【姓名】 呂壱(りょいつ) 【あざな】 ? 【原籍】 ? 【生没】 ?~238年(?歳) 【吉川】 登場せず。 【演義】 登場せず。 【正史】 登場人物。 孫権(そんけん)の寵愛を背景に、呉(ご)の重臣を数多く陥れる 父母ともに不詳。 呂壱は、孫権の下で中書典校(ちゅうしょてんこう)として文書や行政全般を監督したが、職務で知り得た情報を悪用し、数多くの重臣を弾劾した。 ★呂壱が中書典校を務めるまでの経緯や、なぜ孫権に寵愛されていたかに関する記事はなかった。 見かねた皇太子の孫登(そんとう)が、呂壱の重用をやめるよう諫めても、孫権は聞き入れようとしない。 驃騎将軍(ひょうきしょうぐん)の歩騭(ほしつ)や太常(たいじょう)の潘濬(はんしゅん)らも、たびたび呂壱の悪辣さを訴えたが、やはり孫権に容れられなかった。 238年、羊衜(ようどう)らに見いだされて郎(ろう)に取り立てられた李衡(りこう)が
