在日米軍横田基地(東京・多摩地域の5市1町)で10日から12日まで米陸軍が実施したパラシュート降下訓練が、アフガニスタンに派兵直前の部隊による演習だった可能性が出てきました。 今回の降下訓練について米空軍横田基地広報は「部隊名は安全管理上明らかにできないが、太平洋地域に所属する米陸軍部隊」としています。 しかし、アジア・太平洋地域の米陸軍部隊を管理する太平洋陸軍(ハワイ)支配下にはパラシュート降下部隊は第25歩兵師団第4空てい旅団戦闘団(アラスカ州)しかありません。同旅団は昨年末、別の米陸軍部隊からアフガニスタン東部のホスト、パクティヤ両州の作戦権限を引き継いだばかりでした。(在アラスカ米陸軍ホームページ) 米空軍横田基地が12日にホームページで公開した降下訓練の16枚の写真は、戦闘服肩の部隊記章が見えない物だけが選ばれ、説明にも「太平洋戦域の米陸軍部隊」と書かれているだけで、部隊名を厳重
今秋、1人のアフガニスタン女性が沖縄を訪れました。マラライ・ジョヤさんです▼彼女は那覇市で、次のように講演しました。「アメリカ軍の攻撃と占領。民衆の苦しみ…。アフガニスタンと沖縄は、共通の課題をもっています。民衆の声をきかない政権がアメリカとつながっているのも同じです。私たちは、連帯しなければなりません」▼ジョヤさんは、1978年の生まれ。翌年暮れ、ソ連がアフガニスタンに侵攻しました。ソ連が兵を引くと、内戦や、アメリカの「対テロ」戦争が続きます。彼女の33年の半生は、戦争とともにありました▼こんな国に誰がした―。憤る彼女の姿を収めた8年前の映像は、インターネットでいまもみられています。アフガン国民大会議の場でした。居ならぶ軍閥の指導者たちの国に対する犯罪、女性差別を告発しました。ののしりを浴び、ついには退場を強いられながら▼以来、世界が彼女に注目します。考えさせられる発言も多い。“民主化は
◎シリーズ「マラライ・ジョヤとアフガニスタンの今」最終回 アフガニスタンの軍事占領・人権抑圧と闘うマラライ・ジョヤから日本の皆さんへ シリーズ前書き(岡 真理/TUP)はTUP速報第926号に。 https://www.tup-bulletin.org/modules/contents/index.php?content_id=958 マラライ・ジョヤが日本を去ってから1ヵ月以上が経過したというのに、私はまだ、彼女のメッセージが残した余熱を感じている。このシリーズ「マラライ・ジョヤとアフガニアスタンの今」の最終回は、彼女の講演ツアーの様子を、たとえ概要なりとも伝えるものとしたい。 いずれの会場でもマラライは、柔軟に、その場で湧いてくる想念を聴衆と分かち合い、そのため、講演はなおのこと生気に満ちた力強いものとなっていた。それでも、言うまでもないが、基本的な内容は全会場で一貫しており、その基調
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◎シリーズ「マラライ・ジョヤとアフガニスタンの今」第4回 アフガニスタンの「殺人部隊」によって明かされた真実 ――――――――――――――――――――――――― シリーズ前書き(岡 真理/TUP)はTUP速報第926号にあります。 http://www.tup-bulletin.org/modules/contents/index.php?content_id=958 シリーズ4回目となる今回の速報は、2011年3月30日に『ガーディアン』に掲載されたマラライ・ジョヤの論説の元原稿である下記アドレスにある論説を翻訳してお届けします。したがって『ガーディアン』に掲載されているものとは異なります。 【出典】http://www.malalaijoya.com/dcmj/joya-in-media/605-the-truth-revealed-by-the-qkill-teamsq-in-afg
速報929号 ロヤ・ジルガにおけるマラライ・ジョヤの勇気ある歴史的演説 《シリーズ「マラライ・ジョヤとアフガニスタンの今」第3回》 ◎シリーズ「マラライ・ジョヤとアフガニスタンの今」第3回 ロヤ・ジルガにおけるマラライ・ジョヤの勇気ある歴史的演説 ――――――――――――――――――――――― シリーズ前書き(岡 真理/TUP)はTUP速報第926号にあります。 https://www.tup-bulletin.org/modules/contents/index.php?content_id=958 「ロヤ・ジルガ」とは本来「大会議」を意味するパシュトゥー語で、アフガニスタン国民大会議のことです。在京アフガニスタン大使館のHPには、以下のように説明されています。 ロヤ・ジルガは、国家にとって重要であるとみなされる主要な事柄、問題、変革を扱うために召集される、名士、部族長、宗教指導者たちに
(写真)英軍のアフガン撤退を求める集会で戦争犠牲者の名前を聞く人たち=8日、ロンドン・トラファルガー広場(小玉純一撮影) 【ロンドン=小玉純一】対アフガニスタン戦争10年の節目となる8日、英軍の撤退を求める集会がロンドンのトラファルガー広場で開かれました。集会後、約5000人が首相官邸までデモ行進しました。 4時間にわたった集会では、戦争で犠牲となった人たちの中から、アフガンの人と英兵あわせて120人の名前を読み上げ、120の黒い風船を飛ばし追悼しました。モハメッド、13歳。パルワシャ、2歳。サフィーダ、3歳…。ギャレス・ベリングハム、22歳。マイケル・パイク、26歳…。鼻をすすり、涙をふく参加者の姿もありました。 英軍は約9000人がアフガンに駐留。これまで英兵382人が戦死しました。英国政府は2014年撤退の方針。6日発表の世論調査では57%の英国人が即時撤退を求めています。 集会主催
速報926号 シリーズ:マラライ・ジョヤとアフガニスタンの今 第1回 マラライ・ジョヤ、アフガニスタンの隠れたヒーロー、ヒロインを代表して語る ◎シリーズ:マラライ・ジョヤとアフガニスタンの今 2001年9月11日の出来事を受け、10年前の10月8日、米軍とNATO軍はアフガニスタン空爆を開始します。以後、今日まで続く「対テロ戦争」の始まりでした。こうして、ソ連の撤退以後、世界の忘却の中に打ち棄てられてきたアフガニスタンは9・11という出来事によって世界の耳目の中心となりました。けれども、2003年にイラク戦争が起こると、世界の関心はイラクに移り、アフガニスタンは再び忘れ去られていきました。 2014年末までに外国軍が完全撤退することが発表されてはいるものの、10年たっても外国軍の駐留は続き、アフガニスタン国内は「平和・安定」とはほど遠い状況です。「対テロ戦争」の開始から10年、アフガニ
岩陰に身を隠しながらタリバン兵と交戦する警察官=アフガニスタン・マイダンワルダク州のバダム村で、杉尾直哉撮影 【バダム村(アフガニスタン中部マイダンワルダック州)杉尾直哉】高く晴れ上がった秋空の山腹に、自動小銃「カラシニコフ」(AK47)やロケット弾、高射砲の弾が乱れ飛ぶ。アフガン人警官たちが岩陰に身を隠し、応戦する--。マイダンワルダック州警察がバダム村で1日に行った警備活動を取材中、丘の向こうから武装勢力が砲撃してきた。首都カブールからわずか約50キロ、すでに首都包囲網を狭める旧支配勢力タリバンの勢力下に入っていた。 米英軍によるアフガン攻撃開始から7日で10年を迎え、米軍など各国の駐留軍は7月から撤収を開始。しかし、治安権限を移譲されるアフガン警察は、タリバンの攻勢に苦戦を強いられていた。 ヒュンヒュン--。記者の頭上を、空気を切り裂く高音が過ぎて行った。「敵襲だ」。そばにいた警官が
Afghan policeman stood over the body of an insurgent at the U.S. Embassy in Kabul on Wednesday.Credit...Kuni Takahashi for The New York Times KABUL, Afghanistan — Raising the death toll sharply, American and Afghan officials said Wednesday that the complexity and execution of the siege of the American Embassy and NATO’s headquarters in Kabul bore the hallmarks of a militant group based in Pakistan
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