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2007年7月25日のブックマーク (7件)

  • 「リスペクトを守るために延長」のおかしさ - 半可思惟

    問題の発言 昨日の24日に、ICPFが三田誠広氏を招いて「著作者は著作権をどのように捉えているか」と題するセミナーを行いました。 私は試験中のため残念ながら参加できませんでしたが、大変興味深い対話がなされたようです。そのなかで私が特に気になったのは、津田さんのTwitter中継で言うと次の箇所です。 「人格権切れたら谷崎の作品をポルノ仕立てに変更することも可能になる。人格権は経済権とセットになっていることを考えると、保護期間は長めにしておいた方がいい」 http://twitter.com/tsuda/statuses/165620072 三田「今まで私はクリエイターのインセンティブという言葉は使ってない(以前は使ってたけど)。そうではなくリスペクトという単語を使っている。死んだ後のことはわからない。死んだあと評価されるかもしれないという幻想を持って作家は作品を作る」 http://twi

    「リスペクトを守るために延長」のおかしさ - 半可思惟
  • ZAKZAK

    ハリポタ新刊発売前ネタばらし…“切れ者”日系人書評家 超激辛で有名…私生活はナゾ 「切れ者」として知られるNYタイムズ紙の角谷美智子記者が、子供たちの夢を砕いたとは思えないが…(AP) ニューヨーク・タイムズ紙が、発売前の『ハリー・ポッター』最終話(第7話)の書評を掲載し、“世紀の大フライング”とブーイングを浴びた。全世界のファンを敵に回しながら、確信犯的に“ネタばらし”した同紙の記者は、全米の出版界が恐れおののく、最強の日系人女性書評家だった。その素顔も謎に包まれている。 今回明らかになった執筆者は、書評に関して全米一の影響力を持つと評判の文化部エース記者、角谷美智子氏(52)=写真右。理論経済学の世界的権威、故角谷静夫氏を父に持ち、自身も全米屈指の名門、エール大学を卒業した才女だ。「ワシントン・ポスト」「タイム」を経て1983年、NYタイムズ紙に入社している。 入社3年目から21年間書

  • asahi.com:ドーダの近代史 [著]鹿島茂 - 書評 - BOOK

    ドーダの近代史 [著]鹿島茂 [掲載]2007年07月22日 [評者]野口武彦(文芸評論家) ■〈自己愛〉で読み解く西郷・中江 書名のドーダは、漫画家の東海林さだお起原で、「ドーダ、マイッタか」という究極の自慢のフレーズの由。書にサブタイトルを付けるなら《近代史を動かした自己愛の研究》とでもなろうか。 幕末から昭和の二・二六事件までの歴史人物が大勢登場するが、事実上、前半は西郷隆盛論、後半は中江兆民論をなしていて、その合わせ技が書の妙といえる。 ドーダは「自己愛に源を発するすべての表現行為」であり、さらに「陽ドーダ」対「陰ドーダ」、「外ドーダ」対「内ドーダ」というサブ・ジャンルに分類される。 西郷隆盛の謎もこれで解ける(!)。討幕運動の中心で活躍していた西郷が、幕府瓦解(がかい)と同時に精気を失い、西南戦争で暴発するまで長い抑(よくうつ)状態にあったのはなぜか。著者にいわせれば、ドー

  • 「ウィキペディアを引用するな」 | Okumura's Blog

    という主張が昨日だか一昨日だかの朝日新聞に載っていた。図書館情報学方面の人はそもそもWebの引用に懐疑的で,どうしてもURLを参考文献として挙げるなら必ず「何年何月何日閲覧」と書き加えるようによく言われる。機械的に適用すると,「ウィキペディア(http://ja.wikipedia.org/,2007年7月25日閲覧)を引用すべきではない」のような変なことになる。 Wikipediaの信頼性についてのNatureによる古典的な調査 Internet encyclopaedias go head to head(2005)はEncyclopædia Britannicaと比較して「ほぼ互角」とした。Britannica側の反論への反論も掲載されている。 Wikipedia側からBritannicaの間違いを指摘した Errors in the Encyclopædia Britannica

  • 三田誠広氏との噛みあわない問答 - 池田信夫 blog

    きのうのICPFセミナーのスピーカーは、三田誠広氏だった。もう少し率直な意見交換を期待していたのだが、自分で信じていないことを長々としゃべるので、議論も噛みあわなかった。そのちぐはぐな質疑応答の一部を紹介しておこう:問「これまで文芸家協会は、著作権の期限を死後50年から70年に延長する根拠として、著作権料が創作のインセンティブになると主張してきたが、今日のあなたの20年延ばしても大した金にはならないという発言は、それを撤回するものと解釈していいのか?」 三田「私は以前から、金銭的なインセンティブは質的な問題ではないと言っている。作家にとって大事なのは、として出版してもらえるというリスペクトだ。」 問「しかし出版してもらうことが重要なら、死後50年でパブリックドメインになったほうが出版のチャンスは増えるだろう。」 三田「しかしパブリックドメインになったら、版元がもうからない。」

  • マンガ本にはなぜ作者プロフィールがないのか (2007年7月25日) - エキサイトニュース

    写真は相原コ−ジ・竹熊健太郎『サルでも描けるまんが教室』の、パロディ風記事。確かに昔は、連載作家陣総顔出しのこんな企画、ありました。さらにこの写真、よく見ると、作者の2人に混じって小学館の少年マンガ界を今も支え続ける超大物マンガ家がいたりも……。 好きなを見つけると、決まってすぐしたくなるのが、作者のプロフィールチェック。何歳ぐらいの人で、これまでどんなものを書いてきたのかなど、知りたくなる人は多いのではないだろうか。 でも、小説やノンフィクションのには必ずあるプロフィール、どういうわけかコミックにはほとんどない。 カバー袖に同版元の同シリーズのが記載されてたりする場合はあっても、たいていは自分で調べないと、その作者の他の作品を知る術がないのだ。 これってどうして? あるマンガ編集者に聞いてみると……、「あくまで私の推測としては」として、以下のような話をしてくれた。 「小説家はずっと

    マンガ本にはなぜ作者プロフィールがないのか (2007年7月25日) - エキサイトニュース
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