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2010年7月1日のブックマーク (2件)

  • 鶏のとさかを食べる :: デイリーポータルZ

    鶏のとさかはとてもおいしいという話をきいた。 フランス料理にはよく用いられ「そのおいしさは感動的」らしい。 当なのだろうか。べてみたい。 (ほそいあや) とさかの歴史は16世紀から いきなりですが、ここで「世界寄大全」という著書の引用をさせてください。 今の豪華なフランス料理の基礎が築かれたのは16世紀だと言われている。そのきっかけはイタリアのメディチ家のお姫様カトリーヌがフランスの公爵に嫁入りした事だった。それまでのフランス料理は手づかみで丸焼きの肉にむしゃぶりつく粗野なスタイルだったが、彼女がイタリアからお気に入りの料理人やデザート、器類、テーブルマナーなどすべてを持ち込んだ事でフレンチに革命がおきた。 そんなカトリーヌがこよなく愛したのが「鶏のとさかのパテ」だった、というのだ。

    sillyfish
    sillyfish 2010/07/01
    とさかもいいけど、脳やあご・首周りの肉もおいしい。鶏の頭を捨てるなんて、もったいないですよ
  • 雑感 - bat99のブログ

    私は結構以前からネット上の南京事件関係の記事を読んできたので*1、ネット上の否定論が勢いを失っていく様をリアルタイムで見てきた。それは否定論の矛盾や論理破綻をたんねんに指摘してきた人たちがあってのことで、モアスピーチとしては誇ってもいいレベルだと思う。だが、否定論がネットでもリアルでも劣勢になると何故か否定論者の「言論の自由」を重んじろと言う人たちが現れてくる。 以前、否定論が隆盛を極めていた頃は反論するだけで罵倒から人格否定が集中して発言を潰そうとするのは目の当たりにしてきた。当時は対否定論者の「言論の自由」を守れという人は私の観測範囲ではほとんどと言っていいほど現れなかった。 否定論者の「言論の自由」を守れという意見が人の主観がどうであれ、歴史修正主義に加担するとしか見えないのは否定論の側に立つという宣言としか思えないからだ。対立する二つの意見*2の一方が不利な時は沈黙かもしくは存在

    雑感 - bat99のブログ
    sillyfish
    sillyfish 2010/07/01
    事実の不可知性と言論の自由を盾に「素朴」なことを言い、しまいに事実の不可知性を論拠にしていたこと自体を忘却する、というふるまいが「つくる会」的言説とパラレルに見えてしまう