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人生に関するsimsonsのブックマーク (40)

  • 葬式饅頭

    ある方のお葬式に行って参りました。 その方の好きな曲が流れて、どこか心温まる式でありました。 享年72歳でありました。 わたくしと全く同じ年に生まれ、全く同じに歳を取り、 そして来年からはわたくしばかりが歳を取るなんて、とても いじわる。 今年頂いた年賀状に、体調が悪く病院での療養を繰り返している旨が書かれておりまして、 わたくしは、あの方に出してしまった年賀状をずっと悔いておりました。 いつも猛々しく明瞭に笑っていたあの方がご病気なんて、わたくしには考えもつかずに、 あの方に当ててしまった思慮のない手紙など、誰かどうか破り捨てて届けずにいてほしいとまで願いました。 ただ、わたくしはもう、そんな浅はかな手紙のやり取りしかできないほどに、 あの方のことを、何も知らなくなっていたのです。 去年交わした年賀状では、山登りに励むあの方の近況が綴られていたから、 今年もそのように過ごされていると思い

    葬式饅頭
  • 正直に生きようと決めたら、人を妬まなくなった。

    ちょうど卑怯者に腹を立てて泣き寝入りしているときに、 爺のこのエントリに出会った。感動したなあ。読んで欲しい。 http://d.hatena.ne.jp/finalvent/20090309/1236558698 自分も正直なあまり馬鹿を見るタイプだけど、まあできんことはできんのだし、諦めつけたよ。 要領のよい知人に合わせたところで似た者が寄ってくるだけだろうから距離をとる。 で、自分は自分の生き方に合う道を作ればいいじゃん、と思うことにした。 それからなんとなく人間関係がシンプルになった。友達が激減した。 が、同じような考えの人が残った。話しててすごく気が楽。 少し気が楽になって、振り返って気付いた。 周りに文句言えるほど自分がすべてに誠実に生きているかといえば そうではないんだよな。誰もが何かを騙しながら生きている。正当化できない部分がある。 そうすると妬みなんてものはすごく局所的な

    正直に生きようと決めたら、人を妬まなくなった。
  • 生きている意味が圧倒的にわからない

    生きている意味がわからない。 ミクロ的にはわからないこともない。自分の幸せのため自分を愛してくれている人の為子供のため社会の為種の保存の為 でもそれがなんだと言うんだろう?自分はいずれ死んでしまうし、自分を愛してくれている人も死んでしまうし、子供も死んでしまうし、人類だって滅びてしまう。そもそも、この宇宙だっていずれは停止する運命にある。要するに自分が何をやったとしても、もしくは何もやらなかったとしてもはっきりいって無意味だし無価値だ。 圧倒的な無意味の中でどうやって生きていけばいいんだ? どうすれば、自分の人生が価値あるものだと思えるんだ? 僕はつねに正しくあろうとしてきた。その正しさの根拠をどこかに求めようとしてきた。 人間は社会的動物である。では、社会に正しさの根拠を求めればいいのか?いや、社会的動物なのであれば生物として存在し続けること = 種の保存に則って生きていけばいいのか?い

    生きている意味が圧倒的にわからない
  • 最近、生きたいと思うようになった

    最近、生きたいと思うようになった。 これまでの人生、私はあまり生きたくなかった。別に明日死んでもかまわないし、世界が消滅してもよいと思っていた。けれど、そう思いつつも自分で死ねなかった。理由は第一に、痛いことや苦しいことに対する恐怖に負けていたから。第二に、親に面倒をかけたり悲しませたりすることを避けたかったから。私の勝手で死ぬのに、私以外の人にダメージを与えたくなかった。私が死ねば、私を知っている全ての人から私の存在がすっと消えて無くなってしまえばよいと願ったが、そんな都合のよいことができるわけもなく。 こういう思考に至ったのはいじめられた経験が原因なんだろうと思う。田舎に引っ越した小学生半ばから中学生の間は、波はあれどもいじめられ続けていた。悪口とか仲間はずれとか無視とかの程度だったけれど、人間不信を植え付けるには十分だった。そんな子供に学校以外の世界を見いだせるわけもなく、そこで否定

    最近、生きたいと思うようになった
  • 祖母が二人の子を抱えて夫と死別したのがまだ30歳になる前のこと

    祖母が二人の子を抱えて夫と死別したのがまだ30歳になる前のこと。 数枚残っている写真を見れば、ずいぶん美しい人だったことが分かる。洋風の顔立ちでどう見ても白人の血が混じっている。祖先には白人はいないはずだが、どこかで血が混じったのかもしれない。 子を抱えた祖母は生きるために、子を育てるために働きに出た。これという産業もない田舎町。幾つかの会社を経営する地元の金持ちの家に、通いで家政婦として勤めた。 やがてその家の主人の子を宿した。どうも強姦まがいのことがあったらしい。 それで生まれたのが僕の父。 私生児に人権などなかった時代だった。はらませるだけはらませておいて、責任をとるつもりもなかった主人は、何もしなかった。 祖母は亡き夫の兄夫婦に頼んで、その夫婦の戸籍に僕の父を彼らの実子としたうえで、養子縁組をして僕の父をひきとった。 父が5、6歳になる頃まではそれなりの生活費も与えられて、わりあい

    祖母が二人の子を抱えて夫と死別したのがまだ30歳になる前のこと
    simsons
    simsons 2009/01/09
    許すってとてもむずかしい。増田さんは自分だけでなく他人の人生まで背負い込んでるように感じた。だからよけいにむずかしくて、簡単に答えを出せるものではないのだと思う。
  • 嫁が謝ったのを憶えていない

    なんかの小説を読んでいたら、「結婚して5年のと1ヶ月前に別れた」みたいな部分があって、ふーんと読み流していたらよく考えると自分、結婚10年目だった。 いろいろあったが、なんとなくもう10年になっちゃっている。 結婚して一年目に子供が出来て、2年目に生まれて・・・ようやく育って手がかからなくなってきたら、2人目が生まれて・・・と子育てに追われていたら10年経ってた。 いろいろケンカもしたし、それなりの危機もあったような気がするんだけど、確か、ことごとく自分から謝っているような気がする。 記憶をかなり紐解いたが、嫁が謝ってキタ━━━━(゜∀゜)━━━━!! という記憶が無い。 大体の状況に於いて、オレが悪いような気がして謝ってしまうのだ。 ケンカする時って「オレが稼いで来てるのに」「オレだけがそんなに悪いのか」っていう気持ちが強い。ケンカして嫁が泣き、しばらく頭を冷やして嫁の立場で考えてみる

    嫁が謝ったのを憶えていない
    simsons
    simsons 2008/12/27
    やさしい増田さんだなぁ。。。
  • ひいばあちゃんが死んだ

    去年の年末の話だ。 ひいばあちゃんが死んだと、実家から連絡が入った。 すぐ実家へとび、すぐに通夜、お葬式が開かれた。 つっても、あんまり親戚は集まってなかったし、集まった親戚も葬式特有の暗さは全く無かった。ていうか、久しぶりにあった親戚同士談笑していた。 それもまぁ有る意味当たり前で、ひいばあちゃんは結構前からもう、老人ホーム的なところで、「ただ生かされてる」状態だったから。言い方悪いが、ぶっちゃけほとんど死んでたも同然だったのだ。もうここ1年ほどは、誰に会っても何の反応もできない状態。ときどきスタッフの人が寝返りうたせて、点滴うたせて、痰とって……当にただ生かされているという状態だった。それが、ある時熱を出して、ころりとそのまま逝っちまったらしかった。 「まあそろそろかと思ったよ」皆そんな感じの雰囲気だった。不思議な雰囲気だった。皆別に、ひいばあちゃんが嫌いだったわけじゃない。つーか寧

    ひいばあちゃんが死んだ
  • 人生の「その時」を持つために。 - GoTheDistance

    昨日誕生日が来て、無事2X歳になることが出来ました。今までをずっと振り返ると、ここまで生きてこれたのもなかなか奇跡的です。 ここ数年、当に色んなことがあったけど、その中で僕が学んだことをいくつか書いておきたい。忘れないために。 みんなにいい顔は出来ない。 ヒトは立場によって思考を左右されてしまいます。従業員の立場と経営者の立場。お客様の立場と業者の立場。旦那様の立場と奥様の立場。嫁の立場と姑の立場。僕の立場とあなたの立場。自分で物事を考えているつもりでも、立場上合理的なことを考えてしまう。 右に向いても左に向いても何かにぶつかってしまうような時でも、僕が立ち位置を決めなくちゃ全員が前に進めなかった。誰かに顔を向ければ誰かには背中を向けてしまうけど、みんなにいい顔は出来ない。どっちつかずが一番良くないし、それは卑怯なことだ。 分岐点から逃げるな。 人生ってのは困ったものです。生きているだけ

    人生の「その時」を持つために。 - GoTheDistance
  • 昨日、子供が生まれた。 - 琥珀色の戯言

    昨日、子供が生まれた。 妊娠をはじめて聞いたときには、正直「あと1年くらい(子供ができるのが)遅かったらよかったのに……」と思ったのだ。 たぶん、子供ができなかったら、ずっと同じことを思い続けていたのだろうけど。 初産で予定日まであと1か月近くあったので、そろそろ名前の候補でも挙げておかなくっちゃな、と考えていたところに、いきなり「破水した」との連絡があり、仕事を終えて産科の病院に着いたときには、もう子供は生まれていた。 保育器に入っているのを外から覗くだけ、というのを予想していたのだが、小さな小さな赤ちゃんは、母親の横で寝るでも起きるでもなく、右手で何かを握ろうとしたり、半分泣きかけたところで考え直したかのように泣くのをやめて半分だけ目を開けたりしていた。 正直、僕は自分に子供ができるのが怖かった。 このエントリで以前書いたように、僕は自分の親、とくに父親の愛情をうまく受け止め、解釈

    昨日、子供が生まれた。 - 琥珀色の戯言
  • 当たり前の事だけど今日なんか唐突に気がついた

    「これからの人生どうする…」 「将来どうなる…」 「俺の人生…」 「今はまだしも数年後俺はどうなってる…」 「将来怖い…」 ってうだうだ考えてたけど、 この考えてる「今」も、俺の人生なんだ!!!!! 今この増田に書き込んでるこの瞬間も俺の人生!!!!! 俺は多分なんとなく、「今までは人生の練習中、これからが番だから」みたいな気でいたけど 今も十分人生の一部なんだ!!!!!!!! たとえば明日にでももしかしたら強烈な、人生でもっともすばらしい景色を見たりして感動してそれが一生心に残るのかもしれない、80歳くらいになってもまだ残ってるのかも…… って思うと今!今何かしたいし、今何かしていいんだ!って気分になってきた 今楽しいんだし、先は不安だけど、どうしようもないんだからとりあえず今を生き抜けばいいんじゃないか。 先のことのために我慢し続けなくてもいいんだ。「今」も楽しんでもいいんだ!!!!

    当たり前の事だけど今日なんか唐突に気がついた
  • 自分の人生は自分で決める。 2008-09-23 - 未来のいつか/hyoshiokの日記

    先日のエンジニアの未来サミットで、「自分の人生は自分で決めよう」ということを言ったら、よしおかさん、自己責任論言いすぎと揶揄された。自分は、一言も「自己責任」という言葉を使っていないつもりだったのだけど、世間ではそうとらえるのねと非常に勉強になった。 自己責任って何だ? わたしが繰り替えし主張していたのは、あくまで「自分の人生は自分で決めよう」ということである。その主張がマッチョだと言われると、もう何も言えないのだが、まあ、そーゆーことである。 別に努力しろとか頑張れとか言っているのではない。自分の人生は自分で決めようということである。 子供のころ、日が暮れるまで野球をやっていた少年が、いつの日かどうがんばっても自分はプロ野球の選手になれないのだなということを知り、すこしづつ大人になっていく。小さい決断を積み重ね、それが今の自分になる。 家庭の環境や、育った地域、自分ではどうしようもない、

    自分の人生は自分で決める。 2008-09-23 - 未来のいつか/hyoshiokの日記
    simsons
    simsons 2008/09/23
    何事も最後に決めるのは自分。応援してくれる人もいるからがんばれる。がんばる。
  • 真性引き篭もり/後悔ばかりしている。

    このドメインは お名前.com から取得されました。 お名前.com は GMOインターネット(株) が運営する国内シェアNo.1のドメイン登録サービスです。 ※1 「国内シェア」は、ICANN(インターネットのドメイン名などの資源を管理する非営利団体)の公表数値をもとに集計。gTLDが集計の対象。 ※1 日のドメイン登録業者(レジストラ)(「ICANNがレジストラとして認定した企業」一覧(InterNIC提供)内に「Japan」の記載があるもの)を対象。 ※1 レジストラ「GMO Internet, Inc. d/b/a Onamae.com」のシェア値を集計。 ※1 2020年8月時点の調査。

    simsons
    simsons 2008/06/02
    もうちょっとよく読んでみる
  • 空中キャンプ たんすをどこに置くのか

    すこし前になるが、辺見えみりと木村祐一の離婚報道を見ていた中で、とても印象に残っているのが、離婚の原因として挙げられた「新居の内装や家具の配置などで意見が合わなかった」という、リアルすぎてお腹が痛くなるような記事だった。おそらく人はこうした、いっけん些細なように見える理由で離婚してしまうのだろうとつくづくおもった。 もちろん、こういった芸能関係の報道はえてしていいかげんだし、そもそもこれがいったいどこの「関係者の証言」なのか、信憑性はかなり疑わしい。それでも、この記事がどこか真に迫ってくるような説得力を持っているのは、世間でよくいわれる、性格の不一致だとか、価値観の違いなどといった、抽象的でとらえどころのない離婚原因よりも、「たんすをどこに置くのか」で口論したあげくに関係がだめになってしまった夫婦の姿にこそ、リアリティがあるようにおもえるためだ。 便座の上げ下げや、洗濯もののたたみ方、CD

    simsons
    simsons 2008/05/21
    相手の「些細なこと」を受け入れられるか、また自分では「些細なこと」だと思っているものが、実は相手にとっては「些細じゃないもの」かもしんないのよね…妥協、気遣い、思いやり、譲り合い。誰かと住むには必要
  • なぜ子育てする女性の立場が弱いのか - 福井プログラマー生活向上委員会

  • わたしが知らないスゴ本は、きっとあなたが読んでいる: 夫婦生活で学んだ7つの心得

    嫁さんと子どものおかげで、今のわたしがいる。 これは冗談でもなんでもなく、わたしが死なずにこれたのは、嫁子のおかげ。かなりアレな人だったからね、わたしは。 ここでは、いい夫婦を続けるために、わたしが身をもって学んだことを書く。ただし、子ども関連は省く。子ども因子はとてもデカいし、別シリーズで書いているので。最重要は「■1 感謝大事」に尽きる。これが欠けていると他に何をやってもダメ。忙しい人はそこだけ読めばOK。 ■1 感謝大事 「ありがとう」は魔法の言葉。ドラマや小説で手垢にまみれた「愛情」なんかより、「ありがとう」の一言がよっぽどリアル。あるいは、アイラブユーとサンキューは一緒。 いや、斎藤一人のまわしものじゃないってば。流行のスピリチュアルや引きよせの法則じゃなくって、夫婦生活で実質的に使える。例えば口論で自分の主張を伝えたいときに言い添える。「△△をしてもらってて、いつもありがたいと

    わたしが知らないスゴ本は、きっとあなたが読んでいる: 夫婦生活で学んだ7つの心得
  • 2年半の結婚生活から学んだこと - GoTheDistance

    GoTheDistanceではほとんど結婚恋愛ネタは書かないんだけど、まぁたまには。失敗事例を共有することはいいことなので。 離婚して1年して思うこと この人と僕とは理由は違うけど、まぁ同じく離婚経験者として一言申し上げておく。 スキンシップがなくなると、必然的に会話も減り、相手の考えていることがわからなくなった。そうして3年くらいかけて、ゆっくりとゆっくりと他人に戻っていった。 離婚して1年して思うこと すごくわかる。特に家庭内や異性におけるコミュニケーションは言葉よりもスキンシップの方が大切です。スキンシップの減少⇒会話の減少⇒共有できる時間の減少⇒相互理解の減少⇒別れというコースをこの人も辿っただろうし、僕も辿った。肌と肌が触れ合うことではじめて伝わってくる情というものがあって、それは決して言葉では埋められないもの。スキンシップがめんどくさくなったら、もう惚れていないんだよ。僕はセ

    2年半の結婚生活から学んだこと - GoTheDistance
  • http://d.hatena.ne.jp/komachimania/20080412/p3

    simsons
    simsons 2008/04/13
    つらくて最後まで読めなかった…いつか読める日がきたときのためにブクマ
  • 人間の生前と死後の様子を撮影した写真

    ドイツの写真家Walter Schelsと相棒のBeate Lakottaによって撮影された、人間が死ぬ前後の顔写真。 生前と死後では全然違う顔に見える写真もあれば、ただ目を閉じているだけに見えたりする写真もあり、不思議な雰囲気になっています。 詳細は以下から。Edelgard Claveyさん。若い頃はプロテスタントの一員として精力的に活動していたそうです。2003年12月5日撮影 ガンで亡くなったEdelgard Claveyさん。2004年1月4日撮影 Maria Hai-Anh Tuyet Caoさん。「私は死を受け入れる。死は永遠に続くものではなく、神に会った後は、最終的にまた地球に戻り人間となる」と述べたそうです。2003年12月5日撮影 Mariaさんが亡くなった後の写真。2004年2月15日撮影 Roswitha Pacholleckさんは「全く不条理だ。ガンになってからず

    人間の生前と死後の様子を撮影した写真
    simsons
    simsons 2008/04/03
    「色々あったけど私はまだ彼を好きでいる。人生の最後の瞬間に愛することが出来た」最後になにを思うんだろう。最後にどんな顔してるんだろう。わかんないけど、こんなふうに思えたらいいなぁと思った
  • https://anond.hatelabo.jp/20080326001204

  • 死をポケットに入れて。

    最初に言っておこう。 失ったものに対しての取り返しのつかなさを感じるのは、そこから多くの物を得ていたからだ。 愛し合った分、憎み合うように。 すべての物は、そうやって釣り合いを取っている。 父を亡くしたのは、14歳の時だ。 2度目の癌で、1度目は胃で、2度目は喉だった。 告知の是非がまだ争われていた時代、彼は知ることを望み、 一時帰宅のときに、家族の卓で自分は癌だと、必ず治して帰ってくると、そう告げた。 今思うと、とても不思議な病気だと思う。 癌は自分が育つために、宿主もやがて殺してしまう。 部位的なその特徴から、喉頭癌の進行は早い。 正月の一時帰宅を終えて、 (なんとも日人とは律儀な性格だ。正月は自宅で迎えたいらしい。犯罪者でも、末期の患者でも。) すぐに目に見えて容態は悪くなった。 口内炎のように見えていた癌は段々と増えて、私たちは怯えた。 皮膚は乾き、黄色くなり、骨と皮だけになっ

    死をポケットに入れて。