筆者 本郷明美(ライター) ところは大阪、ときは明治、ある男が家族に言った。 「ここは、ええ魚が手に入らなくてあかん。魚がうまいとこにひっこそっ!」 で、家族揃って、和菓子屋を営んでいた大阪市内から海沿いの堺へと本当に引っ越してしまった。セリフは推定でありますが、これホントの話。新鮮な魚のために引っ越しとは、かなりの食道楽である。この男の子孫が、のちの人気歌人、与謝野晶子。こんな家庭に育った晶子ももちろん、食べることが大好き。ところが世の中うまくいかない。大恋愛の末結ばれた与謝野鉄幹の実家は寺であり、「一汁一菜」が基本の質素な食生活を良しとする家庭だった。 結婚し、愛する夫のために腕をふるう新妻晶子。お膳にはおかず2品と魚の煮つけ、晶子にとってはごく普通の夕餉だった。 「おいしいって言ってくれるかしら」、晶子は頬を染めたことでしょう。ところが! 「こんなぜいたくは許せません」 ひ、ひどい、