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慰問袋の検索結果1 - 9 件 / 9件

  • 羊羹について - japan-eat’s blog

    餡」を使った和菓子は日本独自の文化ですが、「羊羹」は大陸生まれの汁物であること、皆様はご存知でしょうか?とても興味深い言い伝えが、羊羹にはあります。 羊羹 羊羹(ようかん)の「羊」と「羹」の意味 日本にて独自文化となった羊羹 初期の羊羹 17世紀以降の羊羹 江戸時代の羊羹 玉羊羹の登場 羊羹に含まれている主な成分 水羊羹とようかんの違い 羊羹のカロリーは高いの? オススメの食べる時間 食べる時の飲み物 羊羹 「羊羹」の「羹」は訓読みで「あつもの」と読み、とろみのある汁物を指します。中国では「羊羹」という言葉は羊の肉やゼラチンを使ったスープ(料理)のことを示します。 日本には、鎌倉から室町時代に中国に留学した禅僧によって「点心(てんしん)」(食事と食事の間に食べる小食、間食です。)の一つとしてもたらされていました。しかし、禅僧は肉食が禁じられていたため、小豆や小麦粉、葛粉などの植物性の材料を

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    • 14色のペン:2・26事件と青森 地方紙記者の戦後 | 毎日新聞

      皇居そばの竹橋をバリケードで塞ぐ2・26事件の反乱軍兵士。今は、この写真の撮影位置の背後に毎日新聞東京本社がある=1936年2月撮影 戦前のクーデター、2・26事件から今月で87年がたちます。事件は、私の初任地、青森県とも浅からぬ縁がありました。関係した地方紙記者らとその戦後、現在の同県にある核燃料サイクル施設までの流れを素描します。【オピニオングループ・鈴木英生】 1936年2月26日朝、雪深い青森市の陸軍第8師団歩兵第5連隊本部。スキーを履いて出勤した末松太平大尉が、電話でこう問われた。「野中四郎大尉を知っていますか」。野中は2・26事件の首謀者の一人だ。興奮気味の声の主は、地元紙「東奥日報」記者の竹内俊吉。末松は、以前から親しかった竹内によって同志の決起を知った。 事件は、農村の疲弊や政治の腐敗に憤る青年将校たちが起こした。部下約1400人を引き連れて要人を殺害し、首都中枢を占拠する

        14色のペン:2・26事件と青森 地方紙記者の戦後 | 毎日新聞
      • 新自由主義時代の「富国強兵」教育 - 集英社新書プラス

        集英社新書編集部では、「自由の危機」と題して、いま、「表現の自由」「学問の自由」「思想信条の自由」「集会の自由」など、さまざまな「自由」が制限されているのではないか、という思いから、多くの方々にご参加いただき、広く「自由」について考える場を設けました。本企画の趣旨についてはこちらをご覧ください。 コロナ禍という特殊事情もあり、「自由」はますます狭められているように思います。こうした非常時の中では、それについて考える余裕も奪われていきますが、少し立ち止まって、いま、世の中で起きている大小さまざまな「自由」の危機に目を向けてみませんか? それは、巡り巡ってあなた自身の「自由」に関わってくるかもしれません。 第8回 鈴木大裕 新自由主義時代の「富国強兵」教育 2021年4月に入り、菅政権は“子育てや教育に一体的に取り組む”ための組織として、「子ども庁」の新設を発表しました。そしてさらに14日には

          新自由主義時代の「富国強兵」教育 - 集英社新書プラス
        • 「日本のカーニバル戦争」書評 消費者に焦点 「影」を描き出す|好書好日

          ISBN: 9784622095231 発売⽇: 2022/08/18 サイズ: 20cm/385,23p 「日本のカーニバル戦争」 [著]ベンジャミン・ウチヤマ タイトルの「カーニバル戦争」は見慣れない表現だが、総力戦下の文化状況をとらえた見方だ。文学理論家ミハイル・バフチンの概念を踏まえた。従来の研究は、「臣民」としての日本人の「消費者」の部分を見ることを怠ったという。著者はそこに焦点を当てた。 カーニバル戦争には三つの特性があるという。柔軟な遊び心、転覆の曖昧(あいまい)な意味、近代戦争の暴力性とその痛快性の礼賛だ。そこには「カーニバル王」と言える存在があるとして、従軍記者、職工、兵隊、映画スター、少年航空兵を取り上げ、総力戦の「影」の部分を歴史の舞台に引き出す。 戦場の暴力性を「血湧き肉躍るモダンな楽しいものとして瞬時に読者に伝える新しい語彙(ごい)」を獲得した、従軍記者。スリルと

            「日本のカーニバル戦争」書評 消費者に焦点 「影」を描き出す|好書好日
          • 《実物の写真多数》戦時中の兵士たちも実はゲームを遊んでいた? 国内向けの豪華さに比べて、前線向けが妙に"無難”な残酷な理由 | 文春オンライン

            皆さんはKGKというゲームメーカーをご存じでしょうか。KGKは第二次世界大戦当時「皇軍慰問品」と呼ばれるジャンルの商品を多く作っていたことで知られるメーカーです。皇軍慰問とは“前線”で戦う兵士のために銃後の家族が支援物資を送る制度で、先の記事で紹介した双六のマスにも慰問袋作りが何度も登場していましたね。言わばこのメーカー、戦地の兵士が遊ぶ“前線”向けのゲーム会社だったわけです。 KGKのロゴ 慰問品として送られていたものの中では、本、煙草、お菓子、はたまた美女の写真などが人気だったようですが、僅かながらゲームや玩具類も入っていました。戦地に送るための製品であってどれもコンパクトにまとめられているのが特徴で、旅先で遊べるポケットタイプの現代のボードゲームなどにも通じる意匠が凝らされている作品が多く、耐久性で見ても、携行性で見ても、実用品として優れた作品が多く残されているんです。

              《実物の写真多数》戦時中の兵士たちも実はゲームを遊んでいた? 国内向けの豪華さに比べて、前線向けが妙に"無難”な残酷な理由 | 文春オンライン
            • 75年以上経て日本に戻る 東京の女子学生が兵士に出した手紙か | NHKニュース

              太平洋戦争中に東京の女子学生が海外にいる兵士に出したとみられる手紙が、75年以上の時を経て日本に戻ってきました。手紙を託された学芸員は「庶民の暮らしが伝わる貴重な資料で、差出人を見つけたい」と話しています。 手紙はオーストラリアの女性が、太平洋戦争中にマレー半島などでイギリス軍として戦った父親の遺品の中に見つけ、「日本に返したい」として、ことし3月、東京 渋谷区に寄贈されたものです。 差出人は、渋谷区の関東高等女学校の5年生となっていて、海外の前線にいる日本兵に宛てて書かれたものとみられます。 明治神宮に参拝したことや、新聞に兵隊が餅をついている写真が載っていたこと、また門松が廃止され、その分のお金を海軍省に献金したことなど、当時の暮らしぶりがうかがえます。 色鮮やかに描かれた、かんじきを履いた男女の子どもの絵も添えられ、ふるさとを感じてもらおうという思いもみられます。 手紙を託された東京

                75年以上経て日本に戻る 東京の女子学生が兵士に出した手紙か | NHKニュース
              • 続・見えなくなってきた戦争の傷跡・東京都大田区の場合 - 北穂高岳で味わう至福のひと時

                東京・羽田空港の大鳥居(2023年1月29日撮影) ロシアのプーチンが始めた侵略戦争は終わる気配がないですね。 日本も昔、侵略戦争をして返り討ちに遭いましたが、その「痕跡」はほとんど消えてしまいました。また、「戦前」になった気配・・・。 2年前に書いたブログの続編です。 目次 軍用トラックをつくっていた【東京瓦斯電気工業㈱大森工場】 兵隊慰問用の「ドロップ」を製造【新高(にいたか)製菓㈱第三工場】 兵隊の防寒服を縫製【鬼足袋(おにたび)工業㈱】 ≪2023年7月追加≫ 国産タイプライターを製造していた【黒澤商店蒲田工場】 軍部の監督と管理下におかれた香料メーカー【高砂香料工業㈱】 軍用トラックをつくっていた【東京瓦斯電気工業㈱大森工場】 100年も前ですが、1917年(大正6年)に、東京瓦斯(がす)電気工業という会社の大森工場が存在しました。「瓦斯電(がすでん」と略して呼ばれました。 いす

                  続・見えなくなってきた戦争の傷跡・東京都大田区の場合 - 北穂高岳で味わう至福のひと時
                • 周回遅れの図書館書籍購入ルールと書店支援 - トムジィの日常雑記

                  よほど記事ネタがないのか、いやイチエフの汚染水海洋放出など、問題記事はいくらでもあるのだが、なんとなく埋草的な記事として、自民党の議員連盟が出した図書館の書籍購入ルールと書店支援についての記事が朝日新聞に載っていた。 (閲覧:2023年8月29日) 図書館がベストセラー本を複数購入するので、本が売れない、本を書店で買ってくれない。いわゆる一つの図書館の副本問題だ。もうこの話、何十年やっているんだろうと思ったりもする。 ある意味では、出版業界、特に出版社にとって図書館は利害を対立するようなところでもあった。図書館は蔵書して貸し出せば、当然それを利用することで本の販売機会が減少する。図書館の本来的な役割でもある資料の収集、整理、保存と情報の提供を無視して、貸本屋扱いをずっとしてきたのである。 70年代、80年代くらいまでは、大手出版社、中堅出版社などからは、普通に図書館が蔵書すると本が売れなく

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                  • 32歳で戦死…妻子へ送り続けた絵手紙400通(西日本新聞) - Yahoo!ニュース

                    太平洋戦争中、妻や幼い子どもたちに、戦地から絵手紙を送り続けた陸軍兵士がいた。家族を心配させないよう過酷な軍隊生活をおくびにも出さず、明るくユーモアたっぷりに描いた数々の絵からは、生き抜いて再び家族と幸せな暮らしを送りたいという願いがにじむ。兵士の孫、伊藤博文さん(51)=福岡市早良区=が所有する絵手紙を公開する企画展が8月1日~同30日、嘉麻市の碓井平和祈念館で開かれる。 【写真2枚】妻子思う戦時の絵手紙 兵士は福岡市博多区中洲中島町でちょうちん店を営んでいた半次さん。1941年、生後半年だった博文さんの父、故允博(よしひろ)さんら家族と別れ、旧満州国(中国東北部)へと出征。沖縄へと転戦し32歳で戦死した。 半次さんが出征先から家族に宛てた便りは400通に及ぶ。ちょうちん職人として腕を磨くため、日本画を学んだ半次さんは、その特技を生かして絵手紙をしたため続けた。 戦地の兵士を励ましたのが

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