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2006年12月22日のブックマーク (3件)

  • 涼宮ハルヒはセカイを作る僕ら(読み手)そのもの。 - モノーキー

    ははは、オマエがいつもオレにしてくれる『ワガママで、小生意気で、賢いのに見識の狭い世間知らず、でも憎めない女の子の話』って面白いな、で誰だよそのバカは。 ――それ、オマエのことだぞ? 「!?」(爆発) …………。 モノーキー なぜ、SFをセカイ系だのメタリアルフィクションと呼ぶようになったか コレが読みにくくまとまっていないとコメント欄でおしかりを受けたので、今流行の涼宮ハルヒに変えて説明しよう。って無謀な試み。 ●「涼宮ハルヒの憂」風にいえば作り手はキョン。読み手の人たちの集団がハルヒ。 ジャンルを産むのはソレと似たような話を欲する読み手がある程度存在するからって話。 もっと言えば読み手の集団って涼宮ハルヒじゃねえの? 思ったとおりの世界を作る(読みたい小説をジャンル化させて、市場を生む)という意味で。 さて、問題です。 セカイ(物語)を作ってるのはキョン(作り手)

  • 「調教」される「批評家」たち - 魔王14歳の幸福な電波

    (美少女ゲーム年代記 - 魔王14歳の抱き枕に書いたのと同じ内容です) 批評者の言葉が創作者から見て的外れになりがちなのは、ひとつには、その仮説を実証する機会がほとんどないからという理由が挙げられると思います。実際の人間を相手にしている創作という活動は"例外が多い"ということにかけてほとんどスポーツみたいなものです。よりよい創作を行うためには、実験によって常に理論を修正し、それが追いつかない複雑な部分は身体感覚でカバーするしかないわけです。 自分でものを作るという作業に携わらない以上、批評者は「作品を作る際の自分の感覚」と「作品を鑑賞した者の反応」を照らし合わせるということができません。批評者には、後者の"外から観察できる反応"しか知ることができないのです。言葉選びのセンスとか、テーマの有効な伝え方とか、もっとも鑑賞者の心を揺さぶる演出挿入のタイミングとか、そういったことを創作者はいちいち

    「調教」される「批評家」たち - 魔王14歳の幸福な電波
  • 帰ってきたへんじゃぱSS (男子より女子のほうが精神年齢が高い)これ都市伝説なんじゃねえかなあ。

    http://d.hatena.ne.jp/arctan/20061219/1166544299 もちろんakio71さんが書くように現実には「中学生、高校生のとき、女子より精神年齢の高い男子なんて、学年に1人か2人もいればよかった」というのは誰もが知っていることであり、 えー、これ都市伝説なんじゃねえかなあ。 女子高生は知らんが、女子小中学生てーのは排他的親友システム*1とか連れションとかの奇習に耽るよく分からん生き物なんじゃないの。で、そんな女子小中学生が学級内に張り巡らせる奇妙に精緻に制度化された人間関係ってさ、結局官僚主義的な硬直状態に陥って機能しないもんだったりしなかった? そういうのを傍目で見てバカかこいつら、って思わなかった? 俺は思った。 で、そういう官僚機構を組み上げさせる原動力ってのはさ、能力の高さだのなんだのを経由せず直接に権力を志向する、女性特有の安易で卑俗な権力欲

    帰ってきたへんじゃぱSS (男子より女子のほうが精神年齢が高い)これ都市伝説なんじゃねえかなあ。
    slm
    slm 2006/12/22
    >少女の秘密を仮構する語りが権力的なのは言うまでもなかろうて。