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ブックマーク / d.hatena.ne.jp/F1977 (27)

  • わたしたちが、気づいていること。 - パラム、ドル、ヨジャ〜済州島に多いものみっつ〜

    「サイレントマイノリティ」という言葉があるそうです。  三ヶ月ほど前に「ヂンダレ」の講演会に行った時、ある「在日」の詩人さんから聞いた言葉です。その詩人さんが使われていた意味では、「サイレントマイノリティ」というのは、マイノリティであることを伝えることができない、マジョリティが支配する社会で、何か差別されたり、抑圧されたりしているマイノリティであるのだけれど、自分がそのような差別や抑圧を受けていることすら話すことができず、マイノリティであることを隠して生きている「語らないマイノリティ」、それが「サイレントマイノリティ」なのだということでした。 その詩人さんが出会った「サイレントマイノリティ」それは、「在日」の「サイレントマイノリティ」のことでした。詩人さんは、ある大学で朝鮮語を教えていらっしゃるそうなのですが、詩人さんの朝鮮語の授業を受けている学生さんの中に「在日」の学生さんがいらっしゃる

    sharou
    sharou 2009/08/28
  • わたしたちが、知っていること。 - パラム、ドル、ヨジャ〜済州島に多いものみっつ〜

    少し前まで、民族教育がなぜ必要なのか分かりませんでした。  わたしも、保育園と小学校の民族学級で民族教育というものを、ごくわずかですが受けたことがあります。保育園の時は、それが、わたしが「在日」であるということで、与えられている「朝鮮」「韓国」という「民族」固有の文化や伝統などとは、分かるわけがありません。保育園の先生から教わる「朝鮮語」や「朝鮮の歌」「朝鮮の遊び」なども、同じく保育園で教わる、例えばカタカナ英語などの他の言葉、日の童謡、遊びなどと同じものとして、いわゆる民族教育というものを受けていたのだと思います。 それが、日人とは異なった、わたしたち「民族」、「在日」固有の文化や伝統であるということを体系的に、また「民族」の自覚性を促すように教えてくれたのが、小学校の民族学級でした。民族学級の先生は「わたしたちの」という言葉を用いて、「わたしたちの」言葉、「わたしたち」の歴史、「わ

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    sharou 2009/08/26
    あー、時間がなくてちゃんと読めない。あとであとで。
  • まあ、いつかは。 - パラム、ドル、ヨジャ〜済州島に多いものみっつ〜

    いがいと、そうさできるのが、はてなの、いいところです。  そろそろ、ブログやめようと、おもいます。 もう、じゅうぶんな気がしてきました。  実践としてのハッキョをやめるワケでは、ないですので、あんまり、何も変わらないと思います。 というよりは、ブログを書いていても、何も変わらないということがよくわかりました。いまごろ!かもしれないですね。

    sharou
    sharou 2009/06/22
    「というよりは、ブログを書いていても、何も変わらないということが よくわかりました」なにが変わると予想していたんだろう? まあ、書かないのも選択ですので。おつかれさま^^
  • 「不公正」さについて - パラム、ドル、ヨジャ〜済州島に多いものみっつ〜

    わたしは、小さいときから、漠然とですが、なにか「不公正」なものを感じていたように思います。  小さいときから、わたしは特に意識をして「在日」として生きてきたわけでは、ありませんでした。むしろ、意識的には「在日」であることを、わずらわしいもの、できれば「在日」としてなど、生まれてこなければよかったと、そのように認識をしていたように思います。「在日」であれ「日人」であれ、日社会のなかでふつうに生きていると、何かの「差異」が「差別」につながるということを、誰もがふつうに看取して、できることなら「差異」をなくそうと努めていくように思います。わたしも、小学校に入る段階から、圧倒的に日人に囲まれて生きるようになって、特に学校という閉鎖的空間において、「差異」が「差別」につながるということ、とりわけ「在日」という属性は、なにかの「差異」が「差別」に変化する以前に、「在日」というだけで、それは「差別

    sharou
    sharou 2009/06/05
    「正しいレール」からはずれて生きることを恐れている日本人はたくさんいるのに、在日が差別を恐れることはあまり理解されない不思議。
  • まなびつづける、ことば。 - パラム、ドル、ヨジャ〜済州島に多いものみっつ〜

    「在日」として生きているわたしをすくってくれて、わたしに「在日」として生きていく勇気をあたえてくれた、ふたつの言葉があります。  ひとつは、オモニがおっしゃられた「日語おぼえても、朝鮮人」という言葉です。 わたしは、オモニハッキョでオモニたちと一緒に、日語の読み書きを学ぶのが、当に、ずっと、つらかったのです。朝鮮語がわからないわたしが、オモニたちに日語を「教える」。オモニたちから言葉をうばった国の言葉を、同じうばわれた歴史をもつ、同じ朝鮮人のわたしが「教える」。いくら、オモニたちの生活のためと、自分を納得させようとしても、いつも、こころは納得してくれませんでした。頭では理解していても、どうしても、こころが日語に向き合ってくれないのです。だから、わたしは、オモニから、「日語おぼえても、朝鮮人」という言葉を教えていただくまでは、オモニたちと一緒に日語の読み書きを学びながらも、どこ

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    sharou 2009/05/31
  • 「本名」という鍵 - パラム、ドル、ヨジャ〜済州島に多いものみっつ〜

    「通名」のことに関して、日社会の側から、なんやかんやと言われるとは、当に夢にも思っていませんでした。  わたしが「通名」で生きているのは、日社会の中で、もしかしたら受けるかもしれない「差別」や「中傷」から自分自身の身を守るためであり、少し前にも書きましたように、「在日」であることを、永遠に繰り返し語り続けなければならないという徒労を、避けたいためでした。「正当防衛」というほどにも、日社会の誰かや何かを傷つけるわけではありませんし(友人の信頼を裏切ることになって、傷つけたことはありましたけれど)、むしろ、「同化」を尊ぶ日社会の空気を、きわめて正確に読み取って、そうして、日社会に対して優等生的なふるまいをしているものと思っていました。だから、「通名」で生きるということは、「通名」が「特権」だとか「ズルイ」などと思っている日人の人たちが考えているように、日社会や日人に対して、後

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    sharou 2009/04/20
    いやまったく、いい文章だねぇ。これだけ深い内面を見せられて、なんとも思わない人はもうしょうがないとしか思えないよ。
  • 「在日特権」という言葉の存在を許しません。 - パラム、ドル、ヨジャ〜済州島に多いものみっつ〜

    ひと月ほど前、あるパレスチナ問題の学習会に参加をしたときのことです。  映画を見て、講演を聞き、そうして、その日の参加者がグループに分かれて分科会をすることになりました。わたしが参加をしたグループのテーマは、なぜパレスチナ問題に関心を持つようになったのか、というものでした。約20人弱の人が集まって、めいめい、自己紹介をしながら、パレスチナ問題に関心を持った理由を短い言葉で話していきました。 わたしは、自己紹介をするとき、せっかくこういう場なのだから、通名ではなく、名を名乗って「在日」であることを言ってみたほうがいいのかな、と少し迷いました。パレスチナ問題に関心がある人々で「在日」のことを快く思っていない人は、おそらくいないだろうと思うので、こういう場なら、安心をして名を名乗れるかなと思ったのですが、でも、パレスチナ問題から話がそれてしまうかも知れないことを思って、やはり通名を名乗ること

  • 言葉にならなかった、たくさんの言葉 - パラム、ドル、ヨジャ〜済州島に多いものみっつ〜

    きょうは、ある方の文章を読ませていただいて、胸がすごくつまって、泣きそうになってしまいました。  訳者あとがきβ版(やくしゃ あとがき べーたばん) 「朝鮮人になりたい」  泣きそうになったというより、ほとんど泣いていました。まわりに誰もいなかったら、声を出して、えんえんと泣いてしまっていたと思います。涙がこぼれそうになるのをぐっとこらえて、そうして、鼻水がでそうなのを、すんすんとすすりながら、ずっと心の中で泣いていました。  「チョソンサラム(朝鮮人)になりたいです」  小さな子どもが言ったというその言葉をよんで、わたしは、いろんなことを思い出してしまいました。言葉にならなかった言葉、気づかないふりをしてきたけど、ずっとこらえてきたこと。わたしが、というよりは、両親や祖父母、親戚や友だち、わたしの知っている在日の朝鮮人の人たちが、ずっとずっと、感じてきたこと、言葉にしなかったけれど、ずっ

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    sharou 2009/03/31
    民族的なものに触れたい、身につけたいと思うことが、別の在日を抑圧してしまうという構造。そこに無自覚なのはあかんと思うけど、じゃあ、気づいたら、どうしたらいいのか? わたしは答を持っていない。
  • れぼりゅーしょん! - パラム、ドル、ヨジャ〜済州島に多いものみっつ〜

    きのうは、オバマ新大統領就任式に合わせて、新しくアメリカ大統領になるオバマさんに対して、今回のイスラエルのガザへの虐殺を黙認したことに抗議をし、今後アメリカによる、イスラエルに対する経済援助や軍事支援を止めることを求めて、抗議行動を行いました。  六時半にアメリカ領事館前に着くと、もうたくさんの人が領事館前に集まっていて、パレスチナの旗を持ったり、ガザ虐殺に抗議をするプラカードを持ったりして、抗議のアピールが始まろうとしていました。「パレスチナの平和を考える会」のYさんや、Kさんも来られていて、わたしは、Yさんから紙コップの底からローソクを差し込んだ、手作りのキャンドルをいただきました。きのうは、夜の抗議行動だったことから、わたしも同志と一緒に、週末にロフトに行って、何かデモなどに使えそうな「ヒカリモノ」はないものか、と探していました。電飾でいいものはあったのですが、でも、それだと電気が必

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    sharou 2009/01/21
    わたしが若かりしころは、公安のおじさんはなぜかみんなサファリ風のジャケットにイヤホンをつけてたのですぐわかったんだけど、彼らのファッションは少しは変わったのかな?
  • イスラエルを許さない! - パラム、ドル、ヨジャ〜済州島に多いものみっつ〜

    きのうの三学期の始業式は、オモニたちは、ちょっと少なめでした。  始業式は、お勉強がないので、きのうは寒かったし、それで来られなかったのかも知れないですね。でも、来てくださったオモニたちは、去年と変わらずお元気な笑顔を見せてくださいました。とってもうれしかったのは、わたしとN中さんが、年末に家庭訪問をさせていただいたI(錦)オモニが、来てくださったことでした。お風邪がまだ治らないらしく、少しお疲れのごようすでしたが、でも、Iオモニのお顔を見た瞬間、わたしは涙がでそうなくらい、安心をしてうれしく思いました。  きのうは、司会も挨拶も決めていなかったことから、わたしがひとりで司会も挨拶もさせていただくことにしました。 わたしは、オモニたちの前に立って、「クァセ アンニョンハシムニカ」とご挨拶をしました。その言葉を聞いたオモニたちは、おやおや、というようなお顔をされながら、ニッコリとほほえんでく

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    sharou 2009/01/10
    クァセアンニョンハシムニカは、韓国じゃもうぜんぜん言わないのか。子供におしえちまったい。
  • 弱者には負けることを止めたときが敗退なのだ。 - パラム、ドル、ヨジャ〜済州島に多いものみっつ〜

    「許すな! イスラエルのガザ侵攻 1・10緊急行動」に、今から、行ってきます!  日は、平和だと思います。デモも少ないし、あってもそんなに、大きなものではないと思います。当に平和だからでしょうか。声を上げなければならないこと、怒らなければならないことが、少ないからでしょうか。 わたしは、ちがうと思います。ひとつは、先日かいたように、熱い怒りを感じないような、冷笑的不感症が、日社会の中に蔓延しているからだと思います。もうひとつは、怒ること、怒りそのものが、奪われているからだと思います。怒らなければならないハズのことを、知らせない、教えない。そのことによって、怒りそのものが起らないようになっているのです。それでいて、怒りはないから、抵抗がないから、間違い、不正義、悪は、なかったという。どれほど怒れば、どれほど抵抗する姿を見せれば、痛みや苦しみが「あった」ことになるのでしょうか。生き残った

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    sharou 2009/01/10
  • モエー! - パラム、ドル、ヨジャ〜済州島に多いものみっつ〜

    きのうは、怒る自由のよろこび、ということを書きましたが、たしかに、怒るということ、怒ることができるということは、とても贅沢なものなのかもしれないな、と思います。  たとえば、デモに行って怒りを表明すること、集会に参加をして怒りを訴えること、そんなことができるのも、一種の贅沢であるといえると思います。わたしなんかだったら、会社が土日が休みなので、土日の場合が多い、集会やデモに参加をできます。平日でも、夜の抗議活動だったら、会社を終えてかけつけることができます。また、大阪という都市部に住んでいるので、人もたくさんいるし、自分ではデモや集会をオーガナイズすることはできなくても、誰かの呼びかけがあれば、容易に参加をすることができます。また、お昼休みがあるので、こうしてブログで意見を書いたり、だれかに呼びかけたりすることができます。普通の仕事について、普通の生活ができるからこそ、こんな贅沢に、抗議行

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    sharou 2009/01/07
  • 私信です。 - パラム、ドル、ヨジャ〜済州島に多いものみっつ〜

    先日書いた、「あなーきすとおもに」に対して、いー・よんひゃんさんから、ご意見、ご批判をいただきました。ありがとうございます。 「小さな人たちの命の火照り」  いや、実をいうと、あんなことを書いたら、きっと、なにか反応を示してくださるだろうなと、おもっていました。「通名」のときも、そうですが、先日書いたことに対しては、「個人」として、「法律家」として、「母親」として、「在日」として、いろんな立場から、いたらないわたしの、生ぬるい考えに、びしゃっと冷水を浴びせかけるような、そんな、お言葉をちょうだいするのではないかな、と、どこまでも甘えきったわたしは、そんな風におもっていました。  おっしゃられる通りだと、おもいつつも、後半のご批判に対しては、すこしだけ、わたしも、補足というか、書ききれなかったこと、まだ、考えきれていないことを、書いてみたいとおもいました。 子供の国籍によって育て方が違うの?

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    sharou 2008/12/11
    予定通りぱっくんと食いつきましたよ(笑) わたしみたいに見る前に飛んじゃうタイプが決していいとは思わないし、ぐるぐるたくさんするのもいいんじゃないでしょうか。ただ、考えすぎると足が止まるよね。
  • 故郷、どこー? - パラム、ドル、ヨジャ〜済州島に多いものみっつ〜

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    sharou 2008/12/10
    在日のいう「コヒャン」=「韓国の本籍地」は特殊な用法でしょう。ネイティブ韓国人には通じないと思う。
  • あなーきすとおもに。 - パラム、ドル、ヨジャ〜済州島に多いものみっつ〜

    二、三年くらい前のことです。舞踊のレッスンがはじまる前に、舞踊なかまのおともだちやソンセンニムと、いつものように、結婚についてのお話をしていました。  舞踊なかまのおともだちは、わりと結婚したい派が多いです。結婚したいというよりは、子どもがほしいから、三十過ぎたし、そろそろ結婚しないとねー、っていう人が多いように思います。その場にいたなかで一人だけ、結婚もしたくないし、子どももほしいと思わないわたしは、「いや〜、わたしは結婚はしないと決めてるんで、友だちとかが結婚しても、あせらないですよ〜」と結婚しなくても、ヨユー発言をしました。すると、ソンセンニムが、ちょっとオンニのようなお顔をされながら「わたしも、二十代後半は、そーいってたんですけどー、三十代なったとたん、まわりの友だちが、みんな結婚し始めるんですよー。もー、ばーってみんないっちゃうから、ものすごいあせりますよー。みんな、最後のひとり

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    sharou 2008/12/09
    いろんな話がいっぱい詰め込まれていく。あとで書くかも。かもかも。/書きました。
  • 文は、愛なり! - パラム、ドル、ヨジャ〜済州島に多いものみっつ〜

    昨日は、オモニハッキョにお客さんや、久しぶりに会うスタッフが、たくさん来てくだいました!だいせ〜きょ〜!ばんばんざ〜い!  こないだ、ブログで木曜日のスタッフが足りないと書いた効果なのか、それとも、たまたま、ぐうぜん、そうなったのかは、分からないのですが、でも、昨日は、ブログでお知り合いになった、ぅききさんとid:Romanceさん、それから、I塚さんの後輩(?)のFさん、ひっさしぶりに会うTaeちゃん、都島から、自転車こぎこぎで来てくださったS藤さん、Mチーの愛娘のNeneちゃん、とたくさんの、スタッフが来てくださり、オモニたちに、たっぷりたっぷりのマンツーマン、マンツーツーのオモニも数人いらっしゃるような、そんなリッチな環境で、お勉強していただくことができました。いやあ、ほんまに、く〜って、なるくらい、うれしかったです。私も、S花オモニを、Taeちゃんと、去年までS花オモニと一緒にお勉

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    sharou 2008/10/24
    関西弁饒舌体。しかし、「ですます調」が自然に出てくるのはいいですね。わたしがやると、なぜか常体で書くよりシツレイな場合も。考え自体がシツレイなんでしょうな。
  • 「なんで?」と「だから?」 - パラム、ドル、ヨジャ〜済州島に多いものみっつ〜

    先週の月曜日、韓国から日に留学に来ているKさんという人が、オモニハッキョに来てくださいました。  ハッキョが終わった後の、自己紹介のとき、私は、Kさんに「Fです」と通名だけであいさつをしました。最近は、韓国人の人に会っても、名とか「同胞」を言っても、あんまり意味がないように思えて、言わないことにしています。やはり、前に韓国人の人から「日で生まれて、日語を話して、日人みたいな考えかたをしているのに、なんで『在日』は、(私に)『在日』『在日』って言ってくるんですか?」と言われたことが、トラウマになっているようです。「なんで?」と聞かれて、説明のしようのない自分を、もてあましてしまうし、答えられない自分を情けなく思うし、それに、「なんで?」なんて聞いてくる人に対して、少し腹が立ったりしてしまうからです。だって、「日人」ちゃうし、「韓国人」とも認めてくれへんでしょ、「在日」って言うしか

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    sharou 2008/10/13
  • 革命的ラブシーン - パラム、ドル、ヨジャ〜済州島に多いものみっつ〜

    昨日は、月一回の読書会でした。  テキストは「世界をゆるがした十日間」(ジョン・リード著)でした。  今年は、「極東戦線」(エドガー・スノー著)に始まり、「アリランの歌」(ニム・ウェールズ/キムサン(金山)著)と、ドキュメント、インタビュー、ルポ的なものが、読書会仲間の間ではやっていて、でもって、今月はこのテキストになったのでした。  とはいえ、上巻をざっとしか読めなかったので、それを補うべく「レッズ」という映画を見ました。著者である、ジョン・リードと恋人でであったルイーズとの、愛と革命の日々のお話でした。 すごい、大作というか力作でした。三時間強あるんですが、一気に見終えました。ってか、それやったら、テキスト読み〜や。でも、テキストは、よお分からないんです。「極東戦線」や「アリランの歌」よりも漠然としていて、誰がどこで何をやってるんやら、さっぱり分からないんですよ。まあ、それが当時のロ

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    sharou 2008/09/28
    『レッズ』は公開当時、反共が強かったアメリカで「インターナショナル」ががんがん流れた、ということで話題になりました。もう25年か~。あと、ジャック・ニコルソンは「シャイニング」だす。
  • きれいな言葉の力 - パラム、ドル、ヨジャ〜済州島に多いものみっつ〜

    昨日、いつものように、二階の教室を準備してオモニたちをお待ちしていました。二学期最初の授業です。オモニたち、みんな忘れずに、来てくださるかな?そう思いながら、オモニをお待ちしていると、七時を少し回ったくらいに、一番のりでH(在)オモニが教室に入って来られました。H(在)オモニは、私の顔を見ると、いつもの優しい笑顔でにっこりと微笑まれ「せんせえ、いつも、ありがとうございます。こんなんして、いつも、机とイス出してくれて、ほんまに、すみませんねえ」と、おっしゃられました。  私は、H(在)オモニに「ありがとうございます」とか「すみません」とか言われると、当に困ってしまいます。ただ、机やイスを出しているだけなのに、当の学校だったら、オモニのお名前の入った席やイスが、教室の中に当たり前のように並んであるはずなのに、保育園の一室を間借りした、即席の教室、月曜と木曜だけのオモニたちの学校。私は、それ

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    sharou 2008/09/05
    涙出た。わたしの祖母もわたしの千倍万倍苦労してきた人だが、わたしの顔を見るといつも「忙しくてたいへんだろう」と言うので切なくなる。
  • かなしい風景 - パラム、ドル、ヨジャ〜済州島に多いものみっつ〜

    休日の朝に、よく行くコンビニがあります。  そのコンビニは、四つ辻の一角にあって、その向かい側の角には民家がありました。その民家の前に、小さな長四角の、ちょっと腰をかけるのにちょうどいい具合の、石がありました。 いつからか、いつもそのコンビニの前の石に腰をかけて、じっと座っているオジサンがいることに気づきました。お昼前に、そのコンビニに新聞を買いに行くと、いつもそのオジサンが、そこにいるのを、私は、少し不思議に、また少し興味を持って、オジサンの前を通り過ぎていました。 そのオジサンは、浅黒い肌の色をしていて、髪は少し長く、頭にはいつもキャップをかぶっていました。そのちょっと深く落としたキャップのひさしの下には、どこか悲しげで、何かを思いふけっているような、そんな黒い瞳がありました。全体的な顔立ちは端整で、服装はいつも黒っぽいジャンパーにジーンズ、そんなオジサンのかたわらには、缶コーヒーの缶

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    sharou 2008/08/31