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昭和に関するshichiminのブックマーク (118)

  • 人形劇「プリンプリン物語」 放送スタートから45年 Eテレで一挙再放送 1~50話は地上波初の再放送 - スポニチ Sponichi Annex 芸能

    人形劇「プリンプリン物語」 放送スタートから45年 Eテレで一挙再放送 1~50話は地上波初の再放送

    人形劇「プリンプリン物語」 放送スタートから45年 Eテレで一挙再放送 1~50話は地上波初の再放送 - スポニチ Sponichi Annex 芸能
  • 「忠犬ハチ公」「二・二六事件」をその目で見た…「直参の跡取り」として育てられた「徳川幕府のフランス語通詞の孫」が2020年に亡くなるまでの「波乱の生涯」(神立 尚紀) @moneygendai

    「忠犬ハチ公」「二・二六事件」をその目で見た…「直参の跡取り」として育てられた「徳川幕府のフランス語通詞の孫」が2020年に亡くなるまでの「波乱の生涯」 私が2023年7月、上梓した『太平洋戦争の真実 そのとき、そこにいた人は何を語ったか』(講談社ビーシー/講談社)は、これまで約30年、500名以上におよぶ戦争体験者や遺族をインタビューしてきたなかで、特に印象に残っている25の言葉を拾い集め、その言葉にまつわるエピソードを書き記した1冊である。日人が体験した未曽有の戦争の時代をくぐり抜けた彼ら、彼女たちはなにを語ったか。 ハチ公を実際に見た人 「そういえば、父に連れられて渋谷に行ったとき、忠犬ハチ公を見たことがありますよ」 と、97歳の小野清紀(おの きよみち1921-2020)は、思い出したように語り始めた。2018年のことである。小野は飛行専修予備学生13期出身の元零戦搭乗員だ。 「

    「忠犬ハチ公」「二・二六事件」をその目で見た…「直参の跡取り」として育てられた「徳川幕府のフランス語通詞の孫」が2020年に亡くなるまでの「波乱の生涯」(神立 尚紀) @moneygendai
    shichimin
    shichimin 2024/07/25
    "革命によって社会がよくなったり、豊かになることはありません。"
  • 取り壊された「中銀カプセルタワー」の行方は? 第1号が“動き”始めた

    銀座、新橋、築地の中間ぐらいのところに、ちょっと気になる建物があった。立方体の箱が積まれていて、丸い窓が並んでいる。その名は「中銀(なかぎん)カプセルタワービル」だ。 「あ~あの古いビルね。たしか数年前に取り壊したのでは?」と思われたかもしれないが、その通りである。近未来を感じさせられるデザインは建築家の黒川紀章(1934~2007年)さんが手掛けていて、産声をあげたのは1972年のことである。 建物は地上13階建てと11階建ての2棟からできていて、3階以上に140個のカプセルがあった。部屋の広さは4.5畳で、その中に造り付けの家具やユニットバスのほかに、テレビ、ラジオ、電話、時計、オープンリールデッキ(リールに巻きつけただけで、カセットに入れていない磁気テープ)などが備えられていた。ちょっと狭いワンルームマンションのような形だが、大きな違いはキッチンと丸い窓が開かないことである。 このよ

    取り壊された「中銀カプセルタワー」の行方は? 第1号が“動き”始めた
  • 作曲家いずみたくの偉業を振り返る…「手のひらを太陽に」「いい湯だな」から『ゲゲゲの鬼太郎』まで(鈴木 啓之,週刊現代) @gendai_biz

    「没後30周年記念番組」を放送 「手のひらを太陽に」「見上げてごらん夜の星を」「いい湯だな」「夜明けのスキャット」「ふれあい」、誰もが知るこれらのヒット曲には共通項がある。 すべて、作曲家「いずみたく」によるものなのである。いずみは今年、没後30年を迎え、9月23日(金・祝)には文化放送で、8時から11時までの3時間にわたり、いずみたく没後30周年記念番組『日のスタンダード・ソングをつくった男・いずみたくの世界』が放送される。 映画テレビ、舞台、ラジオ、レコードなど、誰もが一度は耳にしたことがあるメロディを作った「いずみたく」は、どんな人だったのか。その人生を解き明かしていこう。 いずみたくは、冗談音楽、そしてコマーシャルソングのパイオニアとして戦後まもない時代に一世を風靡した才人「三木鶏郎」の下で腕を磨いた作曲家だった。同じく門下生だった野坂昭如と共に独立した後も、コマーシャルソング

    作曲家いずみたくの偉業を振り返る…「手のひらを太陽に」「いい湯だな」から『ゲゲゲの鬼太郎』まで(鈴木 啓之,週刊現代) @gendai_biz
  • 昭和の大転換

    松田未来 コミックリュウで「夜光雲のサリッサ」連載中! @macchiMC72 メカ好き漫画家。MC☆あくしずで「わーるどわいど☆うぃんぐす」を連載18年目。Comicリュウで「夜光雲のサリッサ(原作・ネーム・デザイン)」を連載中。アニメ・ラノベなどのメカ・プロップデザイン&作画を各種手掛けております。 オリジナル漫画「翼駆人アラン」第Ⅰ~Ⅵ章発売中! j2raiden@gmail.com mantovajin.fanbox.cc 松田未来 コミックリュウで「夜光雲のサリッサ」連載中! @macchiMC72 TLに流れてくる「今の若い人たちは昭和をどう認識しているのか」ですが、大前提として昭和は真ん中あたりで大転換がある、を知らないと色々ごっちゃになるんだと思います。 2022-08-17 19:43:13

    昭和の大転換
  • ブックマッチ製造の灯が日本から消える…… 日東社から製造終了の発表に「残念」「昭和のアイテムが消える」の声

    日東社(@nittosha)は、約49年にわたり作り続けてきたブックマッチを6月受注分を最後に製造終了し、「日からブックマッチ製造の灯が消えることになります」と明かしました。 日東社の「オーダーマッチ ブック型」(同社のWebサイトより) ブックマッチとは、2つ折りのカバーに紙マッチを挟み込んだもの。同社は「安価で携帯しやすく、広告面もしっかりと取れる為、様々なお店でご愛用いただきました」とブックマッチの利点を説明。「とても寂しいです…」と長年同社を支え続けた商品との別れに対する率直な心境を明かしました。 日東社のWebサイト この投稿に、Twitterでは「長年お疲れ様でした」というねぎらいや「昭和を思い出すアイテムが消えることがとても残念で寂しく思います…」と悲しむ声の他、「喫茶店や飲店のレジにあるのをよくもらって集めてました」とブックマッチの思い出を語るコメントなどが多く寄せられ

    ブックマッチ製造の灯が日本から消える…… 日東社から製造終了の発表に「残念」「昭和のアイテムが消える」の声
    shichimin
    shichimin 2022/05/30
    ブックマッチは昭和のほうがよく見かけていたが、この会社が製造してたのは平成のほうが長いのか。
  • 実家を壊すので記録として撮ったという昭和の型板ガラスの懐かしさよ「これは貴重」「捨てるには惜しい」の声続々

    高塚菜月 @ntsktktk 東京創元社編集部。好きなこと:小説全般と森博嗣先生と宝塚歌劇とドラえもんと名探偵コナンとジャンクフード。勤務先とアドレス変わりました。ツイートは個人の見解です。

    実家を壊すので記録として撮ったという昭和の型板ガラスの懐かしさよ「これは貴重」「捨てるには惜しい」の声続々
  • 坂倉準三によるモダニズム建築。小田急百貨店新宿店本館が解体へ

    坂倉準三によるモダニズム建築。小田急百貨店新宿店館が解体へル・コルビュジエに師事し、モダニズム建築を多数手がけた坂倉準三。その坂倉建築である小田急百貨店新宿店館が解体され、再開発されることとなった。 小田急百貨店新宿店館 ル・コルビュジエに師事し、数々のモダニズム建築を残した坂倉準三(1901〜1969)。その代表作のひとつであり、多くの人々に親しまれてきた小田急百貨店新宿店館が、再開発に伴い解体される。 小田急百貨店新宿店館は新宿駅西口に位置するデパートで1967年に全面開業。坂倉は新宿駅西口地下広場全体の設計にも携わっており、小田急百貨店はこの設計と併行して坂倉が力を注いだ建物で、駅舎と鉄道の軌道上を立体的に活用した複合商業ビルだ。 西口からは一見ひと続きに見える小田急百貨店新宿店館だが、じつは北側(左半分)の地下鉄ビルは坂倉建築ではない。近代建築史が専門の松隈洋(京都工芸

    坂倉準三によるモダニズム建築。小田急百貨店新宿店本館が解体へ
  • カプセルを取り外し 「泊まれるカプセル」として中銀カプセルタワービルが再生 | Webマガジン「AXIS」 | デザインのWebメディア

    建築家の黒川紀章が設計した「中銀カプセルタワービル」の解体が予定されている。そのカプセルを取り外し、美術館などへ寄贈したり、宿泊施設などで再活用したりするプロジェクトが始まっている。 この計画は、建物をそのままの姿で保存するのではなく、「メタボリズムのコンセプトを引き継ぎ、次に繋げる」という設計思想の継承として行われるもの。カプセルの改修は黒川紀章建築都市設計事務所の協力により、理想的な姿へと再生するという。 ▲1972年竣工当時のオリジナルの内装を残したカプセル 竣工当時のモデルルームカプセルは現在、黒川が設計した埼玉県立近代美術館に展示されているが、今回は再生したカプセルの一部を希望する美術館や博物館に寄贈。取り外されたカプセルが再生され、展示によりメタボリズムの思想を伝えていくことがプロジェクトの目標である。 ▲埼玉県立近代美術館に展示されるカプセル(『中銀カプセルタワービル 銀座の

    カプセルを取り外し 「泊まれるカプセル」として中銀カプセルタワービルが再生 | Webマガジン「AXIS」 | デザインのWebメディア
    shichimin
    shichimin 2021/07/08
    メタボリズム的に正しい継承の仕方なんじゃないかな。
  • 名建築・中銀カプセルタワー、築50年を前に「売却」の転機 老朽化の現状と今後、管理組合に聞く

    東京・銀座にある昭和後期の名建築の中銀(なかぎん)カプセルタワービルだが、1972年の竣工から半世紀を目前に老朽化との厳しい戦いが続いている。 この3~4月を節目に管理組合が売却を決議し、住人の退去も続いている。保存・再生に取り組む渦中の人に現状を聞いた。 戦後名建築の一つ 1972年竣工の中銀カプセルタワービルは、故・黒川紀章氏が設計した集合住宅。最大の特徴は、カプセルタワーの名前通り部屋を1室ごとに独立して交換できる構造にある。都市の発展に合わせて建物のユニットを細胞の新陳代謝のように取り換えていくという当時の建築思想「メタボリズム」が結実した代表的なビルだ。 デザイン性と建築思想から名建築として評価が高い中銀カプセルタワーだが、結果的には完成以来カプセル交換はなされず大規模修繕も35年前に行われただけで、近年は老朽化が大きな課題であった。 2021年3月、カプセルのオーナーで構成され

    名建築・中銀カプセルタワー、築50年を前に「売却」の転機 老朽化の現状と今後、管理組合に聞く
  • 客は獲物だった…売春街から一転「新宿ゴールデン街」が酒場街に変わるまで(フリート 横田) @moneygendai

    戦後以来の飲み屋街をたずね、飲み歩き、古老たちの昔話を聞き集めてきた文筆家・フリート横田氏。最新刊『横丁の戦後史』(中央公論新社)が話題ですが、令和の今も、昭和のたたずまいを残す「横丁」があると言います。その歴史をひもとき、現在の姿も見つめるエッセイ。 独特な「気配」が生まれた瞬間 「あの子は19歳で家出してうちに来てね」 ふふふと静かに、温かに笑う、丸眼鏡に口ひげの紳士、外波山文明(とばやまぶんめい)さん。今回私は、新宿ゴールデン街にある外波山さんの店「クラクラ」を訪れた。 外波山さんは長年にわたって営業者たちの組合(※1)の長をつとめてきた街の長老格である。1971年に「はみだし劇場」を立ち上げ、全国各地の街中で芝居をして回るなど、野外劇を中心に活躍してきた俳優・演劇人としての顔も持っている。映画テレビへの出演も数多い。 劇場という閉じた空間から飛び出して、テント芝居や野外劇など束縛

    客は獲物だった…売春街から一転「新宿ゴールデン街」が酒場街に変わるまで(フリート 横田) @moneygendai
  • 昭和のテレビドラマ史に残る伝説のトラウマ 17選

  • 《好きだった #先輩女子 》 #童貞を殺すペンフレンド #1984年 #本当に湯水のように思い出すなシリーズ

    マニアパレル【公式】|テトぐるみ【公式】 @BAD_ON この惑星に住みたい。ならばどうすべきか? 好きなモノを好きとい言う勇気。 面白がり方を自分で探す知恵。 そしてそれを発表する手段。 その全てを自分自身から発する原動力。 吾先生と出会わなければ得られなかったモノです。 合掌。 2019-10-21 13:41:45 36年前に書いた…イラストがネットの海にアップされてる… そうだまだ少年だった頃、僕は漫画家だったんだ… 1982年のSF大会で出会ったいっこ上の先輩女子と ペンフレンドとなった少年が 共通のファンである吾ひでお先生の 執筆する雑誌で商業誌デビューするまでのお話です (随時更新します)

    《好きだった #先輩女子 》 #童貞を殺すペンフレンド #1984年 #本当に湯水のように思い出すなシリーズ
  • 引退から40年、山口百恵の600曲以上サブスク解禁

    1980年10月5日に東京・日武道館で行われた引退コンサートから40年。山口百恵は14歳でデビューし、人気絶頂の21歳で芸能活動を終えるも、今なお歌謡史に名を残す歌姫として多くのファンに愛されている。サブスクの対象となる作品はデビューシングル「としごろ」をはじめ、「ひと夏の経験」「横須賀ストーリー」「プレイバック part2」「いい日 旅立ち」「秋桜」「さよならの向う側」といった名曲の数々にラストを飾った「一恵」までの全シングル。さらに22枚のオリジナルアルバムと、女優として出演した作品のサウンドトラックアルバム8作品の収録曲を加えた600曲以上が一斉に解禁となった。対象サービスはApple Music、Spotify、LINE MUSICAmazon Music Unlimited、Google Play Music、AWAなど。

    引退から40年、山口百恵の600曲以上サブスク解禁
  • 昭和天皇 拝謁記 歴代首相の人物評繰り返す | NHKニュース

    昭和天皇との対話を記した初代宮内庁長官の「拝謁記」には、当時の吉田茂総理大臣について「吉田ハカンで動く人間ハ六ヶ(むつか)しいね」と述べるなど、昭和天皇から見た歴代総理大臣の人物評が頻繁に記されています。 「拝謁記」を記していたのは民間出身の初代宮内庁長官だった田島道治で、日国憲法のもとで昭和23年から5年半にわたり、宮内庁やその前身の宮内府のトップを務め、在任中、600回余り延べ300時間を超える昭和天皇との対話を詳細に記録していました。

    昭和天皇 拝謁記 歴代首相の人物評繰り返す | NHKニュース
  • 松岡正剛の千夜千冊

    先週、小耳に挟んだのだが、リカルド・コッキとユリア・ザゴルイチェンコが引退するらしい。いや、もう引退したのかもしれない。ショウダンス界のスターコンビだ。とびきりのダンスを見せてきた。何度、堪能させてくれたことか。とくにロシア出身のユリアのタンゴやルンバやキレッキレッの創作ダンスが逸品だった。溜息が出た。 ぼくはダンスの業界に詳しくないが、あることが気になって5年に一度という程度だけれど、できるだけトップクラスのダンスを見るようにしてきた。あることというのは、父が「日もダンスとケーキがうまくなったな」と言ったことである。昭和37年(1963)くらいのことだと憶う。何かの拍子にポツンとそう言ったのだ。 それまで中川三郎の社交ダンス、中野ブラザーズのタップダンス、あるいは日劇ダンシングチームのダンサーなどが代表していたところへ、おそらくは《ウェストサイド・ストーリー》の影響だろうと思うのだが、

    松岡正剛の千夜千冊
  • 【第49回】人が死ぬこと|遠い地平、低い視点|橋本 治|webちくま

    西城秀樹が死んだ。六十三歳だった――というニュースを聞いたら、朝丘雪路が死んだ、星由里子が死んだというニュースも続いて、テレビの『徹子の部屋』は追悼番組が立て続けになった。なんでこんなに人が死ぬんだろうと思ったら、平成三十年の五月は、平成が終わる「最後の一年」に突入した時期だった。今上天皇の退位はあらかじめ決まっていて、なんとなく平成は自動的に終わるもんだと思っていたけれど、人が立て続けに死んで行くニュースに接して、改めて「あ、一つの時代が終わるんだ」と思った。 七年前、東日大震災が起こった二〇一一年にも人が死んだ。有名人が立て続けに死んだというのではなくて、年老いた親の世代が死んで行った。私の父親が死んだ。友人の父親、あるいは母親が死んだ。やたらと葬式の通知、年賀状辞退の通知が届いた。「なんか、今年葬式多くない?」と友達に言ったら、「多いよね」という答が返って来た。 意外と人は「時代の

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  • なんとなく、反体制…現代につながる「1970年代の呪縛」とは何か(堀井 憲一郎) @gendai_biz

    何度もよみがえる左翼思想 小林秀雄の初期評論を読んでいると、「左翼思想」が大きな影響力を持っていた昭和初年の論壇の空気が伝わってくる。 『様々な意匠』や『Xへの手紙』では、マルクス主義思想や唯物論に強く感化されている当時の知識人の存在と、彼らとはしっかりと距離を置こうという小林秀雄の強い意志をひしひしと感じる。 まわりはすべて「マルクス思想大好きちゃん」ばかりという空気が充満するなかで、自分の吸える空気だけを選んで呼吸しているような、そういう文章に見えてくる。自分の感覚にだけ誠実に書こうというスタイルは、おそらくそのマルクス主義思想に囲まれた状況で生み出されたのだろう。 昭和初年(1920年代後半)には、左翼思想は知識層に強く支持されていたのだ。 昭和10年代の弾圧時期を越え、昭和20年の敗戦占領下で広く蔓延していった。 それは1960年安保(昭和35年安保)、1970年安保(昭和45年安

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  • 伝説となった紅白歌合戦の「夜へ急ぐ人」~ちあきなおみとジャニス・ジョプリンの狂気|TAP the LIVE|TAP the POP

    まったく面識もなければ縁もなかったちあきなおみから、友川カズキが楽曲を依頼されたのは突然のことだった。 それが1977年のことで、友川はそのとき大阪にいた。 「ちあきさん、その頃ステージでジャニスの曲も歌ってたのよ。 だから、曲は意外とあっさり作れたの。 ジャニスに曲書いてるような気分だったからね」 (『友川カズキ独白録 生きてるって言ってみろ』より) ちあきなおみはジャジーなポップスを歌うシンガーとして「雨にぬれた慕情」で1969年にデビューしたが、「四つのお願い」がヒットした翌年に早くもNHK紅白歌合戦への出場を果たしている。 1972年には「喝采」がレコード大賞に輝き、「劇場」「夜間飛行」といったヒット曲が続いて、紅白の常連になった。 しかし1975年に27歳になったちあきなおみは意を決して、13歳の時から15年間も所属した三芳プロを離れた。 それを境にして、音楽活動における表現の幅

    伝説となった紅白歌合戦の「夜へ急ぐ人」~ちあきなおみとジャニス・ジョプリンの狂気|TAP the LIVE|TAP the POP
  • サザエさんの初回をデジタル化 カツオの声は大山のぶ代:朝日新聞デジタル

    フジテレビは26日、アニメ「サザエさん」の初期放送作品を動画配信サイトで公開する。1969年の放送開始から来年で50周年となるのを前に、制作会社が保管していたフィルムをデジタル化した。 フジ企業広報室によると、69~70年に放送した50回分を同局の動画配信サービス「FOD」とAmazon(アマゾン)プライムビデオで有料会員向けに配信する。カツオのテストの答案をめぐる騒動を描く「75点の天才!」、押し売りが磯野家を訪れる「押売(おしう)りよ こんにちわ!!」など69年10月5日の初回放送分のほか、大山のぶ代さんが演じた初代カツオの声なども楽しめる。 フジの渡辺恒也プロデューサーは「初期の『サザエさん』をデジタル化し、後世に映像遺産として残すことができることを大変うれしく思います。また、貴重な初期作品を再び皆様にご覧いただくことが、アニメ『サザエさん』の歴史を振り返る大きな機会になると期待して

    サザエさんの初回をデジタル化 カツオの声は大山のぶ代:朝日新聞デジタル