定家筆と確
やすなか @yasunakayo 色々雑多煮呟き広場。成人済み。企画とか刀とかfgoとか創作とか。 時々昔の作品とか読んでもらいたくなるといくらでも過去のツイートを自己RTします注意。 フォローリムブロご自由に。だいぶかなり人見知りです。 やすなか @yasunakayo 今、源氏物語の解釈本みたいなのを読んでて、当時の貴族の娘は高貴であればあるほど本当に何もやることがなくて、そして何もすることがないからこそ高貴たる女になるが、そのまま財と地位を失うと、何かをするという発想に至らず、荒屋で、ぼんやり過ごす羽目になる、という話を末恐ろしく読んでいる 2024-02-04 12:19:00 やすなか @yasunakayo 1990年代に男性の作家で描かれているので、バブル期の日本人の男性的な考え方も見えつつ、ちょっと面白い。源氏物語は解釈をした書物が点々と残っていて「これをこの時代の人たちが
預言者アライ(ヨライ)さん @nekonomical 🦝を崇めるのだ。サックス🎷練習中。刀と馬すこ。刀についてほそぼそと調べたりしてるのだ! アイコン:ヤナギバさん(@yanagibaaa) ヘッダー:ラクナイさん(@procyonlotor_3) 預言者アライ(ヨライ)さん @nekonomical これはすごい源氏物語なのだ。元が英訳されたもので、その雰囲気を残しつつ和訳しているのだ。出だしからして「あるエンペラーの宮廷での物語でございます」とかぶっ飛んでるのだ。めっちゃ分厚いからすぐには読み切れないと思うのだ。ゆっくり読むのだ。 pic.twitter.com/eecQgwRCwk 2019-11-03 18:10:47
平安時代に紫式部が書いた「源氏物語」の物語の1つを鎌倉時代の歌人、藤原定家が書き写した写本が新たに見つかりました。これまでで最も古い写本で、原本が残っていない源氏物語のオリジナルの表現に迫る貴重な資料として注目されています。 新たに見つかったのは、源氏物語が記されたおよそ200年後に活躍した歌人、藤原定家が書き写した「若紫」の写本です。 定家の子孫にあたる冷泉家が調査した結果、定家の筆跡と一致したということです。 当時、定家のように位の高い人物しか使うことが許されなかった青墨も使われ、表紙は定家のほかの写本で、国の重要文化財に指定されている「花散里」「行幸」「柏木」「早蕨」の4帖と同じだということです。 全54帖からなる源氏物語は原本が失われ、代わりに内容を今に伝える数々の写本のうち、「若紫」はこれまで、およそ450年後の室町時代に書き写されたものが紫式部のオリジナルの表現に近いものとして
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