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ベトナム戦争 写真集の検索結果1 - 17 件 / 17件

  • あいちトリエンナーレ津田大介芸術監督インタビュー - webDICE

    「あいちトリエンナーレ2019」の芸術監督、津田大介氏 「あいちトリエンナーレ2019」で「表現の不自由展・その後」が3日間だけ展示され撤去された問題を受けて、8月15日に津田さんは個人ブログでことの経緯とお詫びを発表した。それを読み同日、僕は以下のテキストをツイートした。 「アップリンクはあいちトリエンナーレに映像作品を出品している。アップリンクが日本での上映権を持つホドロフスキー監督のドキュメンタリー作品『ホドロフスキーのサイコマジック』だ。今日、9人のアーティストがトリエンナーレの出品を取り下げた。事務局の映像担当者から電話がかかってきた。次に何かしそうなのは浅井さんだからだという。取り下げるなんてことは考えもしていなかった。アップリンクは出品者なので、実は事件が起きてから8月7日に津田大介芸術監督から『「あいちトリエンナーレ2019」協賛企業・個人の皆様へ』という1万880字の長文

      あいちトリエンナーレ津田大介芸術監督インタビュー - webDICE
    • 迫害を逃れて海を渡った。長崎・五島、潜伏キリシタン移民の子孫が語り継ぐ差別、戦争、信仰の記憶|ニッポン複雑紀行

      大小140あまりの島々が連なる長崎県の五島列島。ペトロ尾上勇(おのうえいさむ)さんはその北部に位置する中通島(なかどおりじま)で生まれ育った。キリスト教徒であり、一人の漁師として生きてきた。「ペトロ」は洗礼名だ。 尾上さんは江戸時代のキリシタン禁制下でも信仰を守った「潜伏キリシタン」を先祖にもつ。江戸後期の18世紀末、多くのキリシタンたちは当時の迫害を逃れて、九州の外海(そとめ)地方(現・長崎市の北西部に位置)を離れ、たくさんの小舟で海を渡った。五島の島々に新天地を求めたのだ。 離島への大規模な移住には政治的な背景もあった。未開の土地を開拓する人手を欲しがった五島藩が、逆に人口が増えすぎて困っていた九州本土の大村藩に協力を求めたと言われる。その結果、3000人もの移民が五島を目指したが、その多くが潜伏キリシタンだったのだ。 2018年に世界遺産となった潜伏キリシタン関連資産が、九州本土だけ

        迫害を逃れて海を渡った。長崎・五島、潜伏キリシタン移民の子孫が語り継ぐ差別、戦争、信仰の記憶|ニッポン複雑紀行
      • みすず書房75年の本 | みすず書房

        敗戦からまもない1945年12月、「新しい出版社をやろう」と設立発起人となった山崎六郎(1889年生)・清水丈男(1902年生)・小尾俊人(1922年生)の三名は、1946年3月、焼け野原の日本橋の一角に事務所を設け社名を「美篶(みすず)書房」とし、若い小尾を中心に「まず紙、印刷と製本の設備、それからお金、そして企画」、と動き出した。みすず書房の歴史はそこから始まる。 それから数えて2021年で75年。1946年7月刊行の第一作、片山敏彦『詩心の風光』に始まり、これまで世におくった本の点数は、今年2021年2月には5000点を超えた。 総点数5000点余のうち、現在在庫のある本は約1700点。一年に数冊程度のものから『夜と霧』のように毎月1000冊以上動いているものまで、在庫といっても広い幅はあるが、75年間に刊行した本の三分の一以上が、いまも元気に読者の手許にわたっている。 出版した本が

          みすず書房75年の本 | みすず書房
        • 『ウルトラセブンが「音楽」を教えてくれた』 - HONZ

          1968年のまだ冬か春浅き頃のことだ。父が会社からシールのシートを一束持って帰ってきた。私は幼稚園の年少組から年中組に上がる頃。満4歳である。 シールは「ウルトラセブン」の番組宣伝用だった。父の勤める広告代理店は、TBS系列の日曜夜7時から30分間、大手製薬会社が単独でスポンサーをしていた番組枠を担当することを、大きな食い扶持ちにしていた。その枠で前年秋から放送されていたのが「ウルトラセブン」である。子供向きの枠だから子供に宣伝させるのが早道。私が友達にシールのシートを配る。そのために、父は宣材を家にときおり持ち帰ってきた。「ウルトラセブン」の前に同じ枠で放送されていた「ウルトラマン」や「キャプテンウルトラ」のときから、そうだった。 「キャプテンウルトラ」でも同様のシールがあった。「ウルトラマン」のときも似た宣材のあった記憶がある。一枚のシートに、何枚もの円形のシールが貼ってある。小さめの

            『ウルトラセブンが「音楽」を教えてくれた』 - HONZ
          • Book(Manga)「兵士が可愛く描かれる戦争漫画『ペリリュー~楽園のゲルニカ(7)~』」 | Life with a book1冊の本で豊かな生活を

            「ペリリュー~楽園のゲルニカ(7)~」(武田一義著、白泉社) Over view 「ペリリュー~楽園のゲルニカ~」(武田一義著、 原案協力者・平塚柾緒 白泉社)は、太平洋戦争中の1944年9月15日から11月27日にかけて、ペリリュー島(現在のパラオ共和国)で行われた日本軍とアメリカ軍による戦闘を描いた漫画です。ペリリュー島の戦争で日本軍は9839人のうち生存者は34人、米軍4万2000人で戦死者は2336人となりました。全滅に近い状態となった日本軍ですが、一時期はアメリカ軍を苦しめ、日本の第14師団歩兵第2連隊は第一海兵師団を壊滅させました。 漫画は現在、「第7巻」までが発売されており、キャラクター商品として描かれるかわいらしいタッチの兵士たちが、今までにない戦争漫画として注目されています。しかも、リアルな戦争を描いているのです。2017年には第46回日本漫画家協会賞優秀賞も受賞しました

            • 「やっぱり愛していたからね」ベトナム難民の定住を支え続けた一人の女性の半生|ニッポン複雑紀行

              1990年代以降、日本有数の外国人集住都市として知られるようになった静岡県浜松市。だが、実はそれよりも随分前から浜松市がベトナム難民の集住地だったという歴史まで知っている人はあまり多くないかもしれない。 1975年に終結したベトナム戦争とその後の社会主義国化によって発生したたくさんの難民たち――彼らの多くは欧米諸国に移り住んだが、日本に定住した者も少なくない。なかでも浜松市は神戸市などと並んでベトナム難民にとって主要な定住先のひとつとなり、その後家族の呼び寄せも行われた。さらに、現在では難民のルーツを持つ人々に加えて留学生や技能実習生として来日するベトナム人も増えており、2019年8月時点で市内に3,000人弱のベトナム人が暮らす。 当時ボートピープルとして日本への仮上陸を許可された難民たちは、まず長崎県大村市にある「大村難民一時レセプションセンター」を経由したのち、国際連合難民高等弁務官

                「やっぱり愛していたからね」ベトナム難民の定住を支え続けた一人の女性の半生|ニッポン複雑紀行
              • コレクション歴45年以上のミリタリーマニアおすすめ!軍装品の資料(初心者用参考書籍)その1とは? 0787 WORLD ミリタリー REFERENCE BOOKS FOR MILITARY COLLECTOR PART1 - いつだってミリタリアン!

                今回は、普段ブログの記事作成で参考にしている資料の一部を紹介します。 全て書籍ですが、入門用に最適ですよ。 あんたもぜひ参考にしてくださいね。 (書籍の写真は、一部トリミングしていますのでご注意ください。) 目次 1  軍装品の資料とは? 2  ミリタリーマニアおすすめの軍装品資料(初心者用参考書籍)その1 ⑴  和書 ⑵  洋書 3  資料の購入方法 4  軍装品の資料まとめ スポンサーリンク スポンサーリンク 1  軍装品の資料とは? 当ブログの読者様は既にご存知かと思いますが、このブログはミリタリー(軍事)の世界でも、主に兵士が戦闘時に使用する衣類や身の回りの装備品を分析し、箸休め的に関連の記事をアップしています。 世の中の多くのブログ運用者がそうであるように、私もアップするブログの記事について日々勉強中です。 そして謎の多い軍装品の歴史的背景や細部について、できるだけ正確な記事提供

                  コレクション歴45年以上のミリタリーマニアおすすめ!軍装品の資料(初心者用参考書籍)その1とは? 0787 WORLD ミリタリー REFERENCE BOOKS FOR MILITARY COLLECTOR PART1 - いつだってミリタリアン!
                • 税金で電子書籍を作る!? マンガ家・西島大介に訊く(飯田一史) - エキスパート - Yahoo!ニュース

                  コロナショックを受けて、日本ではアートやエンターテインメント産業の従事者に対して政府からの補償が薄いことが問題となっている。 そんななか、文化庁の予算を活用し、個人として新作マンガの電子書籍制作をしたマンガ家がいる――『ディエンビエンフー』や『世界の終わりの魔法使い』シリーズを手がけてきた西島大介だ。 予算はコロナ禍が起こる以前に申請して下りたものだが(2019年度)、アート、エンターテインメント分野に対する公的な助成へ関心が高まる今こそ、その試みは注目に値する。必要な手続きや成果はいかほどか? 西島氏に訊いた。 ■「メディア芸術クリエイター育成支援事業」とは?――西島さんは文化庁の助成金を使ってマンガの電子書籍を制作したそうですが、それは他の作家でもできることなのですか? 西島 僕が利用したのは「メディア芸術クリエイター育成支援事業」というプログラムです。これは誰でも申請できるわけではな

                    税金で電子書籍を作る!? マンガ家・西島大介に訊く(飯田一史) - エキスパート - Yahoo!ニュース
                  • 間の話としてのリーンの翼と戦争自分語り - 玖足手帖-アニメブログ-

                    8月といえば日本人にとってはお盆と原子爆弾と敗戦記念日です。僕個人は終戦記念日でもいいけど、戦争を幼児期に体験した富野監督が「敗戦です」って言っているので、敗戦でいいかな、くらいの。 というわけで、今年もリーンの翼を見ました。6話で2時間ちょいなのでサクサク見れて便利。 敗戦記念日に見たいアニメと言えば? #太平洋戦争 #終戦記念日 #敗戦記念日 #第二次世界大戦 #WWII #リーンの翼 #火垂るの墓 #風立ちぬ #はだしのゲン #tomino #ジブリ #アニメ— ヌ・リョウグ・ダちん (@nuryouguda) 2020年8月7日 まあ、8月の夏休みで暇だから戦争を思い返すというのもミーハーっぽいし、どうかと思うのだが、年中戦争のことを考えているのも面倒である。 で、今回は間の存在たちの物語としての視点からリーンの翼を見た。そして、僕も間の存在だと思った。リーンの翼の感想はずっと前に

                      間の話としてのリーンの翼と戦争自分語り - 玖足手帖-アニメブログ-
                    • ベトナム旅行記・・・2 - チコちゃんに叱られないブログ

                      ベトナム旅行記 2019年5月31日 ベトナム旅行に行ったのは2012年6月末で約7年前になります。 初めてのベトナムはとても楽しくて良い思い出がたくさんありますので、当時を思い出しながらせめて画像だけでもブログに載せて後で自分も楽しめるようにしてみたいと思います。 画像中心のベトナム旅行ブログになりますが、旅行に行ったのは、なにぶんにも7年前のことなので、好奇心と異国感覚だけが記憶にしか残っていません。それで、画像にも説明がつけられないものが多いと思いますが、一応、時間軸に沿って画像を掲載します。 ベトナム旅行の写真集 2012月7月1日 ベトナム三日目です。 この砲台で検索をかけて川の名前が分かりました。 川の名前はサイゴン川です。ホテルはこの川から15分ほどの場所でした。この砲台のある場所はネットでも同じ画像が画像が見つかるのですけど位置までは特定できませんでした。ドンドゥックタン通

                        ベトナム旅行記・・・2 - チコちゃんに叱られないブログ
                      • 映画『過去はいつも新しく、未来はつねに懐かしい 写真家 森山大道』公式サイト

                        2023年3月22日 Blu-ray発売決定! 未公開映像や幻のTV番組等、レア特典満載の豪華装丁版。 ご予約はコチラから! 1968年、森山大道さんは1冊の写真集で鮮烈なデビューを飾りました。 この年は、プラハの春、ベトナム戦争、キューブリック監督作『2001年宇宙の旅』公開、キング牧師暗殺、パリ5月革命、アポロ7号打ち上げ、ザ・ビートルズ『ホワイトアルバム』リリース、学生運動の激化など、さまざまな事件が起きました。騒乱と混沌に彩られた激動の1年だったのです。 森山さんもまた、先鋭的なスナップショットで写真界に大きな衝撃を与えました。画面が荒れ、被写体がぶれ、ピントがボケた衝撃的な作品群は、それまでの常識を根底から覆すものでした。 「こんなものは写真じゃない」と写真家たちが激怒する一方、「いや、これこそぼくたちが求めていた本当の写真だ!」と若者たちからは圧倒的に支持されました。彼は写真界

                          映画『過去はいつも新しく、未来はつねに懐かしい 写真家 森山大道』公式サイト
                        • ベトナム旅行記・・・3 - チコちゃんに叱られないブログ

                          ベトナム旅行に行ったのは2012年6月末で約7年前になります。 初めてのベトナムはとても楽しくて良い思い出がたくさんありますので、当時を思い出しながらせめて画像だけでもブログに載せて後で自分も楽しめるようにしてみたいと思います。 ベトナム旅行記・・・3 画像中心のベトナム旅行ブログになりますが、旅行に行ったのは、なにぶんにも7年前のことなので、好奇心と異国感覚だけが記憶にしか残っていません。それで、画像にも説明がつけられないものが多いと思いますが、一応、時間軸に沿って画像を掲載します。 ベトナム旅行の写真集(最終回かも?) 2012月7月2日 ベトナム三日目です。 こちらはネット情報で「ホーチミン歌劇場」と判別です (´▽`;) 歩いていると思いましたけど、画像がバスのやや高め目線ですからバスで観光移動していると思われます。 ホーチミン人民委員会庁舎です。 画像手前右側の植物はコーデックス

                            ベトナム旅行記・・・3 - チコちゃんに叱られないブログ
                          • 早大闘争の記憶―当事者取材から見えるものは― | Wasegg

                            プロローグ ヘルメットをかぶり、角材を肩に担いだ人々が野太い声を上げながら、見覚えのある建物の前を足早に歩いていく――。大学3年の夏休みに映画で見た、『ノルウェイの森』。デモ隊が行進するワンシーンは早稲田大学のキャンパス内で撮影されていた。当時の私の目に学生運動は自分と全く無関係の出来事として映ったし、私が通っている早稲田大学で運動が展開されていたことさえ知らなかった。ましてや、それから約一年後に、運動に携わっていた当事者たちに話を聞いて回っていることなど、頭の片隅にもなかったのだ。 私が早稲田の学生運動(以下早大闘争)に対して関心を抱くようになったきっかけは、3年生の秋に受講した日本文学史という授業での、田部知季教授の一言にあった。 「私たちが学ぶ早稲田でも過去に学生運動ってあったんですよ。この手の話ができる当時の人もだんだん減ってきているから、聞ける人は今のうちに聞いておいても良いんじ

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                            • 写真家が体験した「戦争と平和」|NHK

                              8月、戦争について考える時間が多くなる。 広島・長崎の原爆の日、そして終戦の日。 厳粛な気持ちで、犠牲者を追悼する。 こうしたなか、ロシアによるウクライナへの軍事侵攻が続いている。 世界の各地でも戦争の種は尽きていないように思う。 戦争と平和について、もう一度考えたい。 戦場カメラマンだった写真家、後藤勝さん(56)を取材することにした。 (記事には、衝撃的な写真も含まれています) 後藤さんは、1966年生まれ、愛知県の出身だ。 高校2年生のときに学校をやめて家を出た。 その後、訪れたのは沖縄だった。 働いたパブには、ベトナム戦争を体験した兵士たちがやってきた。 住民の中には、「ガマ」での集団自決の記憶を抱えている人もいた。 そんなとき、手に取ったのが戦場カメラマンの写真集だった。 ロバート・キャパや沢田教一、岡村昭彦… 写真家になるにはどうすればよいか。 守礼門の前で記念撮影の仕事をして

                                写真家が体験した「戦争と平和」|NHK
                              • <歌詞和訳>Like a Rolling Stone – Bob Dylan 曲の解説と意味も | LyricList (りりっくりすと)

                                2018-06-262024-01-16Bob Dylan 歌詞和訳[社会] 風刺/抗議 Bob Dylan – Like a Rolling Stone ボブ・ディラン – ライク・ア・ローリング・ストーン アメリカのシンガーソングライター ボブ・ディランが、1965年6月にリリースしたシングル曲です。 6分を超える長尺の曲は、当時のシングルとしては異例の長さだったといいます。 ボブ・ディラン最大のヒット曲で、ロック史上に残る名曲と呼ばれています。 多くのミュージシャンに歌い継がれており、ジミ・ヘンドリックス、ローリング・ストーンズ、ニール・ヤング、デヴィッド・ボウイ、ボブ・マーリーなどがカバーしています。 歌詞の意味と解釈 タイトルにある「ローリング・ストーン」とは、”風来坊” や ”住所不定の人” を指す言葉です。 歌詞は複数の章で構成されたストーリーになっています。その多く

                                  <歌詞和訳>Like a Rolling Stone – Bob Dylan 曲の解説と意味も | LyricList (りりっくりすと)
                                • 日本の写真にフォーカス - San Francisco Museum of Modern Art

                                  背景画像:畠山直哉、《Blast#13018》(部分)2006年、発色現像方式印画、99.5×150cm、サンフランシスコ現代美術館所蔵、空蓮房寄贈 © 畠山直哉 このデジタル出版は、NIKONの寛大なご支援によって提供されています。 また、レイ・エバンズ&ウィン・リッチー・エバンズ財団とグレン・S&サキエ・T・フクシマ夫妻のご後援を受けています。 NIKONは100年以上にわたり、私たちの日常生活を改善し、より美しい芸術を創造し、人類の最大の課題のいくつかを解決するために、新しく革新的な画像技術を追求してきました。これらの影響力のある写真家の重要な作品やストーリーを世界に届けるサンフランシスコ近代美術館の『日本の写真にフォーカス』に協力できることを誇りに思います。 日本の写真界において最も多作な人物の一人、荒木経惟(1940年生まれ)は、1970年から現在に至るまでに数え切れないほどの写

                                    日本の写真にフォーカス - San Francisco Museum of Modern Art
                                  • 不敗の小国:ベトナム~元(モンゴル帝国)、アメリカに勝った国 - 虚虚実実――ウルトラバイバル

                                    不敗の小国:ベトナム~元(モンゴル帝国)、アメリカに勝った国 (前書き:今回の拙ブログは、ベトナムがテーマです。最近、群馬県を舞台にして、ベトナムからの技能研修生などが、やれ豚を盗んだとか、料理して食べたとかのニュースが流れたのを皮切りに、日本各地からも、これら不良ベトナム人の犯罪行為が相次いで報道されています。だいぶんベトナム人は株を下げましたが、悪行をする人は、どんな国にもいて、ベトナムだけが悪人を日本に輸出しているのではないと思います。日本人にも、悪人がたくさんいるではありませんか。政府のトップの連中なんか、悪い見本です。) ************************ あの悪名高い元(モンゴル帝国)に勝ったのは、鎌倉時代の日本だけではなく、ベトナムも、3度の元の侵攻を跳ね返して、勝利を得た国でした。3度目の戦いは「白藤江の戦い(1288年)」と呼ばれ、ベトナムは、元軍に致命的な

                                      不敗の小国:ベトナム~元(モンゴル帝国)、アメリカに勝った国 - 虚虚実実――ウルトラバイバル
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