アパルトヘイト体制成立に至る南アフリカ史の簡単なまとめで、とりあえず1910年の南アフリカ連邦の成立までを大まかに。 オランダ領ケープ植民地十五世紀末まで南アフリカはヨーロッパと隔絶された地であったが、1497年ヴァスコ・ダ・ガマが喜望峰経由でのインド航路を開拓すると、まずポルトガルが、続いて十六世紀末までに欧州諸国が相次いでアジアへと進出する。南アフリカは航海の難所であったため補給地としてそれほど重視されていなかったが、十七世紀に入り、スペインとオランダとの海上覇権争いが熾烈なものとなると、オランダ東インド会社(VOC)は南アフリカに中継拠点を築くことを考え、1652年、ヤン・ファン・リーベックによってケープ半島とテーブル湾一帯に植民地(オランダ領ケープ植民地)が築かれた。 当初のVOCの目的は現地民との交易で船舶の水・食糧や薪等を調達することだったが、周辺のコイコイ人部族にはそのニーズ