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ブックマーク / merubook.hatenablog.jp (6)

  • 中島らも『ますます明るい悩み相談』 - Sound and Fury.::メルの本棚。

    ◆中島らも『ますます明るい悩み相談』朝日文芸文庫、1996年8月 ストレス発散になるようなが読みたいと思って日から持ってきただが、やっぱりこれは面白い。どうして、くすっと笑えるような面白い解答ができるのだろうなあ、なんて悩んでしまう。 書のなかに、「幻想=夢をうちこわした後にこそ、我々は当の夢をみつけることができるのです」(p.186)という言葉があるが、これはその通りだと思う。メタ的思考のおかげで、フィクションが約束事であること、そしてその約束事を暴露してフィクションをいかに壊していくのかということが、一部のアカデミズムにおける潮流だ。それに対し、再びフィクションの擁護という動きもあって、私もフィクションを擁護していきたい考えである。フィクションを壊すのは、それはそれで良いのかもしれないが、問題は壊した後はどうするのかということだろう。 「明るい悩み相談」というのは、世の中にあ

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    slm
    slm 2007/03/11
    >裸の王様と一緒に楽しんでしまえるような人間のほうが、きっと人生は「明るい」のだろうなあ
  • 綿矢りさ『夢を与える』 - Sound and Fury.::メルの本棚。

    ◆綿矢りさ『夢を与える』河出書房新社、2007年2月 前2作とすっかり雰囲気が変わっていたのに驚いた。いかにも「小説」らしくなっていて、それは作者の技術が良くなったのかもしれないが、逆に言えば「小説」という枠の中にきれいに収まってしまって、『インストール』や『蹴りたい背中』のときのようなふてぶてしさが無くなってしまっているように思う。 主人公が芸能人ということで、『蹴りたい背中』に登場していたモデルの女性を発展させた小説なのだろう。他者にどのように自分が見られるのかという自意識は、『インストール』以来、綿矢作品の主題になっていて、だから人に見られることが仕事である芸能人が主人公になったのか。 それはそれとして、主人公の「夕子」に、前2作の主人公の女の子に見られた「能」というものを感じることができなかった。たとえば、思考よりも先に男の子の背中を蹴ってしまうような能が見られない。 たしかに

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    slm 2007/03/04
  • 『千夜千冊』を買う人 - Sound and Fury.::メルの本棚。

    値段が8万9250円だが、松岡正剛の『千夜千冊』は欲しい。『千夜千冊』の各文章は、どれも少々長いので、パソコンの画面で読むのがつらかった。なので、で読めるようになるのはうれしい。北京にある図書館でも、このを購入してくれれば、私も借りて読むことができるのになあ。働いてお金を貯めて、日に帰ったら購入することにしよう。

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    slm 2006/09/22
    買う人いたー!
  • 『明暗』の「小林」と私 - Sound and Fury.::メルの本棚。

    『明暗』に登場する一風変わった人物である「小林」の言葉を、このまえの日記で引用した。というのも、小林の状況と今の自分自身の状況が似ているではないか、と思ったからだ。このまえ引用した部分のつづきをみてみよう。 小林は、《「僕は君の腹の中をちゃんと知つてる。君は僕が是程下層社会に同情しながら、自分自身貧乏な癖に、新らしい服なんか拵へたので、それを矛盾だと云つて笑ふ気だらう」》と津田に絡みつづける。いい加減面倒になった津田は、《「さうか、そりや悪かつた」》と適当な返答をする。すると小林はちょっと態度を変えて、《「いや僕も悪い。悪かつた。僕にも洒落気はあるよ。そりや僕も充分認める。認めるには認めるが、僕が何故今度この洋服を作つたか、その訳を君は知るまい」》という。 その理由はとは何か。小林は、「朝鮮」に行くからだと答える。小林は、それまで雑誌の編集をやったり、校正をしたり、その合間に自分の原稿を書

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    slm 2006/07/31
  • たとえ「幻想」だとしても - Sound and Fury.::メルの本棚。

    小説読者の質は果たして落ちたのだろうか*1」について、少し考えることがあったのでメモしてみる。 佐藤亜紀の「この世からは小説を読むための最低限のリテラシーさえ失われてしまったらしい」という意見に対し、筆者は違和感を覚えるという*2。その理由として、「「昔」とか「かつて」が「上等」で、「現在」や「いま」が「劣等」であるという議論は、気をつけたほうがいい」からだとする。そして、メルヴィルは『白鯨』以降の作品で、同時代人に評価されなかったことや、ホーソンも当時の「センチメンタル・ノベル」に対し、うらみつらみを日記を書いているなど例に挙げ、昔から「エモい人」はいたのだと主張する。そして、いつの時代も「小説の質」は低いのだという。 これは、はなはだまずい書き方だと思う。これだと、あらかじめ「小説の質」なるものが存在しているかのような印象受けてしまう。だが、筆者はすぐ近くで、こうも言っている。すなわ

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    slm 2006/06/25
  • 保坂和志『残響』 - Sound and Fury.::メルの本棚。

    ◆保坂和志『残響』中公文庫、2001年11月 「コーリング」と「残響」の2作品が収められている。この二つの作品は、他の保坂作品とちょっと異なっている。というのも、他の作品なら、「僕」といった中心人物がいて、この「僕」が語り手となって、世界や時間について思考したり、周囲の人との交流を語っていた。しかし、「コーリング」と「残響」には、「僕」のように物語の中心となる人物がいないのだ。他の作品では、「僕」を中心とした空間(=家)に登場人物が集まってくるのに対し、「コーリング」と「残響」は反対に登場人物たちは拡散しているといえる。このベクトルの方向の違いは何なのか。 「残響」について、石川忠司は「隔絶」された人間どうしの「交歓」について保坂が問題にしているのだという。 保坂和志はその迂回しながらテレッテレッと続いていく文体のせいで小島信夫・田中小実昌のラインで語られる機会が多い。あとたまに深沢七郎と

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    slm 2006/04/25
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