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reviewと宮台真司に関するsizukanayoruのブックマーク (2)

  • 宮台真司の『シン・ゴジラ』評:同映画に勇気づけられる左右の愚昧さと、「破壊の享楽」の不完全性

    「行政官僚制の日常」と「破壊の享楽」 『シン・ゴジラ』(7月29日公開/庵野秀明監督)は想像外に興味深い映画でした。『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q』(2012年)以降の庵野秀明監督の不発ぶりに加え、特撮監督が『進撃の巨人 ATTACK ON TITAN』(2015年)で味噌をつけた樋口真嗣氏なのもあって、期待水準を高く設定していなかったこともあるかもしれませんが、間違いなくエキサイティングでした。 作は従来のシリーズと違って、ゴジラに主題的な重心がなく、かと言ってヒーローに焦点が当たる訳でもない。敢えて言えば「日の行政官僚制」が主人公で、そのパフォーマンスに焦点が当たります。その話は後で題にするとして、僕がこの作品を見る前に、どこに注目しようと思っていたのかについて話しましょう。キーワードは「破壊の享楽」になります。 この夏休み、僕の3人の子供たちは、AppleTVで利用できる定額制

    宮台真司の『シン・ゴジラ』評:同映画に勇気づけられる左右の愚昧さと、「破壊の享楽」の不完全性
  • 昨年の映画を総括しました〔一部すでにアップした文章と重なりますが…) - MIYADAI.com Blog

    宮台:今年の映画を語るときにはずせないのは『恋空』です。年長世代である私たちにしてみると、のけぞる映画です。結論からいうと、携帯小説映画で意識的にシミュミレートしようとして、わざと短絡的に作った映画でしょう。さもなければ、とてもじゃないが理解できません(笑)。 輪姦されても彼氏が抱きしめれば一瞬で回復するし、セックスすれば一瞬で妊娠するし、妬んだ女が突き飛ばせば一瞬で流産するし、次の男があらわれれば一瞬でくっつくし、という短絡ぶり(笑)。別れた彼氏が癌だったとなれば元のさやに納まり、最後には何事もなかったかのように家族の元へ帰る。 携帯小説の編集者によれば、情景描写や関係性描写を省かないと、若い読者が「自分が拒絶された」と感じるらしいんです。情緒的な機微が描かれていない作品、単なるプロットやあらすじの如き作品が望まれる。「文脈に依存するもの」を語らず、「脊髄反射的なもの」だけを描く作品で

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