ピンクはわたしのお気に入りの一部 “Pynk” イケピンク問題である。『女の子は本当にピンクが好きなのか』を読んだ方には説明不要だろう。ピンクがある種の女性性を象徴する色だとして、それがお仕着せのものであればダサピンクであり、主体的に選び取られたものであればイケピンクとなる。ウィミンズ・マーチのピンク・ニットに代表されるように、女性のエンパワーメントを訴える政治的な色でもある。ジャネール・モネイはピンク色のヴァギナを模したパンツを履いて、ファニーなダンスを仲間の女たちと披露する。ヴァギナの形はひとそれぞれで、ヴァギナを持たない女性もいる。だが彼女たちは同じダンスができる。セクシーなフレーズやイメージを挑発的に繰り返す“Pynk”のミュージック・ヴィデオはまず、21世紀におけるフェミニズムとクィア・カルチャーのもっともポップな成果であり、そして、2018年最高のイケピンクである。 要は中指の
監督:チャン・フン『義兄弟~SECRET REUNION』『高地戦』 出演:ソン・ガンホ(『密偵』『王の運命 -歴史を変えた八日間-』)、トーマス・クレッチマン(『戦場のピアニスト』『ヒトラー ~最期の12日間~』、ユ・ヘジン(『コンフィデンシャル/共助』『LUCK-KEY/ラッキー』)、リュ・ジュンヨル(『グローリーデイ』『ザ・キング』) 2017年/韓国/137分/カラー/シネスコ/5.1ch/レイティング:G/原題:택시운전사/配給:クロックワークス/提供:クロックワークス・博報堂DYミュージック&ピクチャーズ COPYRIGHT © 2017 SHOWBOX AND THE LAMP. ALL RIGHTS RESERVED. 2018.4.21(土)より、シネマート新宿ほか全国公開 klockworx-asia.com/taxi-driver 忘れてた。昨年暮れ、ele-king
生演奏とエレクトロニクスとの融和はこれからさらに注力されるべきテーマだろうし、ジャンルの壁を壊すこと、リスナーの耳を押し広げることは、もうかれこれ20年来の課題だ。そしてリズムは永遠のテーマ。ロラン・ガルニエがパリで、ジャイルス・ピーターソンがロンドンで、松浦俊夫が東京で、早速それぞれのラジオ番組で紹介してくれたゴンノ&マスムラの『イン・サークルズ』。 仏英日のリスナーにこの野心作がどのように聴かれたのか気になるところではありますが、まずはここにふたりの声をお届けしましょう。 普段4拍子の音楽を長時間やっている身なので、俺としてはめちゃめちゃ面白かったです。最初に作った“サーキット”という曲のリフは、BPM127くらいのハウスっぽいフレーズををなんとなくマスムラくんに送ったのですが、それが5拍子だということに気づかなくて。そしたら増村くんが5拍子のドラムを入れてきた。これは新しいなというこ
セシル・テイラーが亡くなった。 4月5日にブルックリンの自宅でピアニストにして詩人は息を引き取る。89歳だった。最高気温は7度くらいだろう。寒くて雨がちだったこの日、家族のほかに彼を見送ったのは、サキソフォン奏者のエヴァン・パーカーと〈Cadence〉レーベルの主宰者ロバート・ラッシュだという(『ガーディアン』紙電子版)。巨漢のパーカーが共演したライヴは数え切れないし、ラッシュは最後のアルバムを作った人だ。1956年に出された最初の作品『Jazz Advance』から62年の時間が流れたのである。 少し暖かくなったニューヨークの街では今ごろ、彼の音楽に励まされた人たちが記憶を紡ぐ催しを準備していることだろう。私もここでその試みに加わりたいと思う。 3年前に彼がオーネット・コールマンの葬儀で演奏した音を聴きながら、これを書いている。2015年6月27日、場所はマンハッタンの西ハーレムにあるリ
Home > Interviews > interview with Ian F. Martin - アイデンティティの問題と、いまアイドルについて語らないこと その本を作った編集者が著者に取材するということはあまりないと思うが、この本に限っては、自分も音楽ライターの端くれであり、音楽メディアに携わっている人間なので、仮に自分がこの本の編集者ではなかったとしても、話を聞きたかった。 『バンドやめようぜ!』(原題:QUIT YOUR BAND!)は、イアン・F・マーティンという在日英国人によるじつに示唆に富んだ内容の日本のロック/ポップス批評だ。通史を描くというのもひとつの批評であり(すべてを万遍なく描くことは不可能ではないかもしれないが、膨大な文字量を要する)、そこには著者の史観や選択も入るわけで、どうしたって語り部独自の批評が介在する。そして、この世に生まれてから20年以上ものあいだの英
みなさんこんにちわ。先週末、石野卓球のDJで踊った編集部・野田です。先日、ele-king booksから刊行された『超プロテスト・ミュージック・ガイド』(原書タイトル『Agit Disco』)の発起人/監修者のステファン・ジェルクン氏が、彼のサイトにて日本版に追加された各プレイリストに対してコメントしています。 https://szczelkuns.wordpress.com/2018/02/05/agit-disco-japanese-edition/ しっかり長渕剛まで紹介されていました(笑)。 また、わたくしめが本サイトにて発表した「基礎編+α」もそのままコピペされているのはいいのですが、今回の仕事中、ステファン・ジェルクン氏とのやりとりのなかの私信に書いたRCサクセションおよび忌野清志郎の説明までそのままコピペされております。少し大袈裟な表現ですが、そう思っているのでまあいいいか
野田努 ま、とりあえずビールでも飲んで……かつてUKは自らのジャズ・シーンを「jazz not jazz」(ジャズではないジャズ)と呼んだことがある。UK音楽の雑食性の高さをいかにも英国らしい捻った言葉づかいであらわしたフレーズだ。これこそジャズ、おまえはジャズをわかっていない……などなど無粋なことは言わない。ジュリアードやバークレーばかりがジャズではないということでもない。何故ならそれはジャズではないジャズなのだから。 そのジャズではないジャズがいま再燃している。昔からUKは流れを変えるような、インパクトあるコンピレーションを作るのがうまい。編集の勝利というか、ワープの“AI”シリーズやハイパーダブやDMZなどを紹介した『Warrior Dubz 』のように。『We Out Here』もそうした1枚だ。アルバムには、近年「young British jazz」なる言葉をもって紹介されてい
刊行されてからだいぶ経つが、昨年読んだ小説で面白かったのは村上春樹の『騎士団長殺し』だった。物語の設定が、ここ数年個人的によく考えていることとリンクしたからだ。主人公の「私」は妻と別れ、谷間の入口の山の上の家に住むことになった。家にはパソコンもテレビもないが、ラジオと暖炉があり、レコードコレクションとその再生装置があった。屋根裏にはみみずくが住んでいる。「私」は肖像画を専門とする絵描きで、気が向けば家のレコードを聴く。外部との連絡はメールではなく、家電話を使っている(携帯も持っていない)。 谷間を挟んではす向かいの山の上には、ひときわ人目を引くモダンな家がある。白いコンクリートと青いフィルターガラスに囲われたその3階建ての家の外側には自動制御された照明があり、家のなかにはエクササイズ・マシンを備えたジムやオーディオルームもある。住人は、「免色」という(色のないという意味の)不思議な名字を持
Outro Tempo: Electronic And Contemporary Music From Brazil 1978-1992 80年代初頭のブラジル音楽がブライアン・イーノとリンクすることを熱望していたなんて、ちょっと面白いと思わない? まだ軍事政権下のブラジルでは、そもそもコンピュータの輸入に関して制限があった。音楽における電子機材(とくにドラムマシン)に関しては、一般的な見解としてサンバの伝統を損なうということで、それ相応の抵抗があったそうだ。独裁政権と伝統主義の両軸から、エレクトロニックな機材はうとまれていたという。このあたりの興味深い事実関係は、ジョン・ゴメスのライナーに詳しいので、ぜひ読んでいただきたい。素晴らしい研究の成果の断片が読める。すなわち、伝統的な文化に砂をかけることなく、伝統的な文化を無視することなく、しかし外(海外)に開けていく手立てはあるのか……と。つ
ECDさんといつまでも(Together forever) 矢野利裕 ECDさんが亡くなってしまったことが、とても悲しく、つらいです。 ele-kingのかたより「ECDさんの追悼文を書きませんか」と連絡をいただきました。わざわざ人前で追悼文を発表することに抵抗感があるし、「オレなんかが」という気持ちもあります。しかし、そういう局面において、いつでも覚悟を持って言葉を発することを選び続けることが、ECDさんをはじめとする日本語ラップの格闘だったはずで、僕自身、この20年、日本語ラップのそういうアティテュードにおおいに勇気づけられてきたので、自分なりにECDさんについて書かせてもらいます。 紋切の言いかたですが、20年まえ、14歳のときに『BIG YOUTH』という作品でECDを知ったことからこそ現在の僕がいます。本気でそう思っています。具体的に言うと、地に足をつけた労働者であるとともに、表
webメディア/オンライン・マガジンと呼ばれるモノの多くには編集後記がないようなので書くことにした(たとえばぼくはBuzzFeedの読者だが、編集後記ってないよね?)。気楽に書くのでどうぞお気軽に読んでください。ただの編集後記ですから。 先週の土曜日はリキッドルームでDYGLという若くて格好いいロック・バンド(次号の紙エレキングの表紙です)のライヴを観たあとに、UGの石崎雅章君と三茶で会って酒を飲みながら時間をつぶし、23時からOrbitというDJバーでやるという、デトロイトからやって来た永遠の絵描き、アブドゥール・ハックのライヴ・ペインティングに出向いた。 恐ろしい偶然とはあるもので、11月のある日曜日、家で『Reworked by Detroiters』(URやムーディーマン、アンドレス、リクルースなどデトロイト・テクノ/ハウスの錚々たるメンツがファンカデリックの曲をリミックスするとい
個人的には今年のベスト映画はこれ。『ノーザン・ソウル』。本国イギリスでは2014年の上映だが、有志による日本語字幕付きのほとんど自主上映の形で、「ほぼ丸ごと未公開!傑作だらけの合同上映会」(https://nbsff2017.wixsite.com/nbsff2017)の1本として上映される。 簡単に言おう。『さらば青春の光』『ビギナーズ』『トレインスポッティング』『24アワー・パーティ・ピープル』『THIS IS ENGLAND』──以上のなかから2つ以上好きな映画がある人は必見である。 さて、ノーザン・ソウルとは何であるか。今日のダンス・カルチャーには3つの源流がある。1.DJのミックス技術を生み、発展させたNYのディスコ・カルチャー。2. オリジナルを何度も何度も再構築するヴァージョン文化を生んだジャマイカのサウンドシステム。そして3つめが、「レア盤」文化を促し、レイヴ・カルチャーの
去る9月末、突然の衆議院解散と前後して野党第一党だった民進党が分裂し、その後も混乱が続いている。そのような状況のなか、来る22日には48回目となる衆議院議員総選挙が実施される。私たち『ele-king』はおもに音楽を扱うメディアではあるが、いまのこの政局を重要なものと捉え、初めて政治家への取材を試みることにした。以下のインタヴューは必ずしもその政治家への支持を呼びかけるものではないが、これを読んだ各々が自身の考えを深め、政治や社会に関心を寄せる契機となれば幸いである。 「僕は(自分たちを)少数派だとは思いません」──たったひとりで5日前に立憲民主党を立ち上げ、その呼びかけに応えて集まった候補者たちと選挙に臨もうとしている枝野幸男はそう言った。 9月の衆院解散後の野党第一党の崩壊劇で、小池百合子の「排除します」の一言は、その3ヶ月前に首相が放った「こんな人たち」よりもさらにストレートに私の胸
Home > Reviews > Book Reviews > ユニオンジャックに黒はない――人種と国民をめぐる文化政治- ポール・ギルロイ 著 / 田中東子、山本敦久、井上弘貴 訳 私たちは慢性的な危機を目撃している。そのような危機は、今や過去のことだと思っていた緊縮財政と衝突のあった古い時代、あるいは人種と国民をめぐる政治に私たちを連れ戻したように見える。私たちは立ち往生しているのかもしれない。しかし、昔に引き戻されているわけではない。警察による職務質問、学校からの除籍、若者の失業といった重要な指標が示しているのは、1979年の総選挙におけるサッチャーの歴史的勝利に沸いていた37年前よりも、事態が悪くなっているということだ。(本書、日本版序文より) ポール・ギルロイは、こと今日のDJカルチャー/(とくにUKにおける)ブラック・ミュージックを思考するうえでは外せない思想家のひとりである。
アフリカ大陸を想起させる土着的なパーカッションの音を多用し、シャーマニックな声が響き渡る。まるでエレクトリックな音も巧みに操る部族が密林の奥地でおこなう儀式の音楽のようだ。『Dark Energy』、2015年にリリースされた、それまでのジューク/フットワークとは一線を画す突然変異的フットワーク・アルバムのタイトルである。米国中西部インディアナ州ゲイリー出身のジェイリン(Jlin)ことJerrilynn Pattonは、このアルバムでキャリアをスタートさせた。そしていまから1年ほど前に昼間の製鉄工場での仕事を辞め、より制作に時間を割ける環境を得て、2年ぶりとなる2ndアルバム『Black Origami』をリリース。『Dark Energy』からいかに進化したのかを解き明かしたいと思います。 A1、アルバムタイトル曲”Black Origami”。彼女の場合、基本的にBPM80/160を3
三匹の子ぶたのその先 「三匹の子ぶた」は誰もが一度は話を聞いたり、本で読んだりしたことのある有名な昔話である。どうやらイギリスの話らしい。一人目の子ぶたはワラで、二人目の子ぶたは木材で家を作るが、彼らを狙うオオカミにどちらも吹き飛ばされてしまう。しかし、最後の子ぶたが作ったレンガの家にはオオカミもなすすべがない。オオカミは煙突からの侵入を試みるのだが、煙突の下で沸かしておいた熱湯で茹でられ、反撃を食らう。──そんな話のプロットはおそらく誰もが覚えているだろう。 私はこの昔話が特に好きだったわけでもないのだが、二年前にこのお話の発祥の地であるイギリスで、とある「三匹の子ぶた」絵本を見てから、妙にこの話が気になるようになった。この話のポイントはなぜ三匹の子ぶた、すなわち、三人の未成年者が自らで家を建てねばならなくなるのかというところにある。我々が普段目にするバージョンではそのポイントはぼかして
チカーノという言葉をきいて、何を想像するだろう。ある人は、ギャング、ある人はローライダーやズートスーツ、ある人は、スパングリッシュを想像し、その音楽は、ウエストサイド・ヒップホップか、サンタナのようなラテンロック、またはレイジ・アゲインスト・ザ・マシーンのようなラディカルなものを想像するかもしれない。そして、チカーノたちは、メキシコ系米国移民で、米国籍を持っているが、彼らの親たちは、何十年も米国に暮らし、その発展を支えながらも、突然、強制送還される場合がある、ということを知っている人もいるだろう。米国の人気テレビシリーズ、『アグリー・ベティ』の主人公ベティは、チカーナ(チカーノの女性形)であり、父親は不法移民である。 そんな、「チカーノ」に、アメコミから生まれた、スーパー・ヒーロー、バットマンを掛け合わせた名前を持つ、最高なバンドがいる。それが、ロサンゼルスの、中南米系移民居住区で結成され
プログレッシヴ・ロックというジャンルに限らず、ロックの歴史において最も偉大なるバンドの一つに数えられてきたカン。彼らがケルンで誕生したのは、ちょうど半世紀前のことだった。70年代末に消滅するまでの間に彼らが発表した作品群は、70年代のパンク、80年代のニュー・ウェイヴやノイズ、更に90年代以降のポスト・ロックなど後続の若いミュージシャンたちに延々と影響を与え続け、現在に至っている。70年代英国のメディアによる「カンは50年先を行っている」という賛辞が真実だったことを、今、誰もが認めているはずだ。 というわけで、結成50周年を祝しておこなった、カンのリーダー格イルミン・シュミットへの電話インタヴュー。 カンがシングル盤としてリリースした楽曲だけを23曲集めた編集盤『The Singles』が先日、英ミュートからリリースされたばかりだが、その前の4月には、ロンドンのバービカン・ホールで〈The
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