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遠藤賢司 アルバムの検索結果1 - 23 件 / 23件

  • 邦楽ロックの名盤ベスト100

    以前お送りした、ロックに限定したオールタイムベストアルバムの邦楽版企画です。 基本的にはレギュレーションは前と同じですが、地域を限定したことで、前回のロックの名盤ベスト100では取りこぼした範疇のものも入っていたりします。 一方、たとえ代表作であっても、ロックよりは他のジャンルに入れたほうがふさわしかろうというものは除外しました。 たとえばコーネリアスは代表作の『ファンタズマ』や『Point』ではなく『69/96』を選出しています。 YMO、電気グルーヴなどのテクノポップ、エレクトロニカ勢も入っていないし、やや極端な例ですが、たまもロックという狭い枠組みに入れてしまってよいのかということで除外しています。 ということで前回のおさらいもかねて選出基準です。 ・ギターを中心としたバンドミュージックを中心に選出しました。よってシンセなどの電子楽器や打ち込みなどの割合が多いものは除外しています。

      邦楽ロックの名盤ベスト100
    • 日本ロック通史 (1956 年-1990 年代)WEB版 | 批評.COM

      批評.COM Welcome to Hi-hyou.com  時事批評・音楽批評などを掲載するサイトです。2015年4月18日新装開店。Operated by SHINOHARA Akira 1.「進駐軍ポップ」からロカビリーへ 1956-1959年 第二次世界大戦後における日本のポップ・ミュージックの出発点は「進駐軍ポップ」であった。1945年から1950年代前半にかけて、米軍がもちこんだポップの影響を受け、ブルース、ブギウギ、マンボなどの要素が流行歌のなかに入り込み、ハワイアン、カントリー&ウエスタン(C&W)、ジャズなどがちょっとしたブームになった。こうしたポップのうち、“日本ロック”の生い立ちにもっとも深い関係をもったのはC&Wであった。 50年代半ばのアメリカでは、ビル・ヘイリー&ヒズ・コメッツ「ロック・アラウンド・ザ・クロック」が大ヒット(55年)、翌56年にはプレスリーが登場

        日本ロック通史 (1956 年-1990 年代)WEB版 | 批評.COM
      • 「京都タワーを見て育ったんです」。伝説の歌姫アリスセイラーが愛した「京都」駅【関西 私の好きな街】 - SUUMOタウン

        取材・執筆: 吉村 智樹 関西に住み、住んでいる街のことが好きだという方々にその街の魅力を伺うインタビュー企画「関西 私の好きな街」をお届けします。◆◆◆ 「生まれたときから最寄りは京都駅。京都タワーを見て育ったんです。京都駅周辺は、ほんまにおしゃれでした。ファッショナブルで素敵なお姉さん、お兄さんが歩いてはる。『なんてカッコいいんやろ。私もいつか、あんなおしゃれな服を着て歩いてみたい』って、子ども心に憧れていました」 中学時代まで京都駅周辺に住んでいたアリスセイラーさん(58)は、そう語ります。 京都在住のアーティスト、アリスセイラーさん アンダーグラウンドロック伝説の歌姫が登場!アリスセイラーさんは1981年に結成したバンド「アマリリス」のリーダー。孤高にして伝説にして現役バリバリのアーティストです。 1981年、結成当時のアマリリス 数々のリリース作品 これまで彼女が生みだしてきた音

          「京都タワーを見て育ったんです」。伝説の歌姫アリスセイラーが愛した「京都」駅【関西 私の好きな街】 - SUUMOタウン
        • 「10年後はないかもしれない」大友良英、60代半ばで到達したギター&ターンテーブルの自在境 -前編- TOKION

          投稿日 2023-12-26 更新日 2023-12-27 Author 細田 成嗣 MUSIC 観察する 35年以上にわたって唯一無二のキャリアを築いてきた音楽家・大友良英インタヴュー前編。ギタリストとしての活動を中心に話を訊く。 大友良英 1959年生まれ。常に同時進行かつインディペンデントに即興演奏やノイズ的な作品からポップスに至るまで多種多様な音楽を作り続け、世界中で活動する。映画音楽家としても100作品以上の音楽を手掛ける。震災後は故郷の福島でプロジェクトFUKUSHIMA!を立ち上げ、現在に至るまで様々な活動を継続している。福島を代表する夏祭り「わらじまつり」改革のディレクターも務める。 https://otomoyoshihide.com 1980年代後半からライヴ活動を本格化させ、35年以上にわたって唯一無二のキャリアを築いてきた音楽家・大友良英。インディペンデントなノイズ

            「10年後はないかもしれない」大友良英、60代半ばで到達したギター&ターンテーブルの自在境 -前編- TOKION
          • 小西康陽が語る、自分の曲を自分で歌う意味「OKと思えるのに40年かかった」 | Rolling Stone Japan(ローリングストーン ジャパン)

            小西康陽によるソロ・プロジェクト「PIZZICATO ONE」のニューアルバム『前夜 ピチカート・ワン・イン・パースン』がリリースされた。本作は2019年10月のビルボードライヴにおけるワンマンライヴの模様を収録したもので、ヴィブラフォン/ギター/ピアノ/ベース/ドラムスという編成をバックに、小西は楽器を一切弾かずヴォーカルに専念。1988年~2018年の30年間で発表してきたオリジナル曲を、初めて自身の歌声で披露している。その背景を探るべく、旧知の間柄である音楽評論家の高橋健太郎がインタビュー。 2015年のPIZZICATO ONEのアルバム『わたくしの二十世紀』に収録された「ゴンドラの歌」を聴いた時から、小西康陽は遠からず、全曲、自分でヴォーカルを取るアルバムを作るのではないかと思っていた。なぜなら、それは確実に、彼がまだやり残していることに思えたからだ。だが、それがライヴ・アルバム

              小西康陽が語る、自分の曲を自分で歌う意味「OKと思えるのに40年かかった」 | Rolling Stone Japan(ローリングストーン ジャパン)
            • 歌を絶やさぬように 久保田麻琴が探る「日本のうた」の過去と未来 | CINRA

              かつてコミュニティーを支えてきた人と人の関係性が失われ、あらゆる場所で分断が進む現代において、私たちはどのように「日本のうた」を歌い、耳を傾けることができるのだろうか。アイデンティティーを見失った現代日本ならではの歌とは、いったいどのようなものなのだろうか。 ここしばらくCINRA.NETでは、さまざまなインタビューをとおして現代における都市のフォークロアともいうべき「日本のうた」のありかを探ってきたが、その問いを解くヒントとなるかもしれない一枚のレコードが復刻される。それが1973年3月に発売された久保田麻琴の1stアルバム『まちぼうけ』だ。 近年、欧米では久保田とも交流の深い細野晴臣や金延幸子が高く評価され、久保田が1970年代に一時期参加していたサイケデリックロックバンド、裸のラリーズも伝説化されているが、『まちぼうけ』もまた「日本産アシッドフォークの傑作」として海外で「発見」されつ

                歌を絶やさぬように 久保田麻琴が探る「日本のうた」の過去と未来 | CINRA
              • 高田渡がカメラを構え、撮影した作品を一冊にした写真集『高田渡の視線の先に』発売決定 - amass

                フォーク・シンガーの高田渡がカメラを構え、撮影した作品を一冊にした写真集『高田渡の視線の先に-写真擬(もどき)-1972-1979-』が、リットーミュージックから4月16日発売。1970年代の京都、吉祥寺、韓国、沖縄、ヨーロッパ、そして多数のミュージシャン仲間を捉えた写真集。 以下インフォメーションより 本書は、フォーク・シンガーの高田渡がカメラを構え、撮影した作品を一冊にした写真集です。酒と音楽をこよなく愛した彼はツアーや旅先にも必ずカメラを持ち歩き、一時期は本気で写真家を志した時期があったと言います。 このたび、高田渡が遺した膨大な数のフィルムが見つかり、その1枚1枚をスキャンしたところ、若き日のはっぴいえんど(細野晴臣、大瀧詠一、松本隆、鈴木茂)や井上陽水、遠藤賢司、友部正人、坂本龍一、西岡たかし、泉谷しげる、中川イサト、中川五郎、はちみつぱい、三上寛、なぎら健壱、シバ、加川良、西岡

                  高田渡がカメラを構え、撮影した作品を一冊にした写真集『高田渡の視線の先に』発売決定 - amass
                • Kenrocks Nite - Ver. 2 2021年5月8日(遠藤賢司、かまやつひろし) - ラジオと音楽

                  大貫ロックヒストリー国内編Vol. 2 遠藤賢司「夜汽車のブルース」 大貫さんが音楽評論家の仕事を始めたのが、雑誌「アンアン」ができる時に、知り合いの女の子たちに誘われて編集部に付き添いで行って、お仕事をもらったのがきっかけだそうです。その編集部には色んな方が出入りされていて、その中のお一人が遠藤賢司さんだったそうです。このデビューアルバム『nyago』を遠藤さんからもらったのがきっかけで仲良くなったそうです。 niyago 発売日: 2011/11/09 メディア: MP3 ダウンロード かまやつひろし「ゴロワーズを吸ったことがあるかい」 番組ではライブバージョンがかかりました。大貫さんは森山奈歩と仲良くなってかまやつさんを紹介してもらったそうです。 あゝ、我が良き友よ アーティスト:かまやつひろし 発売日: 2018/09/19 メディア: CD

                    Kenrocks Nite - Ver. 2 2021年5月8日(遠藤賢司、かまやつひろし) - ラジオと音楽
                  • くるりの原点に戻れる場所〈拾得〉でみせたバンドとしての最新型 | ANTENNA

                    “音楽をする人のための遊園地”を目指し、店主の寺田国敏さん(愛称、テリーさん)が仲間と共に築100年以上の酒蔵を改造したのが〈coffee house 拾得(じっとく)〉だ。味わい深い丸い机と椅子は酒樽、床には廃線になった京都市電の路面で使われていた御影石、すべてがいい塩梅でここの特別感を醸成している。coffee houseという名が表しているように、“つけものピラフ”をはじめ食事も美味い。終演後もライブの余韻をつまみにお酒や食事を楽しむのが常で、時に観客も演者も従業員も交えて酒を酌み交わす。そんな京都独特の音楽文化を育んできたともいえるこの場所で、アマチュアの学生から山下達郎のようなビッグネームまで、それぞれが思い思いの音を鳴らしてきた。 立命館大学の音楽サークル「ロック・コミューン」で産声を上げたくるりもそんなバンドの一つ。オリジナルメンバー岸田繁(Vo / Gt)、佐藤征史(Ba)

                      くるりの原点に戻れる場所〈拾得〉でみせたバンドとしての最新型 | ANTENNA
                    • 遠藤賢司は最初から遠藤賢司であった――茨城県県北地域で育まれたものと、彼のなかに流れ続けたもの|大石始

                      2017年10月に亡くなって以降もなお、遠藤賢司のスピリットは生き続けている。折坂悠太や南部式、ALKDOのライヴを観ているとそんな思いが湧き上がってくるし、全感覚祭や橋の下世界音楽祭にも遠藤の「自分が生まれた場所で、自分の音楽で、自分の祭りをやるんだよ」(2012年8月27日、DOMMUNEに出た際の発言)という意識が根っこにあるような気がする。 昨年「ユリイカ」の遠藤賢司臨時増刊号でそんな遠藤のスピリットについて書かせてもらった。今読み返すと多少ラフなところもあるものの、現在の自分の思考と繋がるところも多い。そのため、ユリイカ編集部の了承を得て、そのときの記事をnoteに転載させていただくことにした。僕としては遠藤賢司という稀有な存在を通して、茨城県県北の土着性と戦後の歌い手たちの身体性について書いてみたかったところもあるけれど、最終的な結論は「あらゆる創造の本場は自身の魂にあり」とい

                        遠藤賢司は最初から遠藤賢司であった――茨城県県北地域で育まれたものと、彼のなかに流れ続けたもの|大石始
                      • Bank Band「沿志奏逢」 - 赤い羽BLOG

                        Bank Bandのアルバム「沿志奏逢」 「沿志奏逢(そうしそうあい)」は非営利組織「ap bank」の活動の資金として 2004年に30万枚限定で発売された、Bank Bandの第一弾のアルバム作品。 Bank BandはMr.Childrenの桜井さん(Bank Bandでは櫻井名義)と プロデューサーの小林武史が中心になって組まれているバンド。 メンバーはその都度変更があるが、実力派の超有名な方々が連ねている。 またこのアルバムは、中島みゆきの「糸」が再評価されるきっかけにもなり その後は数々のアーティストにカバーされるようになった。 www.youtube.com 収録曲はセルフカバーを含む11曲にディスクごとに シークレット2種類のどちらかが入ると言う仕様になっている。 この渋めの選曲は桜井さんで、主にデビュー前に聴いていた曲が中心。 1.僕たちの将来(中島みゆき) 2.カルアミ

                          Bank Band「沿志奏逢」 - 赤い羽BLOG
                        • ウィークエンドサンシャイン 2019年8月3日 - ラジオと音楽

                          今週と来週は「サンシャイン・ミュージック・フェスティバル」です。 ライブ盤のリクエストで構成されます。 はっぴいえんど「かくれんぼ」1971年全日本フォーク・ジャンボリー 1曲目は何と佐野シローさんからのリクエスト! 16歳(高校1年生)の佐野さんはステージにかぶりつきで「はっぴいえんど」の演奏を聴かれたそうです。生で見ているなんて凄いです! 後に大瀧詠一さんから「あの日が一番喉の調子が良かった」と言われたそうです。これもご本人からこんなコメントもらえるなんて凄いです。 松本隆さんのドラムが聴きどころということですが、確かにいいドラムです。 バラカンさんがかけてくれた音源は「はっぴいえんどBOX」からです。 はっぴいえんどBOX (CD-EXTRA仕様) アーティスト: はっぴいえんど,大瀧詠一とココナツ・パンク,西岡恭蔵,バレンタイン・ブルー,大瀧詠一,岡林信康,遠藤賢司,高田渡,加川良

                            ウィークエンドサンシャイン 2019年8月3日 - ラジオと音楽
                          • 第1回:湯川潮音|私が好きな70年代女性SSWのレコード|otonano ウェブで読める大人の音楽誌

                            現在進行形のアーティストは、70年代の女性シンガーソングライターからどのような影響を受けてきたのか。ここでは、第一線で活躍する現代の女性シンガーソングライターに、70年代洋邦女性シンガーソングライターの魅力を語ってもらった。第1回目は7年ぶりのフル・アルバム『10の足跡』を発表したばかりの湯川潮音が登場。 一筋縄ではいかないリアルさのようなものがたまらなく魅力的 ──お父様の湯川トーベンさんからの音楽的な影響は大きいでしょうか? 湯川潮音 やはり幼少期から音楽に触れる機会は多かったですね。ドライブするときはスパイダースがかかっていたかと思えは、家ではクラシックが流れていましたし、ビートルズは幼少期から普通に口ずさんでいました。小さい頃は誰でも泣きわめいたりするじゃないですか、そういう時に「その気持ちを曲にしてごらん」と言われて作った曲のテープが残っています。 ──湯川さんがこの世界に入ろう

                              第1回:湯川潮音|私が好きな70年代女性SSWのレコード|otonano ウェブで読める大人の音楽誌
                            • 生涯学習note2020.04/27|岸野雄一

                              京浜兄弟社年表 「21世紀の京浜兄弟者」所収の京浜兄弟社の年表を加筆訂正し、二回に分けてお届けします。第一回は1982年から87年までの6年間です。念のためにファミリー・ツリーも掲載し直しますので、ツリーを横軸、年表を縦軸で頭の中で組み立ててみてください。ばるぼらくん、ベガスくんという社史編纂室部が、国会図書館に日参し、82年から94年までの「ぴあ」誌、「シティロード」誌のライブ情報ページ、自主上映の欄をくまなくチェックし、その他、音楽誌や、関係者が保存していたフライヤーなどをもとに作成しました。よって、社史としては、出来事の記述よりも、ライブ情報が多くなっています。実際は該当ライブのフライヤーも数多く残されているので、ブックレットに画像も掲載したかったのですが、紙幅の関係で割愛しました。noteですと、後からいくらでも情報を付記できるので、追い追いそういった資料も付け加えていきたいと思い

                                生涯学習note2020.04/27|岸野雄一
                              • あのとき、はっぴいえんどは何を見ていたのか――松本隆、鈴木茂がカタログ再発記念イベントで話したこと | Mikiki by TOWER RECORDS

                                はっぴいえんど カタログ再発記念スペシャルトークイヴェント タワーレコード渋谷店 B1F CUTUP STUDIO 出演:松本隆/鈴木茂、安田謙一(司会) きみを燃やしてしまうかもしれません、の永久機関盤。 イヴェント取材後、渋谷マークシティの上りエスカレーターに揺られる。溢れかえる下り集団の他民族率に驚いた刹那、無意識の隧道を抜けて“浮かぶ驛の沈むホームに”の詞が唇のレール上を通過して行った。最新リマスターCD発売記念トークイヴェントに登壇した二人(松本隆/鈴木茂)の談話が、千切れ雲状に流れては脳裡を漂う。 「遠藤賢司さんの詞って割と、松本さんの詞と似ている気がしていた。コトバの選び方とかね」(茂)/「うん、彼は凄い才能だったよね」(隆)、記憶の単線上で“夜汽車のブルース”と“抱きしめたい”がタブレット交換する。音搦みで小坂忠の“機関車”が連結される。世代を超え、50年以上も愛される名曲

                                  あのとき、はっぴいえんどは何を見ていたのか――松本隆、鈴木茂がカタログ再発記念イベントで話したこと | Mikiki by TOWER RECORDS
                                • 新宿ホワイトハウスを蘇らせたカフェアリエ店主・向野実千代氏インタビュー

                                  新宿と新大久保の喧騒の間にひっそりと、隠れ家的に存在する喫茶店・カフェアリエ。もともとこの建物は1960年、ネオ・ダダのアーティストの本拠地となった伝説的建物『新宿ホワイトハウス』として知られていたが、現在はカフェに改装。普段は移動中のサラリーマンや新大久保から流れた韓流ファンの主婦などに憩いの場として利用されている。一方、不定期にライヴやイベントができる場としても提供され、その時間になると客層が一変。個性的なアーティストやそのファンが集う。 今回スポットを当てるのは、新宿ホワイトハウスをカフェアリエとして甦らせた店主・向野実千代氏である。筆者が彼女のことを知ったのは、カフェアリエが開店するよりもっと前のことである。実は、ロコマガでも過去にフィーチャーしている昆虫キッズやヤングのほか、活動量の差こそあれ、現在活躍する多くの個性的なアーティストが向野氏の主催した「カワサキ・ティーンズ・プロジ

                                  • はっぴいえんど、遠藤賢司、金延幸子など「日本語フォーク/ロックの源流」名曲15選 | Rolling Stone Japan(ローリングストーン ジャパン)

                                    はっぴいえんども在籍した1969年設立の先駆的レーベル「URCレコード」のカタログから、日本のポピュラー音楽史を振り返るうえで知っておくべき15曲を紹介する。 高石友也(現:高石ともや)やフォーク・クルセダーズ、ジャックス、岡林信康をマネージメントしていた秦政明は、所属アーティストの作品を大手レコード会社から発売する際に、歌詞の規制とリリース中止を経験。これがきっかけで、表現の規制を受けない自主制作盤を会員に配布する「アングラレコード・クラブ」を1968年に発案し、会員募集を呼びかけた。69年2月からレコードの配布を開始するや、フォーク・ファンの間でたちまち話題となり、同年8月からは作品の一般発売も開始。これが日本におけるインディ・レーベルの走り、「URCレコード」の第一歩となった。 ●【画像を見る】URCレコード、当時の貴重写真・資料(16点) 「アングラレコード・クラブ」(後のURCレ

                                      はっぴいえんど、遠藤賢司、金延幸子など「日本語フォーク/ロックの源流」名曲15選 | Rolling Stone Japan(ローリングストーン ジャパン)
                                    • 10月25日は新潟米の日、世界パスタデー、信濃の国カレーの日、民間航空記念日、産業観光の日、リクエストの日、秋土用の間日  等の日 - 風に吹かれて旅するブログ (話題・記念日&ハッピートーク)

                                      おこしやす♪~ 10月25日は何の日? その時そして今日何してた? 2022年令和4年 10月25日は新潟米の日、世界パスタデー、信濃の国カレーの日、民間航空記念日、産業観光の日、リクエストの日、秋土用の間日  等の日です。 ●『新潟米の日』 : 日本を代表する美味しいお米の産地、新潟県。その新潟のお米をもっと多くの人に食べてもらおうと「JA全農にいがた」が制定。日付は、新潟米の「コシヒカリ」と「こしいぶき」が、いいお米の代表である事から、10月25日(1025)を「い(1)いお(0)米、に(2)いがたコ(5)シヒカリ、こしいぶき」と読む語呂合わせからです。 【精米】新米 令和4年産 新潟県産コシヒカリ 白米 10kg(5kg×2袋)新潟辰巳屋 新潟辰巳屋 Amazon ◆ 新潟県産のお米がおいしいわけとは? 新潟県の水と土地が育んだお米は一流ブランドとして有名です。なぜ、新潟のお米は世界

                                        10月25日は新潟米の日、世界パスタデー、信濃の国カレーの日、民間航空記念日、産業観光の日、リクエストの日、秋土用の間日  等の日 - 風に吹かれて旅するブログ (話題・記念日&ハッピートーク)
                                      • TOKYO NO.1 SOULSET結成30周年企画 川辺ヒロシ INTERVIEW | RUDO-WEB

                                        80年代後半に東京のアンダーグラウンドな音楽シーンで活動を開始し、どのジャンルにも当てはまらない独自の音楽性とスタイルで90年代を席巻したTOKYO NO.1 SOULSET。今年活動30周年を迎え、さらに進化を続けるグループの楽曲制作の中心であり、様々なフロアを沸かせ続ける現役DJでもある川辺ヒロシ氏に、“変わってきたことと変わらないこと”をテーマに、長いキャリアを振り返っていただいた。 レゲエは一切かけないで、色々な曲をクイックでMIXをして盛り上げていた ーー今年がTOKYO NO.1 SOULSET30周年ということで、1990年から歴史が始まるわけですが、その前身である「ドラゴン&ビッケ」としての活動は何年くらいからだったのですか? 川辺 何年からっていうのは分からないかな。そもそもグループ自体はもう活動していて、自分は別でDJをやっていたんだけど、(メンバーと)バイト先の洋服屋

                                          TOKYO NO.1 SOULSET結成30周年企画 川辺ヒロシ INTERVIEW | RUDO-WEB
                                        • R.I.P. 南正人 | ele-king

                                          年明けからほどない1月7日夜、シンガーソングライターの南正人氏が亡くなられた。facebookの公式アカウントにご子息泰人氏がよせた動画内の説明によれば、横浜のライヴハウスでの演奏中、2曲目の途中でハーモニカを交換しようと椅子にすわりなおしたさい倒れ、バンドメンバーとしてドラムを叩いていた泰人氏の腕のなかで帰らぬひととなったという。直後からネットにも舞台で息をひきとった南氏をさして音楽家冥利につきるとする投稿も散見できたが、私は自由な反骨のひとがまたひとり、音楽の場を離れることに下唇を噛む思いだった。いや南氏の場合、「離れた」というより「旅立った」というべきかもしれない。なんとなれば、本邦音楽史彼ほど旅を愛し、愛された音楽家はいないからである。 南正人は終戦の1年前の1944年のひな祭りの日に杉並区阿佐ヶ谷で産声をあげた。中学、高校と順調な学生生活をおくるも、東京外語大のスペイン語学科に入

                                            R.I.P. 南正人 | ele-king
                                          • はじめて聴いた時より今の方がずっと魅力的な名曲シリーズ vol.11【風をあつめて / はっぴいえんど】(1971年) - ioritorei’s blog

                                            1971年 風をあつめて / はっぴいえんど 風をあつめて / はっぴいえんど はじめて聴いた時より今の方がずっと魅力的な名曲シリーズ 「はっぴいえんど」とは メンバー 細野晴臣 大瀧詠一 松本隆 鈴木茂 『風をあつめて』とは 日本語ロック史草創期の奇跡のバント はじめて聴いた時より今の方がずっと魅力的な名曲シリーズ ふと懐かしい音楽を耳にすることがある。 TVやラジオで流れてくる懐かしい曲の数々。 時に「あれ?こんな良い曲だったかな?」なんて感じる曲も中にはあったりするから音楽は面白い。 本稿ではそんな「はじめて聴いた時より今の方がずっと魅力的な名曲」ばかりを取り上げていこうと思う。 「はっぴいえんど」とは はっぴいえんど (英語: HAPPY END) は、日本のロックバンド。 細野晴臣氏、大瀧詠一氏、松本隆氏、鈴木茂氏によって結成された。 日本語ロック史の草創期に活動したグループのひ

                                              はじめて聴いた時より今の方がずっと魅力的な名曲シリーズ vol.11【風をあつめて / はっぴいえんど】(1971年) - ioritorei’s blog
                                            • 杉作J太郎 吾妻ひでおを追悼する

                                              杉作J太郎さんが南海放送『痛快!杉作J太郎のどっきりナイト7』の中で吾妻ひでお先生を追悼。映画『チョコレート・デリンジャー』制作など吾妻先生との思い出を話していました。 ぜったいそんなことないのにこの吾妻ひでおと杉作J太郎、14歳と10歳に見えませんか pic.twitter.com/bshDqMpKtE — 陳 味覇 (@oh_yakata_c) June 14, 2015 (杉作J太郎)漫画家の吾妻ひでお先生の訃報が入ってまいりました。今日の昼ぐらいだったですかね? 連絡をいただきまして。ちょっとびっくりしました。まあ「びっくり」という言葉では追いつかないんですけども。衝撃でした。はい。こちら、共同通信から。「漫画家の吾妻ひでおさんが死去」ということで……。 2019年10月21日(月)『痛快!杉作J太郎のどっきりナイト7』シーズン2、今夜もよろしくお願いします。共同通信によりますとす

                                                杉作J太郎 吾妻ひでおを追悼する
                                              • ベルリン発、DJ・バンド集団、ジャザノヴァ - TOKION

                                                投稿日 2022-06-30 Author 日高健介 MUSIC 発見する ベルリン発のジャズグループ、ジャザノヴァに聞く、最新作のエピソードと日本への思い。 ドイツが誇るジャズのヒーロー、ジャザノヴァ(Jazzanova)が帰って来た! 彼らは、ジャイルス・ピーターソンやセオ・パレッシュの重鎮らのご用達の「ストラタ(STRATA)」のレーベル部門で発表された音源を厳選し、再構築したスペシャルプロジェクトをコロナ禍中に手掛けた。「ストラタ」とは、デトロイトで1960年代末の衰退から復興をささげるために創立されたが短命に終わった、この街のジャズの真髄に迫りつつ、多種な事業を営む、先駆的な共同体でもある。 このスペシャルプロジェクトを発案したのは、同レーベルの音源を管理しているDJアミールが主宰する「180 Proof Records」と「BBE Music」がタッグを組んで実現し、『Stra

                                                  ベルリン発、DJ・バンド集団、ジャザノヴァ - TOKION
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