上野千鶴子さんの文章「ホモソーシャル・ホモフォビア・ミソジニー」ですが… 「男の性がまずしい」と言うとき、わたしたちは、男が性的主体になるなり方そのものが、逸脱と多様性を排除した定型的なものであることにまで、さかのぼって考察しなければならない。 これとかは、「そう、そう、その通り」と、(別に上野さんに言われるまでもなく)そう思います。が… 論理的には考えられるが現実には発見されていない「n 個の性(4)」は、以上の例からも反証される。(注4の部分) 「n個の性」みたいな考え方については、デメリットとしては、現実に存在している女性差別/男性中心主義が不可視化される危惧があること、があると思います*1。そういう観点から、この手の考え方に危惧を表明する/不十分点を指摘するのなら、分かる。 でも、「反証される」って、よっぽど「男女」以外の性別が存在することが嫌いなのかしら、上野さん。 「n個の性」