平泉澄の『武士道の復活』という本がたまたま図書館のリストにあったので注文してみた。 400頁もある大きな本だ。昭和8年の出版。 「多年に亘る道徳的頽廃と経済的貪婪との為に行詰れる世界が、その辿りつつある自滅の途に踵をかえして、正しく雄々しく新しく清く蘇らんが為には、或いは百年、或いは二百年三百年の長き間、西欧の支配に膝を屈し、その物質偏重利己第一の弊風の跳梁跋扈に委ねたる亜細亜の、再び己の本分に目覚め、己の行くべき道にかえり、己の真面目を発揮せん事を、緊急必要とする。」p1 と冒頭で、亜細亜の覚醒、西欧との戦いの予感を高らかに歌いあげている。 武士道と言いながら、時代を作っていくという気概にあふれた「亜細亜の自覚復興」がテーマのようだ。 「之を客観的に考察する時、失われたる亜細亜における唯一の世界的強国として、亜細亜を指導し、鼓舞し、保護するの大任は、まさしく日本に帰しなければならぬ。」p
■教育行政、「不当支配にあたらず」 国会審議で文科相 http://www.asahi.com/politics/update/1122/010.html 伊吹文部科学相は22日の参院教育基本法特別委員会で、政府の教育基本法改正案が、教育は「不当な支配」に服することはないと規定していることについて「国会で決められた法律と違うことを、特定のグループ、団体が行う場合を『不当な支配』と言っている」と語った。一方、法律や政令、大臣告示などは「国民の意思として決められた」ことから、「不当な支配」にあたることはないとの考えを強調した。 現行の教育基本法は「教育は、不当な支配に服することなく」と規定。政府の改正案も、この表現を踏襲しつつ、「法律の定めるところにより、行われるべきだ」との規定が追加された。 これまで教職員組合などは「不当な支配」の規定を、教育行政による教育現場への「介入」を阻止する「盾
アレです。国歌斉唱をしないから処分、ってのが違憲だって判決。 http://www.asahi.com/national/update/0921/TKY200609210287.html 当たり前すぎてあんまり言うことないんだけど(むしろ裁判で違憲としない傾向が強いらしいことのほうが問題)、この判決が気に食わない人は、自分が(あるいは「世間」が)当然のように考えてることに異を唱える人間を、そんなに処分したくてたまらないんですかね。みんなと違う意見だからって処分されるなんてのが、どれほど恐ろしいことかわかってんの? いやなら公務員辞めろって人も多い。別に君が代歌いたくて公務員になったわけじゃないでしょうに。あなたは会社の方針に気に食わないところがあったら抵抗もせずにすぐ辞表たたきつけるわけ? あと、なんで国歌が嫌だっていう先生たちが「代案」とやらを考えてやらなきゃいけないわけ?何それ? あー
右翼のみなさんは、陛下の大御心にかなう判決がでたことを祝ってください。私のような左翼は高裁でひっくり返るのを心配しておくことにしますので。 で、小泉首相の最後の仕事(の一つ)がこの判決へのコメントで、「法律以前の問題じゃないでしょうかね。人間として、国旗や国歌に敬意を表すというのは」と語ったと報じられている。「法律以前の問題」ということで、まるで法律によるまでもなく普遍的に妥当する規範であると言わんばかりだが、もちろんそんなことは認めない人間がいるからこそ、こういう訴訟が起こっているわけである。これを前提したうえで 1) つまり、「日の丸への起立、君が代斉唱」の強制に法的根拠がない、ということでいいんですか? 2) 「人を殺してはいけない」のは「法律以前の問題」だろうと私は思うが、しかし殺人犯を裁き、罰するためには法に依らねばならないですよね? という二つを問うておく。「法律以前の問題」で
以下は、国旗掲揚、国歌斉唱に関する米国の裁判判例及び諸外国の実態です。 情報提供は、藤森修一氏です。 ■アメリカでの判例 1943年 バーネット事件 連邦最高裁判決 「国旗に対する敬礼および宣誓を強制する場合、その地方教育当局の行為は、自らの限界を超えるものである。しかも、あらゆる公の統制から留保されることが憲法修正第1条の目的であるところの、知性および精神の領域を侵犯するものである」(ウエスト・バージニア州 vs エホバの証人) 1970年 バンクス事件 フロリダ地裁判決 「国旗への宣誓式での起立拒否は、合衆国憲法で保障された権利」 1977年 マサチューセッツ州最高裁 「公立学校の教師に毎朝、始業時に行われる国旗への宣誓の際、教師が子どもを指導するよう義務づけられた州法は、合衆国憲法にもとづく教師の権利を侵す。バーネット事件で認められた子どもの権利は、教師にも適用される。教師は、信仰と
Unknown (DANZO) 2006-06-09 01:19:11 これこそまさしく「不当な支配」ですよ。 行政しかも、しかもその長が指導「方法」に口出しするとは、どういうことなんでしょうか。 教育基本法がもう変更されたつもりにでもなっているのですかね。 学習指導要領は、指導「方法」についての記載などそもそもないし(そんなもの入れられるわけない。要領作ってる文科省の部長さんのほうが大臣よりよっぽど分かってる)、「適切な指導が行われれば、(生徒に)素直に受け入れられる」って、要するに考える材料(情報)を与えないってことじゃないんですかね。 国歌斉唱受け入れられない人たちが何故それを受け入れられないのかという情報も与えてあげて初めて、自分で考えて行動できるはずだと思いますね。安倍さんに至っては、もうなんと言ったらいいか、勘弁してください。 どうして歴史的に対立する2つの考え方が客観的にある
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