タグ

宗教と考察に関するsizukanayoruのブックマーク (2)

  • ニセ科学批判はなぜ独り相撲なのか - 今日の雑談

    当に一般人に科学常識は必要なのか。 - 小学校笑いぐさ日記 はてなブックマーク - 当に一般人に科学常識は必要なのか。 - 小学校笑いぐさ日記 そういうことだと思いますよ。 「さっき書いたみたいな疑似科学詐欺にひっかかると生活水準は下がるかも知れませんけど、それは科学知識の問題じゃなくて詐欺対策の問題」じゃないかということはあたしがずっと言ってることで、この辺をごっちゃにすることで日のニセ科学批判は成立しています。片方で科学や科学リテラシーの問題であるかのようにふるまって、実質は詐欺対策・消費者問題にしかなってない。 ようはニセ科学批判としてのアイデンティティの問題で、ただの消費者問題ならそういう割り切りをすればいいのにと。でも、そうしなくて、科学だリテラシーだ詐欺は許せないだで簡単に正義になっちゃうから、ネット上では実に変に見えて一般から引かれるんですよ。まして、科学論だのなんだの

    ニセ科学批判はなぜ独り相撲なのか - 今日の雑談
  • 精神の救済を宗教に求めるのは勝手だが、それを他人に押し付ける奴は滅びろ - ミームの死骸を待ちながら

    昨日「宗教上の理由で」という表現がTLで(ネタとして)Buzzっていて、それに関連してちょっと昔のことを思い出していた。あんまし嬉しい記憶ではないし、読む人によっては不快感を感じるだろうし、なにより今日はとりわけ戯言なので、ヒマな人だけ読んでくれたらいいと思って垂れ流す。 ◆ 今となっては僕の宗教は讃岐うどん原理主義ぐらいのものだけど、物心ついたころ、我が家は"エホバ"だった。 「エホバの証人 - Jehovah's Witnesses」は世界に広く信者を擁するキリスト教系の新興宗教というかカルトで、駅前で冊子を配っていたり、勧誘がうっとうしかったり、輸血拒否で社会問題になったりしたアレだ。説明適当。 そう長く信仰していたわけではなく中学に上がる頃にはほとんど痕跡もなかった*1のだけど、宗教と聞くと最初に連想するのが、最も厳格だった小学生の頃の記憶だ。ごく普通の公立小学校に通っていた僕に初

    精神の救済を宗教に求めるのは勝手だが、それを他人に押し付ける奴は滅びろ - ミームの死骸を待ちながら
  • 1