あの有名なコップの半分の水、の話である。この話には意味がないとずっと思ってきた。 ものの見方を変えるといっても、変わるものではない。悲観的なものの見方を基本とする人にしてみると、その楽観的な側面を指摘されたからといって、そういう気分にはなれないものだ。 しかしそもそも、楽天的な気分とか、悲観的な気持ちとか言った議論には、この気持ちがわき起こる理由についての記述が薄い。非常に欠けている。 たいていは悲観主義者を、意図せずしてあしざまに罵り、翻って楽天家は寿命が長いとか、潰瘍になりにくいとか、成功しやすいとかいった羅列に終わる。とどめを刺すように「楽天主義者は現実の厳しさを認識していないわけでは決してなく、むしろ現実の厳しさを踏まえつつも、うんぬん」とたたみかける。 すなわち悲観主義者はいつも「どうせ」とつぶやき、友達もできず、彼女もできず、結婚もできず、失敗を繰り返し、それを他人のせいにして