solayueのブックマーク (62)

  • 工芸品のように美しい、インドの出版社〈タラブックス〉の本。

    December 13, 2017 | Culture | casabrutus.com | photo_Yuko Moriyama   text_Yuka Uchida インド南部の街、チェンナイを拠点に活動する出版社〈タラブックス〉。彼らの代表作である絵『夜の木』は、シルクスクリーンによる印刷の美しさと、手製による温もりを感じられる、アートピースのような一冊だ。世界を魅了する〈タラブックス〉のづくりとは? その背景に迫る展覧会が〈板橋区立美術館〉で開催されている。

    工芸品のように美しい、インドの出版社〈タラブックス〉の本。
  • 空旅中国「孔明が挑んだ蜀の道」(NHK)レビュー - 蜀同盟

    8月14日放送『空旅中国「孔明が挑んだ蜀の道」』の感想、少し遅くなったが書いてみる。 全体的なこと 余談 NHK問題 成都~漢中 金牛道 ざっくりした『三国志』の説明には首を傾げる 剣門関 山脈を潜り抜ける峡谷 ロウ中古城の雰囲気はとても良い 明月峡の桟道 影絵を子供に見せていたお母さん 木牛流馬の疑問 漢中・定軍山・白帝城 全体的なこと 先に全体の感想を述べると、歴史捏造などの歪みは感じずオーソドックスで良心的な内容だった。 解説は少々『演義』フィクション寄りなのかなと思うふしもあったが、細かいことを気にせず、現実景色を眺める目的なら十分に堪能できる。 何よりドローンでの「鳥瞰」は現代でなければ不可能なことだった。 しかも特別許可を得ての撮影が多いようだったので、個人ではとうてい不可能な視点で眺めることができたのは幸運だ。もしかしたら自分の足で現地へ行くよりも特別な体験となったかもしれな

    空旅中国「孔明が挑んだ蜀の道」(NHK)レビュー - 蜀同盟
  • 生き残っていることに感謝、という話

    これはいつも書いていることの繰り返しかな。 『今生きている人は皆がサバイバー。生きる意味を探すより生を肯定して歩こう』 スピリチュアルも占星術も抜いた現実限定の話だからこそ、説ける話もあります。 (もちろん裏付けとしての体験があるから言えるのだけど) この種の話は賛同も批判も両方あるはず。 でもとにかく平和だから単純に幸福とは言えない、ということは確か。 平和なこの国であっても、いや平和だからこそ精神の危機は重くなる。だから他人の悩みを簡単に嘲笑してはならない。 「平和な日で悩んでいる人は甘えてる!」 などと決めつけられる人はよほど甘えた人生を生きてきたのだろうなと思います。 八月になり、また戦争物の番組が増えてどうしても気分が重くなってしまいますが……。 「あの時代は当に悲惨だった」 と憐れに思いながらも、決して平和な時代に生まれたことへ優越感を抱いたり、現在現実が生きやすくなるとい

    生き残っていることに感謝、という話
  • 今生きている人は皆がサバイバー。生きる意味を探すより生を肯定して歩こう - 蜀同盟

    今週のお題「人生最大の危機」に乗って書いてみます。 2019/8/22追記あり 私にとっての危機は十代の頃 自分の人生で最大の危機はいつだったのかと考えてみると、やはり前も書いたように思春期の頃だったと思う。 インポスター症候群で危うく死ぬところだった。 平和な国で特に大きな病気をすることもなく育ったのに、自分で自分を殺しかけていたという。 再掲: rtk3alliance.kslabo.work あの後は自殺を考えることなどあまりなかったが、ストーカーに追われるなどで命の危機を感じることは時々あったな。 私は劉備様からのストーキングならいつでも歓迎だが、求めに応じないと脅迫してくるような相手は僅かな交流も全力でお断りする。当たり前である。 あれこれ振り返ってみると、意外と今日まで生きて来られたのは奇跡だったのかもしれないと思ってしまう。若い時を無事に過ごし生き延びられたことに感謝する。

    今生きている人は皆がサバイバー。生きる意味を探すより生を肯定して歩こう - 蜀同盟
    solayue
    solayue 2019/08/11
    ずっと感じていた違和感、生きづらさの原因。平和な国に生きていながら、いつもどこか空しくて何かをすごく持て余している感じ。自分だけじゃない。「今を肯定する」が大事な鍵。
  • 街のシェルター|本屋の時間|辻山良雄

    屋は、基的には〈うるさい〉場所である。それは何も、店のなかで騒いでいる人がいるということではなく、1冊のが内包する声が店のそこかしこから聞こえてくるため、心を乱されてしまう力だってあるということだ。 しかし、そのような人の内面に語りかける声はあるにせよ、多くの屋では静けさが保たれている。Titleでも話しながら店に入ってきた人たちが、入店した瞬間に黙りこんでしまう光景をよく見かける。並んでいるを目にすると、自然と人は口をつぐんでしまうようだ。 のもつそのような両義性を、かねてから面白く思っていたのだが、先日建築家の堀部安嗣さんに話をうかがう機会があり、そのとき読んだのなかに、我が意を得たりということばを見つけた。 「今の時代、図書館の最も重要な役割は街で浴びた情報から自らを避難させ、情報を洗い落とすところにあるといっていいかもしれないし、今後そのような役割が重視されてゆくよう

    街のシェルター|本屋の時間|辻山良雄
  • 『天気の子』新海誠監督が明かす“賛否両論”映画を作ったワケ、“セカイ系”と言われることへの答え|最新の映画ニュースならMOVIE WALKER PRESS

    インタビュー 2019/8/10 10:30 『天気の子新海誠監督が明かす“賛否両論”映画を作ったワケ、“セカイ系”と言われることへの答え 社会現象を巻き起こした『君の名は。』(06)から3年ぶりとなる新海誠監督の最新作『天気の子』(公開中)が、観客動員440万人、興行収入60億円を突破する大ヒットを記録している。公開前に実施された製作報告会見で新海監督は「意見がわかれる映画になると思う」と語っていたが、いまその言葉通り、鑑賞後の人々の間で様々な意見が交わされている。超特大ヒットを果たした『君の名は。』の次に賛否両論の映画を世に送りだす覚悟を決めたのは、一体、どんな理由だったのか。また新海監督がネット上で多く見られる「『天気の子』はセカイ系」との意見について、どう感じているのか。胸の内を明かしてもらった。 ※以下の記事は『天気の子』の物語の核心に触れる内容を含みます。鑑賞前の方はご注意く

    『天気の子』新海誠監督が明かす“賛否両論”映画を作ったワケ、“セカイ系”と言われることへの答え|最新の映画ニュースならMOVIE WALKER PRESS
  • https://socrates.media/2019/03/04/4123/

    https://socrates.media/2019/03/04/4123/
    solayue
    solayue 2019/08/10
    「本は、読む者のためだけに存在しているのではない。むしろ、それを読んでみたいと願う者のものである。」書物への愛は奥が深い。
  • 『ガラス玉演戯』より、神様の言葉

  • 「自分が勝っても、誰かが負けるとうれしくない」と語るカラテカ矢部が芸能界で生き残れた理由|新R25 - シゴトも人生も、もっと楽しもう。

    当は、オセロで勝つのも苦しい」 「自分が勝っても、誰かが負けるとうれしくない」と語るカラテカ矢部が芸能界で生き残れた理由 ガリガリ体型がトレードマークの芸人、カラテカの矢部太郎さん。 彼が大家のおばあさんとのちょっと変わった「二人暮らし」の日常を描いたフィクションマンガ『大家さんと僕』(新潮社)は、79万部を超える大ベストセラーになりました。7月に発売された最新作『大家さんと僕 これから』では、ついにそんな大家さんとの別れが描かれています。 人見知りで引っ込み思案な矢部さんは、どうやって大家さんやまわりの人たちと打ち解けて仲良くなったのでしょうか? 取材を通して見えてきたのは、優しさに満ちた矢部さんならではの「勝ち負けをつけたくない」という人生哲学でした。

    「自分が勝っても、誰かが負けるとうれしくない」と語るカラテカ矢部が芸能界で生き残れた理由|新R25 - シゴトも人生も、もっと楽しもう。
    solayue
    solayue 2019/08/08
    「どうしたら他人に優しくなれるか」という問いの答えが素敵すぎた。「自分のことを大事に思ったらいいんじゃないですかね。」「相手も自分と同じだと思ったら、自然と優しくなりますよね。」
  • 自己肯定感の無かった自分が、どうにか肯定感を養うまで。「孔明」になくて「のび太」にあるもの - 蜀同盟

    〔8/9文章推敲〕 ツイッターで「自己肯定感」という言葉がトレンド入りし、かつて絶望的に「自己肯定感」が無かった者として気になった。思うまま経験を書いてみる。 【参考記事】 1.のび太よ、お前が言うか……まさかの名言: hattatu-matome.ldblog.jp 2.ものすごく共感した呟き: anond.hatelabo.jp」 上の方への筆者コメント: 自己肯定感を養いたい 分かるな…。人類は多いから必ず他の人と被る。でも目の前のことに集中し、一所懸命にやっていればその時代その場のオンリーワンになれると思う。 2019/08/07 09:11 かつて、絶望的に自己肯定感が無かった私 ここで自己紹介の自分語り。 (プライベートブログに通われている方はご存知の話だと思うので読み飛ばしてください) かつて私は、平均より勉強ができた。 幼い頃のことだが、いわゆる「頭のイイ子供」だったらしい

    自己肯定感の無かった自分が、どうにか肯定感を養うまで。「孔明」になくて「のび太」にあるもの - 蜀同盟
    solayue
    solayue 2019/08/08
    私の自己否定の原因は母親との関係だったのだけど、その苦しい体験がなかったら今の自分もいない。まだ道半ば。道中躓いてコケても道を間違えても、ちゃんとそのときの景色を愛おしんで歩いていけたらいいな。
  • 「あいちトリエンナーレ2019」をありきたりの現代美術展として見に行った(その2:愛知芸文センター10Fつづき) - 💙💛しいたげられたしいたけ

    「その1」では3つのブースしか言及できなかった。こんなペースで書いていては、いつまで経っても終わらないな (´Д`; 繰返し書くけど、私は現代美術というものがわからない。ウォーホルの『スープ缶』だって、デュシャンの『泉』だって、モンドリアンの『コンポジション』だって、知識のない状態でいきなり目の前に提示されたら、その価値がまったく理解できなかっただろう。今でもよくわからない。私なりに意味を理解しようと、じたばたしているだけだ。 辛うじて見当つくのは、作家たちは作品を見る者の心を揺さぶろうと、あらゆる手段を講じているだろうということだ。「先入観を捨て虚心に作品だけと向かい合うべし」なんて甘っちょろいキレイゴトは、中学校の卒業と同時に校門の中に置いていくものの一つであろう。要するに何でもアリなのである。 また心を揺さぶられる方向は、快い方向ばかりとは限らない。不快な方向だって同数以上に多いのだ

    「あいちトリエンナーレ2019」をありきたりの現代美術展として見に行った(その2:愛知芸文センター10Fつづき) - 💙💛しいたげられたしいたけ
  • 「あいちトリエンナーレ2019」をありきたりの現代美術展として見に行った(その3:愛知芸文センター8F) - 🍉しいたげられたしいたけ

    長いエスカレータで10Fから8Fへ移動した。愛知芸術文化センターの10Fはもともとは愛知県美術館で、8Fは愛知美術館ギャラリーなんだそうだ。どう違うのかは、よく知らない。9Fは吹き抜けだったはず。 パンフレット3P下半分をスキャンした画像を貼る。A18cとA19以降が8Fブースである。 10F の「顔」がパンフレット表紙にもなっている A06「孤独のボキャブラリー」だとしたら、8F のそれは A19 "「tsurugi」「peak」" だろうか。 10今村 洋平(A19) | あいちトリエンナーレ2019 「シルクスクリーン」という版画の手法を用いて制作された作品の数々と、それを産み出した印刷機材が展示され、制作過程のビデオが上映されていた。 作品は1枚の紙に印刷されたものもあれば、10数cmもの厚みを持つものもあった。パンフレットによると後者は「1万回インクを刷って重ねると地形図のような

    「あいちトリエンナーレ2019」をありきたりの現代美術展として見に行った(その3:愛知芸文センター8F) - 🍉しいたげられたしいたけ
  • 「あいちトリエンナーレ2019」をありきたりの現代美術展として見に行った(その1:愛知芸術文化センター10F) - 💙💛しいたげられたしいたけ

    うちのブログの「美術展」タグをクリックしてもらえればある程度は見当つけていただけるんじゃないかと思うが、決して現代美術というものにメチャメチャ詳しいわけではないものの、「身近に機会があれば」というレベルで関心を持ち続けているほうだと思う。 だから先週末に、「あいちトリエンナーレ2019」のブースの一つである「表現の不自由その後」がネットで炎上しているらしいという情報に接したときに、最初に浮かんだ感想は「どうせわかってない連中が騒いでいるんだろう」という程度だった。 しかしそういう私自身「わかっていない連中」の一人である可能性がきわめて高い。だいたい現物を見ないであれこれ言い出したら、その時点で「わかっていない」確定であろう。 というわけで、メイン会場である愛知県芸術文化センターへ行ってみた。なおパンフレットによると「メイン会場」という呼称ではなく "作品・公演数が最も多い「あいちトリエンナ

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  • 三国志ジャンルの捏造記事について +蜀ファンへメッセージ【拡散希望】 - 蜀同盟

    〔2018/12/1筆。プライベートブログと同時掲載。言論弾圧を避けるため一部カット、伏字としています〕 …目に余る犯罪行為を黙っておれず記事を上げます。 これはもう歴史趣味を装った精神侵略の戦争。このジャンルはもう現代現実の代理戦争状態となりつつあります。 近年の反蜀と諸葛亮への下劣な悪口について 最近、三国志ジャンルでは諸葛亮の下劣な悪口を書くことが大流行しているようです。 全く筋の通らない、論拠のない悪口で、なかには明らかな捏造記事もあります。 この人々に歴史的な推測をする目的など僅かもなく、とにかく日で人気の高かった諸葛亮を貶めることだけが目的のようです。 何故、諸葛亮を貶めるのか? それはC国K党の指導のもと、左の人たちが日推し進める「反蜀」運動のためです。 「反蜀」とは、現代現実では反日・反C国民主主義運動という意味です。平和ボケの人の中には何も知らず魏ファン・曹操ファ

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    solayue 2019/08/08
    「自分の頭で考え、誠実に事実を眺めることです。」←心に刻みたい。本当に大切なことを見失わないように。
  • リダイレクトの警告

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    solayue 2019/08/07
    彼女の勇気と、「あなたを誇りに思う」と向き合ってくれたクラスメイト達共に素晴らしい。
  • ハンドメイドの美しい本をつくる南インドの出版社が挑む“世界を変える本づくり”

    〈 この連載・企画は… 〉 北海道にエコビレッジをつくりたい。そこにずっと住んでもいいし、ときどき遊びに来てもいい。 野菜を育ててみんなでべ、あんまりお金を使わずに暮らす。そんな「新しい家族のカタチ」を探ります。 writer profile Michiko Kurushima 來嶋路子 くるしま・みちこ●東京都出身。1994年に美術出版社で働き始め、2001年『みづゑ』の新装刊立ち上げに携わり、編集長となる。2008年『美術手帖』副編集長。2011年に暮らしの拠点を北海道に移す。以後、書籍の編集長として美術出版社に籍をおきつつ在宅勤務というかたちで仕事を続ける。2015年にフリーランスとなり、アートやデザインのづくりを行う〈ミチクル編集工房〉をつくる。現在、東京と北海道を行き来しながら編集の仕事をしつつ、エコビレッジをつくるという目標に向かって奔走中。ときどき畑仕事も。 http:/

    ハンドメイドの美しい本をつくる南インドの出版社が挑む“世界を変える本づくり”
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    solayue 2019/08/07
    妙なパワーのある絵本。一度触れたら忘れられない。
  • 映画「ニューヨーク公共図書館 エクス・リブリス」を見てきた。 - みききしたこと。おもうこと。

    話題になっていた映画。先日ようやく機会があって、見てきた。感想など。 感想その1:よくここまで見せたな@ユーザ まず驚いたのは、思った以上にナマの図書館、特にユーザの表情を写していること。 たとえばレファレンスカウンターでのやりとり。自分の家系調査をしている人とスタッフとで「先祖は移民で、何年の船に乗った」といった話までしている。特にスタッフと絡まず黙って図書館を利用している人の姿も、度々大写しになる。閲覧室でパソコンを広げる人や共用パソコンを使う人は、その画面まで。書いている原稿?の文面、大腸がんの情報収集、中にはゲームしている人も。勉強している人たちはおおむね集中した様子に見えるが、中には眠そうな人もいる。 ユーザの表情を撮る姿勢は徹底していて、文化プログラムや講演、フェアでも、参加者にカメラが向けられる。演奏会での居眠りや、詩の朗読をしている講演の最中に赤ん坊が泣いているのはご愛敬。

    映画「ニューヨーク公共図書館 エクス・リブリス」を見てきた。 - みききしたこと。おもうこと。
    solayue
    solayue 2019/08/07
    観てきた!3時間超えの長丁場だけど興味深くて時間を忘れた。 もう一度、できることなら一気にでなく、少しずつゆっくり味わって観たい。
  • ほぼ日刊イトイ新聞 - おとなの小論文教室。

    Lesson667 アートのチカラ アートを語るたまじゃないのは、 自分自身、よーくわかっている。 でも将来、辛く、 身も心もボロボロに行き詰まることがあったら、 私は、アートに触れたいと思う。 暮れにアートに触れてから、 なんだか、とっても、おさえようなく、 自分がずっと、元気なのだ。 一緒に行った姉夫婦も、正月に会ったら いつになく生き生きしてる。 命の芯みたいなところが、 すっきり! ウキウキなのだ。 なんだろうこの、アートのチカラは? 私も姉も昭和の田舎町で生まれ、 ちいさいころ唯一の娯楽といったら、 家族で、こたつでテレビを見るくらい、 美術館はおろか、絵一枚、見に行くこともなく育った。 お義兄さん(姉の夫)も、 アートとか言われても、さっぱりわからんようで、 行く前から「わからん、わからん」と。 そんなトホホな私たちだったからこそ、 暮れに「直島」に行ったとき、 無欲、かつ、無

  • 【上野】松方コレクション展 国立西洋美術館 - Leuk en Mooi Arts, Science and Career

  • モネの家と睡蓮の池〜ジヴェルニーに行ってみた(その1) - Leuk en Mooi Arts, Science and Career