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ブックマーク / deepbluedragon.hatenadiary.com (3)

  • 日本は一次観察と二次観察とが乖離した不毛な空間 - 蒼龍のタワゴト~認知科学とか哲学とか~

    「サードオーダー」問題に関連する文章を書きました http://www.miyadai.com/index.php?itemid=365に関連させて…。分かりやすく言えば、一次(ファーストオーダー)の観察とは現実への観察であり、二次(セカンドオーダー)の観察とはその観察の仕方への観察である*1。例えば、マスコミが行なう事件の報道そのものは一次観察であるが、それに対してマスコミの報道する事件は偏っていると批判をするのが二次観察である。科学世界で言えば、実証研究は一次観察であり、理論研究は二次観察である*2。普通は一次観察と二次観察とがお互いに依拠しあうことによって進展する。 正確には、日には一次観察と二次観察もろくな形では存在しない。例えば、経験主義の英米系は実証研究による一次観察が盛んで、理性主義の大陸系では理論研究による二次観察が盛んだ。しかしどちらにせよ一次観察と二次観察、つまり実証

    日本は一次観察と二次観察とが乖離した不毛な空間 - 蒼龍のタワゴト~認知科学とか哲学とか~
  • 進化論への言語ゲーム的な理解 - 蒼龍のタワゴト~認知科学とか哲学とか~

    言語ゲームは後期ウィトゲンシュタインの著作「哲学探究」で提出された用語である。はっきり言ってしまうと、言語ゲームという用語は多くの人に使われているが、当のウィトゲンシュタイン自身がきちんと定義してない上に、この用語を多様な文脈で用いているので、この用語を説明するのは困難だ。ネット上を探しても適切な定義はなかなか出てこない*1。しょうがないので、まず言語ゲームの特徴を説明した後で、それを進化論の理解へとつなげてみたい。 ここで言語ゲーム格的に説明する気はまったくない。するのは一部の特徴への言及である。語を正確には定義できないことは言語ゲームから帰結することでもあるが、それは置いとく。言語ゲームの特徴は規則が前もって決まってはいないことである。「あいつは賢いよな」と発言したとき、その言葉を文字通りに受け取れば「ある人物が賢い」ことに関する記述や報告である。しかし、相手がこれを皮肉や冗談と受

    進化論への言語ゲーム的な理解 - 蒼龍のタワゴト~認知科学とか哲学とか~
  • 永井均「これがニーチェだ」 - 蒼龍のタワゴト~認知科学とか哲学とか~

    誤解のないように始めに指摘しておこう。永井均は現代の日では珍しい、物の哲学者であるということだ。日には哲学に関連した著作はたくさんある。にもかかわらず、哲学者と呼ばれるにふさわしい人物は少ない。たとえば、木田元は第一級のハイデガー研究者かもしれないが、哲学者とは呼べない。柄谷行人のように理論的著作を書く人もいるが、やはり所詮は評論家に過ぎない。そうした中で、物事を一から考えて組立てることのできる数少ない人物として永井均を挙げることができる。 これは幾多のニーチェとは比べ物にならない傑作ではある。学者の書くニーチェにはうんざりさせられざるを得ないし、ハイデガーのニーチェ講義のようなものはニーチェというよりむしろハイデガー人の哲学といってよいし。それに比べれば、ニーチェの哲学説がよく整理されて書かれているし、質も高い。ならば、何か問題があるというのだろうか。 永井均はこの著作の最後

    永井均「これがニーチェだ」 - 蒼龍のタワゴト~認知科学とか哲学とか~
    slm
    slm 2006/09/27
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