ブックマーク / scopedog.hatenablog.com (23)

  • 「歴史学研究で使えるのは三等史料まで」と言った東中野氏が五等史料を使っている件 - 誰かの妄想・はてなブログ版

    2009年に名誉毀損訴訟で敗訴し損害賠償を命じられた東中野修道亜細亜大学教授が、「歴史学研究で使えるのは三等史料まで」などと言いつつ自己の主張に都合のいい資料は、資料批判すらせずに利用していることは以前から言われていることです。 東中野氏の敗訴が最高裁で確定する前の、2006年に亡くなったja2047さんは、亡くなられる直前にこのように指摘しています。 ja2047 2006/07/30 22:00 ちょっとずつ付け足していこうと思います 東中野氏の方法 1 「三等資料とは、一、二等資料を基にして、編集・公表したものである。以上の3つを根資料といい、歴史学研究はここまでの資料に基づかねばならない。 四等資料とは、資料作成の時・所・作成者が定かではない記録、五等資料とは、資料作成者がいかなる方針で調整したか分からない資料、六等資料とは、それ以外の記録である。これらは単なる参考資料と呼ばれ、

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    smtz8 2012/07/14
    大山事件について
  • 30万人説を否定すると「人格攻撃」されると恐怖する人 - 誰かの妄想・はてなブログ版

    そういう人がいるようです。 まあ人格攻撃というなら、中帰連など日戦争犯罪を批判・研究する人たちに向けられた「洗脳されている」「反日」等と言った人格攻撃の方が比較にならないほど激しく歴史も長いわけですし、ネット上で批判されるようなぬるいものではなく、就職妨害の圧力などもあったシャレにならないレベルだったのですが。 ネット上に限定しても、1990年代後半から2000年代にかけてのネトウヨの猛威はすさまじかったですね。うちのブログにも未だたまに罵倒や嘲笑、レイシズムによる在日認定*1とかが来ていますが、5〜10年前はこの比ではありませんでした。 南京事件や従軍慰安婦について書くと、ほぼ間違いなく「人格攻撃」を受けてました。まあ慣れましたけど。 特に南京事件については、30万人説を”否定”しないと、否定論者からはもちろん「右からも左からも非難されるが是々非々の態度を取れる」つもりの自称中立論者

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    smtz8 2012/06/11
    『中帰連など日本の戦争犯罪を批判・研究する人たちに向けられた「洗脳されている」「反日」等と言った人格攻撃の方が比較にならないほど激しく歴史も長い~就職妨害の圧力などもあったシャレにならないレベル』
  • 通州事件に関する日本側証言は正確か?(Sさんの体験談3) - 誰かの妄想・はてなブログ版

    「Sさんの体験談」における事実誤認部分の指摘です。長いので分割し、3回目です。その5を取り扱います。 Sさんの体験談 Sさんの体験談その5 http://d.hatena.ne.jp/minoru20000/20100929/p1 虐殺現場の目撃談6・東門付近の集団虐殺 (略)「日人が処刑されるぞー」と誰かが叫びました。 (略)Tさんはやはり支那人ですから私程に日人の殺されることに深い悲痛の心は持っていなかったとしか思われません。家に帰ろうと言っている私を日人が処刑される広場に連れて行きました。それは日人居留区になっているところの東側にあたる空き地だったのです。 そこには兵隊や学生でない支那人が既に何十名か集まっていました。そして恐らく五十名以上と思われる日人でしたが一ヶ所に集められております。ここには国民政府軍の兵隊が沢山おりました。保安隊の兵隊や学生達は後ろに下がっておりまし

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    smtz8 2012/03/22
    『「国民政府軍の将校」と「共産軍の人達」が同居』『主要な虐殺現場全てに、まさに虐殺が行われている時間帯に、効率よく巡って目撃』広めた人達はこのあたり何にも疑問に思わなかったのか?
  • どう感じるかは個人の自由ですが・・・ - 誰かの妄想・はてなブログ版

    こういうブクマ。 双方、国益や面子になってて、犠牲者一人一人の人生に向いていない感じには虚しく思う。日中双方も、否定論とその叩きにも。 2012/03/02 http://b.hatena.ne.jp/entry/d.hatena.ne.jp/scopedog/20120301/1330608799 典型的な自称中立にしか見えません。 別に「犠牲者一人一人の人生に向いていない」と感じる分には個人の感性の問題ですし、「虚しく思う」のも勝手ではあります。 ですが、そもそも「日中双方」について「国益や面子になってて、犠牲者一人一人の人生に向いていない」というのが事実かどうか、加害国で虐殺否定論が蔓延している日はともかく、被害国である中国側が「国益や面子になってて、犠牲者一人一人の人生に向いていない」など呼べる状況なのか、それをどの程度調べた上での発言なのか、極めて疑問です。 夏淑琴さんはじめ判

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    smtz8 2012/03/07
    あ~これは本当にそう思う。「どっちも犠牲者一人一人のことなんて~」って何故そんなことが簡単に言える(わかる)のか、と。
  • 資料調査に関する概算見積 - 誰かの妄想・はてなブログ版

    Taka 2012/03/01 09:09 認定の、根拠となる所も、調べて 教えて、くださいな。 全部ね。 http://d.hatena.ne.jp/scopedog/20120228/1330447406 ご依頼ありがとうございます。 東京裁判及び南京軍事法廷における南京事件関連資料の取り寄せの御要望ということで、以下に想定条件と概算見積を提示いたします。 資料は日国内で合法的に入手可能な資料に限らせていただきます。 主な調査対象資料は以下の通りです。 Transcripts of Court Proceedings 速記録 Transcripts of Proceedings in Chambers 非公開審理速記録 Court Papers 法廷文書 Prosecution Evidential Documents 検察側提出証拠・未提出証拠 Defense Documents

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    smtz8 2012/03/05
    自分で一次史料調べるのも本当に楽しいですよ、Takaさん(と言ってみる)。金に羽が生え、時間は弓矢となって飛び去っていきますが・・・
  • 「憲兵物語」における通州事件と冀東暴動 - 誰かの妄想・はてなブログ版

    コメント欄でid:smtz8さんに御教示いただいた点についてです。 ネトウヨおなじみの通州事件は1937年7月29日に起きた事件ですが、この事件とは別に「冀東暴動」という事件が1938年7月に起きています。通州事件のほぼ1年後です。森堅吉氏の「憲兵物語」では通州事件と冀東暴動が混同されていますが、前後の記述を読む限り同書中の記載はほとんどが1938年の「冀東暴動」を指しており、1937年の通州事件のことではないことがわかります。 114ページに、 冀東暴動のとき、冀東政府最高顧問の細木原特務機関長は、中国要人との宴会から帰って、着替えの間もなく殺され、つづいて日人二百人以上が惨殺された。 とあり(「細木原」は「細木」の誤記として)、この説明はどう考えても通州事件を指しているのですが、その他の場所で「冀東暴動」と呼んでいる事件では通州事件とは別個の事件を指しています。 どうも、森氏がこ

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    smtz8 2012/01/19
    わかりやすいエントリー感謝します。
  • 「憲兵物語」における通州事件に関する記述 - 誰かの妄想・はてなブログ版

    通州事件のエントリーに関して以下のコメントを頂きました。 『憲兵物語』森堅吉(構成・三宅一志)によると ・通州事件の原因 共産党による長期的な地下工作の成果→事件後関係者は共産軍に逃避 日側は華北における共産党の浸透ぶりを軽視していて最後まで翻弄された ・中国側の残虐行為 遺体にも残虐行為をする、残虐行為の質は向こうのほうが上→日軍の残虐行為は それに対する報復 とされており当時の報道や証言は概ね事実に沿ったものと思われる http://d.hatena.ne.jp/scopedog/20110813/1313252419 「憲兵物語」は随分以前に読んだ記憶がありましたが、さすが記憶が曖昧だったので図書館で確認してみました。ですが、 元憲兵の森氏は事件当時の通州にいたわけではなく事件直後に通州に入ったわけでもなく、同じ冀東*1でも主に唐山に勤務していたわけですから、通州事件に関する

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    smtz8 2012/01/16
  • 北平近郊における通州事件直前の日本軍による虐殺事件 - 誰かの妄想・はてなブログ版

    「日人は差別されているという右翼の言い分もまた、きちんと聞かなければならないということだな」*1と言われたからではありませんが、主に南京事件否定派が「中国人による日人虐殺」と大騒ぎしている通州事件について、これまで結構調べてきました。 今回調べたのは、通州事件当時、通州近郊の状況はどうだったかのか、と言う点。 軍事行動については通州事件/通州(通県)起義の背景に記載しましたが、それ以外の部分です。なお、通州事件の際に通州だけではなく、順義でも保安隊の反乱が起こっていたと言う記述が寺平忠輔氏の「盧溝橋事件」にありますが、これ以外では見かけません。これについては要調査というところです。 さて、調べてみると、日軍は北京包囲の態勢を作る過程で進行路上の住民を少なからず殺害していることがわかります。 1937年7月27日 大興区 大興区は北京南方にあり、総攻撃時の主戦場となった南苑のすぐ西南部

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    smtz8 2011/12/02
    『北京周辺の戦争被害についてまとめた「北京抗戦損失調査」/とりあげた事例は、実態よりも少ないように感じますが、おそらくは精査して確証の少ないものは取り上げていないためではないかと思います』
  • 産経新聞が明確に南京事件否定論に舵をきったのは最近のような気がする - 誰かの妄想・はてなブログ版

    pr3さん経由*1で知ったコラム。 タイトルにああ書きましたが、最近はそれほど産経新聞を見ていなかったので、結構前からかも知れません。ただ4〜5年前くらいまでは、否定的なニュアンスではあったものの「虚構」と明言まではしてなかったような記憶があります。 産経新聞京都総局の牧野克也総局長氏署名入りで「南京大虐殺や強制連行という虚構までまき散らしている」などと書いています。 領土問題に関しては、日政府見解を盲信する産経新聞は、南京事件に関しては、日政府見解を否定するという姿勢です。もちろん、発言者によってではなく、発言内容によって姿勢を決めるのは正しいのですが、産経新聞の場合は、日政府見解と異なる視点を領土問題で教えようとすると「どこの国の教科書か分からなくなる」などとして糾弾するわけですから*2、それなら南京事件に関しても政府見解に則って報道するべきでしょう。そうでなければ産経新聞は、ど

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    smtz8 2011/11/18
    『実際問題として南京事件をテーマとした(もちろん否定論ではなく)映画やドラマ、小説、漫画など1970年代以降、どれほどありましたでしょうか。1990年代以降、従軍慰安婦をテーマとした映画はどうでしょうか?』
  • 通州事件関連エントリー - 誰かの妄想・はてなブログ版

    通州事件歴史的な意味は、日が日中戦争にまい進していくにあたっての国民動員のためのプロパガンダとして利用されたという点にあります。正当性のない中国侵略を、どうして日国民が支持したのか、というのは歴史研究の重要な論点ですが、(軍部の責任が大きいのは言うまでもないですが)昨今ではメディアの責任についても研究が進んでいます。その意味では通州事件歴史学上、どのようにプロパガンダに利用されたかという点に重点が置かれています。 一方で通州事件をメディアとの関連ではなく、事件そのものとして研究した成果というのは、少なくともネット上ではあまり見かけません。軍事史学会などで通州事件関連の論文もありますが、日軍がなぜ居留民を守れなかったかというのが主眼になっており*1、事件そのものについては踏み込んだ研究がされていません。 通州事件そのものの存在については、否定するものはまずいませんので、「利用される

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    smtz8 2011/11/10
    『正当性のない中国侵略を、どうして日本国民が支持したのか、というのは歴史研究の重要な論点』
  • 通州事件の政治利用の始まり - 誰かの妄想・はてなブログ版

    通州事件に関する情報が通州外に届いたのは、7月29日正午ごろ日軍偵察機による報告が最初と見られます。しかし、29日中は航空機のみの情勢把握が行われただけで、ある程度の詳細が知れるのは翌30日午前1時半ころの通州城内の日軍守備隊との通信によってです。 この通信も無線通信で情報量には限界があり、そもそも日軍守備隊が兵営から出られない状況でしたから、居留民の被害についてはほとんどわかりませんでした。 居留民被害について明らかになるのは7月30日の夜明け以降で、通州外部からの救援が到着するのは30日午後4時になってからです。 報道機関が被害状況を現地取材したのは8月2日以降で、取材結果が報道されたのは8月4日以降です*1。 通州事件の詳細がまだ報道されていなかった8月2日、以下のような通信が上海の日大使館付武官から発せられました。 通州事件其他に関する報道の件 【 レファレンスコード 】

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    smtz8 2011/11/09
    id:gimonfu_usr氏 本論では「ゲリラ」(冀東保安隊の性質も戦闘形態もゲリラやゲリラ活動とはとうてい言えない)の話は一切していないし、他の疑問は関連エントリーを読むことをお勧めします
  • 歴史修正主義者の通州事件認識 - 誰かの妄想・はてなブログ版

    通州事件に関しては以前、いろいろ調べた上で巷間言われているような猟奇的な集団虐殺ではなく、南京事件をはじめとする他の虐殺事件と同様の軍民虐殺であることを記事にしました。通州事件歴史的な意義は、日が対中全面戦争に突入するにあたっての国内向け反中プロパガンダに利用されたという点くらいで、虐殺事件そのものとしては特筆して取り上げる価値はあまりありません。 もし、通州事件を虐殺事件として歴史教育で取り上げるなら、平頂山事件や南京事件はもちろん、陽高事件、廠窖虐殺事件に至るまで取り上げなければバランス感覚に欠けると言えます。 バランス感覚に欠けた歴史修正主義者にとっては、通州事件中国を非難するための便利な道具でしかありませんから特筆して誇張して何度も何度も叩きます。 一方で、真面目な研究者にとっては、通州事件を詳細に調べる動機があまりなく*1、結果としてネット上では適当な通州事件プロパガンダが

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    smtz8 2011/11/03
  • 通州事件に関する日本側証言は正確か?(Sさんの体験談) - 誰かの妄想・はてなブログ版

    「Sさんの体験談」というのは、佐賀県基山町の僧侶調寛雅(しらべ かんが)氏(2007年1月死去)がタイで設立した慧燈財団*1による「天皇さまが泣いてござった」に掲載された通州事件の目撃者というSさんという女性の証言です。自体が手に入らないため、ネット上への引用を信頼して記述します。 この「天皇さまが泣いてござった」というについては以下のように説明されています。 調前理事長が著し、平成9年11月に上梓されたこのは、前半部分が先の大戦によって日が蒙った被害について書かれており、後半部分は主に、調前理事長の自坊である因通寺 (佐賀県)に戦後開設された戦争罹災孤児引揚養護施設「洗心寮」を昭和天皇が行幸された時のことについて著されたです。 調氏は学徒出陣した経験を持ち、終戦直後に実家の佐賀県因通寺で戦災孤児を養護しています。その後1989年になってタイ北部に訪れ、日兵の遺骨収集やタイの

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    smtz8
    smtz8 2011/08/12
    「Sさんの体験談」「天皇さま~」で検索したらこの話はそれなりに流通しているとも、ネットでこの程度なら、とも言える。それにしてもこんなマイナーそうな本からでも見つける人の熱意は(むだに)すごいな・・・
  • 誰かの妄想・はてな版

    皇帝フリードリヒ4世が死んだときのラインハルトの気分。 それはさておき、暗黒の7年8か月が暗黒の7年8か月で終わるように努力することは、今もなお求められているのであって終ったわけじゃない。 舛添氏がこんなことを言っていました。 https://twitter.com/MasuzoeYoichi/status/1269429507917705216 かつてテレビで「北朝鮮」と呼称すると、「正式国名を言え」と抗議され、私は「あんな国ですから」と言って、「不適切な発言でした」と謝罪させられた。アメリカ韓国も正式国名ではないのに、これには無言。それが日のマスコミの姿だった。左翼文化人が日を支配していた時代だ。拉致問題の背景。— 舛添要一 (@MasuzoeYoichi) 2020年6月7日 抗議されたのは正式国名を言わないからではなく、「北朝鮮」という呼称が蔑視や“正式な国として認めない”と

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    smtz8 2011/08/12
  • 通州事件に関する初期の日本側報道・証言(村尾昌彦大尉夫人の場合) - 誰かの妄想・はてなブログ版

    村尾昌彦大尉夫人の1937年7月31日時点(事件2日後)の証言が、東日大毎特電として発信されています*1。 鬼畜も及ばぬ残虐 東日大毎特電 1937年7月31日 通州反乱保安総隊顧問、村尾昌彦大尉夫人が頭に包帯をして顔その他に傷を受け、30日深夜、命からがら冀東政府長官秘書・孫錯氏夫人 (日人) とともに北平交民巷に逃げ込んだ。身震いが止まず反乱隊の残虐ぶりをポツリポツリと語った。 「保安隊が反乱したので、在留日人は特務機関や近水楼などに集まって避難しているうち、29日の午前2時頃、守備隊と交戦していた大部隊が幾つかに分れてワーッと近水楼や特務機関の前に殺到して来て、10分置きに機関銃と小銃を射ち込みました。 近水楼の前は日人の死体が山のように転がっています。子供を抱えた母が三人とも死んでいるなど、二た目と見られない惨状でした。私達はこの時家にいました。29日午前2時頃、保安隊長の従

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  • 通州事件における民間人殺害状況の考察 - 誰かの妄想・はてなブログ版

    前回書いた経緯からわかるとおり通州事件における民間人殺害は、1937年7月29日早朝の冀東政府や日軍・領事館警察関係者の監禁・殺傷事件と正午前ごろの一般民間人の監禁・殺傷事件の二つの様態があります。 第一の冀東政府・日軍・領事館警察関係者の監禁・殺傷事件は、政府軍関係者の始末という反乱を成功させるためには避けられない行動と言え、家族は言わばその巻き添えになったと言えます。この過程では、冀東政府に派遣されていた日人顧問や学生計4人、領事館警察の警官及びその家族、通州特務機関の機関員らが主に犠牲になっています。これらの施設は通州城内の北門付近と西大街路にありました。近水楼のあった西海子から見て真東に冀東政府のある北門、真南に西大街路があります。特務機関や領事館警察は西大街路にありました。 朝日軒、北平館という旅館*1も特務機関と同じく西大街路にあったようで*2、おそらくは日人の政府・軍

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    smtz8 2011/07/24
    『時間が経つごとに残酷な表現が増えていくと言った被害者心理による誇張とは思えない部分が見受けら/殺し方が残酷であることを中国人の特性などと、民族差別の根拠に利用するなどレイシストの跳梁』
  • 通州事件/通州(通県)起義の経過 - 誰かの妄想・はてなブログ版

    なかなか筋に入れず、3回目に突入。 1回目:通州事件/通州起義 2回目:通州事件/通州(通県)起義の背景 - 誰かの妄想・はてな版 今回ようやく筋の通州事件に入ります。 まず、事件の時系列を簡単に見てみましょう。参考としたのは寺平忠輔氏の「盧溝橋事件」と安藤利男記者の「虐殺の巷通州を脱出して」(アジア歴史資料センター:B02030917700)、生存者緒方一策氏*1に対する朝日新聞の取材記事(1937年8月4日)などです。 事件発生 当時通州城内にいた関係者を示しておきます。 冀東政府(殷汝耕ら) 冀東保安隊(張慶余ら) 日軍守備隊(辻村憲吉中佐、山田正大尉、藤尾心一中尉ら) 領事館警察(浜田末喜ら) 特務機関(細木繁中佐、甲斐厚少佐ら) 7月29日午前2時半 冀東保安隊が反乱を起こして、まず襲撃したのは首席殷汝耕のいた冀東政府です。この冀東政府関係建物の制圧はほとんど抵抗を受けず成

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    smtz8 2011/07/21
  • 通州事件/通州(通県)起義の背景 - 誰かの妄想・はてなブログ版

    通州事件/通州起義の続き。 通州事件直前までの話です*1。 北平総攻撃の準備行動 一般的に盧溝橋事件直後は(北支限定での)対中戦争については日政府が積極的であり、軍部は消極的だったとも言われます。郎坊事件、広安門事件などの中国側からの挑発の結果、やむなく攻撃した、的な主張です。しかし、実際には郎坊事件にせよ広安門事件にせよ、日軍側の挑発行為と言える側面があります。 例えば郎坊事件ですが、郎坊駅は中国側第29軍の支配下にあり、日軍部隊が立ち入るには中国側の許可を必要とする場所でした。7月25日、日軍は電線修理の名目で郎坊に部隊を派遣し、それには中国側も許可を出していますが、日軍が派遣したのは一個中隊200人で電線修理の規模ではありませんでした。しかも電線修理は夜中になっても終わらず、日軍は中国側に宿舎の提供を要求し、それがこじれた結果、武力衝突に至っています。日側は電線修理の名

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    smtz8 2011/07/08
    ・・・ここまで第××隊が○○して、第××軍が△△して・・・となると完全に何も入らなくなるこの頭を何とかしたい・・・・・・(資料読む時いつもネックになる)
  • 通州事件/通州起義 - 誰かの妄想・はてなブログ版

    通州事件は、1937年7月29日に起きた冀東防共自治政府所属の保安隊が国民政府側に起って反乱を起こした際、通州城内に居住していた日人・朝鮮人の民間人を殺害した事件です。犠牲者数は200人強で、大虐殺と言って構わないレベルですが、通州事件の5年前に起きた平頂山事件(犠牲者数:400〜3000人)*1や通州事件の5ヵ月後に起きた南京事件(犠牲者数:数千人〜数十万人)に比べると小規模な事件と言えます。 中国側では、通州起義あるいは通州反正と呼び、日の傀儡政府の下から起ち上がって、日の侵略軍と戦うために中国軍に参加した、と言った肯定的な評価をしています。 日側は民間人が虐殺されたことのみを強調し前後の状況を無視する一方、中国側は日の侵略に際し傀儡軍であることに甘んじず立ち上がったことを強調しその際に生じた民間人犠牲者については無視しています。 日側、特に右翼やネトウヨなど歴史修正主義者

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    smtz8 2011/07/05
  • 江南殲滅作戦における日本軍による虐殺事件 - 誰かの妄想・はてなブログ版

    江南殲滅作戦は、中国では鄂西会戦と呼ばれ1943年4月から6月にかけて主に湖北省西部で戦われた戦闘です。 日中戦争期における日軍の暴行事件としては南京事件が一番有名でしょうが、犠牲者数百人、数千人規模の虐殺事件は他にも数多くあります。 廠窖虐殺事件 中でも、1943年5月8日から12日にかけて起きた廠窖虐殺事件は、軍民約3万人の犠牲者を出した大規模なものです。 廠窖は湖南省南県に位置し、洞庭湖の北岸から突き出た半島部にあります。江南殲滅作戦の第一期において南県に展開していた中国軍第73軍*1を撃破し、同地域を占領。廠窖虐殺事件はその際に起きています。 日軍による太平洋戦争最大の3万人虐殺事件 湖南に記念館完成 8月 16, 2010 (中国通信=東京)長沙15日発新華社電によると、日軍国主義の無条件降伏65周年の同日、太平洋戦争最大の虐殺事件の3万人の犠牲者を追悼する「厰窖虐殺事件

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    smtz8 2011/06/25
    本当にね、南京は重要だが偏りすぎている。三光などに対する歴史修正主義に対しても充実した反論・検証サイトが南京の半分でもできてくれたらいいのだけど。