2006年8月29日のブックマーク (4件)

  • Bookmarkより - Munchener Brucke

    低気温のエクスタシーbyはなゆー: 自民党政調会長がアジア重視派を「古い」「軟弱」と批判 アジア主義との決別|Doronpaの独り言 最近、アジア主義がことに矮小化されている気がする。アジア重視というスタンスを「顔色をうかがう」「土下座する」みたいな言説で歪め、アジアでの日の可能性に関してはスルーしてしまう傾向が強い。少し前までは、日はアジアの中でどうリーダーシップを発揮していくかという議論が盛んに為され、サミットの前には首脳はアジア各国を訪問し、アジア代表の日がアジアの意見を集約するという行動が見られた。 若い人はおろか、政治家の間にまでもアジア重視=サヨクみたいな思考が蔓延し、アジアに背を向ける*1ことが是となっているが如きだ。良い悪いは別にして、戦前の右翼思想のアジア感なども学んだ方がいいのではないか、結果的には覇権主義に終わったが、初期の戦前右翼「玄洋社」等のアジア感は捨てた

    Bookmarkより - Munchener Brucke
    shin-ohara
    shin-ohara 2006/08/29
    >>〔植民地における殖産や教育を〕植民地住民のために...やってる意識は...宗主国にはない。役に立ったか立たなかったかはすべて結果論で...旧植民地地域の現状と照らし合わせて考えてもらえばいいこと:同意。
  • 「戦地で死んだ者を追悼する」イコール「靖国参拝」ではない - クッキーと紅茶と(南京事件研究ノート)

    戦地で死んだ者の霊はどこにいるのか、当は誰にもわからない。*1 靖国神社は戦死者をひとまとめに「合祀」していると言うけど、ひとりひとりの「霊」が靖国神社に集まっているという客観的根拠はない。 いや、「霊」はいろいろなところにいる、だけど靖国神社はそれらの霊と私たち生者との間の接点(チャンネル)として存在しているという考えもあるだろう。しかし「霊」の側が、靖国神社を生者とのチャンネルとして認めている、という客観的根拠はない。 つまり、靖国神社が「霊」の居場所ないし接点というのは、主観ないし共同主観にすぎない。*2 誰の共同主観か? そう、靖国神社という宗教法人とその支持者の。 ここで想起すべきは、国家によって戦争に動員され戦地で死んだ約230万の半分以上は、戦闘による死ではなく餓死だったということだ(藤原彰氏の研究による。http://blog.goo.ne.jp/taro606/e/cd

    「戦地で死んだ者を追悼する」イコール「靖国参拝」ではない - クッキーと紅茶と(南京事件研究ノート)
    shin-ohara
    shin-ohara 2006/08/29
    日清戦争とか日露戦争における戦病死者の扱いはどうなってるのだろうか、とか、外国における戦病死者の取扱いはどうか、とかあたりについてちょっと知りたいかもと思ったが自分で調べるのは怠い。
  • 餓死した兵士を供養する/追悼するという難問に、どう向き合うのか - クッキーと紅茶と(南京事件研究ノート)

    昨日書いたことの再確認になるが、 ・靖国参拝が戦死者追悼の唯一の方法ではない。 ・死んだ者の魂は「靖国に眠っている」とは限らない。確かめようがない。 そういう不確かさの中で、(戦死者を追悼しようと欲する者は)どこで、どのような追悼の方法を選択するのか。 これは難問のはずだ。「魂はみな靖国に眠っている」という考えを信じ込んでいれば、そういう難問に直面しないですむだろう。しかし魂は自由に居場所を選んでおり、靖国神社には居ないかもしれないと考えはじめたとたん、私たちはそれぞれ自分で「追悼の方法」を考えなければならなくなる。 ちなみに内橋克人さんは、毎日枕元に位牌を置いて寝床につくという(NHKテレビの討論番組で自ら述べていた)。内橋さんの場合は兵士ではなく、空襲時に内橋さんを助けて自らは落命された方の供養として、そういうことをされているとのことだが。 話を戻す。難問をより難問にしているのは、戦死

    餓死した兵士を供養する/追悼するという難問に、どう向き合うのか - クッキーと紅茶と(南京事件研究ノート)
    shin-ohara
    shin-ohara 2006/08/29
    んー。云いたいことは大体分るけど、個人による追悼と国家による追悼は分けて考えた方がよいかも。個人による追悼に関して、考えた上で靖国、という結論に至った人間について想定されてなさげにも読める。
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