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sociologyに関するshiraberのブックマーク (29)

  • 教科書を読もう

    こないだの放送で説明しようと思っててできなかった話に、「教科書」の話題があったことを思い出したので書き付けておきたい。多くの大学生にとって、講義を受けるに当たっての教科書のコストというのは割と半端なくて、例えば甲南大学では平均すると3万円から4万円の教科書代がかかるのだという。このコストは事前に明示されることは(特に文系の場合)ほとんどなく、いざ講義を受けようと思ったところで示される場合が多い。保護者の経済状況の変化から学費を払えずに中退する学生が増えているという話は注目されても、カネがなくて教科書を買えないという話は、学生の怠慢扱いされてしまうので、あまり取り上げられることがない。 そもそも教科書代が高いのはなぜか。そこには構造的な問題があって、まず指摘しておかなければならないのは、教材の開発、つまり教科書を書くことが、研究者の業績の一部として認められているということ。教科書執筆は、研究

  • 『クローズアップ現代』に出演しました

    これまでも何度かお話をいただいたものの、スケジュールの都合でお断りをさせてもらっていた『クローズアップ現代』に、ようやく出演することに。事前にもやりとりをしていたものの、話す内容は放送直前まで続いた国谷キャスターとの打ち合わせの中で決めたので、さすがに最後の方は詰まり気味で視聴者フレンドリーではなかったなと反省。話した内容については早速クロ現のサイトにアップされているので特に言うことはないのだけど、あまり指摘できなかった点について3点くらい補足しておきたい。 ひとつは、企業が防衛的になって初動を誤る理由について。打ち合わせで話していて見えてきたのは、これまで企業に対して強い圧力をかけることができる団体、個人は限られていたということ。悪い言い方をすると、お客一人の対応をマズったからといって、さしたる問題にはならず、業界団体、監督官庁、総会屋など、気を遣わないといけない相手は限られていた。それ

    『クローズアップ現代』に出演しました
  • 店じまいの準備

    毎年、年の締めのブログでは一年を振り返って記事を書いているのだけど、今年はすでに考えたことや主張したことでずいぶんと深掘りしたので、結構お腹いっぱいだったりする。とはいえ、仕事だとか活動だとかでもたくさんの出来事があったので、最後にそちらを振り返ってみたいと思う。 2012年、2013年と学会活動や著作でアウトプットの多い年だったけど、実はその2年、企画・空間設計から組織改革、チームの立ち上げ、業務の確定まで、とにかくありとあらゆることで手のかかってきた仕事である「ピア・エデュケーション」が、学部新校舎の開設とともに格的にスタートしたのが、今年の最大のトピックだ。やってきた内容についてはすでに他の記事でも書いたけど、自分の仕事という意味で大きかったのは、マネジメントの仕方が変わったことだろう。 フリーランスとか、あるいは研究者として個人研究する上でも、たいていのマネジメントは自分の都合と

    店じまいの準備
    shiraber
    shiraber 2015/01/04
    “もともと大学に就職しようと決意したのは、長期的な関係を築いていなければできないような「人育て」がしたかったからだ”
  • しくみの分からないものに、関心はもてない

    選挙のたびに「政治に関心を持とう」「選挙に行こう」というキャンペーンが行われるのが、ウェブにおいても当たり前の風景になった。東日大震災以後の世相全体での政治への関心の高まりや、ネットに慣れ親しんだ世代が壮年期を迎え、社会の担い手としての意識を持つようになったことが背景にあると考えられる。またその表現のあり方も、政策の比較やデータの紹介、識者のコメントや論説など、非常に充実したものになっている。 「ネット選挙」という言葉を、ネットでの選挙活動あるいは投票という狭い意味で捉えず、広く政治と投票への関心を集める活動だと考えるならば、10年前とは比べ物にならないくらい、ネット選挙のありようは豊かになっている。一方で、投票率の上昇や投票する候補者、政党を決定するのに、こうした活動がどの程度寄与しているのかは定かではない。どんな物事も普及、定着するのに時間がかかるものだから、単時点ではなく長期的に考

    しくみの分からないものに、関心はもてない
  • 価値のある活動

    日で年内のゼミは終了。まだお仕事は残っているけど、1年間の仕事の大きなヤマを越えた気分。入れ替わり立ち代り研究室をいろんな人が訪れるのも、なんだかこの時期ならではの慌ただしさ。 社会に学問は必要だけど、生きていくのに必要とは限らないし、アカデミックな知識への関心は皆無で勉強をサボっていたとしても、お金になる仕事ができる人もいる。一生懸命勉強した経験を、お金になる仕事をするための練習として活かせる人もいるし、仕事とは関係ないけど、好きなことを好きなように追求するために学生時代を費やす人もいる。要するに、僕らの仕事は「あってもなくても大して変わらない」。 さて、よく考えてみれば、僕たちが携わる仕事の多くは、社会に必要だとしても、目の前にいる相手にとっては必要であるかどうか分からず、つまりはあってもなくても大して変わらないものが多い。だからそういうものに価値があると思わせること、コストを払って

    価値のある活動
  • 鈴木涼美『「AV女優」の社会学──なぜ彼女たちは饒舌に自らを語るのか』書評 – sociologbook

    私たちはジェンダーやセクシュアリティに関する話が好きだ。とくにセックスワーカーや風俗嬢などに関する噂話が大好きだ。なかでも、そういう仕事をなぜ好んでしているのか、どういうきっかけでその仕事に入ってきたのか、あるいは、そういう仕事に就くような女の子は、どういう家族構成で、どういう暮らしをしていたのか、という、動機や原因を探るような話が大好きである。 しかし、おそらく、セックスワーカーに関するこういう話し方は、彼女たちをなにか逸脱したもの、規範から外れたもの、おおげさにいえば「異常」なものとして扱ってしまうことになる。 書の筆者にとって、序文にも書かれているとおり、風俗やキャバクラ、そしてAVの世界は身近な世界だった。だから、筆者はそういう場所にいる女性たちを、なにか私たちと異なるものとして描きたくなかったのだろう。 性を売る女性たちのなかでもAV女優はとくに、動機や原因を語る圧力につねにさ

    shiraber
    shiraber 2014/03/26
    読みたくなった
  • 上野千鶴子の発言に見る、フェミっぽい人が言いがちなテンプレートに反論してみる | blog.yuco.net

    「女子力を磨くより、稼ぐ力を身に付けなさい!」上野千鶴子さんが描く、働く女の未来予想図 – Woman type [ウーマンタイプ] 一点目。 稼げる方がいい、などというのは当たり前のことだ。私たちはみな貨幣経済の中で生きており、モノやサービスを金銭で購入しているのだ。お金はないよりある方がいいし、稼げる方がいいに決まっている。 「稼ぐ力があれば生きていけます」などというのは「勉強ができれば東大に入れます」とか「野球がうまければプロ野球選手になれます」のような発言で、同語反復に近い。 たとえば、「資産はないよりある方がいいですよねー」という発言があったら、「当たり前だろう、だからその資産をどうやって作るんだよ」という話になると思うのだが、結論が「稼ぐ力が必要ですよねー」だと「何か言った感」が出てしまうのは不思議なことだ。 「稼ぐ力が必要」というのは結論ではなく、話のスタートであるべきで、じ

  • 「再帰的近代化」ってなに

    「再帰的近代化」ってなに 『現在研究中のトピック』へ戻る 「再帰的近代化」ってなに? ベックやギデンズが現代社会の特徴を把握するために用いた概念。ベックによれば、以前の近代化は自然と伝統という目的・対象(Objekt)を近代化していく「単純な近代化」であった。それは身分的な特権や宗教的な世界像を「脱魔術化」していく近代化である。しかし、現在、この近代化はその目的・対象を吸収し尽くして喪失し、自己を近代化していく段階に入った。これが「再帰的近代化」である。現代社会の変容と課題を理解するためには非常に有効な概念。 私がこの概念を知ったのは10年前の留学中のこと。テンニースやウェーバーの社会学を取り入れながら、この概念を用いて拙著はドイツ現代社会を論じた。 再帰的近代化の予備知識 英語ドイツ語には再帰動詞というものがある。<主語+動詞+目的語>といういわゆるS+V+O文型で、主語と目的語(ob

    shiraber
    shiraber 2012/07/12
    「1970年代ごろから、近代はそのObjekt(目的語=目的、対照、目的物)も近代化し尽くして、今度は近代化自身が生み出した市民社会、を近代化していったのである。こうして近代は自分自身を近代化して~」
  • 社会構築主義 - Wikipedia

    社会構築主義(しゃかいこうちくしゅぎ、英: social constructionism[注釈 1][1])とは、ある事柄に対して、社会的に作られたものと考え、それを変更可能だとみなす立場。構築主義とも呼ぶ。逆に、ある事柄に対して、変更不可能な性質だと見なす立場を質主義と呼ぶ[2]。例えば「男女差」を、「生物学的なモノ」と考えるのは質主義、「社会的に構築されたもの」とするのが社会構築主義的な考えである[3]。 ピーター・L・バーガーとトーマス・ルックマンによる1966年の著書『現実の社会的構成』[注釈 2]によりアメリカで有名になった。シュッツ、バーガー、ルックマンらの現象学的社会学、ハロルド・ガーフィンケルらのエスノメソドロジー、グラムシのヘゲモニー論やフーコーの権力理論などに想を受けた最近の社会学流派のことを一括してこう呼ぶ。社会的構築主義、社会構成主義ともいう。 構築主義の理論[

    shiraber
    shiraber 2012/05/02
    「現実(reality)、つまり現実の社会現象や、社会に存在する事実や実態、意味とは、すべて人々の頭の中で(感情や意識の中で)作り上げられたものであり、それを離れては存在しないとする、社会学の立場」
  • 『絶望の国の幸福な若者たち』雑感 - もどきの部屋 education, sociology, history

    既視感 古市憲寿さんの『絶望の国の幸福な若者たち』(講談社、2011年)というを読んだ。先月末のテレビ朝日「朝まで生テレビ」でのお題になる程度には話題になっただ。 著者は1985年生まれの26歳(刊行時)。この若さですでに『希望難民ご一行様:ピースボートと「承認の共同体」幻想』(光文社新書、2010年)とあわせて2冊目の単著。著者自身が「若者」世代だという位置づけも加わって、マスコミの話題にはなりやすく、またそれゆえにずいぶんと毀誉褒貶も激しい。大人気ない罵倒や感情的な表現に流れた反発・批判も寄せられたようである。そのなかには著者の肩書が「社会学者」となっていることに向けられたものもあった(どうでもよい)。 私はというと、率直に言って、面白かった。「若者論」の体裁をとった現代日社会論である(現代日の「一億総若者化」というのも書の主張するところである)。読み始めてから一気に読了まで

  • 大学とミスコン – sociologbook

    ついったぜんぜん見なくなってるけど久しぶりに見たらミスコンの話ってまだ続いてるんか…フェミとかミスコンとかようわからんけど、ひとことだけ書くと、大学でメシをってるものとしては、大学という場所で「女を顔や体で選ぶ」っていうイベントを堂々とやってほしくない。大学という場所で必要なものは何よりも多様性や批判意識であって、おれが個人的に学生さんたちに身につけてほしいなあと思うような価値観や態度や能力と、ミスコンとは対極にある。もちろん顔や体が自慢の女子がいてもよい。でも、ひきこもりや摂障害やいろんな傷を抱えた学生が自分なりに生きていく道を探そうとしていたり、就活に疑問を感じて急に社会学の勉強をしたくなってわざと一年留年したり、バイトもせず4年間ひたすら楽器の練習だけをしていたり、下宿のマンション友人のたまり場になっていたり、飲み会で泥酔してみんなに迷惑をかけたり、海外に行ったまま帰ってこなか

    shiraber
    shiraber 2012/02/24
    この筆者は周到なまでに反対いけんもいいけど俺はいや、の姿勢で好感がもてる、な
  • スタンダード 反社会学講座

    こんにちは。パオロ・マッツァリーノです。 今後は、お知らせや駄文、日々雑感などはブログのほうで書いていくことにしました。試験的に開設してあれこれいじってみたところ、ブログのほうが、過去の記事が管理しやすいみたいですし、見映えもよさそうなので。これまでは1か月に1度のペースで更新してきましたけど、ブログだとちょっとしたことでも書けるので、更新頻度は上がる……ことでしょう、きっと。 このサイトは過去の資料庫として、FC2が無料HPサービスをやめないかぎりは、そのまま残しておくつもりです。 では、ブログでお会いしましょう。 文庫版『反社会学講座』を先にお読みになったかたへ 文庫版の内容は、サイトの第1回から19回までの内容に加筆修正をほどこしたものです(ネット版は公開時(2001~3年)のままなので、現在の社会情勢や法律などと異なる記述もあります)。文庫版のほうがデータも新しく、ネット未公開ネタ

  • 阿部真大「ロストジェネレーションは「大人」になれるか?」

    ロストジェネレーションは「大人」になれるか? 文=阿部真大 未来が閉ざされて目の前が真っ暗になるような経験は、受験戦争と就職氷河期をかいくぐってきた「ロストジェネレーション」の人々(現在、25歳から35歳くらいになる)にとってはあまりに日常的に訪れるものだろう。だから、私が、拙著『搾取される若者たち』(集英社新書)で描いたある種のバイク便ライダーがもっているような心性(未来のない危険労働の現場に進んで飛び込む、やけっぱちで刹那的な「やりたいこと」志向)は「そんなこと知ってます」と一蹴されかねない。 それでもバイク便ライダーたちの物語を書こうと私が思ったのは、若者の「やりたいこと」志向を彼らの「心理」の問題へと回収しようとする言説が、非常に多く出回っていたためである。 確かにバイク便ライダーたちはひどい労働状況のなかに置かれているし、未来も明るいようには見えない。そんななかで、好きな仕事にの

  • G2|ポスト1991|ポスト1991〈ポスト1991〉

    古市憲寿 Noritoshi Furuichi 東京大学大学院総合文化研究科博士課程 1985年、東京都生まれ。東京大学大学院総合文化研究科博士課程。慶應義塾大学SFC研究所訪問研究者(上席)。有限会社ゼント執行役。専攻は社会学。大学院で若者とコミュニティについての研究を進める傍ら、コンサルティング会社でマーケティング、IT戦略立案等に関わる

  • リベラリズム、コミュニタリアニズムと社会学 - 社会学者の研究メモ

    先日ディスカッサントとして招かれた社会学史学会で、コミュニタリアニズムについて話をする機会があった。おさらいがてら読んでみたのが、菊池『日を甦らせる政治思想:現代コミュニタリアニズム入門 』だったのだが...。私も、著者自身が「日ではコミュニタリアニズムは誤解されている」と述べるとおりであると思うのだが、そうであればなお、批判者を説得できる書き方をした方がよかったのでは、と思う。私自身はどちらかといえばリベラリズムに共感しているが、残念なことにこのによってはあまり説得されなかった。自分が主張したい議論について書くのなら、その議論に真っ向から反対する論者を説得するつもりで行うのが理想である。たとえば市場原理を批判したいのなら、相手はミクロ経済学者である。 日を甦らせる政治思想~現代コミュニタリアニズム入門 (講談社現代新書) 作者: 菊池理夫出版社/メーカー: 講談社発売日: 200

    リベラリズム、コミュニタリアニズムと社会学 - 社会学者の研究メモ
  • SYNODOS Blog : 福祉国家に対する冷静な視線――福祉レジーム論とジェンダー(1) 筒井淳也

    2010/8/80:0 福祉国家に対する冷静な視線――福祉レジーム論とジェンダー(1) 筒井淳也 ◇注目を集める「北欧型福祉」◇ 長い不況が続き、貧困から抜け出せない人びとがメディアに映し出されるなか、日でもかつてないほど福祉や政府の役割に人びとが注目するようになった。ネット上では経済学者らが金融政策・成長戦略について議論を戦わせているのが目立つ。また、普段ネット上の議論に目を向けない人びとについても、最近になってデフレ、したがって金融政策がひとつの争点であることが徐々に認知されてきた向きもある。 他方、不況と並んで日の将来に不確実性の影をおとしているのが、かつてどの国家も経験したことのない段階に達しつつある少子高齢化である。日出生率は独伊と並んで先進国最低レベルにまで落ち込んでいる。他方、先進国でも比較的高い出生率を維持している国もあり、北欧諸国はそのグループに入っている。

  • 近代から

    1.現代社会と社会学の課題―社会学文献のまえがきから― 1)見田宗介 現代社会は、近代社会一般とは区別されるような新しい時代だと語られてきた。 近代社会のしるし:都市化、産業化、合理化、資主義化など 現代社会のしるし:ゆたかな社会、消費社会、管理社会、脱産業化社会、情報化社会など 「光の巨大」−情報化・消費化社会 「闇の巨大」−環境・公害問題、資源の問題、世界の飢餓と貧困など 現代社会の全体理論は、この光と闇を統合的に太い線で把握するものでなければならない。 現代の社会のシステム(=情報化・消費化社会)は、 近代市民社会の原理の必然的な展開でありながら、 いくつかの特質を反転させて、明確に新しい時代を画すものであり、 「闇」としての問題群は、この「光」のシステムがじぶんで招きよせてきた危機である。 2)鈴木 広 世紀末的状況 限界をこえた地球環境、社会主義世界の崩壊、 途上社会におけ

  • Kazuaki Ozawa 1999

  • 古市憲寿『希望難民ご一行様』 - 紙屋研究所

    わー、不快なだなー。胸くそ悪い・オブ・ザ・イヤーに決定。 冒頭に著者が 書は、読む人にとっては不快なである。 と断り書きしている通りだよ。 つれあいが新聞の書評欄か広告で見つけて、買ってきてぼくに読め読めと押しつけたものである。 ぼくはコミュニティや居場所を作り出すことは現代において社会運動の重要な機能であるとこの「紙屋研究所」でくり返しのべてきた。それは左翼運動にかかわる若い人たちとの交流の結果得たものだし、様々な読書体験を通じて得た結論でもあった。 ところが、書では、「ピースボート」の乗船体験やそこでのアンケート・インタビューをもとにして、その結論を否定する。このサイトでいろいろ論じているような、あるいはぼくが読んできたような論者や運動関係者を俎上にあげ、批判し、サブタイトルにあるような「承認の共同体」というものは幻想なのだとして、社会運動への悲観を述べて終わるのだ(必ずしもそ

    古市憲寿『希望難民ご一行様』 - 紙屋研究所
  • JDN /デザインリポート /都市の食欲 サードプレイスの行方

    “都市の欲 サードプレイスの行方”の連載は、2004年9月15日で終了いたしました。 引き続き、ジャパンデザインネットのリポートコーナーでお楽しみください。 アメリカの社会学者レイ・オールデンバーグが1989年に著書で発表した「サードプレイス」は、新しい都市の居場所(プレイス)の概念として注目されています。建築ライターのミルキイ・マヤトモ氏が、家・職場から離れた「第3の場所」について考察します。 都市で楽しく暮らすには、3つの場所が必要だという。ファーストプレイス(1番目の場所)が家、セカンドプレイス(2番目の場所)が職場(学校)、そしてこの中間にあるのが3番目の場所、つまりサードプレイスだ。 いま街中ではカフェが居心地のよい空間としてもてはやされているが、サードプレイスはカフェだけではない。 この連載では「サードプレイス」というコンセプトをキーワードに、都市のさまざまな姿