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田岡一雄の検索結果1 - 23 件 / 23件

  • 小人プロレスと都市伝説 - 男の魂に火をつけろ! ~はてブロ地獄変~

    最近また小人プロレスの話がよく出てくるので、ここでもまとめておきたいと思います。 よくある都市伝説 かつて低身長症の選手だけで組織された小人プロレス団体があり、テレビでも放送され人気を博していた。しかし人権団体が「身体障害者を見世物にするとは何事か」とクレームをつけ、テレビ放送は禁止となり、興行も取り締まられて団体は解散、レスラーたちは全員失業し困窮した。元レスラーは「人権団体のやつらは、俺たちの仕事を奪ったが替わりの仕事はくれなかった」と涙ながらに訴えたが、人権団体は彼らを無視して、小人プロレスを潰した実績を誇示しつつ、次の獲物(※主に女性の性的魅力を前面に押し出したコンテンツがここに入る)を狙っている。 実際はどうか 小人プロレスは全日本女子プロレスのいち部門として前座で開催され、メディアで取り上げられることは少ないが試合はずっと行われていた。全日本女子プロレスの倒産により試合の機会は

      小人プロレスと都市伝説 - 男の魂に火をつけろ! ~はてブロ地獄変~
    • 広沢虎造から考えるJ-POP史

      昔は銭湯に入ると一人くらい、「旅ゆけば〜♪」と気持ちよく喉を鳴らしているおじさん、おじいさんがいたという。 このフレーズは浪曲の大名人、広沢虎造の十八番「清水次郎長」に出てくる定番フレーズ。ちなみに静岡清水出身であるさくらももこ氏の「ちびまるこちゃん」にも、まるこが冒頭のフレーズを口ずさむシーンがある。ちなみに、広沢虎造発の他の有名フレーズといえば、「馬鹿は死ななきゃ治らない」と、シブがき隊によってアップデートされた「寿司食いねえ」等がある(両方とも「森の石松と三十石船」に登場する) 今でも言い回しや言葉が残るほど、かつての広沢虎造の人気は絶大であったし、また浪曲の人気もものすごいもので、テレビが普及する戦後までは日本のエンターテインメントの頂点であった。ちなみに私は若手だと関西節の方が好みで、かつてケイコ先生で知られた春野恵子さんや真山隼人さんが好きです。 例えば、われわれが今の音楽を語

        広沢虎造から考えるJ-POP史
      • 「ハマのドン」激怒。横浜のカジノ誘致を強要した「黒幕」の正体 - まぐまぐニュース!

        8月22日、これまで「白紙」としていたIR誘致に対する姿勢を、突如「推進」とし発表した横浜市の林文子市長。この変節ぶりに、「ハマのドン」の異名を取る横浜港運協会会長の藤木幸夫氏が激怒したことが報じられ、話題となっています。元全国紙社会部記者の新 恭さんは自身のメルマガ『国家権力&メディア一刀両断』で、藤木氏が不快感を露わにした理由と、林市長にカジノ誘致決断を余儀なくさせた政界の実力者の実名を記しています。 横浜のカジノ誘致の黒幕を港運協会会長が批判 横浜港へのカジノ誘致に反対する港湾業者らの記者会見は、ミナトを聖地と呼ぶ89歳の男の独壇場だった。 【関連】安倍家と麻生家の家系図を辿ってわかった歴代総理の異常な親戚関係 「林さんに顔に泥を塗られたが、よく我慢したねと言ってあげたい」 横浜港運協会会長、藤木幸夫氏は前日にカジノを含む統合型リゾート施設(IR)の誘致方針を表明した林文子市長の心中

          「ハマのドン」激怒。横浜のカジノ誘致を強要した「黒幕」の正体 - まぐまぐニュース!
        • 『TOUGH 龍を継ぐ男』漫画家・猿渡哲也の「烈侠伝」 第1回ゲスト・小林 旭「『仁義なき戦い』で実在の人物に出会ったときは、足が震えたよ」 - エンタメ - ニュース

          週プレNEWS TOPニュースエンタメ『TOUGH 龍を継ぐ男』漫画家・猿渡哲也の「烈侠伝」 第1回ゲスト・小林 旭「『仁義なき戦い』で実在の人物に出会ったときは、足が震えたよ」 漫画家の猿渡哲也氏と俳優・歌手の小林 旭氏 無類の映画狂、漫画家・猿渡哲也が烈(はげ)しい人生を辿ってきた〝侠(おとこ)〟たちに肉迫。第一回は、およそ70年にわたり現役を貫く〝生ける伝説〟こと、俳優・歌手の小林 旭。命を懸けた現場、歴史に残るスターとの交遊、知られざる数多の逸話が今ここに!! * * * ■本当は菅原文太主演ではなかった!? 猿渡 小林さんは、昭和30年代(1955~64年)の日活映画黄金期を支えた大スターですが、僕が一番衝撃を受けたのは、『仁義なき戦い』シリーズの3作目、『仁義なき戦い 代理戦争』(73年)での武田 明役です。ただ、そこまで出番は......。 小林 脇役でしたからね。 猿渡 で

            『TOUGH 龍を継ぐ男』漫画家・猿渡哲也の「烈侠伝」 第1回ゲスト・小林 旭「『仁義なき戦い』で実在の人物に出会ったときは、足が震えたよ」 - エンタメ - ニュース
          • 《遺体なき強盗致死事件》「あばら全部折ってくからな」全身タトゥーの今泉容疑者(32)ら回収屋“釈迦憎”が会社経営者を“16時間集団リンチ” | 文春オンライン

            「金やない。『運と、縁と勘』を持ってる者が生き残る」 “遺体なき強盗致死事件”で逮捕されたのは、山口組三代目組長・田岡一雄のツイッターボットをたびたびリツイートし、詐欺師から金をとり返す「回収屋」だった。彼らは「釈迦憎」と名乗り、社会正義を掲げていたが、ついに“義賊”の化けの皮が剥がれた――。 ◆◆◆

              《遺体なき強盗致死事件》「あばら全部折ってくからな」全身タトゥーの今泉容疑者(32)ら回収屋“釈迦憎”が会社経営者を“16時間集団リンチ” | 文春オンライン
            • アメリカマフィアについて語りたい : 哲学ニュースnwk

              2020年04月30日22:30 アメリカマフィアについて語りたい Tweet 1: 以下、5ちゃんねるからVIPがお送りします 2020/04/30(木) 16:22:29.673 ID:WPmitPDba 語ろう! 3: 以下、5ちゃんねるからVIPがお送りします 2020/04/30(木) 16:23:10.521 ID:8ZISRcN10 シチリア島出身 5: 以下、5ちゃんねるからVIPがお送りします 2020/04/30(木) 16:24:54.967 ID:In6Q6N6KK ザソプラノズってドラマが現実に近いとマフィアの方が言ってたそうだ 6: 以下、5ちゃんねるからVIPがお送りします 2020/04/30(木) 16:37:21.686 ID:TZNX1ULB0 >>5 言われてますね! マイゴッドファーザーって本も普通の家庭のあるマフィアの話で面白いですよ ちょっと有

                アメリカマフィアについて語りたい : 哲学ニュースnwk
              • 《遺体なき強盗致死事件》「あばら全部折ってくからな」全身タトゥーの今泉容疑者(32)ら回収屋“釈迦憎”が会社経営者を“16時間集団リンチ”(文春オンライン) - Yahoo!ニュース

                「金やない。『運と、縁と勘』を持ってる者が生き残る」 “遺体なき強盗致死事件”で逮捕されたのは、山口組三代目組長・田岡一雄のツイッターボットをたびたびリツイートし、詐欺師から金をとり返す「回収屋」だった。彼らは「釈迦憎」と名乗り、社会正義を掲げていたが、ついに“義賊”の化けの皮が剥がれた――。 【画像】仲間たちとビーチで遊ぶ、全身タトゥーの今泉容疑者 ◆◆◆ 広島県警は、昨年6月に広島県海田町の事務所で竹内義博さん(71)が監禁後に暴行を受けて遺体を遺棄された事件で、冒頭のリツイートをしていた今泉俊太容疑者(32)や伊藤圭亮容疑者(28)、倉本絵梨容疑者(37)ら男女7人を、2月13日に強盗致死の疑いで再逮捕した。 「あばら全部折ってくからな」「死んで生命保険で払えば」 今泉容疑者らは“詐欺被害”を訴える5人の女性らとSNSで知り合い、竹内さんから金を奪うことを計画。事務所で竹内さんに暴行

                  《遺体なき強盗致死事件》「あばら全部折ってくからな」全身タトゥーの今泉容疑者(32)ら回収屋“釈迦憎”が会社経営者を“16時間集団リンチ”(文春オンライン) - Yahoo!ニュース
                • タピオカがヤクザの資金源に 「こんなに楽な商売はない」(2019年6月17日)|BIGLOBEニュース

                  台湾発祥の「タピオカドリンク」が大ブームだ。繁華街を歩けば若者がカラフルなドリンクで喉を潤す姿が目に入ってくる。だが、カップ底に沈む黒いタピオカが暴力団にとって“黒い真珠”に化けていることは知られていない。実態を、暴力団事情に詳しいフリーライターの鈴木智彦氏が明かす。 * * * その店──暴力団経営のタピオカドリンク屋はJR山手線某駅に近い繁華街の一角にあった。立地も、ファンシーな店構えも、笑顔の店員も、暴力団と無関係にしか見えない。実際、働いている店員は、自分が暴力団のフロント企業でアルバイトをしているとは思っていないだろう。ましてや、SNS上にアップする写真を撮影したり、モチモチした食感を楽しんでいる“タピオカ女子”たちは、その代金が暴力団に還流されているとは想像すらできないはずだ。 若い男女に混じって行列に並び、人気メニューの『タピオカミルクティー』を買ってみた。透明容器に入れられ

                    タピオカがヤクザの資金源に 「こんなに楽な商売はない」(2019年6月17日)|BIGLOBEニュース
                  • 吉本芸人の「闇営業」を許す芸能界の甘さ(プレジデントオンライン) - Yahoo!ニュース

                    ■「組員300人を呼んで血の雨を降らしてやる」 「吉本興業前社長ら逮捕へ 会社乗っ取る 山口組の名でおどし」 1968年1月11日に吉本興業の林正之助前社長が、銀座にあった芸能プロダクション社長と組んで、レコード会社の乗っ取りを画策した際、2人が「電話一本で山口組員300人を呼んで血の雨を降らしてやる」と凄んだとして、恐喝の罪で逮捕されたときの毎日新聞の見出しである(増田晶文著『吉本興業の正体』草思社文庫より)。 吉本興業と山口組との関係は古い。特に、三代目の田岡一雄組長との付き合いは、つとに知られている。 増田の本の中に、こんなエピソードがある。後に林正之助が会長になった時、彼は芸人たちに、こう訓辞を垂れたというのである。 「ヤクザとは一切関わってはいかん。飯や酒の席はもちろん、電話で話すのもいかん。目を合わせてもいかん。同じ空気を吸うてもいかん。考えられるあらゆる局面でヤクザと接しては

                      吉本芸人の「闇営業」を許す芸能界の甘さ(プレジデントオンライン) - Yahoo!ニュース
                    • 右翼の産物だった競艇 – Pierrot in the twilight

                      上記の各売上高に、toto:1080億円、パチンコ:19兆5400億円を加えた合計は、25兆7800億円。この年の一般会計の歳額は97兆4547億円ですから、国家予算の実に26.5%に相当額の博打に国民が参加している実態は、「ギャンブル大国」という表現が決して大袈裟ではないことを示しています。中でも、競艇は売上1兆2379億円をあげて、公営ギャンブル第2位の地位を占めています。他のすべての公営競技が戦前からの伏線があって公営化したものですが、「競艇」だけは戦後の混乱期に唐突に生まれ、私的な賭博運営を政府から許可された唯一のものです。しかも最も胡散臭い公営競技です。 A級戦犯容疑者が作った「競艇」 「街をきれいに!一日一善!」とのナレーションと同時に日章旗掲揚や競艇レース映像を加えて、「モーターボート競走の収益金は、防犯・防火のために役立てられています」というCMを記憶されておられる方も多い

                      • 映画『ハマのドン』公式サイト

                        イントロダクション 2019年8月、“ハマのドン”こと藤木幸夫が横浜港をめぐるカジノ阻止に向けて立ち上がった。御年91歳。地元政財界に顔が効き、歴代総理経験者や自民党幹部との人脈、田岡一雄・山口組三代目組長ともつながりがあり、隠然たる政治力をもつとされる保守の重鎮だ。 その藤木が、カジノを推し進める政権中枢に対して、真っ向から反旗を翻した。今の時代が、戦前の「ものを言えない空気」に似てきたと警鐘を鳴らし、時の最高権力者、菅総理と全面対決した。 決戦の場となったのは横浜市長選。藤木が賭けたのは、住民投票を求める署名を法定数の3倍をも集めた市民の力だった。裏の権力者とされる藤木が、市民とカジノ反対の一点で手を結び、時の総理と官房長官が推し進めた「カジノ誘致」の国策阻止を成し遂げた。 パーソナルな話題があふれるこの情報社会の中で、本来の保守とはなにか、人心を動かすとはどういうことか、社会のありよ

                          映画『ハマのドン』公式サイト
                        • 芸人を「消耗品」と見下す吉本興業のブラックさ 松本人志よ、このままでいいのか

                          だが、それは発端で、真に問われたのは、吉本とヤクザ(反社)との関係、大崎洋会長、岡本昭彦社長体制への疑義、松本人志一強といわれる芸人間のヒエラルキー問題、芸人とエージェント契約すると唐突にいい出した「経営アドバイザリー委員会」なるもののうさん臭さなどである。 大崎、岡本の吉本ツートップは、岡本社長のしどろもどろの5時間半の会見以降、姿を見せず、宮迫はオレオレ詐欺への啓発ビラを配るボランティアなどをしながら、吉本からの沙汰を待っている間に、彼と亮以外の11人の芸人たちの謹慎を解いてしまったのである。 復帰させるにしても最低限、11人にも会見をさせ、謝罪させるべきではないか。そんな世間の批判の声も聞こえないようである。 以前にも書いたが、吉本とヤクザ、それも山口組三代目・田岡一雄組長との縁は深かった。 以来、山口組を始めとするヤクザとのつながりを断ち切ることができず、水面下で続いてきたのではな

                            芸人を「消耗品」と見下す吉本興業のブラックさ 松本人志よ、このままでいいのか
                          • 元吉本芸人「ヤクザと簡単に切れへんことはみんな知ってる」

                            闇営業騒動は吉本興業内の様々な問題に飛び火した。そんななか、“芸能界と反社”について爆弾告発したのが漫談家の前田五郎(77)。坂田利夫(77)との漫才コンビ「コメディNo.1」で人気を博した、元吉本のベテランである。 騒動渦中の7月21日、YouTubeの配信番組で前田はこう言い放った。 「大崎(洋)会長が僕らのマネージャーをしとった時にヤクザの仕事を持ってきて、それに行ってんねんから、何回も。それを出さんとええカッコ抜かしやがって」 本誌・週刊ポストは前田の元に飛んだ。前田曰く、吉本とヤクザの関係は創業家である林家から始まっているという。 「当時の“発注先”はほとんどが山口組本家やった。もともと林正之助会長(創業者・吉本せいの弟)と山口組三代目(田岡一雄組長)の仲は有名(*注)で、その縁もあって本家の祝い事や催しには必ず吉本芸人に声がかかったんですわ。 【*注:1968年1月、正之助氏は

                              元吉本芸人「ヤクザと簡単に切れへんことはみんな知ってる」
                            • ジャズと「反社」と芸能界─ナベプロを闇の世界から守った男【ヒップの誕生 ─ジャズ・横浜・1948─】Vol.21 | ARBAN

                              戦後、占領の中心となった横浜は「アメリカに最も近い街」だった。1948年、その街に伝説のジャズ喫茶が復活した。それは、横浜が日本の戦後のジャズの中心地となる始まりでもあった──。そんな、日本のジャズが最も「ヒップ」だった時代をディグする連載! 音楽ビジネスにはコンサートなどの興行が不可欠であり、興行の世界は歴史的に「反社会勢力」が暗躍する場所だった。戦後のジャズ界から出発し、芸能プロダクションを立ち上げ、〈クレイジーキャッツ〉をスターに育て上げた渡辺晋は、「反社」とどのように対峙したのだろうか。その陰には、一人の男の存在があった。 芸能界と「反社」の関係 「反社」という言葉が日本語の語彙として定着したのはいつ頃からだっただろうか。以前はたんに「暴力団」もしくは「ヤクザ」と言っておけばよかった人々を、「反社会的勢力」と別の言葉で呼ばなければならなくなったきっかけは、1992年に施行された「暴

                                ジャズと「反社」と芸能界─ナベプロを闇の世界から守った男【ヒップの誕生 ─ジャズ・横浜・1948─】Vol.21 | ARBAN
                              • 【スクープノンフィクション】詩人・伊藤比呂美「父は田岡一雄さんを叔父貴と呼んだ」

                                著名人が自ら、ヤクザの子であると明かすことは珍しい。まして、それが文学者となればなおさらだ。 詩人の伊藤比呂美氏は、父のことを調べているうちに暴力団取材の第一人者であるフリーライターの鈴木智彦氏の著書『サカナとヤクザ』にたどり着いた。その第四章『暴力の港・銚子の支配者、高寅』には、「高橋寅松」と「伊藤一彦」という博徒の貸元と幹部が登場。実は伊藤氏にとって、「高橋寅松」は伯父で「伊藤一彦」は父だという。 伊藤氏からSNSを通じてその事実を知らされた鈴木氏が、彼らの足跡を追った。(文中敬称略)【前後編の後編。前編から読む】 * * * 高寅は14件の容疑で起訴され、懲役7年の判決が下された。控訴審では懲役4年、最高裁に上告したところ講和条約の恩赦と未決通算(判決までの勾留日数)で3年7月に減刑された。高寅が突然上告を取り下げ、千葉刑務所に下獄したのは昭和29年3月15日である。今のようにヤクザ

                                  【スクープノンフィクション】詩人・伊藤比呂美「父は田岡一雄さんを叔父貴と呼んだ」
                                • 山口組に存在した在日コリアン差別 「殺しの柳川」も怒り

                                  「ヤクザもんの社会は差別がない。終戦直後のあの時代でも人間同士の付き合いがある。そういうところがあったから飛び込んだわけですよ」。これは山口組きっての武闘派・柳川組を率いて、最強の在日ヤクザとして恐れられた柳川次郎(本名ヤン・ウォンソク。1991年没)の言葉である。ヤクザには差別がない──。本当にそうだったのか。ジャーナリスト竹中明洋氏が綴る。 * * * 戦後ヤクザ史に残る抗争の一つに明友会事件というものがある。1960年、まだ神戸を拠点とする一勢力だった山口組が、大阪の新興勢力で在日コリアンを中心とした愚連隊・明友会を殲滅した事件である。きっかけはこんな具合である。 「よう、バタヤンやないか。一曲歌ってくれんかいな」 ミナミのクラブ「青い城」で山口組三代目の田岡一雄が歌手の「バタヤン」こと田端義夫らと会食していたところ、同じ店にいた明友会の幹部らが田端に歌うよう強要した。それを制止した

                                    山口組に存在した在日コリアン差別 「殺しの柳川」も怒り
                                  • タピオカがヤクザの資金源に 「こんなに楽な商売はない」

                                    数年前、バレンタインデーのチョコレートが高級化・ブランド化し、原材料の価格が上がると、知り合いの暴力団幹部はカカオ豆の買い占めに乗り出した。付け焼き刃の知識で参入したところで失敗するだろうと思っていたところ、海外から仕入れた賞味期限切れカカオ豆やチョコレートを混ぜて問屋に販売し、莫大な利益を上げたのだ。 ブームの裏には必ず暴力団がいる。 暴力団が表看板としての正業を持つようになったのは、それまでメインだった賭博事犯が非現行犯で逮捕・起訴されるようになり、違法行為に依存すると行き詰まるという危機感からだった。そのため山口組三代目組長の田岡一雄は、常々組員に「正業を持て」と言い続けた。 だが、暴排条例が施行され、いかなる理由だろうと暴力団と交流・取引をした一般人が違法とされるようになった。博徒はお天道様の下を堂々と歩けない日陰者を自認し“無職渡世”と称していたが、今や社会的に合法な商売をすると

                                      タピオカがヤクザの資金源に 「こんなに楽な商売はない」
                                    • 「(作詞作曲の)小椋佳さんは、お勤めで本日来られません」。『愛燦燦』収録時、そう言われた美空ひばりは… - INVISIBLE Dojo. ーQUIET & COLORFUL PLACE-

                                      美空ひばりさんが『愛燦燦』レコーディング当日、作詞作曲の小椋佳さん(本職は銀行員)がスタジオにいないので「小椋先生はどこにおられるの?」スタッフ「本日はお勤めで」ひばりさん「そう…いつ頃出てこられるの?」と言ったというのは1986年。https://t.co/sq8jzaMZMx— 原田 実 (@gishigaku) August 24, 2022 www.youtube.com これはセリフ、オチだけでなく「配 役」が完璧なのである。 小椋佳といえば「銀英伝」の各種EDでも有名。 www.youtube.com www.youtube.com 美空ひばりと力道山(男の星座5巻) 男の星座5 作者:梶原 一騎,原田 久仁信グループ・ゼロAmazon 小林旭が、美空ひばりとの結婚について、後年のインタビューで「それは、いきなり怖いお兄さん達に囲まれてね。『お嬢が、お前と一緒になりたがっている

                                        「(作詞作曲の)小椋佳さんは、お勤めで本日来られません」。『愛燦燦』収録時、そう言われた美空ひばりは… - INVISIBLE Dojo. ーQUIET & COLORFUL PLACE-
                                      • 吉本芸人の「闇営業」を許す芸能界の甘さ 犯罪集団から支払われた法外ギャラ

                                        「組員300人を呼んで血の雨を降らしてやる」 「吉本興業前社長ら逮捕へ 会社乗っ取る 山口組の名でおどし」 1968年1月11日に吉本興業の林正之助前社長が、銀座にあった芸能プロダクション社長と組んで、レコード会社の乗っ取りを画策した際、2人が「電話一本で山口組員300人を呼んで血の雨を降らしてやる」と凄んだとして、恐喝の罪で逮捕されたときの毎日新聞の見出しである(増田晶文著『吉本興業の正体』草思社文庫より)。 フジテレビ夏のイベント「お台場新大陸2014」の制作発表に登場した、お笑いコンビ・雨上がり決死隊の宮迫博之(左)と蛍原徹(右)。(写真=時事通信フォト) 吉本興業と山口組との関係は古い。特に、三代目の田岡一雄組長との付き合いは、つとに知られている。 増田の本の中に、こんなエピソードがある。後に林正之助が会長になった時、彼は芸人たちに、こう訓辞を垂れたというのである。 「ヤクザとは一

                                          吉本芸人の「闇営業」を許す芸能界の甘さ 犯罪集団から支払われた法外ギャラ
                                        • まともなヤクザなら人前では見せない…それでも多くのヤクザが「刺青」を入れている理由 山口組三代目・田岡一雄組長は刺青に否定的だった

                                          「ヤクザ=刺青」というイメージもあるが… ヤクザたちは刺青いれずみを「我慢」と呼ぶ。ようするにものすごく痛いのである。 彫り師の仕事を間近で観察していると、針を降ろしたとたん、肌はみるみる血液や体液で染まっていく。かなりグロい光景だ。また、刺青はただでさえ細かい作業の連続である。時間がかかるうえに、肌の自然治癒力を超えて彫ることができないため、完成までには根気も必要で、かなりの費用と時間がかかる。我慢という呼び方には直接的な痛み以外の意味を含有しているのだ。 刺青は今やヤクザの代名詞で、多くのヤクザが、思い思いの絵柄を背中に彫り込んでいる。ただし、ヤクザになるためには刺青が必須ということではなく、基本的には個人の趣味といっていい。土地柄の違いもあり、山陽道や九州一帯では刺青の愛好家が多いように思える。それも東京とは違い、足首までびっちり入れることが多い。こうした土地では「ヤクザの刺青がカタ

                                            まともなヤクザなら人前では見せない…それでも多くのヤクザが「刺青」を入れている理由 山口組三代目・田岡一雄組長は刺青に否定的だった
                                          • 「組織に歯向かう敵を次々と葬り、力士も斬り倒した」日本一有名な“伝説のヤクザ”山口組3代目組長・田岡一雄の“実力” | 文春オンライン

                                            結成から約100年が経つ、国内最大の暴力団・山口組。誰もが一度はその名を耳にしたことがあると思うが、組織の歴史や活動内容を知っている人は意外と少ないのではないだろうか? ここでは、山口組の歴史と組織の全貌をわかりやすく解説した、フリーランスライター・山川光彦氏の著書『令和の山口組』(新潮社)から一部を抜粋。“日本一有名なヤクザ”と呼ばれた3代目組長・田岡一雄について紹介する。(全2回の1回目/2回目に続く) 3代目・田岡のもとで日本最大組織に 山口組が息を吹き返すのは、終戦後の1946年に田岡一雄が3代目を襲名してからです。田岡は1913年に徳島県の寒村に生まれました。幼くして両親と死別し、見かねた神戸の親戚の家にひきとられます。初等教育を修了後、造船所の工員として働きはじめますが、生来の短気がもとで上司を殴り、職を離れてしまいます。 以降、クスボリと呼ばれる愚連隊のような生活を送る中で、

                                              「組織に歯向かう敵を次々と葬り、力士も斬り倒した」日本一有名な“伝説のヤクザ”山口組3代目組長・田岡一雄の“実力” | 文春オンライン
                                            • 「入れ墨の写真を撮ってもいいか」36年間で約150人…“マル暴刑事”がヤクザの入れ墨を撮り続けた“意外な理由” | 文春オンライン

                                              暴力、殺人、抗争、恐喝、闇金、地上げ、反グレ、けん銃、覚せい剤、エンコ飛ばし……。社会の裏面で蠢くヤクザたちと対決し、身を徹して表社会との防波堤となる存在が、暴力団犯罪を専門とする警察の捜査員たち。いわゆる「マル暴」だ。 ここでは、そんなマル暴として40年にわたってヤクザ犯罪の捜査を続けた櫻井裕一氏の著書『マル暴 警視庁暴力団担当刑事』(小学館新書)の一部を抜粋。同氏が明かすマル暴としての覚悟を紹介する。(全2回の2回目/前編を読む) 人夫供給業から始まった「山口組」 1915(大正4)年、兵庫県・神戸港の港湾労働者だった山口春吉が、同じ立場の労働者を数十人ばかり集めて、人夫供給業「山口組」を旗揚げした。 関東の博徒系ヤクザが、江戸時代にルーツを持つのに対し、山口組の歴史は、日本の近代化の中から始まる。山口春吉は人夫出しの傍ら、労働者たちに親しまれていた演芸の浪曲に目をつけ、港湾労働者を相

                                                「入れ墨の写真を撮ってもいいか」36年間で約150人…“マル暴刑事”がヤクザの入れ墨を撮り続けた“意外な理由” | 文春オンライン
                                              • 河野太郎一家は、指定暴力団・山口組とズブズブの関係にあることが発覚

                                                自民党総裁選の候補者、河野太郎の一族は、中国共産党だけでなく、指定暴力団・山口組ともズブズブの関係にあることが明らかになりました。 河野太郎の祖父にあたる河野一郎は、かつて山口組が仕切っていた神戸港の荷役業務に深く関わっていました。 以下のブログ記事によると、山口組は各界の権力者とともに、昭和31年に「全国港湾荷役振興会」を設立し、当時、農林大臣だった河野一郎を顧問に迎え、3代目組長の田岡一雄も、副会長兼神戸支部長に就任していたそうです。 ○首領(ドン)―昭和闇の支配者〈3巻〉 (だいわ文庫)/大下 英治 昭和20年代の山口組の2大業務は、神戸港の荷役業務と芸能興行だった。 山口組芸能部が抑えていた歌手は美空ひばり、三橋達也、春日八郎、田端義夫、江利チエミ、雪村いづみ、近江俊郎らであった。 さらに、山口組の意に添わない鶴田浩二を山本健一が襲撃した「鶴田浩二襲撃事件」、開局5年目を迎えたに日

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