ソ連言語政策史の若干の問題 塩川 伸明 Ⅰ 研究史をめぐって Ⅱ 1938年3月のロシア語教育義務化決定 Ⅲ ロシア(語)化の度合――データとその解釈をめぐる若干の問題 Ⅳ ペレストロイカ期の言語法 1 概観 2 エストニア(およびラトヴィア) 3 モルドヴァ 4 ウクライナ(およびベラルーシ) 5 カザフスタン 6 連邦の言語法 Ⅴ ソ連解体後の状況 付論 視点をめぐる1試論 ソ連言語政策史の若干の問題 ソ連民族政策の重要な一環としての言語政策については、これまでも多くの人が関心を寄せ、少なからぬ量の研究を蓄積してきた。ペレストロイカ以前の時期にあっては資料上の壁が大きかったが、ペレストロイカ期には情報の爆発がみられ、多角的な解明が可能になった。更にソ連解体後は、「ソ連の」政策ではなく「独立した各国の」政策が問題となるという重要な変化が生じた。こうした経緯を踏まえ、