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人間と生き方に関するsoleil266564のブックマーク (90)

  • 自分は幸福になりたいのだろうか?幸福になりたいならば幸福とは何かを学んで自分の幸福を決めないとならないのだ。(後編)幅を愉しむWebメディア RANGER

    自分は幸福になりたいのだろうか?幸福になりたいならば幸福とは何かを学んで自分の幸福を決めないとならないのだ。(後編) 前回は、幸福になりたいならば幸福とは何かがハッキリわかった方がいい、という気づきがあった。 そうしていると、「世界幸福度ランキング上位13ヵ国を旅してわかったこと」の著者マイケ・ファン・デン・ボーム氏のこんな言葉が飛び込んできた。 幸福度の高い国の大半は何百年も前から”幸福を求める文化”をもっていたように思える。 その通りだ。 当たり前のようだが、腑に落ちる言葉だ。 幸福を求めずして幸福にはなれない。 そして、求めた幸福が間違っていても幸福にはなれない。 こう言われると、私の人生では幸福とは何かについてしっかりと考えるということがなかった。 幸福について周りの誰かが語るのを聞いたこともなかった。 日では幸福というものについていつから語るようになったのだろうか? さて、幸福

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  • 自分は幸福になりたいのだろうか?幸福になりたいならば幸福とは何かを学んで自分の幸福を決めないとならないのだ。(前編)幅を愉しむWebメディア RANGER

    自分は幸福になりたいのだろうか?幸福になりたいならば幸福とは何かを学んで自分の幸福を決めないとならないのだ。(前編) 今でも毎回湧き上がる感覚がある。 仕事がない休みの日だったとしてもそれが平日であったならば、心がどこか落ち着かなくなる。 長かったサラリーマン時代が週休2日だったから、その名残があっても不思議ではないのだが、ここまで根強いものなのだろうか? 昔は有給をとった平日は1日中わずかではあるが罪悪感を抱えていたようにも思う。 その頃から私は周りの人と一緒でなければ安心できない人間になってしまったままなのだろうか? そうならば、周りに依存する自分に何ともガッカリするのだが・・・。 以前にも、よりよい人生を生きるには日々の習慣が大切であって、その中でも瞬間瞬間何を考えるか?ということが特に大切にするべきではないか?と書いたことがある。 もたげてくるこの不安はその思考の一つであるから、余

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    soleil266564 2022/04/18
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  • 人間における最上の価値は、人間の欲望の本質である「自由の感度」だと知った。

    最近周囲から「Yogiboを買った」「Yogiboが欲しい」という声をよく聞くようになった。 あらためて言うまでもないが、Yogiboとは「人をダメにする」クッションの代表的存在である。 会社にYogiboがあるので休憩は必ずごろごろすることにしてるのですが、お昼休みってすごいスピードで時間過ぎてく感覚。小学生のころ20分休みで運動場出てドッヂボールとかしてたの信じられん。空見てたら20分おわる🌈 — たつみん|悟り系OL (@ayana_uzuz) April 11, 2022 疫病の発生以降、売り上げは右肩上がりに伸長中。 2022年7月時点で230億円強の売上になるとの予測も出ている。(*1) エクストリームスポーツのメインスポンサーにもなっており、今売れに売れている商品と言って異論のある人はいないはずだ。(*2) そんなヨギボーに続けと言わんばかりに「人をダメにする」系の商品は次

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    soleil266564 2022/04/13
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  • 「自分の影の部分」を受け止めることで人生が変わるかもしれない。幅を愉しむWebメディア RANGER

    私はどうも、いつからかプロ歌手の歌う歌を上手いとも思わずに聴くようになっていたようだ。 モノマネ番組にご人さん登場というコーナーがある。 この番組は、モノマネの人が歌の1番を歌った後、続いてご人がサプライズで登場して2番を続けて歌うというものなのだが、その歌のギャップを感じて、プロ歌手であるご人はこんなにもうまいのかあ、と気づいたのだ。 いつもそこにあるものはあって当たり前になって印象が弱まり、歌下手がいるから歌上手を認識できるんだ、と思い知った。 歌でいうと、カラオケアプリ(スマホに向かって歌うと採点してくれて録音もしてくれる)というものを使ってみたのだが、自分の歌の下手さに驚いた。 【2022年】 おすすめのカラオケをするアプリはこれ!アプリランキングTOP10 もう少し歌えていると思っていたから、かなり残念だった。 知らなければ良かった、と後悔したのだが知ってしまったからには今

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  • 習慣的に「オンラインゲーム」をやるようになったら、「何かに没頭しやすくなる条件」が分かってきた話。

    遅ればせながらだが「フォートナイト」というオンラインゲームを習慣的にやるようになった。 最初の頃はビギナーズラック的に「ビクトリーロイヤル(=バトルロイヤルで1位になること。以下、ビクロイと呼ぶ)」を取ることもできたのだが、シーズンが変わってからは遠のいてる。 私の技術がなかなか上がっていかない中、周りの進歩を著しく思う。 最近、友人に誘われて友人の子供とチームを組んで戦地に出ることがあった。 チーム戦はソロ戦とは違いエキサイティングみが何倍にも増す。 戦いでは、私よりも友人の子供の方が圧倒的に技術が高く、教えてもらうことばかりだった。 この世界では大人も子供も地位や肩書きや性別もまったく関係ない。 そんな風にしてメタバース活用の最先端に今触れている。 正直な話、はじめた当初は「試しにやってみるか〜」という程度でここまで自分が面白いと感じるとは思ってもいなかった。 そして、1ヶ月程やってみ

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  • 「鈍感力」が必要と言われる現代だから、自分も鈍感力を学んでみよう!幅を愉しむWebメディア RANGER

    こちらのでは、考えても解決しないことは考えない、とか、物事をおおざっぱに捉えて判断する、など不要な思考を減らす方法が紹介されている。 鈍感力という言葉が出ているわけではないのだが、気になることであっても思考から除外するという意味では、鈍感力に共通するのではないか?そんな風に感じる。 私は合理性が好きな人間だったので、このにあるように不要な思考を除外すること、無視することで前を向いてきたという感覚がある。 だから、の内容には共感するところが多い。 最近よく聞くようになった言葉に、 「鈍感な人がうらやましい」 「天然の人(≒鈍感な人)には勝てない」 などというものがある。 私も憎たらしいくらいに鈍感な人間を見ては、羨ましいと思ったことがある。 鈍感が素晴らしいから鈍感になるべきなのか?と言うとそうではないことを、「鈍感」と「鈍感力」の違いによって説明しているものもある。 「あえて鈍感なふ

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    soleil266564 2022/03/28
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  • 自分を軽く扱うこと、他人を軽く扱うこと

    自分自身を軽く扱うと周りの人間にも軽く扱っていいと思われるというのはよく聞くが、私自身が誰かを軽く扱う側に立つとは思わなかった。 会社の後輩に何を言っても謝る子がいて、1年くらいは謝る必要がないことで謝らないでと注意していたのだが一向に理解してもらえずにいた。 私は1年で諦めたが、私以外の社員もそれぞれがきちんと数年かけて悪くもないのに謝らないでと伝えている。しかしこれが当に1ミリも伝わらない。同じ言語話してますよね?っていうくらい、ここに関しては伝わらない。 褒めても注意しても、こちらの言動が丁寧でも雑でも、返事には申し訳ございませんがついてくる。 なので、数年経った頃から「どうせ申し訳ございませんしか言わないんだし丁寧なコミュニケーションは時間の無駄だ」と思うようになった。 雑に扱うようになった。返事は一言。雑談はしない。だって、責めてもないのに謝罪されるから。 責めてもいないのに、

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    soleil266564 2022/03/26
    「すみません」は「ありがとう」と「ごめんなさい」の両方の意味を持つとても便利なニュアンス言葉。だからつい使ってしまう。多分この「申し訳ございません」もこれ。注意せず気づかせることができると良いかも。
  • 「比較する」が持って生まれた機能で便利なものならば、もっと上手く使おうではないか。

    以前「考えすぎない人」の考え方が示されている、というので面白そうだと思い手にとったがある。 <最先端研究で導きだされた「考えすぎない」人の考え方> これを最近パラパラとまた読み直していた。 すると以前はひっかからなかったところが私の目に飛び込んできた。 「なぜヒトは比較する動物になったのか?」という項目だ。 言わずもがな、私たちは常日頃何かと「比較」を行いながら過ごしている。 「あっちの道を行くよりもこっちの道を行った方が早い」 「AというスーパーよりもBというスーパーで買う方が今はお得」 「あの時のキツさを思えば今のキツさは大したことがない」 「前作よりも今作の方が面白い」 「あの人よりもこの人の方が髪が茶色」 「オフィスワークよりもテレワークの方が自分には向いている」 書によれば、このように私たちがごく自然に比較を行うのは、人間という生き物はめんどうくさがりで、よく言えば効率主義な

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  • 自己肯定感が低いのは、正しいことをまともに信じるからである。幅を愉しむWebメディア RANGER

    の高校生の7割以上が「自分はダメだ」と思っている、という記事を見つけた。 そこには、「自分に満足している」と答えた日人の割合は45.8%と他国より格段に低いという調査結果も載っていた。(内閣府より) これに対して、他の主要6ヵ国は、71.5%~86.0% となっている。 自己肯定感が低い人必見!高める方法と悪い習慣を学ぶ 自己肯定感は、わかりやすくいうと「自分は自分のことが好き」という気持ちのことだが、この数字からわかるように、日は他国に比べると自己肯定感が低い人が多いらしい。 このサイトに至ったのは、図書館から「自己肯定感低めの人」のための(2020/9/26)の確保通知が届いたことがキッカケだった。 予約したのがもう半年以上も前で、予約したことも忘れていたのだが、当時の予約待ちは100人を超えていたことを今になって思い出した。 このはよく売れているようだ。 そういえば、ここ

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    soleil266564 2022/03/07
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  • 私は捨て石なのかもしれない。それでも生きる。RANGER

    人間は賢い生き物であるかもしれないが、それでも生き物としての法則にしたがっているところは他の生き物と変わらない。 他の生き物と同様に、種として生き長らえて、より良い子孫を残すために生きていると言える。 人間が、周りから無視されたり、バカにされたりすると、許せないという気持が湧いてくるようにできているのは、それがないと上記の種の目的を優利に進めることができないからだ。 人間が、賢くなることやお金持ちになることを求めるのは、これらのことが、上記の種の目的を優利に進めることになるからだ。 人間が、キレイだと思われたり、格好いいと思われたり、褒められることが気持ちいいと感じるようにできているのも、これらのことが上記の種の目的を優利に進めることになるからだ。 ところで、これらのことは人間が生まれてから学んだことなのだろうか? どうもそうとは思えない。 もともとそういう仕様で産み落とされるのだと思う。

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  • 私は弱さを知って強くなるRANGER

    社会心理学は、社会というもの、あるいは組織というものが、個人の心にどういう影響を与えるかを研究する学問である。 私はこの学問に最近興味を持って、この学問のを読み始めると止まらなくなってしまっている。 この好奇心はなにゆえのものなのかと考えた時に、その理由はどうも「人間の弱さを知りたい」からであると気づいた。 社会心理学では社会に翻弄される人の様を紹介するケースが多くて、そこに人間の弱さを知ることができる。 人の弱さを知ることは落ち込んだり、絶望するだけのように思われるのだが、そこに惹かれるのはなぜなのか? 自分の性は弱いことを知って快感を得るマゾヒストなのだろうか? いやそうでもないはずだ。 どうも、自分の弱さから逃げられないから、人間の弱さを知ってみんなそうなんだと、安心したいのではないだろうか? 自分の弱さの克服ができないから、弱さを知ることにメリットを見出したいのかもしれない。

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  • 私が「バランス・イージー」という椅子をお勧めする理由は、人生100年時代だから。RANGER

    テレワーク時間の増加をキッカケにして、自宅の椅子を買い替える人がいると聞く。 この動きは、健康になるためのチャンスであり、疫病がもたらした明るい兆しとも言えるのではないだろうか。 前回記事で、 落ち着きのない健康オタクの末路。~焦らずに重要なことをコツコツと続けること~ 私が「一生使える」という信念をもつに至ったのが、「バランス・イージー」である。 この椅子の素晴らしさを伝えるために、少し長くなるのだが、股関節痛の治療の話から始めたい。 私の股関節痛の治療が始まってから約10年になるが、最近は改善が感じられるようになってきた。 改善の要因は、この椅子によるものではないのだが、この椅子の機能につながるものである。 もし子供の頃にこの椅子に出会っていたら、股関節痛はなかったかもしれないとも思う。 人間には個体差があるから、私のような症状が出る人は稀である。 実際に通ったいくつもの整体院から、私

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  • 大きいものに屈しはしない。~あまのじゃくのすすめ~幅を愉しむWebメディア RANGER

    人は常に大きいものに憧れて、その大きさに安心や権威を感じるものだ。 体が大きい人に対しては、危険を避けるため従順であらねばならないと感じるし、大きい車を所有している人を見るとお金持ちだと思い、勝手に引け目を感じたりする。 私の父親は、買い物に迷った時に「大は小を兼ねる」という言葉に頼って決断していた。 この口癖に子供の頃の私は違和感を覚えた。 「大」がいいとは一概に言えないだろう。 反意のことわざに「畳針で着物は縫えぬ」というのもある。 ことわざを学ぶことが無意味だと思い始めたのは、このようなところからだったかもしれない。 学生の頃は、大企業こそが安定していて良い選択である、という多勢の声を疑うことはなかった。 今では、一概によい選択だとは言えないと実感するようになった。 親はまた、あまのじゃく(天邪鬼)という言葉をしばしば私に使うことがあった。 あまのじゃくとは、ひねくれた性格という意味

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    soleil266564
    soleil266564 2022/01/25
    従順で素直であることは、支配されているということだから、実は不健全で不健康なのである。独立したあまのじゃくであることが、健全で健康なのだ。
  • 現実を客観視して生きるのではない。自分の世界を言葉で創造して生きるのだ。幅を愉しむWebメディア RANGER

    私は、子供の頃から、算数は得意だったが、国語は苦手だった。 苦い記憶として今でも覚えていることがある。 小林秀雄の小説の抜粋があって、この文章が意味するものはどれか?という四択の問題がテストに出て、私の答えは正解を外した。 後で復習してみてもその意味がわからず、正解に納得がいかなかった。 「読み違いを起こすのは書き手側にも改善の余地がある」 「文章をどう解釈するかは、読み手の自由のはずだ」 などと自分の読解力を棚にあげて不満を吹き出させた。 その頃から、言葉というものは曖昧であって面倒くさいものだという印象が自分に植えついた。 最近、この面倒くさい言葉というものを冷ややかに、そしてまた、前向きにも捉えなおすキッカケとなると出会った。 始めに感覚ありきなのだ フェルディナン・ド・ソシュールは、言葉の分節化作用を世に知らしめたスイスの言語学者である。 単語が生まれるプロセスは、事物に対して人

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  • 一周まわって答えがわからないところから、新たな世界が始まる。RANGER

    引き続き、社会心理学について感じたことを書いてみる。 今回の結論は、いろいろ考えた末に答えがないところが新たな世界のスタートになる、というものだ。 『格差という虚構』著:小坂井 敏晶 [itemlink post_id=”8661″] 格差の何が嫌なのか? 格差とは、同類のものの間における、程度などの差や違いである。 また、社会問題の一つとしての意味合いを込めても用いられる語であり・・・ (ウィキペディアより) 「この同等なものの間における」というのがどうも微妙なニュアンスだ。 同等なのに差ができることに、人は不満を感じるものだ。 「同等」とはどういうことなのだろうか? 人間であるのいうのが、同等に当たるわかりやすい区分ではある。 確かに「同じ人間なのに・・・なぜ違う?」という不満、嫉妬である。 それを不平等だと感じる。 この平等という言葉は曖昧なものだ。 平等論の究極は、人が生まれたから

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  • いいまわしをひとつかえただけで、離婚危機を脱した

    ちょっと大げさかもしれないし、あくまでうちら夫婦に限った話かもしれないけど、割と目からウロコな話だったので聞いてくれ。 結論を先に書くと、「してもいい?」という言葉を「したい」に変えたということ。 同じと思うかもしれないけど、結婚して10年、前者はいつも使っていたけど、後者を使うことは多分一度もなかった。 その歪みが積もり積もって夫婦の関係を冷ややかなものにしてしまっていた。 なぜ「してもいい?」という言葉を使っていたのかと言われれば、夫婦とは二人いて初めて意味のあるもので、何かしらの決定は常にお互いの承諾が必要だと考えていたからだ。 おそらく、その考え自体は間違ってないと思う。 しかし、その承諾を得る方法として、自分が選んだのは「してもいい?」という問いかけだった。 この言葉は、一見自分の要望を丁寧に伝えているだけの言葉とも取れる。少なくとも自分はそのつもりで使い続けていた。 ところが、

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    soleil266564
    soleil266564 2021/12/22
    いつも「〜してもいい?」と相手に判断を委ねる聞き方は、そればかりでは重荷に感じる人もいるということ。すべて「したい」にするとそれはそれでまた問題がありそう。バランスを見ながらの使い分けですかね。
  • 「夏目漱石の視点」で現代をながめてみる。幅を愉しむWebメディア RANGER

    小説家 夏目漱石との接点は、中学生の頃に「我輩はである」や「坊っちゃん」を推奨図書として読んだくらいしかなかった。 今となっては、その時の感動どころか、何某かの印象すらもなくなってしまっている。 かろうじて、「細かく観察する神経質な人だ」という思いが残っているくらいだ。 当時は”完読”が「宿題をこなす」ことだったので、それだけしか見えてなかったのだろう。 あるいは、文章の意味を理解することが精一杯で、読む訓練の範疇に留まったのかもしれない。 後から、彼への評が、そのシニカルさにある、とも聞いたが、当時はまだシニカルさというものがわからなかった。 子供の頃は相手への配慮がまだ十分育っていないから、逆にシニカルな目線は当たり前のところもあって、漱石の目線に驚かなかったようにも思う。 そのシニカルさを大人になっても残して、チャンと言葉にできるところはさすがだ、と後からやっと思うに至る。 その当

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    soleil266564 2021/11/10
    大変遅ればせながら、夏目漱石の面白さがわかってきた。
  • 「自分の人生を生きる」ってことにチャレンジする。幅を愉しむWebメディア RANGER

    自分は、「自分の人生を生きてきた」のだろうか? そんな疑問が生まれた。 そのキッカケは「精神科医 泉谷閑示氏」のだった。 そして、このは自分の中にいつからか芽生えた違和感を見事に言葉にしてくれていて、驚くほど共感できるものだった。 生きるについての疑問 生きる意味について、考える時間ができた。 今の自分から見ると、若い頃は「苦痛なく生活していくためのお金」を稼ぐことが目標であり、生きる意味だったように思う。 人並みの快楽、できれば少し美味しいもの、少し広い家、少しいい車くらいの。 3年後の計画も野望もなく、ある程度を稼ぐという目標のために自分を売って流されて生きていると言っても過言ではなかったのではないか、と。 自己実現や社会貢献を唱ってはいたものの、根底にあるものは生活するためだった。 自分は、「自分の人生を生きてきた」のだろうか? ここでいう「自分の人生」とは何のことなのか? 大学

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    soleil266564 2021/10/26
    「自分の人生を生きる」ということは、非常に崇高なことなのだと思う。
  • お笑いの「ツッコミ」と「自粛警察」は共通している。幅を愉しむWebメディア RANGER

    最近、お笑いのネタ番組が多くなった。 嫌なことを忘れたい。 時代を反映しているのだろうか? 笑いは免疫を上げるなど健康にいいと言われる。 『人間に許された唯一の特権は笑うことや。 笑いながら生きると言う事が人間としての証や。人は笑うために生きるんやで。』 松人志 というお笑いに関する言葉を最近知った。 参照:名言&格言 私はお笑いは観て好きなだけの人なのだが、最近、あることをキッカケにお笑いについて思ったことを書きたくなった。 例えツッコミ 人は何を笑うのだろうか? 何が笑えて何が笑えないのだろうか? 素人が語れるものではない。 それでも敢えて思うところを書いてみたい。 日のお笑いの基は、ボケがあってそれに対してツッコミが入る、というものだ。 そのツッコミのひとつに例えツッコミがある。 芸人が化粧をした時にそのあまりの変化に対して、 「高低差ありすぎて耳キーンってなるわ!」(フットボ

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    soleil266564 2021/10/19
    ツッコミによる笑いは、日本人が持つ攻撃したいDNAの矛先、吐き出し先を少しは担っているだろうか?
  • 私という人間の「ポジション取り」がわかってきた。幅を愉しむWebメディア RANGER

    人は顔もスタイルも異なれば性格も異なる。 得意なことや不得意なことも異なる。 病気に現れる弱い部位も異なれば、年をとって痛くなる身体の部位も異なる。 環境も経験も異なるから、主張する内容も異なる。 そんなことはわかりきっていることなのだが、主張が異なって、その考えに共感できないことで憂になったりする。 また、自分にできないことを他の誰かが得意げにしていることを見ては、人を嫉む。 人にある痛みが自分にはないことを誇らしげに思い、人にはない自分だけの痛みに対してはその不平等を恨む。 何とも面白いとしかいいようがない。 では、自分という人間には人と異なるどんな特徴があるのだろうか? 私という人間の特徴には、正直、目をつぶりたくなるものもある。 しかし、自分を客観視することは非常に大事なことだと思う。 人というものは幾重にもなる複雑な特徴を持っているから、いくつか上げただけでは不十分ではあるのだ

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    soleil266564 2021/10/12
    自分の凸凹した先天性を大切にできることは相手の凸凹した先天性を大切することにつながる。