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本と書評に関するshichiminのブックマーク (262)

  • 安楽死が合法化されたら日本は姥捨て山になる

    筆者の児玉真美さんは障害者やその家族の立場に立って活動しているベテランの著述家だ。その著者が、安楽死の議論と実践が進んでいるオランダやカナダなどの現状を伝え、議論のたたき台としてまとめたのが書、ということになる。 安楽死・尊厳死・自殺幇助といったまぎらわしい語彙を理解するにも向いているだろう。 いわゆる人権先進国で安楽死が急増している 人の生死を扱う書籍だけに、『安楽死が合法の国で起こっていること』にはドキドキする話題やセンシティブな議論が多い。なかでも強い印象を受けたのは、カナダやベルギーやオランダやスイスで安楽死が合法化され、しかも急速に広がっているという話題だった。 たとえばカナダでは2016年に安楽死が合法化されたが、少なくとも当初、その条件は慎重に設定されていた。 カナダは2016年に合法化した際には「死が合理的に予見可能」すなわち終末期で「人が許容できると考える状況下では軽

    安楽死が合法化されたら日本は姥捨て山になる
  • 『面倒なことはChatGPTにやらせよう』を文系ゴリゴリおじさんが読んでみた。 - Everything you've ever Dreamed

    面倒なことはChatGPTにやらせよう (KS情報科学専門書) 作者:カレーちゃん,からあげ 講談社 Amazon 『面倒なことはChatGPTにやらせよう』(カレーちゃん氏、からあげ氏著)を2回通読した。著者のひとり、からあげさんは、僕がキャラクターを認識できる数少ないブロガーだ(お会いしたことはない)。現在、データサイエンス研究者として大活躍している。なお、僕は勝手に彼をターミネーター2に出てくるサイバーダイン社の開発者ダイソンさんをイメージしている。人類の未来のために、凶悪なターミネーターを開発することのないことを祈るばかりである。僕はゴリゴリの文系の営業職の50歳のオッサンで、書の推薦人である松尾教授とは真逆の人間である。もしかしたら書のターゲットから外れている人物像かもしれない。そういう人物に書がどう役に立つの?という視点でレビューになる。 書を一語にたとえると「ブルドー

    『面倒なことはChatGPTにやらせよう』を文系ゴリゴリおじさんが読んでみた。 - Everything you've ever Dreamed
  • 麻酔で意識が落ちた時、何が起こっているのか──『意識と感覚のない世界――実のところ、麻酔科医は何をしているのか』 - HONZ

    麻酔で意識が落ちた時、何が起こっているのか──『意識と感覚のない世界――実のところ、麻酔科医は何をしているのか』 歴史、特に最悪の医療の歴史などを読んでいると、あ〜現代に生まれてきてよかったなあと、身の回りに当たり前に存在する設備や技術に感謝することが多い。昔は治せなかった病気が今では治せるケースも多いし、瀉血やロボトミー手術など、痛みや苦しみを与えるだけで一切の効果のなかった治療も、科学的手法によって見分けることができるようになってきた。 だが、そうした幾つもの医療の進歩の中で最もありがたいもののひとつは、麻酔の存在ではないか。正直、麻酔のない世界には生まれたくない。切ったり潰したりするときに意識があるなんてゾッとする──現代の医療に麻酔は絶対絶対必須だ。そのわりに、患者に麻酔を施す麻酔科医の仕事は光が当たりづらい分野である。何しろ実際に手術や治療を担当することはめったにないから、麻

    麻酔で意識が落ちた時、何が起こっているのか──『意識と感覚のない世界――実のところ、麻酔科医は何をしているのか』 - HONZ
  • 人類を平等にするのは戦争『暴力と不平等の人類史』

    貧富の差は拡大する一方。一向に格差の是正が進む気配はない。 日に限った話ではない。北米、南米、中国、東南アジア、アフリカ……世界中、至るところで格差は絶賛拡大中だ。格差の拡大は、人類社会の宿命なのだろうか? 古今東西の不平等の歴史を分析した、ウォルター・シャイデル『暴力と不平等の人類史』を読むと、これは事実ではないことが分かる。たしかに貧富の不平等はあるが、これを一掃する平等化が果たされる。人類の歴史は、不平等の歴史でもあるが、平等化の歴史でもあるのだ。 書の目的は、この平等化のメカニズムを解明するところにある。データと史料とエビデンスでもって緻密に徹底的に分析する。 不平等のメカニズム まず著者は、不平等は人間社会の基的特徴だという。人類が糧生産を始め、定住化と国家形成を行い、さらに世襲財産権を認めて以降、不平等が進むのは既定の事実だと述べる。なんとなくそうではなかろうかで済ませ

    人類を平等にするのは戦争『暴力と不平等の人類史』
  • 死 ね な い 老 人

    世界一の長寿国であるこの国は、人生100年の時代ともいわれている。 リタイアして、悠々自適の毎日を送る人がいる。趣味やレジャーや学び直しなど、第2の人生を謳歌する人もいる。(未来はともかく)今の高齢者は、高度な医療・福祉サービスを低負担で享受しており、年金をやりくりすることで、暮らしは成り立っている。 その一方で、自分の長寿を喜べない高齢者が増えているという。家族や周囲の人たちに「死にたい」と訴えながら、壁の向こう側で横たわり、生きることを強制される高齢者のことである。『死ねない老人』によると、望まない延命措置を受け、苦しみの中で人生を終える人々は、かなりの数にのぼるらしい。 著者は、高齢者医療に25年携わってきた医師だ。現場の生々しい声を聞いていると、いたたまれなくなる。 生きているのが申しわけない 書によると、「死ねない老人」は2種類に分かれる。 ひとつめは、生きがいを見失い、家族に

    死 ね な い 老 人
  • 『ホモ・デウス』は現代人に生の意味を与える「宗教書」かもしれない(藤田 直哉) @gendai_biz

    『ホモ・デウス』はSFに似ている 歴史学者、ユヴァル・ノア・ハラリの世界的ベストセラー『ホモ・デウス』を読んで、不思議な既視感に襲われた。似たような内容を、SF小説で何度も読んできたような気がするのだ。しかし、「荒唐無稽」なフィクションであるSFと違い、書は歴史学者の書いた人文書であるということになっている。この類似点と違いはどういうことなのか、眩暈のような感覚に襲われたのだ。 人類のこれまでの歴史の進歩と、現在の科学や価値観を根拠にし、近い未来にはどのようなことが起こるのかを語ったのが書である。 そこで語られている内容を紹介すると、人類は「死」を克服し「不死」に至る、科学技術によって自身の心身を改造して「超人」に至る、意志や意識に価値の重きを置く「人間至上主義」の時代が終わりビッグデータを基にしたAIによる判断により高きを置く「データ至上主義」の時代になる、人類がエリート層とそうでな

    『ホモ・デウス』は現代人に生の意味を与える「宗教書」かもしれない(藤田 直哉) @gendai_biz
  • 「林ヲ営ム」が示す、これからの林業。 - オルタナ

    林材ジャーナリスト赤堀楠雄氏の『林ヲ営ム』を読んだ。赤堀氏は、林業・木材産業界の専門新聞社に勤務後、1999年からフリージャーナリストとして森林や林業、木材、木造住宅等をテーマに日全国で取材を行い、執筆の他、セミナーや講演会の講師としても活躍している。豊富な知識とていねいな取材による提言は多くの支持を得ている。 『林ヲ営ム 木の価値を高める技術と経営』(著者:赤堀楠雄 農山漁村文化協会)■「業」ではなく「営」 タイトルは「林ヲ営ム」。「営林」を書き下し文風に読んだもの。「営林」というと、現在は森林管理署という味気ない名称に変更されてしまったが、かつて林野庁の下で国有林の管理・経営にあたっていた営林署を思い浮かべる。 さて、赤堀氏のこの著作は今の林業について、様々な考察やていねいに取材した内容をまとめたものだが、林業の「業」ではなく「営」にしたのには訳があるのだろう。「業」とは生活の中心を

    「林ヲ営ム」が示す、これからの林業。 - オルタナ
  • 『サピエンス全史』と『ホモ・デウス』のせめぎあいが生み出す21の思考〜連載・池田純一書評|WIRED.jp

  • 我々は今後土をどう扱っていけばいいのか──『土・牛・微生物ー文明の衰退を食い止める土の話』 - 基本読書

    土・牛・微生物ー文明の衰退をい止める土の話 作者: デイビッド・モントゴメリー,片岡夏実出版社/メーカー: 築地書館発売日: 2018/08/31メディア: 単行この商品を含むブログを見る『銃・病原菌・鉄』みたいな書名だが中身は土と農業の話である。著者のデイビッド・モンゴメリーは、『土の文明史』で文明の寿命と土壌の豊穣さが密接に関係していることを提示し、続く『土と内臓』では、微生物の存在が土の豊穣さと関係している事実を、腸内細菌が人間の体調を左右する昨今定説化してきた見方の類似点を通して語り、土三部作の完結篇である書では、ついに”これから我々の文明は土をどう扱っていけばいいのか”を語ることで、結論篇といえる一冊に仕上がっている。 問題提起と結論について その問題提起と結論はシンプルなものだ。我々は土を耕す化学肥料をバシバシ使う慣行農法によって土壌は年々少しずつ劣化しつつある。『二〇一

    我々は今後土をどう扱っていけばいいのか──『土・牛・微生物ー文明の衰退を食い止める土の話』 - 基本読書
  • 『死に山 世界一不気味な遭難事故《ディアトロフ峠事件》の真相』ロシア史上最悪の遭難怪死事件に挑む - HONZ

    一般に、は読めば読むほど物知りになれると思われがちだが、実際は逆だ。読めば読むほど、世の中はこんなにも知らないことであふれているのかと思い知らされる。その繰り返しが読書だ。 「ディアトロフ峠事件」をぼくはまったく知らなかった。これは冷戦下のソヴィエトで起きた未解決事件である。 1959年1月23日、ウラル工科大学の学生とOBら9名のグループが、ウラル山脈北部の山に登るため、エカテリンブルク(ソ連時代はスヴェルドロフスク)を出発した。 男性7名、女性2名からなるグループは、全員が長距離スキーや登山の経験者で、トレッキング第二級の資格を持っていた。彼らは当時のソ連でトレッカーの最高資格となる第三級を獲得するために、困難なルートを選んでいた。資格認定の条件は過酷なものだったが、第三級を得られれば「スポーツ・マスター」として人を指導することができる。彼らはこの資格がどうしても欲しかったのだ。 事

    『死に山 世界一不気味な遭難事故《ディアトロフ峠事件》の真相』ロシア史上最悪の遭難怪死事件に挑む - HONZ
  • 『朝、目覚めると、戦争が始まっていました』 未来を知らない十二月八日の言葉 - HONZ

    意表を突かれた。企画も内容も構成も、見事という他ないだ。毎年、終戦の日にむけて様々なが出版されるが、とりわけ異彩を放つである。書を手にしてはじめて私は、「開戦を人々がどう受け止めたのか」という個々の情報が、ごっそり抜けおちていたことに気づいた。 ものすごく解放感がありました。パーッと天地が開けたほどの解放感でした。 (書11頁、吉隆明、原典:三交社『吉隆明が語る戦後55年・5』) 僕の命も捧げねばならぬ。一歩たりとも、敵をわが国土に入れてはならぬ。 (書45頁、坂口安吾、原典:筑摩書房「真珠」『坂口安吾全集03』) 書は、太平洋戦争勃発時の知識人・著名人の反応を日記や回想録から抜き出した、アンソロジーである。さぞかし重苦しい空気なのかと思いきや、むしろその逆だった。戦争を歓迎する言葉が多いのである。知識人にして、そうなのだ。「一般人は?」と考えずにはいられなかった。 その

    『朝、目覚めると、戦争が始まっていました』 未来を知らない十二月八日の言葉 - HONZ
  • 『謝るなら、いつでもおいで 佐世保小六女児同級生殺害事件』 - HONZ

    正に「青天の霹靂」と、いうヤツである。 何故、人よりホンの一寸ばかし読書が好きなだけの、40過ぎの一介のスタイリストの元に、あの開高健ノンフィクション賞と、大宅壮一ノンフィクション賞の最終候補に残る様な、格派ノンフィクションの文庫版解説という大役が回ってくるのだろうか。 しかも書は、あるファッション・デザイナーの評伝でもなければ、映画や演劇の衣装について考察されたでもない。自身、娘を持つ身としては、胸が抉られ、読む事すら躊躇われるような、痛ましく哀しい事件のノンフィクションである。 この、畑違いとお門違いが同じ皿に盛られてやってきた様なオファーに、正直俺はビビってたじろいだ。「無理です」と、一言電話口で言葉を発せば、こうして身分不相応を完全に自覚しつつ、言い訳めいたフレーズを羅列しなくても済んだかもしれない。 だが、僕は散々迷ったフリをしながら、必ず書かねばなるまいと思ってもいた。そ

    『謝るなら、いつでもおいで 佐世保小六女児同級生殺害事件』 - HONZ
  • 老人栄えて国滅ぶ『シルバー民主主義の政治経済学』

    この国は老人に滅ぼされる。そう思っていたが、問題はもっと根深いようだ。マスコミが偏向報道するように、わたしのタイムラインは偏っていることに自覚的にならないと。単に考えさせられるだけでなく、次に(わたしが)選ぶべき方向も見えてくる一冊。 全国から吸い上げられた税金は、高齢者に注ぎ込まれる。年金世代は現役世代の犠牲の上にあぐらをかき、既得権を貪り、財政改革の邪魔をする。「年金」という聖域に手をつけようものなら、マスコミが急先鋒となって蜂の巣をつついたように騒ぎ出す。「このままじゃやっていけない」「死ねというのか」と叫ぶ老人を巣鴨あたりでインタビューし、大々的にキャンペーンを張る。 いっぽう、コストカットのあおりを受け、手取りは目減りし、不安定な雇用に苦労する現役世代の声は捨てられる。なぜなら、逃げ切る気まんまんの高齢者の方が多数だから。民主主義は多数決。さまざまな意見を最終的に決めるのは、「声

    老人栄えて国滅ぶ『シルバー民主主義の政治経済学』
  • 不治の精神病者はガス室へ『夜と霧の隅で』

    きっかけはこのツイート。 人工透析のあり方を叩いていた人は、北杜夫の「夜と霧の隅で」も読んだことはないだろうな。ナチスが一番最初に大量殺戮したのは、ポーランド人でもユダヤ人でもなく、偉大なるドイツ帝国建設に役立たないとされた精神病者や障碍者だった事実。 — 半歩前進 (@hanpozenshin) 2016年9月27日 北杜夫といえば『どくとるマンボウ』や『楡家の人びと』しか読んでいなかったが、こんな重い話を書いていたなんて。しかも、これで芥川賞を受賞していたなんて。hanpozenshinさん、ありがとうございます。 そして、読んだら頭を殴られた。これは、治る見込みのない精神病患者を「無益な人間」として安楽死文では安死術)させる話。知能に障碍を持つ子どもが次々とバスに乗せられる冒頭は、映画そのもの。どこか空想上のディストピアではなく、第二次大戦時のドイツだ。ナチスは「遺伝病子孫防止法

    不治の精神病者はガス室へ『夜と霧の隅で』
  • 『外来種は本当に悪者か? 新しい野生 THE NEW WILD』解説 by 岸 由二 - HONZ

    現代生態学の核心的なテーマを扱う不思議なが登場した、というと、意外に思われるかもしれない。扱われているのは、自然回復論。外来種をどう理解し、評価するか、未来の自然保護をどのようなビジョンで考えるか、そんな話題ではないか。そのどこが現代生態学の基礎テーマにからんでいるというのだろう。 現代生態学の基礎テーマというと、まっさきに、ドーキンスの利己的遺伝子論や、やたらに複雑な数理生態学のことを連想する読者がいるかもしれない。それはそれで、正しいのだが、自然回復、自然保護などを扱う生態学のいわば道における基礎テーマは、すこし焦点が違う。きわめて重要な領域なのだが、とくに日の生態学の領域ではなかなか話題にするのも難しく、わかりやすい専門書もほとんどないのが実情だ。そんな、わかりにくい世界について、「外来種をどう評価するか」という現代保全生態学

    『外来種は本当に悪者か? 新しい野生 THE NEW WILD』解説 by 岸 由二 - HONZ
    shichimin
    shichimin 2016/07/15
    "「外来種はなんであれ排除せよ、より古くから固有と認定される在来種こそ保全されるべき」という常識的な自然保護論は、現代生態学の領域ではすでに四方から批判され、吟味されるべき、過去の命題となっ
  • 怒りの根っこには必ず、「私が正しい」という思いがある『怒らない練習』

    怒らない人生が欲しい人に。 マスゴミ、経済学者、暴走老人と、世に怒りの種は尽きまじ。新聞読まないのは心の平穏のためだし、オフィスではひたすら平常心、の罵倒は御褒美です。それでも「イラッ」とくる瞬間が怖い。いったん怒りのスイッチが入ったら、どんどんエスカレートして逆上するから。そして、ずっと後になっても何度となく思い出してはネチネチ自分を責めるハメになるから。 なんとかせねばと読んだのが『怒らないこと』、これは素晴らしいだった。なぜなら人生変わったから。「一冊で人生が変わる」ような軽い人生なのかと言われそうだが、違う。「怒り」の悩みは常々抱えており、ガン無視したり抑圧したり、王様の耳はロバの耳を繰り返してきた。上手くいったりいかなかったり、アンガー・マネジメントはかくも難しい。だが、そういう苦悩を重ねてきた結果、この一冊をトリガーとして一変させるだけの下準備になっていたのだろう。とにかく

    怒りの根っこには必ず、「私が正しい」という思いがある『怒らない練習』
  • がんで死ぬより辛いこと『さよならを待つふたりのために』

    「ラノベ」を軽い小説だと思っている人は、「けいおん」を軽い音楽だと思ってる人ぐらい微笑ましい。液晶画面の視野では狭すぎるから、書店に足を運んで、その目で見るといい。レッドオーシャンのラノベ棚からあふれ出て、文庫・文芸・教養書から海外文学まで飛び火しているぞ。 見るもの全てクソ扱いするのは、その目がクソまみれだから。スタージョンの法則を思い出せ、いいものはちゃんとある。自らの偏見に囚われて、素晴らしい作品を逃すのはもったいない。 なので、極上の一冊を紹介する。ラノベの源流Y.A.(ヤングアダルト)のジャンルだが、その範疇ではもったいない。これは、果汁100%の青春小説(無糖)であり、唯一無二の恋愛小説であり、軽妙で強靭な会話に彩られた、海外文学の格好の入り口となっている。よくある「ニッポンの難病モノ」とは別物であり、お涙ちょうだいの感動ポルノを期待して読むと、もっとずっと深いところから突き上

    がんで死ぬより辛いこと『さよならを待つふたりのために』
  • machineryの日々 会社の仕事の土台は「行動量」

    p.60 しかしいま再び、かつての「技能」がものいう時代がきたとグラットンはいいます。しかもなんとその模倣されない「技能」は「反復練習」、すなわち〔Ⅰ象限〕の仕事の繰り返しを通して磨かれるというのです。であれば、「私たちの働き方の未来」は「いつもと同じ仕事」にかかっている。そう言っても過言ではないことになります。 とはいえ、〔Ⅰ象限〕には課題もあります。「いつも同じ仕事」には、どうしても「ものうい・いたたまれない感覚」がつきまとうからです。よって次のような点にもう少し気を配り、その光の部分を再認識させるように努力してもいいのではないでしょうか。 一つ。〔Ⅰ象限〕が「社会の日常をささえている」ことを再確認する。 二つ。従って、その仕事の「いつも感覚」「ものうい・いたたまれない感覚」が油断を生むこと、思わぬ重大事故や大きな失敗を招く。 三つ。社会の日常を支える〔Ⅰ象限〕の仕事をしている人に対し

    shichimin
    shichimin 2015/01/18
    "仕事を支えるのは「量」であって「質」そのものではないという当たり前のことが、ともすると忘れられがちだということがポイントではないか"
  • パンをめぐる濃密な冒険『パンの世界』 - HONZ

    学術的な選書シリーズでパンがテーマ。となればパンの歴史や社会との関わりを論じたようなだと思うかもしれないが、実はまったく違う。めちゃくちゃおいしそうなパンの写真がたくさん載ったカラー口絵を眺めてから「まえがき」を読み始めると、いきなり目に入ってくるのは「シニフィアン・シニフィエ」という言葉。たしか私が社会人になった年に創刊された、この講談社選書メチエシリーズの第一回配は現代思想のだったよなぁ、などと思い出してしまうが、ここで書かれているのはソシュールのいうシニフィアン・シニフィエ(=「意味するもの」と「意味されるもの」)ではなく、パン好きであれば知らない人はいないほどの有名店、世田谷公園にほど近いパン屋さん「シニフィアン・シニフィエ」のこと。慌てて著者の名前を見直せば、なんとそのオーナーシェフ志賀勝栄氏自身が書いたなのだ。 パンを買うのが好きな人はもちろん、パンを自分で作る人たちに

    パンをめぐる濃密な冒険『パンの世界』 - HONZ
  • 人生の一冊『生きがいについて』批判

    第2次世界大戦中、生還した戦闘機の研究において、意見の対立が生じた。被弾した箇所を補強すべしと主張する軍部と、そこを補強しても効果ないとする統計学者の対立である。 もちろんこれは、典型的な選択バイアスの話だ。得られたデータは帰還できた(=被弾しても生還した)戦闘機に基づくものだから、被弾箇所は致命的な部位ではなかった。従って、ケアするべきは被弾しなかった場所から逆推理することになる。これは、「苦情窓口に寄せられた要望」や「からのサバイブ」、そして「逆境を克服した生きがい」も同様である。諦念や絶望により、伝わらなかった事例は、予め除かれている。 神谷美恵子の『生きがいについて』は、生きるはりあい、生きる意味、人生のやりがいというキーワードとともに、古今東西の哲学者や聖者、賢人の言葉をひもとき、著者自身が勤務するハンセン病療養所の例と照らしながら、「生きがいとは何か」について考察する。 人は

    人生の一冊『生きがいについて』批判