見栄を張っているうちは、他者との間に薄い膜が張られたように、本当の意味で関係を築くことはできない。作りあげた自分で関わっていると、そのうち相手に人格がなくなってくる。 相手の人格や意思は関係なく、自分自身を無理矢理にでも押し付ける。相手は目の前でただ座っているだけの、受け身の存在となり、わたしをどう思っているか、それだけが関係を左右するようになる。 自力で物語を書き綴れることに気が付き、他者も全く同じなのだということ。言い換えると、自分を尊重しつつ、同じように他者を尊重することでしか、「わたしの見せ方」という鎖を外すことはできない。 私はこの国で、何も気にせず自分の好きな服を着て生きる自信がない ありのままでは受け入れられない。「わたしの見せ方」に縛られていた中高時代 中高時代のわたしは「わたしの見せ方」に縛られ続けていた。 中学入学当初、自分という人間のことを分かっておらず、他者のことも
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