証言(中国側)に関するsmtz8のブックマーク (18)

  • 元八路軍兵士 孫振発 88歳 - 黄土高原 紅棗がみのる村から

    しばらく前に、数人の村人に混じって、見たことがない老人がひとり、招賢から来たオート三輪から降りるのを見かけました。界隈の村人にはいない、ナップザックを背負った、見るからに闊達そうな老人でしたが、ゆうに80歳は越えている趣だったので、私はすぐさま近くにいた人に「誰?誰?あの人」と聞いたのですが、そのときは答えがありませんでした。 あとでわかったところによると、彼は近くの村の出身だけれど、今は南の広東に住んでいて、賀家湾に住む甥のところにやって来たのだそうです。年齢は90歳くらいで、元八路軍兵士だというのです。私はさっそくその顔見知りの甥のところに行って話を聞きたいと申し込んだのですが、彼は、「気難しい人だから、ちょっと無理かも」というのです。いわれてみると、確かにそんな風貌の老人でした。とにかく聞いてみてくれと頼んだのが1週間ほど前でしたが、OKが出たのです。 翌日さっそく村の高大夫(医者)

    元八路軍兵士 孫振発 88歳 - 黄土高原 紅棗がみのる村から
  • 『黄土地上来了日本人』 - 黄土高原 紅棗がみのる村から

    こちらもご紹介が遅くなりましたが、私のは、3月30日に「東京大学東洋文化研究所附属東洋学研究情報センター」という長たらしい名前のところから刊行されました。700部作って、そのうちの500部ほどが国内外の図書館、大学、個人等に寄贈されます。私には100冊ほどいただけるようです。 先々週、そのうちの19冊を北京で受け取り、2冊を手元に残して、今は残りの17冊を配っているところです。まずは賀家湾の村長さん(彼の暗黙の了解がなければ、ここには住めなかった)、前に住んでいた部屋の大家さん(2年間タダで住ませてもらったし、お母さんを取材している)、薛老師(これから一緒に暮らすわけだし、お母さんを取材している)、賀登科老人の息子(老人には3回取材し、もっとも多くを語ってもらった)に4冊を配ったのですが、すぐに別の3人がやってきました。いわく「ウチのオヤジは字が読めるからくれ」「前書きを読んで感動して涙

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    smtz8 2012/03/22
    三光作戦の村の老人聞き取り本刊行『そこに84歳の元八路軍兵士がいるというので、久しぶりに取材に訪れました/老人の頭に深く刻まれた傷跡は、太原で残留日本兵と戦ったときに、銃剣で切りつけられたものだそうです』
  • Amazon.co.jp: 黄土の村の性暴力―大娘(ダーニャン)たちの戦争は終わらない: 米子,石田, 知行,内田: 本

    Amazon.co.jp: 黄土の村の性暴力―大娘(ダーニャン)たちの戦争は終わらない: 米子,石田, 知行,内田: 本
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    smtz8 2012/03/22
    これは本当にすごい研究。特定の地域に密着し証言と史料を付き合わせることで、かえって性暴力の普遍性と戦争の実相を鮮やかに再現。
  • 曹老人のこと - 黄土高原 紅棗がみのる村から

    ようやくにして曹老人から聞き取りをすることができました。曹老人のことはずいぶん前に書いたことがあるのですが、もうこのブログを読んでくださっている方も変わっていると思いますので、もう一度。(351回書いた過去ログは、操作ミスからきれいさっぱり消えました) 昨年の3月、当時樊家山に住んでいた私は、村の若者たちと一緒に高家塔という村まで「晋劇」を観に行きました。晋劇というのは、いわゆる山西版「京劇」で、この時期に村人たちで劇団を呼んで開催され、普通は3日間行われます。小さな屋台が出たり、他の村々に嫁いだ娘たちや出稼ぎに行った息子たちが帰ってきて、家族や友人たちで団欒を囲み、とりわけ老人たちにとっては楽しみな日々です。そしてこれが終わると、高原の段々畑に農民たちの姿が見られるようになります。 私もある人の家でお相伴に預かっていると、この村に昔日人に腕を切り落とされた老人がいる、という話を聞いたの

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    smtz8 2012/03/22
    >60数年ぶりに思いもかけず日本人に会って、永遠に消えることはないであろう左腕の痛みと、はるばる遠くから自分を訪ねてきた客人に対するこの地の“もてなし”との間で、彼の心はきっと炎と燃え上がる葛藤に苛まれ
  • 薛丑子老人の話(樊家山) - 黄土高原 紅棗がみのる村から

    第一回、日人は西の方からやって来た。あのとき私は8歳で、学校に通っていた。彼らは裏の方の谷から突然やってきた。我々がちょうど日人と戦う物語を読んでいたときだった。当時村人は、最初は彼らがどこの軍隊かわからなかった。みなカーキ色の軍装を整えていた。隣村の賀家湾に着いてから大砲と機関銃を撃ちだした。これは第一回目に来たときで、村人も逃げなかったし、日人と出会っても何もされなかった。1938年のことだ。その後三交が占領され、ここにもしょっちゅうやってくるようになった。我々も民兵を組織し、日人も殺人を開始した。 1941年が一番ひどかった。三光政策で捉まえたらすぐに殺した。私の叔父は1937年に村の主任になったが、民兵の分隊長でもあった。それから従兄弟が17団の班長だった。その後私は石門焉へ行って、ひとりの金皮隊の人間と友達になった。この金皮隊は、ほんとうは共産党で、私は彼に連れられて石門

  • 南京事件「生き証人」の証言を残せ、口述史分会を発足へ―江蘇省南京市|レコードチャイナ

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    smtz8 2012/03/07
    最近の中国の抗日史関連では口述記録の収集が叫ばれている感があったから、南京事件でまだ無かったのは意外。口述記録自体は収集しているようだけど。
  • 張貴勤老人(88歳)の話 - 黄土高原 紅棗がみのる村から

    人が来たときはほんとうに恐ろしかった。昼だろうと夜だろうと村人はみな野山に逃げて隠れた。あの頃私にはすでにひとりの子供がいたが、逃げるときはつるで編んだ笊を提げて中に子供を入れた。平時は笊をカン(;土でできたオンドル式のベッド)の上に置いた。ひとたび情報が入るとすぐに子供を連れて逃げた。 私たちの村では毎日山の高いところに見張りを立て、その3つの山の上にそれぞれ箒をたてていた。馮家会や三交に駐屯していた日兵が出発するとすぐに箒はゆらゆら揺れた。あの頃、村人は常に逃げる準備に忙しくて、ほんとうに可哀想だった。ときには真夜中ですら人々は家を出て隠れなければならなかった。 一度野原に隠れていたとき、山狩りをしていた日人に見つかった。私たちは持っていた服や布団も全部捨てさせられた。私たちの身内のひとりの老人は歳のために速く歩けなかったが、日人がやってきて「バンッ」と彼を一発殴った。私は子

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    smtz8 2012/02/09
    『あぁ、7年間。まるまる7年間、私は隠れ続けた。最初に隠れたときは、私の最初の子はたった40日だった。最後に隠れたときは農暦の4月で、子供はすでに7歳になっていた』
  • 陳在明老人の話 - 黄土高原 紅棗がみのる村から

    10日に陳在明老人の葬儀があったので行ってきました。老人を取材したのはもう3年も前になりますが、とりわけ愛煙家だったのでしょう、私があげた日タバコをとても喜んでくれたことをよく覚えています。彼の話も、正史にひとつひとつ残る事件ではありませんが、こういった無数の出来事の集合体として、そんなに遠くない昔、この村でも“戦争があった”のだということに心が痛みますが、いまはとても静かで“平和”な村です。老人の冥福を祈るとともに、取材した内容の一部をご紹介します。 陳在明老人の話 この村では陳嘉華という人が殺された。あれは、日人が最初に来たときで、彼は気が小さくて、谷のくぼみに隠れていた。日人が出て来いといったが彼は出なかった。日人は中に入って行って彼の身体にガソリンをかけて焼き殺した。多分日人は彼が八路軍に違いないと思ったのだろうが、大きな問題があって、当時は誰も彼らの言葉を聞き分けること

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    smtz8 2011/12/09
    『彼の話も、正史にひとつひとつ残る事件ではありませんが、こういった無数の出来事の集合体として、そんなに遠くない昔、この村でも“戦争があった”』
  • 反日感情の強い町? - 黄土高原 紅棗がみのる村から

    三交(サンジャオ)のことは以前にも書きました。臨県の日軍駐屯部があったところです。行政区画でいうと、臨県三交鎮の中の三交と呼ばれている地域ですが、現在は5つの村の集合体で、臨県では2番目に大きな町です。人口は1万人ちょっと(?今度調べておきます)。 この町に最初に行ったのは、賀家湾に足を踏み入れるずっと前、磧口で暮らしていた頃です。なぜ三交へ行ったかというと、そこに、いわゆる日人“残留婦人”をお母さんに持つ、崔さんという人がいたからです。3兄弟が今も三交で暮らしています。 彼らのお父さんの崔さんは、三交の人ですが、強制連行されて遼寧省の撫順炭鉱で働かされていた間に終戦になりました。一方、石川県から家族上げて“満州”にやってきていたお母さんの家族は、帰り損ねて、やはり炭鉱で働くようになり、やがて、そのお母さんになる人だけが残って、他の人たちは全員引き揚げたのです。もっとも、後に知ったと

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    smtz8 2011/08/15
    ついに新たな一歩を・・・・・・私もがんばらないとな・・・・・・でもがんばりかたがわからん(なんて言ってちゃだめか)
  • Amazon.co.jp: 記憶にであう: 中国黄土高原 紅棗がみのる村から: 大野のり子 (著), 大野のり子 (写真): 本

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    smtz8 2011/07/28
    山西省の黄土高原の村,そしてかつて三光作戦が行われた村に住み、老人たちから聞き取り調査を行っている日本人女性の記録。
  • 東洋学研究情報センター

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    smtz8 2011/07/14
    応援ブクマ。1. 東洋学研究情報センター叢刊 •第13輯 黄土地上来了日本人 --中国山西省 三光政策村的記憶-- 2011 (黄色い大地に日本人がやって来た 中国山西省 三光作戦の村の記録)。日本人女性による聞き取り
  • <講演記録>中国山西省における日本軍性暴力に関する調査について | CiNii Research

    JaLC IRDB Crossref DataCite NDL NDL-Digital RUDA JDCat NINJAL CiNii Articles CiNii Books CiNii Dissertations DBpedia Nikkei BP KAKEN Integbio MDR PubMed LSDB Archive 極地研ADS 極地研学術DB 公共データカタログ ムーンショット型研究開発事業

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    smtz8 2011/07/13
    『黄土の村の性暴力』の著者による報告。全文ネット上で読むことが可能。
  • http://www.h7.dion.ne.jp/~sankoh/contents/2aboutus/2publicity/02.html

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    smtz8 2011/04/25
    『冀中平原の抗日戦争』三光作戦被害者証言の他、日本人民反戦同盟の証言もあり
  • 『証言集』の刊行について - 黄土高原 紅棗がみのる村から

    私がこの5年半の間に老人たちから聞き取った記憶=『証言集』(証言という言葉は使いませんが、とりあえず)の発刊についてですが、けっきょく、来年3月、東京大学東洋文化研究所の叢書の一環として出させていただくことになりました。 私にはおよそ似つかわしくない“象牙の塔”からの刊行となりましたが、一般の出版社から出しても「売れない!」ということがはっきりしているし(2500部刷った『記憶にであう』は、未だに出版社の倉庫に山積みになっているらしい‥‥)、彼らの記憶を一次資料として残すには、こちらの方がより賢明であろうと、この研究所の教授のお勧めに従うことにしました。 ただし、全文中国語になります。というのも、このは東文研から日および世界の大学と図書館に寄贈されるもので、そのためには、日語などというローカルな言語より、原文である中国語の方がより国際的に通用するであろうと思われるからです。いずれ時を

    『証言集』の刊行について - 黄土高原 紅棗がみのる村から
    smtz8
    smtz8 2010/12/13
    『私がこの5年半の間に老人たちから聞き取った記憶=『証言集』/の発刊についてですが、けっきょく、来年3月、東京大学東洋文化研究所の叢書の一環として出させていただくことに』黄土の村の抗日戦争の記憶聞き取り
  • 日中戦争証言-成功村

    smtz8
    smtz8 2010/06/13
    地雷戦について
  • 日中戦争証言集目次

  • 黄土高原 紅棗がみのる村から

    カンボジア政府の認可もおりて、いよいよゆっくり旅舗は、正式な旅行代理店としてスタートすることになりました。 このブログを始めたのは、なんと、14年も前のことで、古い記事はすでに消滅してしまっているようですが、ほんとうに長い間お世話になり、ありがとうございました。 今後ともどうかよろしくお願いいたします。 https://yukkurikhmer.com/ 今年3月、黄土高原の寒村を出て以来、早いものですでに7か月が過ぎてしまいました。これまで、だらだらと書き続けていた「紅棗がみのる村から」に、そのまま継続する形でカンボジアの様子などお知らせしてきましたが、この際、独立させることにしました。 なぜ独立させたかというと、私はここシェムリアップで、旅行代理店を始めようと考えているからです。社長が私で、従業員はセイハー(例の交通事故が縁の青年)ひとりです。 これから行政に登録したり、あれこれ準備

    黄土高原 紅棗がみのる村から
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